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アスキーアートに法曹ぶち切れーーカスハラ容疑で不当逮捕ーー  作者: 森史之助
壱 ブー(Bоо)、フー(Fоо)、ウー(Wоо)
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壱の2 そっちの件とは想定外

 六世帯分の住戸が横一列に並ぶおれの住む八階から地上に降りるには、棟北端のエレベーターを使うか、逆の南端の階段を使うかの、二通りの方法がある。早朝から玄関扉をたたいていたおそらく県警青葉署の連中が、そのいずれでも待ち構えているかもしれない。

 もしいずれか一方だとしたら、一階エレベーターホールだろう。

 彼らに遭遇せず団地敷地外に出るには、階段を使った方がより確実だ。しかし、階段には問題がある。体力を消費するとか足腰を傷めるとか、そんなどうだっていい事情ではない。

 十八棟千六百戸を擁するこの団地を一手に引き受ける管理サービス事務所が、よりによっておれの住む二号棟一階南端にあるのだ。階段を使うと、金魚鉢のような前面がガラス張りの事務所真正面に降り立つことになる。

 招かざる来訪者の用件であろうトラブル相手の面前を通過するのは、具合が悪い。「来訪者」は、事務所内で冷たい麦茶なんか振る舞われて、ネズミ捕りの仕掛けに突進するネズミを待ち構えているかもしれない。そうでなくても、降りてきたと、管理サービス事務所から即、来訪者に連絡がいく仕組みが構築されているかもしれない。

 おれは、階段とは反対側、エレベーターのある北に足を向けた。


 エレベーターのかごは、無人でやってきた。それに乗り込み、どこにも途中停止せず一階までスムーズに到達した。

 扉が開くと、エレベーターホールに、白いワイシャツ姿の男が一人立っている。背丈一七〇センチのおれよりいくぶん高い一八〇センチほどの、がっちりしたスポーツマン体形だ。到着したエレベーターに乗ろうという風ではない。扉との距離が数メートルある。

「森さん?」

 斜め四五度ほどでこちらに身体前面を向けていた男は、おれの顔を見るなり口を開いた。

「うん」

 たいがいの相手に対しそうするいつものように、口を開かず鼻と首肯で答えた。

「いたっ!」

 男はおれとは逆向きに四五度ほど顔を向け叫んだ。

「警察だ。青葉署だ」

 白シャツの男は近づいてきて、夏物らしい薄手スラックス右ポケットから、手帳機能を失っても「警察手帳」と呼称される黒革の身分証明用バッジを取り出し、片手で器用にぱかっと開いておれに示した。バッジはストラップと、ナスカンと呼ばれる金具で、男のスラックスのベルトループにつながっている。落下や紛失、盗難防止のためだ。

 開いた下半分に金色の記章が埋め込まれ、上半分に、本人の証票が挿入されている。証票には、水色の背景で制服姿のバストアップ画像が大きく写り、その下に階級、フルネームが記されている。白シャツ男本人の容姿で間違いない。巡査長の階級であること、田中(たなか)という姓であることを、瞬時に読み取った。

「『スーパー三和(さんわ)』の件。分かるね?」

 開いた時と同じように、田中巡査長は器用にバッジを閉じ、再びポケットに仕舞う。

「えっ、そっち?」

 URの件だと思ったんだよと言う前に、白シャツ田中が呼びかけた先から、黒ポロシャツ、カーキ色ベスト姿の二人の男が姿を現した。

「青葉署だ」

「青葉署だ」

 二人は、そろって同じ自己紹介をする。

「図書館の本を返しにいくから、ちょっと待っててくれ。歩いて往復三十分で戻ってくる」

「駄目だ。取りあえず八階まで行こう」

 田中が言って、おれの動きを封じた。

「なによ、家宅捜索(ガサ)かけんの?」

「そうだ」

 黒ポロシャツかカーキ色ベストのどちらかが、閉じたエレベーターのドアを再び開いたようで、三人はおれをかごに押し込んだ。

「じゃ、あんたらに本、預けるからさ、返してきてくれよ」

 勝手知ったる指使いで八階の行き先ボタンと閉扉ボタンを押した田中も、残りの二人も、かごの中では口を開かない。行きは一人、そのわずか二、三分後の帰りには四人で、おれは部屋に戻り、玄関扉を解錠した。


「家宅捜索令状を見せてくれ」

 おれの要請に、カーキ色ベストがベストのポケットからややくしゃくしゃになった用紙を出した。おれが内容を確認する前に、カーキ色ベストは用紙をポケットに再び仕舞った。

容疑(フダ)はなんだ?」

 令状のことを業界用語で「お(ふだ)」と言う。お札に記される容疑事実、つまり罪状のことも「フダ」と言う。

「威力業務妨害」

 カーキ色ベストが言った。

「なるほどね」

 刑法二三四条に規定がある。UR都市機構の件にしてもスーパー三和の件にしても、踏み込まれるとしたらその辺りだろうとは読んでいた。

 三人の容姿を改めて確認した。田中と黒ポロシャツは三十代、カーキ色ベストのみ、五十七歳のおれとそう変わらないように見える。バッジの提示を求めたら、黒ポロシャツは松本(まつもと)という姓の巡査部長、カーキ色ベストは警部補で、石場(いしば)と名乗った。

「十三時十七分、捜索を開始する」

 石場が宣言し、松本と一緒におれを押し込むようにして部屋に上がり込んできた。

「二月三日、三和に行った時の服を出せ」

「どんな服だった?」

「黒いハーフコートのような上着に、下は青いジーパン」

 いきり立つ松本は、防犯カメラの映像を解析するかなにかしたのであろう、当日のおれの服装をそらんじる。

「ああ。そのころはいてた青いジーパンなら、これだな」

 オールシーズン着用しているジーンズを、チェストから取り出した。

「これじゃないっ!」

 アニメーション作品に登場するロボットを子どもにねだられた親が、よくわからず、おそらく安かったからという理由で買ってくる不格好な玩具ロボットに、子どもが落胆するときの表現を示すネットスラングのような言い方を、松本巡査部長はした。

「青いジーパンは、サイズ的にこれしかないよ」

 石場警部補と松本巡査部長はおれのジーンズを、古着屋で品を定めるように引っ張ったりめくったりして見分する。

「黒いハーフコートを出せ」

 ジーンズのことは納得したようで、松本が言う。

「これかな」

 クローゼットから、季節外れのウール製を引っ張りだした。

「これじゃないっ!」

 まただ。松本だ。

「ダウンジャケットなら、春先に処分したよ」

 縫い目の隙間から羽毛がはみ出してくるから、捨てた。

「ダウンじゃない」

「じゃ、革製(レザー)のやつかな」

「それを出せ」

 明かりのないクローゼットのさらに奥に手を伸ばし、感触からレザーにたどり着き、引っ張り出した。

「これじゃないっ!」

 三度目だ。

「黒いハーフコートは、このウールとこのレザーと、捨てたダウンしかないよ」

 松本は上司であろう石場に目配せしながら、「これでいい」と言った。


「サンダル、ありましたあ!」

 コレジャナイ論争を松本と繰り広げている間に、玄関から聴こえた。その時にはまだ部屋には上がり込んでいない巡査長、田中の弾む声だ。

 裸足で過ごす夏場は鼻緒付きのビーチサンダルメインだが、靴下を履く冬場は、指で鼻緒を挟めないから、二点バンド式ゴムサンダルを、近所へ出かけるときにはつっかける。使わない夏場には下駄箱シューズボックスに収納。スーパー三和の「事件」の際に履いていて、「これじゃない」と松本が主張する青色ジーンズ、黒色ハーフコート同様、防犯カメラかなにかに映っている、スーパー三和が証拠物件として任意提出したであろう素材を元に、田中が発見、特定したのだ。


(「壱の3 くしゃくしゃ令状で折り紙」に続く)

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