第3話 転換点
敗走したヴィセリア帝国第四軍。帰途に就いた将軍は自ら皇帝レドリック・ヴィル・ヴィセリアへ報告をする。その報告を聞いた皇帝は・・・
十日をかけて母国に帰りついたヴィセリア帝国第四軍は帰途の途中で大海獣に襲われ、更に一隻を失う羽目に陥っていた。無事に帰国出来たのは全艦艇12隻中、7隻のみであった。4800名の乗員の内、帰国出来たのは3250名であり、およそ1550名もの乗員が碌に敵と戦う事も出来ずに死亡した事になる。
ヴィセリア帝国に帰還したボルドフ将軍と副官の二名は王都にある王宮内の謁見の間で皇帝レドリック・ヴォル・ヴィセリアに拝謁した。既に通信球や早馬を用いて状況の報告は済ませてはあるが改めて自身の口から今回の遠征が失敗に終わった事を告げる為である。
室内にいた内務官や女官達の話声でざわめく中を皇帝がカツンと王笏を打ち鳴らした。途端に話し声は止んで静寂が訪れた。
「今回の遠征に於いて我が偉大なる祖国、ヴィセリア帝国と陛下の御名を傷つけたばかりか敵と攻する事なく敢え無く数多くの兵を失いましたのは全て私の責任に御座います。如何なる処罰も当然の事と承知しておりますが、どうか部下には寛容な御下知を頂きたくお願い申し上げます」
片膝を付き頭を垂れていたボルドフ将軍は更に深く頭を下げた。今年、30歳になる若き皇帝は昨年、父親から皇位を受け継いだばかりで今回の遠征に関して主導したのは父である前皇帝だった。その作戦を引き継ぎ即位の後に〝箔〟をつる目的で今回の作戦は立案されたのだった。理由は多々あったが国内の貴族達を押さえつける目的もあったが故に今後どの様な悪影響を及ぼす事になるのかは計り知れない。
「もうよい。ボルドフ・バーレ将軍。私は既に多くの兵達を失った。全て我が国民である。これ以上あたら多くの兵や騎士を失わせる様な事は出来ぬ。処分はおって伝える。しばらくは謹慎しておれ」
「はっ!」
「サロスは残れ。後で話がある」
将軍の背後に控える片膝を付いた副官にそう指示をした後、謁見は直ぐに終了した。一刻おいて皇帝の執務室には部屋の主であるレドリック・ヴォル・ヴィセリア、宰相カーン、今回の遠征でボルドフ将軍の副官兼見届け役として随行したサロスがいた。執務机の前の長椅子に腰掛けたレドリックに対してテーブルを挟んでカーンが座りサロスは扉を背にして立ったまま改めて細かな報告を二人にしていた。
「書面だけではなく改めてサロス自身から報告を聞いた今でも中々に想像ができんな」
レドリックが片手を顎にあてて思案顔で呻った。カーンも同意する様に頷く。
「はい。私も他者から伝聞で聞いた話ならば恐らく信じられなかったと思います。しかし私はこの目で目撃いたしました。突然、現れたあの男の恐るべき力を」
若干サロスの声が震えていた。あの瞬間の出来事を思い出したのだ。
「私は魔法士の一人としても随行しておりましたので魔術に関しては理解出来ますが、あの時、あの場所で行なわれた事が如何なる術であるのか何らかの武術的な技であるのかさへ見極める事すら適いませんでした」
「お前が結論すら出せぬとはな」
宰相カーンも聊か驚いていた。それほどにこの男は二人から信用されている証左であった。
「はい。例えば魔法にも似た様な術は御座います。〝切斬〟という類の物ですがそれはあくまで敵対する個人に対して使われる物です。強い魔力の持ち主ならば転がっている岩を斬る事も可能かも知れませんが建造物を斬り落とすと云う行為はさすがに出来ません。使用したとしても精々が傷をつける程度に留まります。それを―—」
「船を両断した訳か・・・しかも数百名もの人間が乗船するガレオン船を」
言葉を引き継いだカーンにサロスは頷いた。
「はい。しかもその〝力〟の塊の様な物は威力が衰えずに海の彼方へ飛んで行きました」
「恐るべき力だな。もし我が国に彼の者がおれば世界の覇権さへ握れように残念な事だ。しかし気になる。今まで交易などを通じて商人達から齎された情報の中にはその様な男の話はついぞ聞いた事など無かった。姿を見た者すらおらぬ。それが突然、何処から現れたのか」
「先に届いた報告を受けてから我が国の宮廷魔法士や市井の魔法士組合の者達にも働きかけて調べましたが何一つ判らず仕舞いで御座います」
そこまで話した処でレドリックは一旦、立ち上がると執務机まで行き鍵が掛けられていた引き出しを開錠すると中から二通の封書を手に持ち、まず一通をソファーの前の長机に置いた。
「お前達も読んでみろ」
「よろしいのですか?」
カーンが怪訝そうな表情を浮かべながら聞いたがレドリックは頷いた。皇帝へ届けられる文書は全てが国家にとっての第一級重要指定文書にあたるからだ。だが、直ぐにカーンもサロスも驚愕の表情を浮かべた。既に開けられていた封書の封蝋が見えたのである。
「コレはッ!聖女殿下の印ッ!!」
「十日ほど前にな。我が軍が壊滅した報が届いたのと同じ頃に〝聖域〟より送られて来た手紙だ。恐らく既に各国にも届けられている事だろう」
「失礼いたします」
カーンが急いで中の手紙に目を通して次いでサロスも目を通した。書かれていた内容は非常に短く『大いなる力、何処かの地で目覚める。得体の知れぬ力、故、夢々注意されたし』と、あった。
「まさか・・・と、私も考えたが時期も合うておる。我らは猛獣の尾を踏んだのかも知れぬ」
大陸中央に存在する〝聖域〟と呼ばれる場所は大陸の全ての国で〝不可侵条約〟が唯一、結ばれている場所で有り、各国のどの様な政治も持ち込んではならぬとされている場所だった。又、聖域を統べる聖王女も何処の国に対しても中立を保ち如何なる政治的介入もする事はない。しかし、この大陸に危機や変動が訪れる際には当事国に対して注意喚起として〝お告げ〟が送られる事が決められていた。
「しかし全ての国に対してとは・・・我が国に対してだけではないのでしょうか?」
「サロスよ。文面をしっかりと読んでみろ。我が国を指す言葉がない。国名も記されておらぬ。こういう時は全ての国に送られていると考えるべきなのだ」
サロスの疑問にカーンが答えた。更にレドリックは残りの一枚も置いた。レドリックが二人に対して頷いたのでカーンが中身を確かめた。カーンが読み終わるとサロスも内容を確認した。
「ルセリア王国がアモス島との関税を元に戻したいと言う事ですか・・・これは既に我らの敗戦が伝わっておりますね」
カーンの言葉にレドリックも頷いた。
「あれだけの敗戦だ。帰還出来た兵士達から商人達にも話が流れた事だろう。更に隣国となれば燃え移る火の如くあっという間に伝わったであろうよ」
「如何なさいますか?」
「認めるしかなかろう。今回の遠征ではこちらから強引にルセリアに関税の値上げに協力する様に働きかけたのだからな。同盟と言っても関税のみの事。先の緩衝地帯であるハーン平原の戦で休戦協定を結ぶ際に我らが優位に立っていた上での話だ。軍としては未だ数的に勝っていても突っぱねれば今後に禍根を残しかねん」
「確かに陛下のおっしゃる通りと存じますが恐らくルセリアは今回の件でアモス島の者達に対して危機感を抱いたのではないでしょうか。直接、敵対した訳ではないとは言え彼らも関税の値上げを行っておりましたから」
「カーン。私も同じ考えだ。恐らく直ぐにでもアモス島へ親善大使でも送って関税の事で詫びを入れに向かう事だろう。そして、相手の内情を探ろうとするはずだ」
「しかし陛下。現状では我らの側からアモスに話をしに行く訳には参りません。件の男の調査、如何いたしましょうか」
このサロスの疑問にしばらく思案を巡らせていたレドリックは最後の手段に頼る事にした。
「もはや魔法学院に頼るしか手段はあるまい。資金提供している理由の一つはこういう時の為でもあるのだからな。依頼は私の名で出す。その方が奴らも直ぐに動くだろう。サロス。お前には使いを頼むぞ」
「はっ!お任せを」
二日後、四人の騎士に守られた馬車が一台、サロスと他に魔法士三名を乗せて北西の小さな都市国家マルティスにある魔法学院ソラスへと旅立った。
※
ヴィセリア帝国を追い返した後、アモス島では島の至る所で四日間に渡り連日連夜、宴が繰り広げられ大いに盛り上がった。しかし、マーリンが島中の様々な種族と部族の代表達を集めてアモンの事を紹介した事により事態は急展開し紛糾し始めた。
島の魔法士達は彼らの頂点にいる七名の魔導士達の弟子や賛同者であったし協力者でもあったので誰一人、驚く者はおらず、むしろアモンを〝神〟として丁重に扱っていた。逆に島の住人達の反応は様々だった。
人が生命を生み出す事に対して禁忌を犯したとして魔法士達を糾弾する者、助けられたとして感謝する者、只々、憧れる者、等、様々だった。
特に反発する者達は年長者が多く自由に島内で暮らして来たにも関わらず突然、得体の知れない存在を特別扱いをさせ様とする魔法士達に対して憤る者が多かった。
逆に若年層の者達はアモンの事を〝神〟というよりも『何だか良く判らないけれど凄い存在』として受け入れる者達が多かった。
年長者達との神学論争の如き答えの出ない討論が繰り返される中をとうの本人であるアモンは興味深そうにそれを只、眺めていた。
彼からすれば睡眠学習中に得た様々な知識と現実の違いを実体験として整合する良い機会だと考えていた。又、自身の中にある知識と体験を擦り合わせる事によってより思考が明確化される気がしていた。この諍いすらも彼からすると興味深い出来事だったのである。それに例えこの地を離れ如何なる地へと赴こうとも新たな知識を得る事は出来るだろうと考えてもいた。
「マーリンッ!お前達、魔法士達がそこにいる者をどの様に扱おうと構わん。だが俺達にそれを強要するのはやめてもらおうッ!」
「別に強要などしてはおらん。私は島の者達に〝神〟である。と、紹介しただけだ。強要だと感じているのはお前達が誤解しているに過ぎん。だがアモン様がどの様な行為をなされ様が私はお諫めするつもりはない」
「生み出した後に躾もせずに放置するなど獣を野に放つ行為と同じではないかッ!」
「失礼な言い方は止めて貰おう。アモン様は既に催眠学習で世の常識、学問、魔術、聖霊術、精霊術、武術、様々な事を学ばれている。無知などではないッ!」
「人の手による〝生命〟の創造など神の御業を真似る行為。決して許される事ではないぞ」
白熱した討論はことある毎に繰り返されたが、毎回、こうした批判を繰り返すのは決まって聖霊士達である。島を包囲されていた時には碌に解決策を示さず、いざ事が終われば批判や文句ばかりを言い放つ彼らに対して魔法士達はうんざりした気分と同時にふつふつと怒りを募らせていた。そんな中、一人の魔法士がその事に気がついた。
「おい。アモン様がいらっしゃらないぞ」
「!?」
議論を繰り返す間に誰もアモンがその場を離れた事に気づいていなかった。周囲を見回すと他にも何名か若者達がいなくなっていた。一旦、会議はお開きにして何処に行ったのか急いで皆で手分けをして探す事になった。
やがて酔い覚ましの散歩をしていた男から東の岬へ歩いて行く者達を見たという話を聞いた部族の首長達がこぞってそこへ向かい始めた。やがて、ぞろぞろと岬に向かうその集団を見た者達も「何事か」と野次馬の様に加わり東の森を抜けた岬に着く頃には数百人もの集団が出来上がっていた。
そして半裸で長く艶やかな黒髪を風に靡かせて岬の尖端に立つアモンと彼の後ろに付いて行った数名の若者達の姿を見つけた。やがて太陽が昇り始めアモンが振り向いた瞬間、集まった者達は見た。
その〝神〟の如き神々しい姿を―——
やがて静寂と風だけが通り過ぎて行く中、一人、また一人と地面に両膝をつき両手をついて誰もが自然に頭を下げていた。何物にも縛られずに生きて来た島民達の意識さへ変える事になった。この時この島は本当の意味で生まれ変わったのだった。
自身で何も語る事すらなくアモンが島の者達の心を掴んだ瞬間であった。