弐の10 アイドリングで問題ない
株式会社三和・小山真社長宅を襲撃した翌日にも、スーパー三和奈良北店に行ってみた。買い物をするつもりはある。カメラも持参していた。夕刻に近い午後のことだ。
問題の総菜コーナーで、白ワイシャツに黒っぽいスラックス姿の男が、なにやら作業をしている。男は、腰から下だけの「前掛け」状の黒っぽいエプロンを付けている。店舗従業員のようだ。
男の横には、商品をバックヤードから陳列棚に運ぶためのものよりやや小さく、代わりに台上に三段ほどの棚が載る台車がある。棚の最上段には、直管型の蛍光灯が十本以上、束状で積まれている。
ちょっとしたことで割れてしまう蛍光灯の保護のため、一本ごとに段ボール製のカバーで覆われているから、束状のそれぞれが、新しいものかそうでないのか分からない。男は、蛍光灯の取り換え作業をしているのだ。
その姿を、男の後ろから観察した。密封されていない惣菜が並ぶ陳列棚の真上の庇裏側に設置される台座から、古い蛍光灯を取り外し、新しい蛍光灯をはめ込む。その過程で、長期にわたり酷使されたであろう古い蛍光灯に付着する埃が、売り物のはずの惣菜の上にぼろぼろ落ちている。
埃を被っていない新しい蛍光灯をはめ込む過程でも、古い蛍光灯よりさらに長期間、そこに設けられていたであろう台座から、売り物のはずの惣菜に上に埃が落ちる。
一部始終を、男に悟られぬよう背後から撮影した。顔貌を横から見た。胸の名札は、前に回り込めないから確認できない。
軽食と飲み物計五点、千三十二円分の買い物をした。なにも買わずに店を出ることで怪しまれないためだが、カメラを構えた場面を見られていたとしたら、不審者扱いだろう。レジ係は、ほづみではなかった。
「書留です。サインかはんこを」
蛍光灯の一件を目撃した二日後、郵便局員が配達に訪れた。彼の手にしているものは、その外装から、日本郵便既製の定型書式による内容証明のようだ。
「どっから?」
「日本郵便になってますね」
差出人欄を確認しながら、彼は言う。
日本郵便がいったいおれになんの用なんだろうといぶかりつつも、シャチハタ印を押して受け取り、中身を確認した。
《株式会社三和 代理人 弁護士 藤間 崇史》を名乗る、《通知書》のタイトルらしき文言が冒頭に付された定型書式の活字は、こんな内容だ。
《拝啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
当職は、森史×殿(以下「貴殿」といいます。)が2023年3月4日付けにて株式会社三和(以下「当社」といいます。)宛てに書面にてお問い合わせの事項(書面に題名がないため以下、「本件お問い合わせ事項」といいます。)及び2023年2月3日にスーパーSANWA奈良北店において、貴殿が店舗内レジ付近において、会計済みの商品が入ったかごを手で弾いて床に落下させた件並びにレジ機械側面を足蹴にした件(併せて、以下「奈良北店の件」といいます。)について、当社を代理して、貴殿に対して次の通り通知(以下「本通知」といいます。)します。
まず、本件お問い合わせの事項1)から8)に記載の事項については店舗運営に対するご意見としてお伺いいたします。貴殿に対して個別に回答を差し上げることは差し控えさせていただきます。
また、奈良北店の件については、当時の防犯カメラなどの映像を検証するなどして当社において調査をしており、調査の結果によっては今後何らかの法的措置を執ることを検討していますので、予めご承知おきください。
なお、当社は、担当部署である店舗運営部より2023年3月2日付けにてお問い合わせにおいて店舗運営部を窓口として指定しているにもかかわらず、2023年3月28日午後7時頃に当社代表者自宅住所を無断で訪問しておりますが、今後の連絡等の一切は当職宛てにいただくほか、今後、役員宛通知を送付したり、代表者をはじめとする役員等に対し訪問をしたりするなどはお控えいただきますよう、本通知をもってご通知いたします。敬具》
面白いーー。
スーパー三和奈良北店ヤスダ店長が、この内容証明郵便のことを知っているか。知っていようがいまいが、株式会社三和の顧問らしい弁護士からのこの文面の内容についてどう感じるか、聴いてみようと思った。近所のコンビニエンスストア「セブン‐イレブン」のマルチプリンターで複写し、原本は紛失したり奪われたりせぬよう、安全かつ確実に、自宅兼仕事場に持ち帰り、複写だけを持ってスーパー三和奈良北店に向かった。
買い物客用出入口からのアクセスは避けた。他の客に迷惑といった屁理屈で、面会を拒否される可能性が高いからだ。店舗裏側に回り込み、通用口らしい扉の前から、携帯電話「赤色一号機」で、045-961-9140に架電した。
電話に出た相手に、店長のヤスダさんをお願いしたいと申し向けたのだが、代わって出たのは、〈店長のイチノセ〉を名乗る男声だった。
「ヤスダさんと代わったの?」
〈社内で異動がありまして〉
「どっちだっていいや。裏の通用口の外にいるから、ここまで出てきて」
〈ツーヨーグチ?〉
「あんたらがなんて呼称してるか知らんよ。売り場とは直接つながってないはずの、店の南側にある、クリーム色のおそらく鉄製の扉」
〈南側? 南ってどっちですか?〉
「屋上の駐車場につながってるはずの階段がある壁面。店内にいるんだろ? 分からんかったらどこかの扉から出て、店の外周に沿ってぐるっと歩いてみなよ」
クリーム色の鉄製扉からさび付いた鍵穴を回すような音がして、男が姿を現した。ヤスダより若い、三十代後半くらいに見える。八百屋か魚屋亭主のようなヤスダと比べれば、ホワイトカラーのビジネスマンに見えなくもない。二日前に惣菜コーナーで埃をぼろぼろこぼしながら蛍光灯の交換していた男だ。
おれが名刺を切ると、男もポケットのケースから名刺を取り出した。《一ノ瀬》の姓だ。小文字で《sanwa》のロゴが誇らしげ。スーパー三和奈良北店の住所、電話番号と併せ、《商品管理本部》として、店舗運営部・矢島の返信用封筒に刷られていたのと同じ相模原市南区の住所、電話番号が並ぶ。株式会社三和関係者の名刺を始めて目にした。手にした。
「一ノ瀬さんね、この文書がぼくのところに送られてきたいきさつを知ってる?」
ホチキス留めしたA4用紙数枚を、一ノ瀬は受け取り一通りめくって眺める。読んでいる風ではない。
「なにが起こっているのか、わたしにはまったく分からないんです」
「先月初めからの一連のトラブルについては?」
「ちらっと聴きました」
「その件なのよ。それでね。一ノ瀬店長」
「はい」
「あなた、おととい店内の照明器具を取り換える作業をしてたね」
「…はい…」
「あの時間帯にやる必然性があんの?」
「アイドリング中だから問題ないかと」
「アイドリングってなに?」
「お客さんが少ない時間帯ということです」
「車のエンジンのアイドリングと同じか」
「存じません」
「そうだったって違ったって、どっちだっていいや。客の多寡の問題じゃなくてね、ああいう作業は、営業時間外に、閉店後や開店前にやるべきなんじゃないの?」
「アイドリング中だから問題ありません」
「あなたが交換してた蛍光灯の下には、密封されてない惣菜が陳列されてるんだよ」
「アイドリング中だから問題ありません」
「埃がぼろぼろこぼれてるじゃないの」
「アイドリング中だから問題ありません」
「惣菜が埃を被ってるんだよ」
「アイドリング中だから問題ありません」
「惣菜を陳列棚に並べる前にとか、全部売れてからとか、売れ残りを片付けてからとかに、いくらでも埃をこぼしながら蛍光灯の交換でも陳列棚の解体でもやったらどうかな?」
「アイドリング中だから問題ありません」
こりゃだめだ。
客の目が届かないから売り物を埃まみれにしてもいいというようなレベルではない。客が買って食べる裸の惣菜を埃まみれにすることが問題だと、みじんも感じない。強がって反抗している風でもない。
一ノ瀬は、渡した紙をおれに返そうとする。
「それはあなたに上げるから、店でなにが起こってるのか、よく考えて。必要だと思ったら、本社の連中にも見せて。いらんかったら、あなたが処分して」
その日の夕方も、スーパー三和奈良北店に出掛け、買い物をした。軽食と飲み物を計千二百四十七円分、買った。レジ係は、ほづみではなかった。
そして、来訪者があった。
〈警視庁町田署の者だ。聴きたいことがある。玄関口まで出てこい〉
インターホン越しに、男声はそう言った。
(参 縄張りを越えて「1 阡と萬」に続く)