陸の9 そういうことばかりなさっていると
団地管理サービス事務所ではらちが明かない。おれは、自室の固定機で、藤沢市に立地する『神奈川西住まいセンター』に架電した。
〈電気の担当者が、あいにく席を外しております〉
用件を告げると、最初に出てきた女声は言う。団地管理サービス事務所の高瀬も、電気の担当者ではない「忘れた」誰かと通話したのだと言っていた。センターに「電気の担当者」は存在しないのかもしれない。
「誰でもいいから、分かる人に代わって。分かる人がいないなら、あなたが対応して」
代わって男声が出てきた。マツナガとかマツナラとか名乗るが、滑舌が悪いのか、よく聴き取れない。しかし、名乗り以外では、滑舌に問題はない。
〈森さん。あのねえ〉
「はい」
〈そういうことばっかりなさってると、あなた、困ることになりますよ〉
自身の耳を疑った。
「そういうこと?」
〈そうです〉
「どういうこと?」
〈言った通りです〉
「困ること?」
〈はい〉
「困ることってなんですか?」
〈森さんが困ることですよ〉
「そういうことってなんですか?」
〈森さんがやってらっしゃることですよ〉
「そういうことばかり、とおっしゃいましたか?」
〈言いましたよ〉
「ばかり、とはどういう意味ですか?」
〈森さんが普段からやってらっしゃること、という意味です〉
団地管理サービス事務所だけでなく、その上部機関であるはずの住まいセンターでも、おれの悪行すなわち彼らUR都市機構サイドにとってのおれの「悪行」が代々引き継がれ、それへの対応いかんも代々、引き継がれているのだと、この瞬間に確信した。
入居後間もないころ、海に臨む横浜市中区にあるUR都市機構本社に乗り込み取材を掛け、刷り上がった事故物件入居体験記を送り付けているのだから、関連事業所に「お触れ」が回っているのも、それが現行でも適用されているのも、考えてみれば当然のこと。おれは、目の上のたんこぶ。危険分子。有害物質。除外すべき対象。
「脅しだな」
〈脅しだなんて、そんな物騒な。アドバイスですよ〉
「アドバイスを聴かなければ?」
〈森さんのお考えの通りになります〉
「ぼくの考え?」
〈いろいろと困ることが、おありでしょう?〉
「だから、困ることってなんだ?」
〈さあ、なんでしょうね。でも森さん、困ることになったら、お困りでしょう?〉
お困りでしょうの「おこ」の部分に不自然な節のようなアクセントを付け、その男は言う。「しょう」の部分は妙に音を伸ばし語尾を上げ、もったいぶった口調だ。
「一番目の『困ること』とは? 二番目の『お困り』とは? それぞれ具体例を挙げてくれ」
〈どうでしょうね〉
口を割らない。脅しは掛けていないという予防線だ。しかし、超短期的にはエアコン用電源の断線を修理しない、長期的には、いや、短期決戦で可及的速やかに強制退去させる、ということだろう。
退去の理由は、なんだってでっち上げられる。だから、彼らに無用なヒントを提供しないため、この作、稿では挙げない。
家主と店子では往々にして弱い立場に置かれる店子、つまり賃借人の権利を守る趣旨で一九九一(平成三)年に制定された『借地借家法』も、世界最大の家主であるUR都市機構の威厳にはかなわない。そのように制度設計されている。
「分かった。マツナガさん、漢字は松竹梅の松に永久の永い?」
〈いいですよ。それでいいです〉
おれの誤りを訂正しない、直截的に言えば偽称であると、のちに分かる。
「フルネームか肩書きを教えてくれ」
〈お断りします〉
「名乗れないどんな理由があんの?」
〈本来の担当ではないからです。偶然ここを通りがかって、ほかに対応する者がいないから致し方なく電話を代わりました〉
なるほど、おれの悪行や扱い方いかんは、通りがかりの職員にも周知徹底されているということだ。
松永と名乗る男との電話を切って、おれは古い名刺フォルダーを引っかき回した。二〇一一(平成二十三)年八月のファイルから、UR都市機構の報道担当者ら四人と面談した際のそれぞれの名刺四枚が見つかった。
歳月が経っているから、当時の担当者が異動しているのは百も承知。その名刺に刷られている四種類の電話番号が、今も通じるか確認することにした。代表番号にかけてもたらい回しの末、対応を拒まれるのが必至だからだ。
発信者がおれだと悟られぬよう、頭に184を付けて番号をブッシュする。名乗らず、あいまいな用件で確認を試みた。組織改編で部署名は変わっているものの、いずれも担当部署につながることが分かった。
しかし、もはや電話で解決できるような問題ではない。自称・松永の〈困ること〉〈お困りでしょう〉発言からも、そのことは明らかだ。いずれ、海を臨む本社か、藤沢市にあるという神奈川西住まいセンターに出向かなければなるまい。
その前に、エアコン電源断線問題は、早急に、夏が本格化する前に解決させなければならない。
おれはサンダルを突っかけ、取材用のペンとノートを手に、一階の団地管理サービス事務所に降りていった。
「きみら、藤沢の住まいセンターとの間で、どういう話になってるの? どういう取り決めをしてるの?」
事務所にいる二人の女性職員どちらに向けるでもなく、言ってみた。
「ブレーカー、上げてみました?」
高瀬ではない方が口を開く。
「まだそんなこと言ってんのか。藤沢の松永なにがしが言ってる、ぼくが『困ること』ってなんだ?」
「エアコンが故障してるってことはないですか?」
「エアコンは動くって、最初の文書に書いてあるだろ」
「えっ? 動くんですか? じゃあ、問題ないじゃないですか」
おれは持参のノートを開きページいっぱいに、ボールペンで配電盤の図を簡略に起こした。ブレーカーのレバーも、二次元的に三本、描き入れた。
「これがエアコン用のコンセントにつながってるはずのブレーカー。こっちの二本が、それ以外。本来なら、こう配線する」
エアコン用のはずのブレーカーから真下に縦に線を引き、エアコンを四角で示す。エアコン以外のはずのブレーカー二本のうち一本から、同じように真下に縦に線を引き、エアコン以外の家電を丸で示した。
「この状態では、エアコン以外は付くけど、エアコンは付かない。だから、危険を承知で、それぞれ別のコンセントに挿してみた」
縦線二本の内側に、斜めの直線二本を交わらせる。
「こうつなげると、エアコンは動く。でも、エアコン以外は動かない。分かる?」
「分かりません」
「…高瀬さん。ちょっとこっちに来て」
デスクにしがみついていた高瀬が、おずおずといった表情と仕草でカウンターに寄ってくる。
「これ、この罰点、X状に見えるでしょ?」
「……」
「電話でぼくが、エアコンとエアコン以外の家電を、エアコン専用コンセントと一般用コンセントをクロスでつないでみたって言ったのを高瀬さん、理解できなかったね?」
「……」
「あんた宛てのラブレターに、エアコンのプラグを一般用コンセントに差し込むとエアコンそのものは稼働するって書いた愛情表現を、読み取れなかったね?」
「……」
「クロスっていうのは、こういうこと。この図を見て分かる? 見ても分からない? それは、ぼくの絵が下手だから?」
「……」
「きみら、最初から分かってたね。あるいは、途中から分かったね。分かった上で、分からないふりをしたね。今でもしてるね。分からないふりを続けてるね。これからも続けるね」
「……」
「どこの誰の指示なの? ぼく以外にもこういう目に遭ってる、遭わされてる住人がこの団地にどれくらいの数いるの? そういう住人は、いったいどの程度の――」
「――おいこら、おまえ、なにやってるんだ!」
事務所の奥の扉が前触れもなく開いて、小柄な初老の男が、叫びながら飛び出してきた。扉の向こうになにがあるのかおれは知らないから、「飛び込んできた」が正解かもしれない。
(漆 スラッグ弾をはね返せ「1 これでおまえはおしまいだ」に続く)




