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弐拾陸の3 パートタイム入所志願

 横浜刑務所での労役場留置のために横浜地方検察庁(ちけん)への呼び出し日として指定されている十一月九日までの二週間、おれは、神奈川県警青葉署の留置施設で同室だった四十番の男、野村(のむら)と、野村が「内縁の妻だった」と主張する夭逝した美しいシンガーソングライターとの関係について、それまで同様、取材を続けた。

 野村の事件に関する取材は当初、接見禁止の解除時期を見計らい、身柄を拘置所に移される前に接見(面会)名目で青葉署の留置施設を「外から」観察するためだった。

 公安専務員でジェネラリストとして同署長に出されている警視の橋谷田裕樹、同じく公安専務員で任警部として同署留置管理課長に出されている片山勝太と、おれの従弟(いとこ)に当たる熊本県警公安専務員、中村宏(なかむらひろし)との接点を探るためだ。中村帝国の女帝である、宏の実母でおれの叔母に当たる中村由紀子(ゆきこ)による、おれや元妻やその家族やおれが親権を手放しすでに成人している娘への攻撃に対抗するためだ。野村の事件の内容なんてどうでもよかった。

 ところが、野村の初公判を傍聴し、信用するに値しないと踏んでいた野村の留置施設での話が、おおむね事実だったと知るに至り、夭逝したシンガーソングライターとの「内縁」関係も事実なのではないかという疑いを強めた。

 そんな事情で、接見(面会)目的や、それによる熊本方面への取材は、自動的に優先順位が下がった。順位が繰り上がり最優先すべくは、夭折した美しいシンガーソングライターだ。彼女と野村との関係だ。その思いは、関連取材を進めるにつれ強まってきた。強まった経緯は、後述する。


 罰金を納めるにしても納めず労役場に入るにしても、呼び出し日前日午前までに連絡をしろと横浜地検の徴収担当事務官、寺山が言っていたから、さらに一日余裕をもって、二日前の十月七日、徴収担当の部屋に電話をした。


「あした、現金で納めにいきますよ」

〈そうですか。よかった。準備できたんですね〉

「よくないよ」

〈どういうことですか〉

「二十万円全額は納められない」

〈…どういうことですか〉

「そのうちの一部のみ納めるから、不足分を労役場留置に当てる。当ててもらうことにする。そうさせてちょうだい」


 道路交通法違反(酒気帯び運転)の罰金二十五万円を払えず川越少年刑務所で労役囚として過ごした五十日の間、雑居房の囚人仲間が規則違反を犯すと、刑務官はよく、こう怒鳴った。


 ーー今すぐ、残りの罰金を納めて、ここから出ていけーー


 労役場留置されている期間の途中でも、残額を納めれば簡易な手続きで釈放されるということだ。

 ということは、入る前でも罰金額の一部を納めることで、呼び出し状では《12月18日》までとされている一日五千円換算の労役場留置の期間を、短縮できる。

 十一月二十九日には野村の二回目の公判が、十二月六日には共犯者の橋本(はしもと)のそれが予定されており、同じく共犯者、文強(ぶんきょう)の初公判も近々のはずで、彼らの公判傍聴を逃すわけにはいかない。労役囚として横浜刑務所で軽作業に勤しんでいる場合ではない。


〈一部でもお納めいただければ、その分は、労役の日数から差し引かれます〉

「うん。そうだよね」

〈いくらお納めいただけますか?〉

「十九万円」

〈…一万円だけお納めいただいて、残りの十九万円分は三十八日間、労役場に入るということですか…〉

「ううん。逆」

〈……〉

「足りない一万円分だけ、労役場に入れて。二日間だね。初日から一日目って換算するんだっけ?」

〈…どういうことですか…〉

「かき集めても、手元には十九万円しかないんだよ」

〈……〉

検察庁(そっち)から横浜刑務所まで車で連れてってもらって、刑務所からの帰りは自分の足で自前の交通費で、だろ? 労役場留置期間が四十日でも二日でも、寺山さんたちの業務には影響しないじゃん」


 実際には、影響する。

 検察庁も、拘置所も刑務所も、法務省の機関だとすでに書いた。留置してすぐに釈放しなければならないと、人手などの観点で無駄が多く、労役場がある横浜刑務所に負担がかかる。しかも、そのような運用を許しているとまねをする不埒(ふらち)な輩が出てきて、収拾がつかなくなる。

 法務省全体の問題になる。寺山は、能力が欠如した事務官の烙印(らくいん)を押される。

 そもそも、前回の川越少年刑務所での労役体験をおれはルポルタージュとして単行本にまとめ上梓しており、そのことは警察も検察も知っている。労役場留置の実態を(つまび)らかにしたおれの所業を、法務省は、腹に据えかねているはずなのだ。そのことが刑事処分に悪影響を及ぼすのではないかと、青葉署留置施設で国選弁護人弁護士とアクリル板越しに討議したのはすでに述べた通り。

 二十万円の罰金のうち十九万円のみの納付を認め、足りない一万円分を二日間の労役場留置に代えるというのは、本来の労役場留置の趣旨を逸脱していると法務省は考えるだろう。おれ自身でさえそう思うのだから。


〈…森さん…〉

「うん」

〈なんとかなりませんか?〉

「なんとか?」

〈十九万円だけお納めになるって件〉

「分かった。なんとかしよう」

〈お願いします〉

「十九万五千円納めることにする。残りの五千円分を、労役場留置に代える。一日だな。翌日には釈放してもらえる?」

〈……〉

「翌々日の朝になるんだっけ?」

〈…ちょっと、上席に相談します〉


 寺山は、電話を保留状態にした。

 別の「上席」が対応を代わるのかと思ったが、電子オルゴール音楽を繰り返し聴かされ電話口に戻ったのは寺山だった。上席に代わるとも言わない。


〈森さん〉

「うん」

〈なんとかお願いします〉

「ぼくは、なにをお願いされてるの?」

〈……〉

「寺山さんの望みはなんなの? 寺山さんが相談したっていう上席の方からの指示は、どうだった?」

〈……〉

「寺山さんね」

〈…はい〉

「この前の電話で、その前からそうだな。労役場に、刑務所に持ち込める処方薬の話したの、覚えてる?」

〈……〉

「覚えてる?」

〈…はい〉

「そのまま持ち込めるって最初は言ってて、途中から持ち込めないって話になった。呼び出し状に記されてるお薬手帳さえ持ち込めるかどうか怪しい」

〈……〉

「そのことを寺山さんがぼくに電話で知らせてきた時、ぼくが最初に薬のことを言わなかったら、ぼくは寺山さんたちに騙されたまま処方の情報なしで労役場留置だったって訴えた。寺山さん、その時、なんて言った?」

〈……〉

「なんて言った?」

〈……〉

「『今、言ったからそれで解決した』。そう言ったの、覚えてる?」

〈…はい〉

「ぼくに対してのみ、あるいは、ぼくを含むなんらのカテゴリーに属する者に対してのみ、ああいう対応なの?」

〈そのようなことはありません〉

「つまり、誰に対しても、どんな被疑者にも被告人にも刑確定者にも、そういうやり口ってことね」

〈…いや…はい…いえ…あの…その…〉

「被疑者やら被告人やら刑確定者やらの刑事訴訟手続きを知らない弱者を、あなた方、捜査機関は、抑えつける。言い分を聴かない。弱者である被疑者、被告人、刑確定者は、その立場からも彼らの能力の欠如からも、あなた方に対抗する(すべ)を持たない」

〈…そのような…〉

「うん。なに?」

〈…そのようなことのないように、そういう指摘を受けないで済むように、われわれは配慮しているつもです〉

「まあ、いいよ。寺山さんをいくらいじめても、検察も国も、制度も世の中もなんにも変わらん」


 おれが溜飲を下げるのみだ。


〈……〉

「二十万円、全額、納めるよ。一日余裕をもって、あした耳をそろえて持参する」

〈……〉

「刑務所までの車と運転手の手配しなくて済みそうで、よかったね」

〈……〉

「刑務所からも法務省(ほんしょう)からも、寺山さん、褒められるよ」

〈……〉


(「弐拾陸の4 ダスティン・ホフマン」に続く)

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