散髪
刈り上げた耳の上あたりの髪が長くなって、頭が重くなってきた気がしたので、散髪に来た。もう一年以上同じ美容師の人に髪を切ってもらっている。この前はスタンプが15回分たまったので、3000円割引にしてもらった。卒業アルバムの写真のように並んでいたウェブの予約ページから、よくわからない単語で説明されているコースがない人を選んだだけだが、なんだか緊張せずに話ができたので心地よかった。通い始めの方は私がよく話していたのに、最近では私が話を聞いていることの方が多い気がする。子供のイヤイヤ期についての話を聞いた後に私の反抗期時代の話をして、まだましですよ、と言っている。
いつも早めに着いてメンバーズカードを受け付けの人に渡してから婦人雑誌を読んでいる。自分の見たことない世界の切り取り方をしているのが興味深い。テレビでよく見る芸能人が全く知らない顔を見せているのが、とても不思議な気持ちになる。美容院を出ることにはもう覚えていないであろう占いの星座や血液型でもない特殊な人間の分け方を見て、疑問に思っていると予約の時間になって、 Aさんに肩をたたかれた。男子が婦人雑誌を読むなんて、と前時代的なことは言わないが、珍しいものを見る目で見ている。やっぱり変わった子ですねぇと口に出すこともある。三つ並んだ椅子の真ん中に案内させるまでもなく座る。この席がAさんの定位置らしい。
特に髪型についての質問はない。ずっと同じ髪型なので、夏に短く冬に長くほどの調整しかない。ただ、口では一応どうしますかと聞いてくれる。しかし、手は既にいつもの髪型に合わせてどれほど短くすればいいかを確認している。
「もうすぐ秋ですから、少し長めにしておきましょうか。」
「ええ、そうですね。でも髪を梳いておいてください。髪の毛で頭が重い気がします。」
「いつもかなり梳いているんですよ。でもK君の髪が多いからね。」
「風呂で洗っているときに、髪が少ないなと思うぐらい梳いてほしいですね。」
「調節が難しいですよ。あまり梳きすぎると刈り上げてきたところが伸びてきたときに、変なところがもこっとしてしまいますから。」
「そうなんですか。」
いつも美容院の大きな鏡を見て、やはり私の顔は端正でないなとか、髭を剃ってくればよかったなとか、明るいところで見ると変な顔だなと思っている。美容院で大きな鏡を見るたびに、この同じ思考を、私はずっと前回全く思いついてもいなかったかのように繰り返し続けるのだろうか。それはあまりにも愚かなので、今回こそは違うことを考えてみたいと思っている。ただ今回はあまり晴れやかな気分でないので、結局そういう堂々巡りのじめじめとした心を雲らせるような思考に落ち着いてしまう。機会を探しては同じような言い訳で、前を向くことから逃げているような気がする。人と話しているときはそういう思考を少し離れたところに置くことができるので、早く何か話しかけてくれないかと期待していた。
「もうすぐ試験ですね。準備はできましたか?」
もっとも聞かれたくないことが他人にとっては何の差支えもない話題の一つに過ぎないことは往々としてある。この人が気が使えないわけでは決してない。恵まれた人間関係によって磨かれてきたことが言葉の節々から感じられる柔らかな話し方と傷口に触れずに包帯を巻くような優しい人。私とは感性が異なるが話しているととても落ち着く。しかし、今回は包帯を巻くような傷ではないことを私は恨めしく思った。
「ええ、まぁそうですね。私の先生よりもAさんの方が心配してくれていますよ。」
「そんなことないですよ。」
あまり考えたくないことを聞かれているときにとっさに違う話題にしようとするが、あまり話術が得意でなくて、結局その話をすることになり、少し憂鬱な気持ちのまま一人になるときがある。今はもう流れに任せるしかない。前回来た時も同じように質問してくださったのを避けようとしてあまりうまくいかなかった。今日はそのまま話し続けることにしよう。
「やっぱりその人それぞれに合った勉強法がありますからね。紙に書くのがうまくいく人もいれば、問題を解き続けると何となくコツをつかんでうまくいく人もいるんですよ。私の友達がそうですから。」
矢継ぎ早に勉強法や試験対策などの話をしている、Aさんとはこれまでそういう話をあまりしてこなかったが、もしかして、勉強や試験の話が好きなのだろうか。もしかするとそうなのかもしれない。私がAさんの子供の話を聞いているとよりも意気揚々と話している気がする。
「私はどうもコツとかが育ちにくい人ですからね。やっぱり何度も繰り返し繰り返しやる方です。書いて覚えるのが多いですね。」
「そうですか!私もそうなんです。」
私は未来のことを考えると、とても喜ばしい気持ちにはなれない。どうしてもうまくいかなかったときのことやうまくいくはずがないなどと考えてしまう。悲しい気持ちではなくて、どこからか重いものが私の人生に乗りかかって動きづらくなっていくようで、息がしづらくなって考えることが億劫になっていく。絶望のような諦めではなくて、悲壮のような苦しみではない。どんよりとした重み。もはや感情を表す言葉ではないこの重みが私に降りかかって、寝床に縛り付ける。かといって、眠らせてくれるわけでもない。ずっと頭だけが動いたまま、ずっと明かりと出口のないトンネルを歩かされているように、同じ思考を続けてさせられている。
「もうすぐですよ。楽しみですね。本当にもうすぐです。」
楽しみ?そんな風には到底思えない。Aさんは勉強や試験がお好きなのかもしれない。ただ、私はそうではない。一度の失敗で何年も後悔するようになることは目に見えているのだ。重圧が私から楽しむことを奪ってしまった。
「試験があって、それが終われば、本当に何も気にせずご飯を食べに行ったり、友達と旅行へ行ったり、全部が最後になってしまうから懐かしい場所へもう一度行ってみたりして、もうこんなバカ騒ぎはできないかもしれないと言いながらまた結局十年後も会う。新しいお友達もできて、今まで知らなかった場所に今まで出会ったことのないような人と一緒に行く。楽しいことがいっぱいですね。」
「そう、ですね。」
すぐには受け入れられなかった。何を言っているのかは理解できたが、どう感じればよいのかわからなかった。心地の良い戸惑いが私の胸にふわりと現れた。最適解が眼前にあるにも関わらず、今までの苦悩を否定したくない思いが邪魔をした。けれどもそんなことが一番無駄だと知っていた。無意味な苦痛に耐えるよりも、意義ある安らぎを求めたい。それはあまりにも都合がよすぎるから、渋々と受け入れていたはずの自分の最適解が私の手から落ちてゆく。
「卒業旅行に行く話をしています。まだ宿も取れていないのですが。」
「いいですね。北海道ですか?沖縄ですか?」
わざわざ荷物を負担の多い持ち方で運ばなくてもよいではないか。そうだ。試験が終われば、いろんなことが待っている。もちろん失敗したらある程度の絶望も待っているだろう。しかし、なんだか肩の荷が下りた気がした。自分の説得されやすさを内心笑いつつも、なんだか前向きになったような気がしてうれしかった。と同時に、そんな考え方をする人がいるのか。とても驚いた。そんな人に出会えてお世話していただいていることも誇らしかった。
私の卒業旅行先の話や名産品の話、方言の話、敬語の話と話題が二転三転しているうちに髪型は整いきったようだった。私が大して気にしていない後頭部をわざわざ手鏡を使って毎回見せてくれる律義さにありがたみを感じつつ、私は髪を切り終わった。
料金を支払い、スタンプカードにハンコを押してもらった。店を出るときには、必ずAさんは店の入り口のドアを開け、見送ってくれる。店の外で、ありがとうございましたと互いにお辞儀をして、私は店の外に歩き出した。軽くなった頭を少し振りながら、わずかにだけ速足で、駅に向かう。涼しげな風が吹いている気がする。