第6話 神への挑戦〝侵入〟
ルセリア王国からの外交使節団がアモス島に来訪してから既に半年の月日が経っていた。既に冬に差し掛かっているが島にはあまり寒さという物はない。大陸でもそうだが精霊力の流れによる寒暖差がこの世界では大きい。
アモス島では冬の季節に入ってもほとんど雪は降らず春は暖かく夏は暑い。島の南東にあるデスラ火山の影響だとする説もある。この火山は山頂付近が黒い土と石に覆われた活火山で直近の噴火は150年前に遡る。
噴火と同時に真っ赤な溶岩流が流れ出し麓にある村々を焼き尽くしたのだ。闇葉族の村と豹頭族の二つの村が押し流されて村は全滅し近隣にまでその被害は及んだ。土精人達の村と鉱床を採掘する為の入り口は山の裏手に作られていたから無事だった物の被害者は1500名以上に上り島内の人々に絶望を齎した。それほどに強い炎の精霊力を有する火山が近くにある為にアモス島は温暖な気候なのだと言う者達も多い。近年は時おり黒い噴煙を吐き出している事もあり噴火が近いのではと心配する声も上がり始めている。
「ふぁ~あ。今日も異常なしか」
そんな火山から遥か西にある海岸の岩場付近を雑木林の中から隠れて見張る豹頭族の男がいた。気の抜けた欠伸と共に呑気な言葉を漏らしながら、岩場に描かれた〝転移門〟と呼ばれる魔法陣の監視を昼夜問わず交代でする様に命じられてから既に六か月、何の変哲もない風景を見つめ続ける仕事は長期に及び、さすがに緩みという物が出始めていた。だが、そういう油断こそ敵が最も欲する状況である。
時刻は真夜中だが基本的に獣族達は夜目が効く。当然、豹頭族も昼間と変わらずに任務にあたる事が出来た。その事が人族よりも獣族が監視者に向いている理由でもあった。
「!?・・・転移門が」
そう呟くと彼は今までと違い引き締まった表情になっていた。転移門が発光しているのだ。彼ら『監視者』達は魔導士マーリンから一つの事を教えられていた。それは転移門がもし光る様な事があれば、それは何者かが転移して来る証であるという事。そして、その輝いた後に点滅を繰り返した数こそがこの島に転移して来た人数であると。
(一回・・・二回・・・三回)
心の中で三回まで数を数えたが、しばらくすると光っていた魔法陣がまた見えなくなってしまった。侵入者は3人という事になる。問題はこの島に侵入して来たはずの者達の姿形が見えない事だ。だが豹頭族のグレオには察しが付いていた。そもそも監視者に選ばれた者達はこの島に住む魔法士達から魔法を知識として学んだ者達が選ばれている。魔法が使えなくとも知識さへあれば対応出来る事が多いからだ。そうでなければこの様な仕事は務まらない。
恐らく侵入前に第三種魔法〝透明〟を施したか、透明化出来る魔法品を使用して入って来たのだろう。だが透明化できる魔法品は非常に高額であり数を揃える事は困難だと聞く。と、すると恐らく魔法だろう。
もし、侵入者達がこの島の者と出会ったら恐らく〝認知〟等の精神系魔法を使って相手の認識を一時的に改竄するか殺すかだろう。だが殺しは出来るだけ控えたいと考えるはず。と、グレオは睨んでいた。何故なら誰かを殺せばその数だけ騒ぎが大きくなるからだ。何の目的で侵入して来たのかは不明だが仕事に差し障る事は間違いない。半年前にこの島に来た者達が〝転移門〟を設置した事から侵入者達の何人かは第三種魔法が使える事が推認できる。マーリンから『出来るだけ戦闘を避ける様に』と、念押しされていた。
『光った数は三回、都合3人がこの島に透明化して侵入』一刻も早くこの事を仲間達に報告せねばならない。グレオは音もなく後づさった。彼は隠れていた雑木林からそっと抜け出すと仲間達の待つ監視所に向けてけ走り始めた。
(おかしい)
直ぐにグレオはその事に気が付いた。
(つけられている)
明らかに何者かが自分を追って来ている気配を感じていた。しかも、そう遠くない距離だ。獣族のしかも豹頭族の自分の足に付いて来れるのは獣族でも同じ種族か猫人族くらいだ。人族の中にも稀に足の速い者もいるが限られている。考えられるのは先ほどの侵入者達だろう。だが、どうやって自分の事を知ったのか?疑問は湧いたがこのままでは敵を監視所まで連れて行ってしまう。そう考えたグレオは小高い丘を越えると反対側の斜面にうつ伏せになった。相手を見極める為である。
(判る・・目に見えず共な。オレの後を付けて丘を駈け上がって来る者達がいる)
グレオの耳は明らかに丘を駈け上がって来る者達の僅かな足音と息遣いを捕らえていた。
(一人・・・いや二人か。一人だけ生かせば良い。後は始末する)
そう決意して腰の後ろに廻していた短剣を逆手に握った時だった。
「ぐッッ!!!」
激痛に襲われたグレオは思わず苦鳴を漏らしてしまった。そして、うつ伏せにしていた身を起こして後ろを振り返った。と、同時に今度は左胸に激痛を覚えると吐血をしながらそのまま仰向けに倒れて絶命した。何もない静かな丘にチンッという微かな物音だけが響いた。
「来たか」
しばらくすると小高い丘の上に何者かの声が聞こえた。そして何もなかった月灯りだけの場所に闇色の姿をした者が突然、現れた。やがて丘を駈け上がって来た足音がその声の近くで止まると彼らの姿も同様に浮かび上がった。同じく闇色の姿である。既に透明化の魔法は解けていた。声を発した男は頭巾を被り右手に短杖を持った人族の魔法士だったが、駈けて来た二人は荷物を背負った黒豹族の男達だった。豹頭族に似ているが頭部の毛並みは真っ黒だ。人族の男と同様に動き易い服装に頭巾を被っていたのだが走っている間に後ろにずれ落ちてしまっていた。
「危ない処だったぞ。もう少しで逃げ切られる処だ」
「はぁはぁ・・・すいません。手数かけやした」
「それにしても・・・はぁはぁはぁ、この島の奴がこんなに足が速いとは」
追いかけて来た者達が荒い息を吐きながら言う。しばらく、ぜ~は~と荒い息をしていたがあっという間に呼吸は落ち着いていった。その辺りも訓練されている証と言えた。
「確かにそうだな。荷物を背負っていたとはいえ、訓練されたお前達よりも速いとはな・・・私も驚いた。事前に予想はしていたが思っていたよりもこの島の者達の身体能力は高いと考えて良いだろう。我々を上回っている。と、すると魔力も同じだろう」
「でもボスの〝感知魔法〟に掛かればどれだけ姿を隠していようが一発でしたね」
「そうそう。後は転移の魔法を見える範囲で繰り返してあっという間に敵に追いついて追い越すだけだもんな。透明になって見えない事を生かしてグサッとやればあっという間に仕事も終わりだ」
軽口を言い放った二人はジロリと睨みつけられてビクリと硬直した。
「判っておらんな。〝転移〟の魔法の連続使用は私ではあっという間に魔力が枯渇してしまう。使う場面は限られているのだ。今は我々の事を知られる訳には行かぬから使用したに過ぎん。お前達、二人だと恐らく殺られていたぞ」
「どういうこってす?」
丘の上から斜面に倒れているグレオの死体を指さした。
「この男、お前達の追跡に気付いていたぞ。お前達から見えぬ様に斜面にうつ伏せになって迎え撃とうとしていたのだ」
「!?」
「こんな深夜に浜辺が見える雑木林に偶然いる事など有り得ない。我々は見張られていたのだ。と、云う事は秘密裡に設置した他の〝転移門〟も既に見破られている可能性がある」
「真剣ですか?と、他の連中、ヤバくないですか?」
「・・・あぁ。不味い。こちらは私がいたから何とかなったが他から来ている連中は第三種魔法が使える者がそれぞれ一人づつ。しかも使える魔法も限られている。肉体的に上回らねばどうなるか・・・」
「ボス。そっちも心配ですが、こいつはどうします?」
一人が死体の処理について意見を求めた。
「片づけますか?」
「そんな時間はない。どうせ片づけても魔法士が出て来れば〝探知〟の魔法で直ぐに見つかってしまう。大した時間稼ぎにもなるまい。ここは出来るだけ街に近づいて住民に紛れ込んだ方が良い」
「では行きますか」
「うむ」
こうして三人は闇夜に紛れて再び走り始めた。
※
北の森に造られた〝転移門〟から出て来た三人の男達は慎重に行動した。深夜とはいえ夜行性の魔物と戦闘にでもなれば騒がしくなる。もし、この島の誰かに気付かれる事にでもなれば全てが台無しだ。三人はこの転移門を使う作戦に於いて森を出るまでは特に慎重に動く為の準備を怠らなかった。先頭を務める男が草を掻き分ける僅かな仕草や音を見極めながら残りの二人が付いて行くという構成で森から抜け出た。時間はそれなりに掛かったがまだまだ夜明けは遠い。森を抜け出た処で三人の透明化が切れた。
「よし。近くの村に着くまではこのままだ。魔力を温存して進みたいからな。私自身にかけた‶暗視〟の魔法が切れるまではそれのみで進むぞ」
「判りました」
「急ぎましょう」
人族である魔法士は自身に暗視の魔法を掛けねばならないが、獣族である二人は夜目がが効く為にその必要はない。三人は言葉も少なく再び走り出した。もう少しで村に着くという処で霧が出て来た。しかも、その霧はどんどん濃くなって行き、やがて濃霧といえる状態に達した。
「止まれっ!」
「なんだっ!?」
「どうしたっ!?」
先頭を走っていた男が足を止めて頭に被っていた頭巾を後ろに降ろした。黒い毛並みに覆われた黒豹の頭を持つ黒豹族だった。
「セムルどうした?」
「コムさん。この霧はどう考えてもおかしい」
セムルと呼ばれた男の後ろを走っていたコムという人族こそがこの三人組のリーダーだった。セムルは盗賊稼業で身に着けた、罠の先読み、察知、看破、方向感覚の能力が優れており目的地に着くまでの水先案内人として最も適した役割だからこそ先頭を務めていた。
「今は真夜中ですがソレほど気温が下がってる訳でもない。近くに水場がある訳でもない。にも関わらずこの濃い霧です。明らかに普通じゃありません」
「何者かの仕業か?よし魔法で確認する」
そう言って彼は腰から短い棒の様な物を取り出した。短杖と呼ばれる物で魔法士の魔力を増幅してくれる魔法品だ。魔法士が杖を持つのは只の様式ではない。彼らにとって〝杖〟は自身の魔力で生み出した魔法を数倍にして実行する為の触媒なのだ。そして短杖は杖には劣るが携帯できる便利な魔法品だった。
「あれぇ~勘が良いね。気づかれちゃったかぁ~」
突然彼らに間延びした女の声が聞こえた。しかも相当若い。と、云うより幼ささえ残るような口調だ。
「誰だッ!?」
「誰だはこちらの台詞だよ~今日も退屈な時間が流れるのかな~なんて思ってたら転移門が光って君達が出て来たからビックリしたよ。でも、これで退屈とはサヨナラ出来るから良いかも知れないけどね」
声は霧に覆われた周囲の四方八方から聞こえて敵が何処にいるのか三人には全く掴めなかった。その時、コムと呼ばれた男が自身の前に短杖を捧げ持った
〝我に優れたる知覚を与え給え〝感知〟
目を瞑って己の感覚に身を委ねる事、数秒———突然、彼は右手の指を右斜め前方に突き出した。間も置かず先頭にいた男と彼の背後にいた男が同時に投げナイフを投擲した。
「うわっとっ!良く僕の居場所が判ったね。ってアレか、今の魔法は〝感知〟の魔法だったね。凄いや。本当に正確に相手の居場所が判る物なんだね~これは気を付けないとだね」
今だ余裕を持って話しかけて来る相手に三人は焦りを覚え始めていた。彼らにはこんな処で道草をくっている余裕など無いからだ。この霧が何らかの魔法である事は確実だ。手間取って明け方近くにでもなれば作戦に支障がでる。こんな辺鄙な場所では余所者だとすぐにバレてしまう。
(くそ・・・こんな事をしている暇など無いというのにッ!)
コムは何とか状況を打開すべく頭を巡らせていたがある事に気が付いた。
(待てよ・・・いや、ちょっと待て。この声は言っていたな。今日も退屈な時間が流れるのかな・・・転移門が光ったと。くそッ!そうかッ!そう言う事かッ!オレ達は張られていたんだッ!)
重大な事に気付いたコムは左手を後ろに廻して片手でサインを送った。次に自分の前に先行していた者の背中に触れて指で文字を描く様に相手に自身の考えを手短に伝えた。二人は驚愕した。
彼らにとってこの状況は非常に危険であった。自分達が出て来た〝転移門〟の存在がバレているという事は他もバレている可能性がある。もし、そうであれば作戦が失敗する確率が非常に高まる。こちらと同様に見張られているに違いないのだから。自分達の目的までは判るまいが事が事だけに行動は隠密に速やかに行わなければならないのだ。
「どうしたの~?随分、静かになっちゃったけど~」
と、相変わらず呑気な声が聞こえて来る。二度の投擲は敵に当たらなかったらしい。だがナイフを弾いた様な音さへもしなかった。と、云う事は交わしたか外したかだ。未知の相手、未知の魔法。怖るべき相手だった。
「なにッ!」
今度はコムが思わず驚きの声を上げていた。
「バカな・・・気配が一つではない・・・だと?敵は一人、二人、三人・・・八人ッ!?囲まれているッ!?」
彼の〝感知〟魔法は自分達三人の周囲を八人もの敵が囲んでいると告げていた。
〝素は大いなる存在。精霊モルぺウスよ。眠りの砂を彼の者達に与え泡沫の眠りに誘い給え〟
少女の声が周囲に響いたかと思うとにコムの後ろにいた男が音もなく突然、頽れた。
「セムルッ!耳を塞げッ!!精霊魔法だッ!!!」
だが遅かった。コムの前にいたセムルと呼ばれた男も声を上げる事さへ出来ずに崩れ落ちた。彼は急いで右手の短杖を腰に戻すと両手で耳を塞いだ。それにも関わらずあっという間に眠気に襲われて先の二人を追う様にその場に膝を付いて倒れてしまった。
「無駄だよ~眠りの精霊魔法は精神に作用するんだ。耳を塞いでも頭の中に精霊の声は浸透するんだよ」
声が消えると徐々に霧が晴れて倒れた三人の傍に一人の女の子が姿を現した。10代前半に見える幼さの残る容姿だが特徴的なのは褐色の肌に白銀の髪、金色の瞳、そして人族との違いを象徴する様にほんの僅かに尖った耳。彼女は闇葉族だった。
「これで後は交代のマッティが来るまで見張っていればイイだけだよね」
闇葉族の女の子は楽しそうに独り言を呟いた。
「アモン様。褒めてくれるかなぁ~喜んでてくれるかなぁ~」
等と無邪気な笑みを浮かべながら三人から少し離れた場所に膝を抱えて座り込んだ。