手紙 ─そのラブレターは宛先不明─
授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、教師が職員室へと戻っていった。
途端に騒がしくなった教室から、購買や学食へと何人かの生徒が駆け出していく。
教室に残った者は、持参した弁当や朝のうちに買ってきたおにぎりやパンを机の上に出して食事を始めた。
昼休みになると見られるいつもの光景には特に目も向けずに、私もお弁当を鞄から取り出す。
そして、スマホにイヤホンを取り付けて耳に入れると、アプリを起動した。
そこから聴こえてきたラジオに耳を澄ませながら、お弁当を食べ始めた。
私のお昼休みは、いつもこんな感じ。
FMヨコハマを聴きながらのランチが、毎日の楽しみだった。
もう既に始まっているお昼からの番組では、毎日テーマに沿ってメッセージが募集される。
メールやSNSで投稿されたそれらや、リクエストで掛かる音楽を聴くのが楽しかった。
そもそも私がラジオにハマったのは、母の一言がきっかけだった。
あれは、高校受験の為に勉強していた時。
夜、シーンと静まり返った部屋で勉強していたら、母が携帯ラジオを持ってきてくれたのが始まりだった。
“小さい音でラジオを掛けながら勉強するといいよ”
そう言ってボリュームを少しずつ上げていき、流れ始めた音楽は、不思議と私の集中力を高めてくれて。
それから私はラジオが好きになった。
どうやら試験本番では案外雑音が多く、そんな中で集中する練習にと母は持った来てくれたみたいだったけど。
私には、それ以上に気分転換や休息としての役目を果たしてくれたのだった。
受験が終わった今も、夜寝る前と、こうして昼休みに聴くのが日課になっていた。
入学してしばらくは、できたての友達を優先してお昼のラジオは我慢していたけど、仲良くなるにつれて好みや趣味の話になりラジオの事を話すと、無理しなくていいと笑顔で言ってくれて、とっても嬉しかったのを覚えてる。
その二人の友達は、私の前の席を陣取って机を合わせ、弁当を広げていた。
個人の楽しみを優先してくれるのに、側に居てくれるのが本当に嬉しい。
余令のチャイムが鳴って私がイヤホンを外せば、昼休みに話してた事を教えてくれたりして、本当に良い友達ができたと思っていた。
だから、私も時々はその二人と話しながら一緒に食べる事もある。
そんな時は便利なアプリの機能で既に放送の済んだ番組を聴くこともできるので、それを利用して帰り道に聴いたりしていた。
でもやっぱり、ラジオの醍醐味は生放送であること。
そして、リスナーが参加できる事だと思う。
だから私は、友達の優しさに甘えて、こうして昼休みの多くをひとりで耳を澄ませて楽しんでいた。
それに、今日はあの人のメッセージが読まれるかも知れない。
私は今、それを一番の楽しみにしていた。
友達たちがアイドルの新曲の話題に花を咲かせているのが、イヤホンの向こうから聞こえた。
その歌がもしリクエストされたら、スピーカーにして流してあげよう。
そんな事を思いながら、私はFMヨコハマに耳を澄ませた。
『今日のメッセージテーマは“私の癒やしの音”です。おまちしてます』
いつもの明るく耳に優しい女性DJの声が、今日のテーマを告げた。
私の癒やしの音、か。
私は何だろう?
夏なら風鈴とか好きかも。
うちにある南部鉄器の風鈴の涼し気な音を思い出しながら、投稿されるリスナーたちの“音”を聴いていた。
それから交通情報や、リクエストの洋楽を聴きながらお弁当を食べていると。
『続いてはラジオネーム灰猫さん』
あ。
私はその名前に反応して、ボリュームを少し上げた。
『灰猫さん、いつもメッセージありがとう』
DJがそう言う通り、灰猫さんはよくメッセージを送っている。
しかも、他のリスナーにも人気があるという、少し変わった人だった。
でも、人気があるのもわかる。
私も“彼”のメッセージはいつも楽しみだった。
なぜなら、
『えっと、灰猫さんの癒やしの音は、現国の授業で先生に当てられた彼女が音読していました。その声が綺麗で、澄んでいて、僕はいつも癒やされる。だから彼女には悪いけど、いつも当てられることを願っています。……ですって!』
そう、好きな子のことをいつも送っているのだった。
っていうか、彼女の声とか!
今時男子がそんな事を思うのか!
私は内心で萌えながら、同じくテンションの上がったDJのトークを聴いていた。
なんて言うか、灰猫さんはロマンチストだ。
女子がキュンと来るようなことを二、三日に一回はラジオで読まれている。
ということは、きっとほぼ毎日送っているに違いないと私は思っていた。
毎日、好きな子へのラブレターの様なメッセージをラジオへ送る。
それも、平日の正午からのこの番組にだけ。
きっと私と同じで学生だから、昼休みに聴きながら送っているんだろうなと考えていた。
私はちらっと教室を視線だけで見回した。
うん。
そうだよね。
ラジオを聴いているような人は誰もいない。
だいたい友人と喋っているか、漫画を読んでいるか、寝ているかといったところだった。
ラジオが好きで、同じ高校生。
それだけの共通点だけど、私は嬉しくて。
いつも灰猫さんのことを想像していた。
きっと物静かな人じゃないかな、とか。
好青年ぽいよね、とか。
絶対に髪染めもピアスもしてなさそう、とか。
最早、妄想と言えるくらい考えていた。
予令が鳴りイヤホンを外すと、友達がにこっと笑いかけてくれた。
「お、今日は特にご機嫌だね」
「なになに?例の灰猫さん?」
私の顔を見てそう言う二人に、私もにっこりと笑い返す。
「今日もときめいた」
そう報告すれば、良かったねと更に笑みを深めてくれるから、本当に大好きだ。
友達たちは机を片付けて自分の席に戻り、私もスマホとお弁当箱を片付けた。
学食や他のクラスへ行っていた人たちも戻り、いつも寝ている人ものそりと起き出した。
さて。
午後の授業も頑張りますか!
私は灰猫さんのときめきメッセージにパワーを貰って、ご機嫌に教科書を出すのだった。
次の日も、いつも通りラジオを聴きながらご飯を食べた。
今日のメッセージテーマは“あなたのベストプレイスは?”だそうだ。
今日も聴けるかな。
昨日読まれたから、今日はないかな。
そんな事を思いながらお弁当を食べていると、
『ラジオネーム灰猫さんから、今日も来ましたよ!』
お!
DJも興奮気味にその名を呼んだ。
『なになに、灰猫さんのベストスポットは、彼女となら、どこだって。きゃー!』
きゃー!
私も思わず叫びそうになった。
彼女となら、どこだって!
だって!
なにそれ!
超言われたい!
ねえ、本当に存在するの?
こんな男子高生、いる?
私はさり気なくクラスの男子を見回して、残念な視線を向ける。
バカみたいにはしゃいで騒いでいたり。
スマホゲームに熱中していたり。
厳ついヘッドフォンで音楽を聴きながら爆睡していたり。
うちのクラスの男子は、みんな子どもっぽく見えた。
というか、純粋に恋している男子なんて全くいなそうだった。
おかしいな。
彼女持ちの男子もいるはずなのに。
確かあの人とか、あの人とか。
本当に高校生の男の子ってこんなにロマンチストなのかな?
灰猫さんがあまりに乙女の琴線に触れるメッセージを送るので、疑問にさえ思ってしまう。
あ、もしかして、三年生かな?
それなら、わかるかも。
私は一人、結論にたどりついて納得した。
次の日は灰猫さんのメッセージは読まれなくて、ちょっとがっかりした。
まあ、メッセージテーマも“経験したバイト”だったし、仕方ない。
更に週末を挟んで今日は月曜日だから、久し振りに灰猫さんのメッセージが聴きたいなと思いながら昼休みが来るのを待っていた。
待ちに待った昼休みになると、いつも通りみんな慌ただしく動き出す。
私も前の席に来た友達と一言二言話すと、イヤホンを耳に入れた。
そして早速アプリを起動して、FMヨコハマを掛けた。
今日は月曜日だからか、怠そうに過ごす人が多い。
いつも寝ている斜め後ろの席の人なんて、昼も食べずに爆睡モードだ。
おそらく、前の時間にこっそり食べたに違いない。
私は流れていた新曲を聞きながら、少し呆れた視線を向けた。
灰猫さんは、きっと真面目なんだろうな。
毎日お弁当箱持ってきてそう。
私はまた妄想してにやつきながら、お弁当を食べ始めた。
音楽が終わると、いつものDJが今日のメッセージテーマを告げた。
今日は“初デート”らしい。
初デートか。
これじゃあ、灰猫さんのメッセージはないかもしれない。
私はちょっと、がっかりした。
なぜなら灰猫さんは、片想いだということをカミングアウトしている。
そして、いつも想い人を見ているだけだということも。
きっとデートなんてまだ先の話だ。
今日は聴けないな、と私は肩を落とした。
仕方ない。
私は早々に諦めて、アプリを終了した。
そしてイヤホンを外す。
「あれ?今日は聴かないの?」
「うん、今日はいいや」
「じゃあ、話しながら食べよ」
ラジオを聴くのをやめた私に、友達二人が声をかけた。
私は今日は帰り道で聴けばいいやと考えて、二人と一緒にお弁当を食べる事にしたのだった。
帰りのホームルームが終わり、帰り道。
下駄箱でイヤホンを取り出すと片耳にだけ入れて、ラジオを掛けた。
靴を履いて校門へと歩いていく。
その間もいつもの流れでトークは進んでいった。
駅のホームに着くと、運悪く電車は行ったばかり。
しかも次に来るのは、最寄り駅に停まらない快速だった。
私はベンチの端に腰掛けてもう片方の耳にもイヤホンを入れる。
電車を待ちながら、のんびりとラジオを楽しむことにした。
リクエストの楽曲が掛かり、そのなかなか好みのメロディラインにアーティスト名を記憶する。
今度音楽に詳しい友達に聞いてみようと思っていると、ベンチの逆側の端に誰かが座った気配がした。
私は気持ち更に端に寄って座り直して、またラジオに耳を澄ませた。
すると、
『続いては、ラジオネーム灰猫さん』
え!
灰猫さん?!
私は驚きながらも、喜びに目を見開いた。
嘘!
今日はないと思ってた!
だってテーマが初デートだし。
もしかして、告白して付き合うことになったのかな?
そうだったら凄い!
そんな事を想像しながら、私はそのメッセージが読まれるのを待っていた。
『僕は片想いなので、デートをした事はありません』
おお……。
そうか。
『でも、もう片想いでいるのはやめようと思います』
え!
それって……。
告白するの!?
『いつも昼休みにラジオを聴いている彼女に、ラブレター代わりにメッセージを送り続けてきたけど、これでもう終わりにします』
え?
その相手の子もラジオ聴いてるんだ!
凄い!
『いつも楽しそうにラジオを聴きながら弁当を食べてる君へ』
うんうん。
『友達の好きな曲が流れるとスピーカーに切り替えたり』
うん。
『昼前の最後の授業になると、昼休みが待ち遠しくてそわそわちらちらと時計を気にしたり』
うん?
『クラスの男子を見回しては残念そうにしている君が』
ん?
『君が、好きです』
んん?
『いつも斜め後ろの席から、寝たふりをしながら君を見てた』
んんん?
『聴いてたのは音楽じゃなくて、ラジオだよ』
……。
え。
え?
ええ?
それって、
『初デートは、今日の帰り道』
私はそっと、隣に顔を向けてみた。
『アプリでこの告白を聴いた君を誘うから』
そこには自分の膝に頬杖をついて、私を見ているクラスメイトの男子がいた。
『覚悟するように』
首に掛けた厳ついヘッドフォンが、とても似合ってた。
DJがきゃーきゃー何か言っているけど、もう耳に入ってこない。
私の視線は彼に釘付けになっていた。
少し染めて無造作にセットされた髪が、目についた。
その色はアッシュブラウン。
茶色に近い、灰色。
私は呆然とイヤホンを外す。
彼は、私が告白を聞いたと悟ったようで、視線を合わせたままにっこりと笑った。
そして、一言。
「にゃー」
鳴いた。