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弐拾参の4 岳父に奪われた命名権

「森ちゃん、免許証占いをやってあげるよ。出しなさい、運転免許証」


 星座や干支(えと)、血液型といった古典的な占いから発展し、中国の陰陽五行思想が背景という生年月日に基づく「動物占い」がブームになったころのことだ。田舎の小規模県警の刑事専務員幹部執務室でいつものようにその幹部と世間話をしていて、そう言われたから、求めに応じ運転免許証を財布から取り出し手渡した。


「あっ。一回、紛失したのか? 再発行しやがって。筆記試験は優秀だな!」


 十二桁の免許証番号から読み取れる情報を、老眼で手元が見えにくいのか眼鏡をずらしながら、幹部はそらで披露して見せる。

 そして、おもむろに卓上の固定電話の受話器を上げ、プッシュボタンでどこかに架電。電話がつながったようで、幹部はおれの免許証番号を、さらにプッシュボタンで打ち込む。当時は今ほど、パソコンによるインターネット通信が普及していなかった。

 にやにやしながら、幹部は受話器を耳に当てている。一言も発しない。電話口のガイダンスに応じてであろう、プッシュボタンをさらに操作する。

 ところが、幹部の表情が、だんだんと曇りだした。顔色が変わる。血の気を失い、蒼白(そうはく)になる。

 受話器を上げて数分間、幹部は一切しゃべらないままで受話器を置いた。置いて、免許証をおれに返してきた。


「森ちゃん…いや、森さん…」

「…はい」

「あんた、警察組織(うちのかいしゃ)の者に、気安く免許証を提示せん方がいい」

「……」

「身分証明には、別の物を使え。パスポート、持ってるか?」

「……」

「わたしに免許証を見せたと、誰にも言うな」

「……」

「わたしがどこかに電話をかけたことも、誰にも言うな」

「……」

「今のこの話も、誰にもするな」

「……」

「きょうはもう、これくらいにしよう」

「……」

「続きは、別の機会にしてくれ」

「……」

「次にしてくれ」


 また来ますといつもと同じあいさつをして、席を立った。部屋を出る際に振り返ると、幹部は執務デスク天板に両ひじを突き、自らの頭を両手のひらで抱えていた。

 その幹部との付き合いは、それからも、少なくともおれの感触では変わっていない。幹部がどこに電話をかけたのか、おれの免許証番号でなにが分かったのか、種明かしはしてもらえない。


 それより数年前のことだ。別の警察本部の公安専務員幹部宅に上がり込み、一対一(サシ)で酒を飲んでいた。この幹部は遠隔地で新築したばかりの戸建てに家族を残し、単身で官舎暮らしをしていた。


「森ちゃんの名前は、おじいさまが付けたの?」

「そうです」


 地元県立高校の歴史教諭上がりで郷土史研究家の母方祖父を、おれは心底、憎んでいる。その理由の一つは、おれの命名だ。

 おれのために実父は、別の名前を用意していた。おれの誕生を喜び、熟考した結果のものだった。

 しかし、実父の意見など、学歴至上主義かつ公務員信奉の権化である、実父にとって岳父に当たる母方祖父は聴く耳を持たない。工業高校卒で農協(現・JA)職員の発言は、一笑に付される。そのことは、おれ自身が成長過程でたびたび眼にし、耳にしてきた。


 ーーそんなことじゃ、工業高校にしか行けん。農協のようなところにしか勤められん。お父さんのようなみじめな人生を送りたいか? あんなふうになるつもりか?ーー


 二キロほどの道のりを毎日のように自転車を漕いで娘の嫁ぎ先であるうちに祖父は通い無言で玄関から勝手に上がり込み、その「お父さん」のいる前で、おれを叱責する。

 実父は、母方祖父に、母方一族に虐げられ続け生きてきた。娘の嫁ぎ先に乗り込む岳父の家に、おれの実父は逆に、盆も正月も寄り付かなかった。


 年齢(とし)の順で、おれの実父より母方祖父が先に死んだ。実父は呪縛から解放されたのかどうか、その何年も前から何年も後まで親族の誰とも顔を合わせなかったおれは、知らない。

 だけど、母方祖父の直系である母方叔母からの実父に対する虐待は、相変わらずだ。母方祖父の遺志を継ぎその分、苛烈になったかもしれない。


 ーー中村だけは(ゆる)せんーー


 義理の妹とその嫁ぎ先である中村家を、認知症が進行してからも恨み節を唱えながら、おれの実父は死んでいった。


歴史(れきし)(ふみ)だもんね」

「よくご存じですね」


 教員上がりといっても母方祖父は、例えば労働組合活動に熱心だとかで特高の流れをくむ公安警察に目を付けられるような存在ではない。むしろ、極度の公務員至上思想だから、共産主義(アカ)などとは無縁のはず。


「だって、ファイルに載ってるよ」

(エフ)ですか?」

「うん」


 マークされている対象は、母方祖父ではなかった。孫であるおれ自身だった。おれをマークする目的で、親族などおれの周辺も彼らの監視対象なのだ。

 

 公安警察秘伝の要注意人物名簿(リスト)を、隠語でファイル(file)の頭文字を用い「F」と呼んだ。応用で「Fの簿冊(ぼさつ)」などと称しているうちに、「ファイル」の意味が重複してしまう「Fファイル」呼称が、全国の警察組織内で一般的になった。

 刑事部門などでは都道府県警ごとに文化を育みそれぞれで別の隠語が発達することもあるが、特高の流れをくむ実質的な国家組織である公安部門は、全国共通だ。


 Fファイルにおれが載っていると口にした公安専務員幹部は、酔ったはずみの発言ではなかったはずだ。逆に、酔狂のふりではあったかもしれない。

 つまり、こういう意図というか、メッセージを含んでいたのだと思う。


(おれたち公安がマークしてるから、善からぬ気を起こすな。警察への対抗などくわだてるな。なにを取材しているか、なにを書くつもりか、おれたちはすべて把握してる。全面戦争に突入したら、おまえたちの会社が、おまえたちの業界が敗ける)


 脅しとまでは、言えまい。忠告(アドバイス)という表現が、近いかもしれない。


 そういう経験があったから、後に取材担当する別エリアの県警刑事専務員幹部による、公安委員会の名目で警察が発行し管理する「運転免許証」占い結果も、驚かないし、なんら不審に感じない。

 ただ、その幹部は、おれが公安警察(ハム)の監視対象と知らなかった。知らなかったから驚いた。刑事専務員の自身が、少なくとも新聞記者の相手をするにおいては知ってはならない、知らない方がいい情報だと顧みた。

 公安警察情報を刑事専務員が知るべきではない事情については、項を改め詳述する。


 おれが通常逮捕、勾留された神奈川県警青葉署の当時の署長、橋谷田裕樹(はしやだひろき)は、URコミュニティ神奈川西住まいセンター課長職、神田裕治がいうところのおれのお友だち(オトモダチ)情報に誤りはなく、まさに公安専務員だった。

 警部の階級で、警察庁に出向。二〇一七(平成二十九)年、帰県と同時に任警視として浦賀署副署長就任。極左暴力集団によるテロ・ゲリラの犯罪捜査に当たる警備部公安三課などを経て、二〇二一(令和三)年春から鎌倉署署長、お友だち(オトモダチ)の説明通り、二〇二三(同五)年春、青葉署に異動してきている。


 そして、逮捕から勾留を経て釈放されるまでの間に署内で唯一目にした警部の階級章を制服の胸に付ける留置管理課長、片山勝太も、公安専務員だった。任警部としてその年の春、警備部公安一課から修行に出されている。

 おれの実父が死ぬまで恨み続けた叔母、中村由紀子(なかむらゆきこ)の自慢の長男、つまり、おれと同じ母方祖父を持つ従弟(いとこ)で、熊本県警熊本東署熊本空港警備派出所長として任警部で修行に出された同県警公安専務員、中村(ひろし)と、横並びの人事ルートだ。


(「弐拾参の5 めおと茶碗」に続く)

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