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弐拾陸の5 職員室を血の海にする

 労役場留置を回避し罰金二十万円を全額納入した目的である、神奈川県警青葉署留置施設で同室だった四十番の男、野村(のむら)周辺の取材をおれは続ける。

 ところが、二〇二三(令和五)年十月四日の初公判で次回期日として指定された同十一月二十九日、傍聴のため横浜地方裁判所(ちさい)に勇んで行くと、開廷表に野村の名はなかった。野村に関する事件番号そのほかが、一切、記載されていない。

 ちくしょうーー。

 心の中で叫んだ。日程が変更されているのだ。十一階の刑事部刑事訟廷庶務係に、エレベーターで上がっていく。


「期日が取り消されてるようですね」


 パソコンのキーをたたき液晶画面を凝視しながら、背の高い男性職員は言った。


「いつに変更されたか、分かりますか?」

「ここでは、今すぐには分かりません。第四刑事部(よんけい)に案内します」


 同じ階の別の部屋に連れて行かれ、そこで、書記官らしい年配の男性職員が同じようにパソコンのキーをたたく。


「一月の十七日、午後二時からになってます」

「年明けですか。水曜ですか」


 スケジュール管理している手帳をポケットから出し開いて確認した。


「今のところ、ということです」


 一九九五(平成七)年「阪神・淡路大震災」を引き起こした兵庫県南部地震の発生日だ。

 期日が取り消された理由について、裁判所は教えてくれない。可能性が高い順に、弁護人弁護士の弁護戦略上の事情、検察側の追起訴を含む戦略上の事情、判事の個人的なケースを含む裁判所の事情が考えられる。

 第四刑事部までおれを連れて来た背の高い男性職員は、いつの間にか姿を消している。だから、おれは刑事訟廷庶務係の部屋に戻った。いつもの席に、背の高い男性職員はいた。


「こういう無駄足を防ぐために、傍聴人であるわれわれがなし得る方法はなにかありますか」


 背の高い男性職員に尋ねてみた。


「前日までにこちらにお電話をください。その時点で分かっていれば、対応します。お答えします」

「その時点で分からないこともあり得るってことですね」

「当日になって関係者の都合で開廷できなくなる可能性もありますから」

「そりゃそうですね。分かりました。期日の前日に電話をして確かめることにします。お手を煩わせますが、よろしくお願いします」


 せっかく裁判所に来たのだから、そのまま大麻取締法違反、神奈川県迷惑行為防止条例違反の公判を傍聴した。

 条例違反の当時二十六歳という被告人の男は、街中で眼を付けた好みの女性に声を掛ける、本人によれば「ナンパ」を繰り返していた。起訴されている事案では、自転車に乗って駅から自宅に向かい逃げる女性を、自分の脚で走って二キロにわたり追い回している。

 いずれも初公判ではなく、よって被告人の素性など全体像が分からず、大して関心を持てる事件でもないので、次回期日も引き続き傍聴する気にはなれない。

 その日はなんら収穫なく帰宅した。


 野村の共犯者である、野村夫妻が役員として名を連ねる新聞販売店を経営する会社の代表取締役、橋本(はしもと)の二回目の公判が指定されている十二月六日は、期日の変更がないか前日のうちに電話で地裁刑事部刑事訟廷庶務係に確認した上で、万全の姿勢で出掛けた。

 橋本の公判は、午後一時半から。午前中、別の法廷で開かれる別の事件の公判を傍聴した。開廷表で見て、罪名に引っかかったからだ。


《威力業務妨害》


 おれが逮捕、送検され略式処分、略式命令を受けたのと同じ罪状。ただ、初公判ではない。しかし、傍聴して正解だった。


 開廷時刻の午前十時、男の私服警察官二人に手錠でつながれ、上下灰色の囚人服で連れて来られたのは、四十代に見える猫背の男。初公判ではないから、人定質問などはない。


「それでは前回に引き続き、きょうは、追起訴分の冒頭陳述からですね」


 裁判官に促され検事が立ち上がり、手元の資料を朗読する。


「被告人は栃木県在住の男性の名を(かた)り日本郵便のレターパックの差し出し人欄に記入し、令和四年五月、熊本県八代市で学校法人八商学園が運営する私立秀岳館高校に、職員室を血の海にする、などといった内容の脅迫状を送付しーー」


 サッカー部コーチらによる部員生徒らに対する体罰が社会問題となった高校だ。二〇二二(令和四)年春に問題が発覚しているはずで、その時期と合致する。

 検察側の陳述によると被告人、高橋(たかはし)は、報道で知ったこの問題に義憤を感じ、郵便ポストに投函でき先方への送達の有無などがインターネットで追跡可能な、送達が手渡しであるレターパック・プラスを使い、学校宛てに文書を投函した。

 この一件は、高橋の仕業と発覚しなかった。事件そのものも表面化していない。

 しかし、最初の起訴分である、時系列では後になるレターパック・プラスを使った似たような犯行で、高橋は捜査の手に掛かる。

 秀岳館高校に対する脅迫状から一年後の二〇二三(令和五)年五月、神奈川県庁の黒岩祐治知事(一九五四-)に宛て、県知事を辞めなければ危害を加えるという内容の脅迫状に、包丁一本を同封し送り付けた。

 東京都在住の被告人、高橋は、黒岩や神奈川県に対する恨みなどなんらなかった。コールセンターでオペレーターとして従事する派遣社員の高橋は、電話の相手である顧客から仕事のセンスについてひどく叱責され、その顧客を逆恨み。住所、氏名、電話番号など顧客の個人情報をそのまま使い差し出し人欄に記入し、前年の秀岳館高校への脅迫状と同じように投函した。インターネット上でレターパックの在りかを追跡し、包丁同封の脅迫状が県庁の庁舎に送達されたことを確認した。

 包丁と脅迫状を受け取った県庁は、神奈川県警に通報。県警捜査一課が、差し出し人欄に記載される実在の人物から聴取し、その人物は事件に無関係と分かり、恨まれている可能性がある対象としてコールセンター従業員が浮上。高橋は、八月二十三日に逮捕されている。おれが県警青葉署の留置施設で、高橋と同じ罪状で勾留(ツー)クール目を野村と一緒に過ごしていたころのことだ。

 県警捜査一課は高橋の自宅から押収したパソコンの通信(アクセス)記録を解析するなどし、前の年の秀岳館高校に対する余罪が分かった。


 おれがこの事件に強い関心を抱いたのは、おれと同じ罪名であることはもちろんだが、脅迫状を受け取った「被害者」である、秀岳館高校の対応だ。

 検察側の冒頭陳述によれば秀岳館高校は、警棒(けいぼう)を買いそろえ教職員に携帯させ、迎え撃つ準備をしている。

 これをもって、つまり警棒を買いそろえ迎え撃つ準備をすることによって、正常な学校運営に支障をきたしたから、威力業務妨害に当たるのだと検事は陳述する。


 起訴された二件のうち、秀岳館高校への脅迫状は、高橋の狙いはあくまでも高校で、差し出し人欄に記入する栃木県内の実在する人物に対する恨みは、ほとんどなかった。

 黒岩知事への包丁と脅迫状はそれとは逆で、差し出し人欄に記入することで叱責してきた顧客を陥れるのが目的で、宛て先の知事や県には、恨みの感情などほとんど抱いていなかった。


 弁護人弁護士が請求した被告人質問で高橋は、二つの事件に登場する四者に対し申し訳ないようなことを弁護士に言わされ、釈放されたら郷里の北海道に帰るつもりだと述べた。

 検事は懲役二年を求刑。弁護人弁護士は、高橋が逮捕時から身体を拘束されていることなどのくむべき事情がありそれらを考慮すべきとして、寛大な判決を求めた。


「二つの事件で自分の起こした犯罪について、(自身の)家族や関係のない人にまで大変、不快な思いをさせてしまい後悔しております」


 最終弁論で高橋はこう述べ、結審。二週間後の十二月二十五日に判決公判が期日指定された。

「不快な思い」うんぬんは、コールセンターなど顧客対応最前線の従業員が好んで使う、免罪のためのフレーズだ。URコミュニティ神奈川西住まいセンター課長職、神田裕治も、まったく同じことを言っていた。つまり、やり方を誤っただけで自分に落ち度はないのだと彼らは主張している。謝罪するつもりもないと表明している。


 威力業務妨害の「被害者」による反撃におれが興味を持つのはもちろん、おれの事件の「被害者」である株式会社三和やその顧問弁護士、スーパー三和レジ打ち店員、穂積恵美の動きとの共通性による。

 警棒で迎え撃つ備えをした秀岳館高校にまつわるこの事件は、引き続き取材しなければならない。そう固く誓い、その日午後の橋本の「詐欺罪」二回目の公判傍聴におれは備えた。


(「弐拾陸の6 手数料三〇パーセント」に続く)

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