陸の2 一九七三年のヘリウムガス
漫画家、里中満智子(一九四八-)の初期の作品に、『6月4日月曜日』という短編読み切りがある。小学六年の主人公は、早起きした朝、両親の会話を盗み聴きし、自身が白血病に冒され、余命一年と知ってしまう。
普段通り登校するが、ふとしたきっかけで授業中の学校を飛び出し、街で風船売りの老人と知り合う。老人は戦争で家族を亡くしていた。
老人の元に、若く美しい未亡人が風船を買いに訪れる。
「きょうは彼の誕生日だから。彼は青が好きだったから」
彼女は青い風船に、亡くなった夫への手紙をくくり付け、空に放つ。手紙には、彼女の再婚が決まったこと、幸せになれるよう天国から見守っていてほしいことなどがつづられている。
主人公は、命のはかなさ、そして、命を失っても、思いを寄せ続けてくれる人がいることを知る。
「森くん、六月四日が誕生日? でも、今年の六月四日は、月曜じゃないね」
小学生のころ、クラスの女子に言われた。
少女漫画雑誌『なかよし』(講談社)にこの作品が掲載されたのは、一九七三(昭和四十八)年六月号の別冊付録でだ。単行本として二年後の一九七五(昭和五十)年に、コミックが出版・発売された。クラスの女子がおれの誕生日に言及したのは、単行本が発行されたころか、それより後のことだったはず。
別冊付録に掲載された一九七三年は、暦によれば、確かに六月四日は月曜。主人公は、週初めに余命を知らされることになる。里中は、月刊雑誌の号数に合わせタイトルにも採用したこの日を設定したのだろう。
コミックが発売された一九七五年のその日は、水曜。一年で曜日が一つずつずれること、二月が二十九日まであるうるう年を挟むと、その年の三月一日以降、二日ずれることを、「今年の六月四日は、月曜じゃない」と女子に指摘され学んだ。
二〇二三(令和五)年のおれの誕生日は、日曜だった。この日だったか前日の土曜だったか、本格的な夏の到来に向け、冷房としてしか使っていないエアコンを、半年以上ぶりに駆動させてみることにした。
ところがエアコンは、リモコンに反応しない。本体のスイッチをいじっても、うんともすんとも言わない。エアコン室内機本体脇の壁の高い位置に設置されてあるエアコン専用コンセントからプラグを抜いて挿し直しても、状況は変わらない。
エアコンが故障しているか、専用コンセントまでのどこかで電流が止まっているかだ。
おれは延長コードを使い、エアコン専用コンセントに、別の家電のプラグを、エアコン専用ではない壁の下方に設置されているコンセントに、エアコンから伸ばしたプラグを挿してみた。エアコン専用コンセントが一般用コンセントとは別に設置されているということは、このようなつなぎ方は過電、漏電などの面から危険なのかもしれないが、緊急事態だし、テスト用の短時間のことだ。
エアコン専用でないコンセントにつないだエアコンは、動く。しかし、エアコン専用コンセントにつないだ別の家電は、動かない。つまり、問題があるのは、エアコン専用コンセント側だ。おそらくどこかで断線している。
だから、団地管理サービス事務所に、修理を依頼することにした。
しかし、週明けの六月五日は、所用で早朝から出掛けなければならない。土曜、日曜は、事務所は休業で閉まっている。
おれは、こんな文書をパソコンで作成し、プリントアウトして封筒に入れ、おれの住む二号棟一階にある団地管理サービス事務所の郵便受けに投げ入れた。
《 二〇二三年六月四日
UR奈良北団地
管理サービス事務所御中
二二七-〇〇三六
横浜市青葉区奈良町二九一三
奈良北団地二-八〇五
森史×
〇九〇-××××-××××
冠省 当方宅居室の不具合について、以下の通り申し述べます。
一 配電盤三系統のうち、エアコン用系統が断線しているようです。エアコン用コンセントに電気が届きません。エアコンのプラグを一般用コンセントに差し込むと、エアコンそのものは稼働します。昨年十一月、アンペア数を変更するため東京電力がブレーカーをいじっているので、そのことと関係があるのかもしれません。
二 キッチン流し台上蛍光灯のスイッチひもが、根本のパーツ部分からちぎれ落下しました(現物添付)。点灯、消灯ができません。
以上二点について、点検・修理方ご手配願います。
不明な点は当方までお尋ねください。 草々》
キッチン流し台上の蛍光灯スイッチのひもは、ついでだ。かなり前にちぎれて落下したが、その照明が使えなくても大して困らないからずっと放置していた。電気周りのことなので、ついでに点検・修理を願い出た。
月曜の五日朝、移動途中のバスの中で携帯電話が鳴り、未知の番号を表示した。
《045-961-4320》
バス車内で通話できないので、降りてから対応しようと考えた。
終点の東急田園都市線「青葉台」駅前ターミナルでバスを降り、電車に乗り換えるため駅舎に向かう道すがら、携帯電話を確認した。同じ番号を短時間に二回続けて着信している。
メッセージは残されていない。しかし、連続でかけてくるということは、きっと重要もしくは緊急の案件だろう。番号の主がなに者かインターネットで検索することなく、コールバックした。
奈良北団地管理サービス事務所のタカセと名乗る女声が電話に出た。
〈あのですねえ、手紙を読んだんですけど、ブレーカーが落ちてるってことはありませんか?〉
「どういうこと?」
〈えっとですねえ、玄関の上に、ブレーカーっていう、レバーのようなものがあるんですよ。それを上げてみていただけませんか?〉
「文書に、配電盤のことを記してるだろ?」
〈いや、ハイデンバンの話じゃなくてね、ブレーカーなんですよ〉
「エアコンのプラグを一般用コンセントに差し込むとエアコンそのものは稼働するって書いてないか?」
〈だから、ブレーカーなんですよ。ブレーカーを上げてみましたか?〉
「エアコンとエアコン以外の家電を、エアコン専用コンセントと一般用コンセントをクロスでつないでみたって書いてあるのが、読み取れないのか?」
〈「くろす」の話じゃなくて、ブレーカーのことを言ってるんです。黒いレバーです。それを点検してみてください。下を向いていたら、上に押し上げてください〉
「ブレーカーは何度も上げ下げしてる。それを、その文書を読んで理解できないか?」
〈だって、ハイデンバンとかくろすとか、関係ないことばかりおっしゃるじゃないですか。問題は、ブレーカーなんですよ。ブ・レ・エ・カ・ア。分かります? ブ・レ・エ・カ・ア。分かりません? ブ・レ・エ・カ・ア〉
どういうことかと、最初に尋ねたのが敗因のようだ。彼女は、過剰な電流が発生した際に電気を遮断する装置ブレーカーを、おれが知らないと誤認している。
おれはその時点以降のその日の仕事をすべてキャンセルし、奈良北団地折り返し場行きバスに乗って、団地に戻った。
(「陸の3 鍵穴にKURE 5-56」に続く)




