弐の6 敬語が発達、主語は省略
縦置き封筒左上の切手貼付欄に、《南》の印字がある三月二日付け証紙を貼ってあるその簡易書留は、同様に封筒表面に貼付される追跡番号ラベルの数字をインターネットの日本郵便公式サイト問い合わせページに打ち込んでみたら、相模原市より手前で、株式会社三和が本社を置く、東京都町田市にある《南郵便局》で差し出されていると分かった。
こんな内容だ。
《株式会社三和店舗運営部の矢島と申します。
(おれ注・改行に伴う段落初めが一升空けられておらず。以下同)この度は、森様から弊社の奈良北店について、お尋ねしたいという趣旨のお電話にてのお問い合わせ及びお手紙(以下「お問い合わせ」といいます。)を頂き、ご連絡いたしました。
お問い合わせに関して、弊社店舗運営部にてご対応させて頂きますので、宜しくお願い申し上げます。
さて、森様より、頂いておりますお問い合わせの件について、そのご質問内容をご教示頂けますようお願い申し上げます。
返信用封筒を同封させて頂きますので、お手数ですが文書にて、お聞かせ願えますでしょうか。
なお、ご質問の内容によっては、弊社の顧問弁護士よりご回答させて頂きますことを、ご了承下さいますよう、お願いいたします。
なお、今後のお問い合わせにつきましては、弊社店舗運営部所属の「お客様相談窓口」以外の対応は致しかねますので、併せてご了承ください。
お手数をお掛け致しますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
株式会社三和
〒252-0328
神奈川県相模原市南区麻溝台3-4-11
電話番号 0120-375-230(お客様相談室)
店舗運営部 矢島》
出だしからめちゃくちゃだ。
《森様から弊社の奈良北店について、お尋ねしたいという趣旨のお電話にてのお問い合わせ及びお手紙》という表記。尊敬語と謙譲語の使い分けができていない。本来とは逆に使っている。尊敬語と謙譲語が真逆の意味を持つ敬語表現であることを、文責人・矢島は知らない。尊敬語と謙譲語の存在自体を知らないのかもしれない。
義務教育課程たる中学二年「国語」カリキュラムで、敬語表現を教わる。二〇〇七(平成十九)年度までに中学二年だった世代は、敬語表現は「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の三類型だった。
すなわち、会話の相手や相手方第三者の動作を示すには、「おっしゃる」「召し上がる」「ご覧になる」など尊敬語を、自分や自分方第三者の動作は、「申す」「いただく」「拝見する」など謙譲語を使う。「相手方第三者」には、恩師など双方が同じように敬うべき対象も含まれる。
極めて単純明快だ。このルールとは別に、「です・ます」調の丁寧語が存在する。
これを、義務教育を修めたはずの大人が使いこなせない。彼ら「敬語を使いこなせない義務教育を修めたはずの大人」の多くは、敬語とはイコール丁寧語のことだと誤認している。
丁寧語の重要度は低い。それは、丁寧語が文章の文法的意味合いになんら影響しないからだ。
日本語の文法体系は、他言語と比べ、主語を著しく省略する。外国語を学び始めるに当たり主語の存在を知るまで、その概念に接する機会にさえ恵まれない。
主語が消滅した、あるいは発達しなかった日本語の歩みは、敬語の存在と無関係ではない。尊敬語、謙譲語を使えば、誰のことを言っているか類推できるからだ。ほとんどの会話で主語は不要とも言える。
だからおれは、ビジネスの場で率先して尊敬語、謙譲語を使うのだが、相手がそれを正しく使えないと、正しく意味が伝わらない。おれの敬語表現に合わせようと試み、間違った、株式会社三和店舗運営部・矢島のように真逆の敬語もどきを繰り出し、それを振り回すから、受け取った側のおれは誤った判断をしてしまう。
株式会社三和周りに対しおれが謙譲語を使い「(おれは)お尋ねしたい」と言っているのだから、三和側は、例えば「(あなた=おれが)お尋ねになりたい」と、尊敬語に言い換えなければ、会話のキャッチボールは成立しない。
自分の動作を尊敬語で、相手の動作を謙譲語で、本来とは逆に表現する株式会社三和店舗運営部・矢島のような会話ルールが許された人物は、歴史上、存在するとされる。帝、つまり天皇だ。多くの史料で、帝がそのように発言したことが読み取れる。高校「古典」カリキュラムで学ぶ。
しかし、この説は、現行の古典文学、言語学かいわいでは否定されている。
帝の発言を記す歴史的文献が書かれた当時、かぎかっこなどの記号はなかったし、録音機材もない。だから、文献は、帝の発言内容をそのまま引用できていない。筆者によるあまりも帝を敬うことで生じるバイアスがかかり、使ってもいない「自敬語」を、あたかも使ったかのように記した。
そして、現在の皇室は、もちろん自敬表現を使わない。
つまり、株式会社三和店舗運営部・矢島は、歴代の天皇さえ使わなかった尊大な表現で、相手(今回の場合、おれ)を貶めることにより、自分(矢島)を崇めるようおれに強制、強要する。
こういうおかしな状況を打開するという旗印のもと、文部科学省の文化審議会は二〇〇八(平成二十)年、従来の敬語表現三類型を、「尊敬語」「謙譲語Ⅰ」「謙譲語Ⅱ(丁重語)」「丁寧語」「美化語」の五類型に再編した。三類型では分かりにくいというのだ。
結果、教育現場は混乱し、「中学二年生」はますます敬語表現が分からなくなり、現在に至る。
良識的な言語学者らは、審議会によるこの答申が出る前から、審議の行方に反発していた。新しい五類型は、関東エリアの方言でしか通用しないという意見もあった。
しかし、文部科学省は見直しに伴う利権ありきで、それに追従する「御用」言語学者の審議会委員らに押し切られた。
甘い汁を吸う文部科学省役人に同情的な見方をすれば、この官庁は、他省で見られる、全国を分割網羅する地方支分部局を持たない。つまり、職員が地方を知らない。すべてが東京の価値基準で決まる。良識的な言語学者の主張する「関東エリアの方言でしか通用しない」が、単なるリップサービスではないと分かる。
いずれにしろ、関東エリアでも他エリアでも、プレ見直し世代もポスト見直し世代も、正しく敬語を使えない。
中学二年で機会を逸したとしても、高校の古典で習得することは可能だが、例えば大学入試の洗礼を受けないと、高校で習得したことは身に付かない。義務教育課程のはずの敬語表現ができない層は、つまり、まともな高校入試の受験勉強という洗礼を受けなかった層だ。
このように本来なら重要な文法的意味合いを持つ「尊敬語」「謙譲語」の使い分けを、その存在さえ知らぬ、「受験勉強の洗礼を受けなかった」層とのやり取りで使っても、重大な事故を招く結果になるだけだから、おれは、そういう連中とは、高額商品の購入などといった取り引きをしない。極力、関りを避けるように心がけている。
丁寧語へのおれの接し方は、これとは異なる。
文法的な役割を伴わないから、丁寧語をおれは、使ったり使わなかったり。相手の年齢や社会的立場、やり取りの状況によって変える。
本作でもおれのせりふを示すかぎかっこ内が、同学年の友人などに対するいわゆるタメ口調であったり丁寧語であったりするが、使い分けに大した根拠はないので、そのつもりでお読みいただきたい。
主語を省略する日本語体系やそれによる社会のあり方について、考えさせられる出来事があった。二〇二四(令和六)年一月二日、羽田空港滑走路上で、離陸のため誤って進入していた海上保安庁の航空機と、着陸した日本航空の旅客機が衝突。海保機は乗っていた六人のうち五人が死亡するも、旅客機は、客室乗務員らの避難誘導により、乗客三百六十七人と乗員十二人が全員脱出できた事故だ。
米国の航空機事故マニュアルでは、客室乗務員は乗客に対し、文法上、命令口調を使うことにしている。主語を省き、動詞の原型で始める。「Please」も付けない。
それを手本にした日本のマニュアルも、主語を省く。「足首を両手でつかむ!」「頭を両脚の間に入れる!」と、客室乗務員は必要最小限の言語で乗客に指示する。日本語の文法構造上、命令文ではないが、必要最小限の言語で伝える英語の命令文を、そのまま輸入した。
ところが、羽田の事故では、乗務員は、乗客が収録した動画の音声を報道を通じ聴く限り、〈荷物を取り出さないでください〉など、「Please」の付いた謙譲語(取り出さないでいただく、の意)を使っている。構造上は命令文だから、主語はそもそもいらない。
(「弐の7 客もかごを蹴っていた」に続く)