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肆の2 足止めされて不退去罪か

「森さん。あのですねえーー」

 三度目も一ノ瀬は現れないとおれは思ったから、帰路に就こうと、店の二重の扉のうち一つ目を出て、開店時は常時、開きっぱなしの二つ目の扉の内側の、トイレタリーや衛生用品を雑に積み上げている売り場を外に向かって進んでいる時に、後ろから声を掛けられた。二日前に初めて会話を交わした時より若干、乱暴な口調だ。

「ーーもう、うちの店には、来ないでいただきたいんですよ」

「なんで?」

 足を止め、体ごと振り返って応じた。

「警察からも言われてるでしょう?」

「さあ、どうかな」

「これからもいらっしゃるおつもりですか?」

「うん。きょうは、これで三度目だよ。一度目の時に一ノ瀬さん、三番電話を取らなかったでしょ?」

「三番電話? どういうことですか?」

「店内にアナウンスが鳴り響いてたよ。ウグイス嬢のような美声でさ」

「ああ、あの時は手が離せない仕事があったもんで」

「蛍光灯の交換とか?」

「……」

「アイドリング中だったの?」

「……」

「二度目に来た時も、ウスイス嬢が呼び掛けてたよ。一度目と同じウグイスなのかどうか分からんけどさ」

 三度とも同じ中年の女性レジ係店員だった。

「弁護士からも言われてるでしょう?」

「どうだったかな。そう、一ノ瀬さんには、複写を渡したじゃん。それにはなんて書いてあった?」

「……」

「警察が来ようが弁護士がなにか言おうが、そんなのぼくの仕事には一切、関係ないんだよ。理解できる?」

 本当は関係がある。かえって飯の種が稼げる。つまり、取材しなければならない対象や事柄が増える。店に来るきっかけが多くなる。それぞれの動機が大きくなる。獲得が予想できる成果も膨らむ。

「フタイキョザイってのもありますし」

「どういう意味?」

「フタイキョザイをご存じないですか?」

「刑法第一三〇条の不退去罪のことを言ってんの?」

「法律的なことは知りません」

「知らないのに、知らないで言ってるの?」

「……」

「ぼくが知らないと思ったの?」

「……」

「うん。知らない。刑法第一三〇条っていうのはでまかせ。詳しく教えて」

「これは不退去罪です」

「これってどれ?」

「森さんが今、やってることですよ」

「あれ? ぼくは、一ノ瀬さん。一ノ瀬店長」

「はい」

「あなたから、呼び止められたんだよ。呼び止められたから、ここに立ち止まってるんだよ」

「不退去罪です」

 不退去罪はその名の通り、要求を受けたにもかかわらず、人の住居や邸宅、建造物などから退去しなかった場合に成立する。法律を知らない一ノ瀬は、そのことを知らない。

 そして、自分の無知を知らず、逆に、おれの方が無知だと評価している。誤認している。「けがでもしたら暴行罪だ」と声を張り上げていた前任店長ヤスダと同じ穴のむじなだ。

「ま、好きに取り扱いなよ。警察とも弁護士とも相談してみな。ぼくは、この店を管理するであろう、ぼくがそう認識している店長の一ノ瀬さんから呼び止められたから、こうして店内で立ち止まったんだぞ」

「……」

「もういいかな?」

「……」

「明日も来るよ。いや、きょうの閉店間際にも来るかもしれん。その三十分前にも、十五分前にも来るかもしれん」

「……」

「そしたら一ノ瀬さん、三番電話を取ってね」

「……」

「ウグイス嬢が店内アナウンスするだろうからさ」

「……」

「んで、またぼくを呼び止めて、不退去罪だとかなんだとか、警察だとか弁護士だとか言ってね」

「……」

 哀れな一ノ瀬とは、おそらくその後、顔を合わせていない。


 不退去罪だと一ノ瀬から濡れ衣を着せられた三日後、株式会社三和代表取締役社長、小山真と、大江・田中・大宅法律事務所弁護士、藤間崇史の双方に宛て、同じ内容の文書を普通郵便で送った。

 こんな文面だ。


《冠省 当方の名を騙って日本郵便を惑わせているのは、どこのどいつですか?

 三月三十一日午後、当方が受け取った書留(追跡番号一三三-七四-二七〇〇三-三)は、本文中では藤間弁護士が差し出し、当方を名宛人とする内容と読み取れますが、郵便形態はそれとは逆転しており、《差出人》欄に当方名義が、《受取人》欄に藤間弁護士名義が記されています。

 つまり、当該郵便物(同一三三-七四-二七〇〇三-三)は、内容証明を発出した(と日本郵便が騙されている)当方の謄本(控え)なのです。

 逆に、同日午前、藤間弁護士の元に届けられたことになっている郵便物(同一三三-七四-二七〇〇四-四)こそが、内容証明郵便の正本です。受取人に届けられるべき文書です。そのことを、藤間弁護士は気づいていらっしゃいましたね? 気づいていながら頬かむりですね?

 藤間弁護士はウェブ上で内容証明郵便を作成するに当たり、《差出人》欄と《受取人》欄を誤って取り違え、逆に打ち込んだのではありませんか?

 弁護士と依頼主の主従関係が分からない役員、尊敬語と謙譲語の使い分けができない従業員を擁する事業体の代理人弁護士として似つかわしく、誠におめでたいことです。

 本状は不達リスク回避のため、冒頭の二方に宛て普通郵便で同時投函します。不明な点は、お尋ねください。

 内容証明郵便「逆転」問題が、貴職らによるなんらかの意図を伴う作為的なものであって、愚鈍な当方が愚鈍であるがゆえ、その意図をくみ取れないのであれば申し訳ありません。聡明な貴職らにおかれご指摘の上、ご教示ください。 草々》


《名を騙って》と《惑わせている》の部分は、ポイント数三倍の大きな活字にした。 


 その二日後、つまりおれ発の普通郵便が小山社長ならびに藤間弁護士の支配圏内に到達したとみられる四月七日付けで、三月三十日付け謄本(控え)と日付け以外は違わぬ内容証明の「正本」が、送られてきた。

 差出人は《藤間崇史》で、受取人はおれの実名。おれの実名には今度は、《様》が付いている。日本郵便の定型書式で最初から入っているはずだ。

 三月三十日付け謄本(控え)には、誇らしげな《弁護士》の肩書きが藤間の名前の前に入っていたが、四月七日付けの正本からは、その肩書きが消滅している。間抜けなミステイクを、弁護士として恥じてのことであろう。

 のちにこの謄本と正本を、別の弁護士に見てもらった。肩書きの有無の違いに気づいた判事出身の弁護士は、大笑いした。


 法律事務所で働くのは、弁護士だけではない。法曹資格を持たぬ助手が付く。一人の弁護士に複数の助手が付く事務所もあれば、逆に、複数の弁護士の仕事を一人の助手が手伝う事務所もある。

 秋篠宮家の長女(一九九一-)を(めと)った小室圭(同)は、米ニューヨーク州の司法試験に合格する前、国内でもニューヨークでも、資格を持たぬまま法律事務所で助手として働いていた。

 かつて法律事務所には、小室のように、司法試験受験生が修行のため助手として多く雇用されていた。しかし、平成の司法制度改革で法科大学院ロースクール制度が始まり、弁護士過剰への途上で、「無資格者による修行のための助手としての勤務」は激減した。

 また、司法書士、行政書士など隣接資格を持つ者も、共同経営である場合を含め多く雇用されたが、法律事務所一般の経営が厳しくなっていくのに従い、それら隣接資格者を高給で雇えなくなった。また、共同経営も解除し、法律事務所はスリム化していった。結果的に、業務を知らぬ素人が、アルバイトなどの悪条件でかつ低賃金で働いている。

 つまり、藤間に対し同情的に見れば、三月三十日付け内容証明郵便の定型書式記入ミスは、業務を知らぬ助手によるものだったのかもしれない。 


 四月七日付け正本を、おれは自宅兼仕事場では受け取れなかった。別の仕事で留守が続いた。

 例によって、いつどんな状態で帰宅できるか分からないので、出先の郵便局に転送してもらい、そこで受け取ることにした。三月三十日付け謄本に関するおれの指摘への反応で、大した内容でもなかろうと思い、重要視しなかった。

 当時のおれの主戦場つまり取材先は東京・千代田区の官庁街である霞が関と、立法府が立地する同区永田町だから、確実に受け取れる場所として、国会議事堂の敷地内からも外からもアクセスできる、国会内郵便局を選んだ。発信の日付けから十日後の四月十七日に、国会内郵便局で受け取った。

 予想を大きく超えない内容だったのは、前述した通りだ。


(「肆の3 ジキル博士とハイド氏」に続く)

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