約束 ─待ち合わせは、桜木町駅─
学校の階段を、一段飛ばしで駆け下りる。
振り落としそうになる鞄をしっかりと背負い直して、俺は勢いのまま昇降口を出た。
急げ!
早く!
今すぐに行かないと!
焦りでもつれる足を必至に動かして、駅へと走る。
俺は今日、彼女と会う約束をしていた。
一ヶ月前、初めての彼女ができた。
たまたまクラスメイトの女子と日曜に出くわした時に、出会った彼女。
その時俺は、生まれて初めて一目惚れをした。
クラスメイトにしつこく聞いて、何とか連絡を取り、二人で会うこと数回。
ついに告白してめでたく恋人になれた時は、正に天にも昇る気持ちだった。
小柄でおとなしめな彼女は、付き合い始めてからもやっぱり可愛くて。
デートの約束をすればその日がとても待ち遠しく、彼女が待ち合わせ場所に来るのを待つ時には幸せを感じた。
知れば知るほど、どんどん好きになっていく。
会うたびに自分の目がおかしくなったのかと思うくらいに、彼女が眩しく見えた。
だから、デートの約束をしていた今日も、きっとそんな気持ちになるだろうと、浮かれながら思っていた。
朝までは。
今朝は、普通にスマホのアラームで起きた。
あくびを噛み殺しつつダイニングに降りて、朝食をとりながら友人とのグループラインに返信。
マナーモードに切り替えて鞄に突っ込み家を出た。
ちょうど通学と重なる通勤ラッシュに揉まれながら、スマホゲームのアプリを起動し時間を潰そうとしたところで、ぷつり。
突然、本当に何の予兆もなく、スマホの電源が落ちた。
「は?」
俺は暫く放心した。
そして、我に返ると電源ボタンを押す。
とりあえず長押しすれば、再起動するだろうと思っていた。
しかし、何秒押しても、何分押しても、うんともすんとも言わないスマホ。
次第に焦りが込み上げる。
心臓がどくどくと、嫌な鼓動を繰り返していた。
混雑した電車を降りた所でも。
駅から学校へ向かう途中の信号待ちでも。
教室についてからも。
何度試しても、電源が入らない。
黒い画面は嘲笑うかのように、動揺した俺の顔を映し出していた。
なんでだよ。
今朝までは普通に使えてたのに。
登校してきた友人に真剣に相談したら笑われて、キレそうになった。
笑い事じゃないんだよ。
だって今日は、大切な日なのに。
彼女と会えるのに。
俺は友人への怒りをなんとか収めて、席につく。
間もなく担任がやってきて、授業が始まった。
授業なんてひとつも耳に入らない。
俺はただ、どうやって彼女と連絡を取ろうかと考え続けていた。
今日会う約束は、確実にしていた。学校帰りに桜木町で会おう、と。
しかし、約束したのはそれだけだった。
どこへ行こうとも、何をしようとも決めていない。
肝心の待ち合わせ場所も、決めていなかった。
いつも時間と大まかな行き先だけ決めて、具体的な待ち合わせ場所はその場で決めていたのが失敗だった。
“今家を出たよ”
“電車に乗ったよ”
“駅についたから改札にいるね”
“コンビニで待ってるよ”
ざっくりとした約束でも、そんな風に連絡を取り合えば何の問題もない。
いつでもどこでも、簡単に連絡の取れるスマホアプリを疑っていなかった。
だから、まさかスマホが壊れるなんて、想像していなかった。
今日、彼女がどこにいるのか、分からない。
俺は授業そっちのけで、冷や汗を垂らしながら考え続けていた。
いつもデートはだいたい桜木町。
今日もその予定だったから、学校が終わったら向かうけれど。
どこだ?
彼女は桜木町のどこにいる?
まずは駅の改札を思い浮かべた。
彼女の沿線は地下鉄。俺の沿線はJR。
どっちも待ち合わせ場所にしたことがあった。
しかもJRは北口と南口がある。
改札だけで、三択だった。
それ以外にも、JR南口前のコンビニ、北口の駅ビル、駅を出た所にあるショピングモールの入口など。
過去に待ち合わせをした場所は、たくさんあった。
ああ、出会ってまだ僅かなのに、そんなに会っていたんだな。
なんて事も思いながら、俺は一日待ち合わせ場所の候補に順位をつけて過ごした。
帰りのホームルームが終わったら、速攻で行くしかない。
第一候補から回って、絶対に見つけてやる。
そう思っていた。
しかし、こういう時に限ってなぜか予想外の事が起こる訳で。
俺はもうとっくに放課後だというのに職員室にいた。
「おう、ありがとな」
「いえ……」
「助かったよ」
回収して回ったプリントを担任に渡せば、その嬉しそうな顔にイラッとしたけど、それは顔に出さずに頭を下げて職員室を後にした。
なんで、今日に限って俺に用事を頼むんだよ!
職員室のドアを閉めると同時に駆け出したのは、言うまでもない。
そして、冒頭に戻る。
待ち合わせ時間はさっき過ぎていた。
遅刻したことのない彼女。
本当なら今頃俺のスマホには、どこどこにいるよという連絡が届いているはずだった。
しかし、その待望の連絡は届く事なく、スマホは沈黙を続けていた。
よし、南口だ!
初めて待ち合わせした場所!
俺は授業中に考えた候補の場所を一つずつ回る事にした。
電車が桜木町駅に着き、急いで南口へ向かう。
多少乱暴にICカードをタッチして飛び出すと、彼女の姿を探した。
……いない。
じゃあ、北口!
南口改札前から左にぐるっと回り込み、スタバの前を走り抜ける。
そして南口の改札前を見回した。
ここにも、いない。
じゃあ、地下鉄か!
また南口の方へ走って戻り、改札も通り過ぎて階段を駆け下りた。
地下通路も大股で抜け、もう一度階段を降りる。
地下鉄を利用して桜木町へ遊びに来た人たちにぶつかりそうになりながら、急いで改札を目指した。
どうだ!
着いて早々、彼女の姿を探す。
しかし、やっぱり彼女はいなかった。
くそ!
どこだよ!
俺はかなり焦りながら、再度階段を駆け上って来た道を戻った。
じゃあコンビニ?
覗くがいない。
駅ビル?
前に俺を待ちながら眺めていたケーキ屋に向かうも、いない。
ショッピングモール?
自動ドアの前まで行ってみたけど、いない。
彼女は、どこにも居なかった。
俺は考えついた候補の全てがはずれに終わって、ショックを受ける。
大袈裟なくらい肩を落としながら、とぼとぼと南口まで戻ってきた。
どこにいるんだ。
きっと彼女は、居場所を知らせてくれているのに。
俺にはそれを知る術がない。
既読も付かない事に、彼女はどう思うだろうか。
考えるとゾッとした。
……フラれるかも。
そんな事さえ頭を過ぎって、俺は落ち込んだ気持ちのまま、彼女のいない南口の改札を見つめた。
すると、ぽんっと肩を叩かれて、慌てて振り返った。
「……あ!」
そこにいたのは、彼女だった。
「い、いたー!」
「え?」
「ごめん、連絡取れなくて、今朝スマホ壊れて」
慌てて言い訳をする俺に、彼女はきょとんとした顔を向けた。
「そうだったの?」
「え?」
「本立ち読みしてて気づかなかった」
けろっと後ろを指差して、コンビニの隣にある本屋を振り返る彼女。
どうやら、ずっとそこにいたらしい。
そ、そこかよ!
俺は何度も何度も前を通り過ぎていた本屋を見て、はあと盛大なため息をついた。
なんだよ、こんなに近くにいたんじゃん。
つい今さっきまで緊張でガチガチだった身体から、力が抜けた。
「すごい汗」
彼女は鞄からタオルハンカチを取り出すと、俺の額に当てる。
その優しさに癒やされた。
「……いなかったら、会えなかったらどうしようかと思って、焦った」
「ふふ。会えるよ、だって約束してるんだし」
「そうだな」
少し落ち着いたことろで聞いてみた。
やっぱり彼女は、俺に“南口前の本屋にいるね”と送っていたらしい。
でも待っている間に気になる本を見つけて読み出し、返事が無いことも、既読すら付かないことにも、気付いていなかったそうだ。
つまり酷く焦って取り乱していたのは、俺一人。
何だか情けなくて、その場にしゃがみこんだ。
ああ、みっともない。
そんな俺に彼女が手を差し出すから、俺はそれをそっと掴んで立ち上がる。
そして、そのまま指を絡めて歩き出した。
行き先は、まだ決まっていない。
それでもこうしてふたりで歩くだけで、もう楽しかった。
「ねえ、もしまたスマホ壊れたらさ」
不意にそう言い出すから、俺はげんなりとした視線を送った。
「嫌だよ、もう」
そう答えると、彼女は可笑しそうに笑う。
そして、ぎゅっと指に力を入れて言った。
「ここで会えるまで待ってるからね」
「!」
「約束」
きっと、次のデートもここになる。
大好きな君と、桜木町で待ち合わせ。
テンパりすぎて、紹介して貰ったクラスメイトの女子に連絡して貰うことすら思い付かなかったとさ。