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拾陸の1 ボルトから生える指

 強行犯係巡査長、ピロシキ田中から一日がかりで供述調書を巻かれた翌朝、留置施設のお茶目な巡査長から、柵越しに言われた。

「きょうは、横浜地方検察庁(ちけん)に行ってもらうから」

「検事の調べですか?」

「だろうな」


 あしたも調べかと、前の日の調べが終わってお茶目な巡査長は聴いてきた。その時点で、お茶目な巡査長は翌日のおれのスケジュールを知っていたか否か。いずれのパターンも考えられる。しかし、そのどちらであったか、この稿を書いている今も分からない。

 居室を出され、手錠腰縄を打たれ、前回より長い悪者四人ほどでの「電車ごっこ」で二重の扉を出て、階段を降り、待機中のマイクロバスに乗り込む。

 車内が左右非対称の右側シート車窓から外を見ると、前回と同じように、署員らしい七、八人が、こちらを監視している。比較的若く比較的美しい、白バイ乗務用のオーバーオール状つりズボンを履いた女性は、今回もいる。


 県警本部の交通機動(こうき)隊は、署地域課の交番勤務員や留置管理課の「牢番」同様、二十四時間連続勤務の三交代制だ。しかし、おれが前回、白バイ乗務用つりズボンのこの女性をマイクロバスから見たのは、五日前の勾留請求があった日の同じ時間帯。交代勤務だとしたら計算が合わない。

 日勤の青葉署交通課員なのだろう。青葉署独自で白バイを運用しているのであろう。

 白バイ女性は前回同様、しかめっ面でこっちを眺める。日差しがまぶしいせいではない。おれたちに対する憎悪の感情の表れだ。


 マイクロバスは青葉署を出て、有料道路に入りすぐに降りた。おれたち囚人にはなんの説明もないまま、別の警察署の建物敷地内に入っていく。


《港北警察署》


 建物の銘板にそう書かれているのが、遠方にかすかに見える。そこで外国人男性らしい囚人をピックアップ。


「日本語は?」

「ほとんど駄目」


 警察官同士の話し声が聴こえる。

 前回の横浜地検詣でで車内にいた女性らしい囚人と同じように、その外国人男性らしい囚人の周囲にもカーテンが引かれた。


 前回と同じように検察庁庁舎の待機室に放り込まれる。待機室の囚人も、外の廊下をうろうろする警察官も、前回より多いように感じる。


 この日のおれは朝から、耳の調子というか、聴覚がおかしかった。人の声やなにかの音が、急に大きく聴こえることがある。その異常は、すぐに収まる。収まっても再発する。


 ――青葉署、五十九番――


 視界の外から、おれを呼ぶ声が聴こえる。そっちに視線を移すと、別の者が呼ばれている。

 幻聴とまでは言えない。過剰に聴こえる、聴覚が過敏になっているのだ。

 自分がなにか言われたのだと思ってそちらを向くと、別の者がなにか言われている。破裂音が聴こえたと思うと、トイレのドアのいつもの開け閉めの音だ。


 昼食に、前回と同じアンパン、ジャムパン、クリームパンと森永の小さな紙パックの牛乳が配られた。食欲がないからパン一つだけを食って牛乳を全部飲んでぼんやりしていたら、待機室内の前のベンチでこちらを向いて座っている若い囚人が迫ってきて、なにも言わずおれのベンチ座面のももの横に置いてあるパン二つを奪っていった。奪ったことが露呈しないためであろう、代わりに自分の食べかすを、おれのももの横に押し付けた。

 あっけに取られた。若い男は、おれから奪ったパンを包みから取り出し、むしゃむしゃ食っている。こちらに視線を向けない。


「青葉署、五十九番」

 昼過ぎに呼ばれた。空耳ではなかった。廊下で身体検査を受け、腰縄を打たれ、制服警察官二人に伴われエレベーターに乗る。壁を向かされるから、上がっているのか下りているのか分からない。

 検察官の部屋に通される。


「担当が代わりまして、検事のスズキと申します」

 中年の女性だ。

「やり取りは、このカメラで撮影、録音しております」


 自身後方を指さし、中年女性検事は言う。勾留請求の日の若い女性検事の調べの際にも同じことを言われた。

 厚生労働省雇用均等・児童家庭局長(当時)村木厚子(一九五五-)に対する大阪地方検察庁特捜部による汚職でっち上げ冤罪事件(二〇一〇年無罪確定)を契機に刑事訴訟法が改正され、取り調べ可視化のための録音・録画義務が定められたが、機材整備の問題などから全事件での適用は無理で、まず、裁判員裁判の対象となる重い事件や、村木がはめられた特捜部モノなど検察庁独自事件からスタートした。

 おれの威力業務妨害罪に伴う勾留中の取り調べは、その対象ではない。しかし、全国の検察庁で、整備が済んだところから順次、試行的に前倒しで録音・録画を行っている。


「きょうはここでは調書を作成しません。これまでの供述の内容を整理して、新たなことも聴きます。これまで警察と検察で話したことで、なにか間違っていることはありますか」

「記憶が変遷したり、使う言葉を後になってそれより前とは変えてもらったりはありました」

「記憶がどう変遷しましたか」

「手で払ったかごが、自分が商品を入れて持ち込んだものではなく店員がレジ打ちして順次商品を移していく最初は空だったかごだったとか、店員の発言の前後関係などです。供述しながら、自身の記憶違いに気づきました」

「記憶違いについて、ほかにもありますか」

「防犯カメラの映像を見せられて、いくつか記憶違いをしていた部分があることが分かりました」

「見せられた防犯カメラの映像には、なにが映っていましたか」

「ぼくの記憶通りのこと、それから、ぼくの記憶と一部異なること、さらに、まったく記憶にないことの、大きく三通り」

「取り調べでは、記憶の限り正確に供述しましたか」

「さっき話した通り記憶が変遷してますが、その時々では正確に供述してます」

「今の状況では、この調書の内容が記憶の限り正確ということですか」


 中年女性検事スズキは、紙の薄い束を手で持ち上げ、表紙のみをおれに示す。その束がなんなのか、パイプいすに手錠腰縄で縛り付けられているおれに、分かるはずがない。手で持ち上げたのは、後方カメラに映るようにであろう。


「検事さんお手持ちのその紙の束が、きのう青葉署で巻かれた員面調書なら、その通りです」


 検事スズキは、派手な身なり。着ている服は緑系でカラフル。貴金属を体のあちこちにじゃらじゃらぶら下げている。

 首はなん重にもネックレスが巻き付き、眼鏡には金属の鎖状ストラップがぶら下がり、手首には太い腕輪(リストバンド)。手指に至っては、なにもはまっていない指の方が少ない。指輪をはめているというより、工具のボルトからそれぞれの指がにょきにょき出ているようなありさま。勾留請求の日の若く美しい清楚な女性検事とは真逆だ。


「分かりました。防犯カメラの映像を見て記憶と一部異なるというのは、具体的にどういう場面ですか」

「レジ打ちを待つ客がぼくの前にいたと記憶してたんですが、映像では、いませんでした。レジ打ち店員がレジの囲いを離れた回数が、ぼくの記憶より少なかった。逆に、レジ打ち店員が電話の受話器を上げた回数は、ぼくの記憶より多かった。それから、かごを手で払ったっていう行為の回数が、ぼくの記憶より多いように見える」

「ほかにもありますか」

「後は、まったく記憶にないこと。今も思い出せないこと」

「どういうことですか」

「クレジットカード状のものを、カウンター状の台にたたきつけているように見えます。今、言った『カウンター状』というのは、『上下(じょうげ)』の『上』ではなく、『クレジットカード状』と同じ、『状態』の『状』のつもりで言ってます」


 レジ台同様、カウンターという名称が正確かどうか分からず、誤っていると、検事に予断を与えてしまうからだ。

 おれの左斜め前すなわち検事の右斜め前に控えパソコン操作をする若い女性事務官は、うんうんと黙ったまま二回首を縦に振る。おれの意図が伝わったのだろう。

「資器材」が分からなかった勾留請求の日の男性事務官に比べれば、その方面ではずっと優秀だ。


(「拾陸の2 お客様は神様か」に続く)

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