第2話 敵中突破作戦
「馬を奪います」
ミーヤは結論から作戦を切り出した。
「私は街道を行く道中で襲われました。私と数名の護衛は戦闘中に森の中へと逃げたので詳細な状況は不明ですが、襲撃場所には騎士の乗っていた馬が残っているはず」
少なくとも私がその場を離れた時には馬は傷つけられていませんでした、と続ける。
「私を捕らえた後、戦利品を漁るために戻ってくるつもりとは思いますが、おそらく今は私の捜索に人員を割いているでしょうから襲撃現場への配置は最小限でしょう」
「……馬が殺されてるって可能性は?」
相手の足を潰しておくという観点でそういう行動を取ってないだろうか。しかし俺の疑問にミーヤは考えるまでもなく首を横に振る。
「それはあり得ないでしょう。あなたはこちらに来たばかりで知らないかもしれませんが、この周辺で馬というのは大変貴重な資源です。戦闘中ならいざ知らず、鹵獲した後に殺すというのは考えられません」
なるほど。相手は野盗だし、戦利品をダメにするような行為は確かに行わなそうだ。
「少人数であれば勝ち目もあります。私も最低限の護身術は修めていますが、この格好を考えるとやはり奇襲はあなたにやってもらう方が良いでしょう」
「いや……俺も別に荒事とか経験ないんだが……」
不登校の割には動物園に出かけたり山登ったりと活動的だったとは思うけど、その程度でどうにかなる話じゃないだろ。
しかしミーヤは問題ないと言わんばかりに話を続ける。
「授かり者授かり者は転生神ノアによりこの世界へ転生され、特別な力を授けられた者のことを指します。ひとつは我々よりも非常に優れた身体能力」
優れた身体能力? 筋肉ムキムキになってる様子はないけど、ステータス上昇みたいな感じか? いやでも……。
「……それってどれくらいの物なんだ? 相手は武装してるんだろ。多少俺に馬力があったって丸腰でどうするんだよ」
仮に道中武器を手に入れられたとしても、そんな物を扱った経験なんてない。刃物でも包丁がせいぜいだ。
「そうですね……例えば」
俺の疑念に対し、ミーヤは足元に転がっていた小石を拾い上げて渡してくる。
これを投げて戦えとでも言うのか? そりゃ小石だって当たりどころが悪ければ意識を奪えるだろうが、そんな簡単に当てられるものじゃないだろう。大谷じゃねーんだ。
しかし俺の推測は的外れだったことがすぐにわかった。ミーヤは俺の手に握られた小石を指差しーー
「それ、あなたなら握り潰せますよ」
そんなとんでもないことを口にしたのだから。
「……は? いやそれは無理だろ」
「もちろん普通は無理でしょう。ですが授かり者であれば造作もないことです」
ミーヤはこともなげに言い放ったけど、どうにも信じ難い。
まあ試すだけならタダか、と思いきり石を持つ手を握ってみる。
その瞬間ーークシャッという軽い音が手の中から響いた。
「え?」
恐る恐る握り拳を開くとサラサラと細かい砂が手のひらから零れ落ちた。
「おわかりいただけました?」
「いやホラーかよ」
おわかりいただけただろうか……じゃないんだよ!
握り潰すってヒビが入ってバラバラになる、くらいのイメージだったのにこれじゃ「擦り潰す」と表現した方が近い。
人間が握力で石を砂にできるってどういう理屈だよ。いやまあチート能力って得てして理屈なんてない物だとは思うが。
「異世界特典とかチート付与とかそういうもんって思えばいいか……」
地味ではあるけど、これくらい飛び抜けた身体能力があれば同じ授かり者でない限り早々負けないだろう。フィジ◯フみたいなものだ。
そこまで考えてふと気づく。
「そういえばさっき『ひとつは』って言ってたよな? 他にも何か授かり者の能力があるのか?」
「ええ、授かり者は各々神の御技としか表現できない固有の異能を保持しています」
え? それってつまり……
「俺、異能力とかあるの? 全然わかんないけど」
本当に全然わからん。神様(仮)も説明とかしてくれなかったし。さっきいろいろ試してみたけどステータス画面みたいなのは出なかったし。……変なポーズとか手印とかキメてたらミーヤに白い目で見られたのは忘れたい。
「はい。ただ多くの授かり者は転生後すぐには能力を発揮できないので、今回は身体能力だけでゴリ押す方が安全でしょう」
「ゴリ押すて……」
コントロールの効かない異能に頼らないプランは別に異論の余地はないが……なんかこのお姫様微妙に脳筋じゃないか?
「? ゴリ押すっていい言葉だと思いますが。小細工を弄さずに正面から擦り潰すと言った辺りが特に」
微妙じゃなくてしっかり脳筋だわこの姫さん。
ともかく転生者である俺に特別な能力があることは理解できた。が、ひとつ腑に落ちないことがある。
「……そんな情報をペラペラと教えていいのか?」
「というと?」
「俺に超人的な身体能力があるならあんたを見捨てて一人で逃げるかもしれないじゃないか」
俺がミーヤに協力せざるを得なかった事情として、ミーヤを助けなくとも野盗が跋扈する森の中から脱出する必要があったというのもある。俺が転生前のヒョロいガキのままではこの世界に関する知識不足も相まって不可能だったが、俺に一人でも逃走できるだけの能力があるならミーヤを助ける必然性は薄れる。
しかし俺の脅しのような言葉をミーヤは気にした様子もなく、むしろ俺を揶揄するかのように片目を閉じて人差し指を立てた。
「私、人を見る目には自信があるんです」
「……俺が信用に足る人間だと?」
「いえ? さっきの今で信用なんかするわけないじゃないですか」
ズコー。なんかいい感じになるかと思ったらばっさり切り捨てられた!
「あなたはきっと周りの状況に流されるタイプ。私が明確な方向性を示してやればその方向に進んでくれると思いました。その方が楽ですから」
続けてミーヤの口から出てきたのはあまりにも辛辣な言。けれどそれを聞いた俺は不思議と怒る気にならなかった。
「……言葉もねーわ」
両手を上げて首を横に振る。
転生する前、俺は高校でいじめられて、不登校になって。それを打開する先を異世界に求めた。
不登校になりたての時、異世界転生というジャンルに出会って腐るほど読み尽くした。
そこには異世界へと転生したことで本気で生きようと決めた主人公や気の合う仲間とパーティを組めた主人公、チート能力でモテモテになる主人公なんてのもいた。
それを読んだ俺はきっと世界が変われば、自分も変われる、なんてそんな風に思って。結局変わるきっかけすら外部に求めてた。
俺が自分から行動したことなんて、片手で数えられるくらいしかない。
今もミーヤを裏切ってひとりで状況を打開するより、彼女に言われるがまま動くことに楽さを感じている。
一瞬で自分の本質を見抜かれたその慧眼が空恐ろしい。俺を射貫くミーヤの瞳はさすが人の上に立つ貴人と言ったところだろうか。
「話を戻しましょう。作戦についてですが、まず襲撃現場に戻り敵の戦力と馬の無事を確認。両方に問題がなければ忠宗に奇襲をしてもらいます。撃退後あるいは混乱の隙に私が馬を奪取。折を見て馬に騎乗し逃走という流れです」
要するに俺が授かり者の身体能力とやらで何人かぶっ飛ばし、馬を奪って逃走するという脳筋プランだ。大筋は文句ないが……。
「……いくつか質問いいか?」
「どうぞ」
「俺、馬なんか乗れないんだけど、どうすればいい?」
現代人で馬に乗れる奴なんて一握りで、いくら活動的だった俺でも乗馬の経験はない。……体験コースは行ったことあるけど月会費高すぎて継続して通うのは無理だった。当然もう乗り方なんて覚えてない。この世界の馬に鐙とか鞍とかついてる保証もないしな。
俺の進言を聞き入れたミーヤは、その豊かな胸元に握り拳を抱えて思案する。
「そうですか、なるほど確かに授かり者はそういう技能に疎いものが多いとは聞きますね。……では奪取する馬は一頭にしましょう。私が馬を御すのであなたは後ろに乗ってください」
それなら確かに問題は解消される。お姫様が駆る馬に乗せてもらう男って……普通逆じゃねえか? とは思うけど、俺が馬に乗れないのだから仕方がない。ただミーヤは気づいていないようだが、代わりに新たな問題が浮上するんだよなあ。
「あー、えー」
「どうしたんですか? 歯切れが悪そうに。何か懸念があるなら言葉にしなさい」
「いや……それ俺がミーヤに抱きつく形にならん?」
逃走時はきっと全力で馬を走らせることになるだろう。その時、馬を御すミーヤとその後ろに乗る俺がどういう体勢になるかは想像に難くない。
「……!」
ミーヤはハッとした顔をする。考えてなかったのかよ。
俺たちの間に沈黙が降り、外から流れ込んだ鳥の囀りだけが木のうろの内側に響いた。彼女はたっぷり三十秒葛藤してから口を開く。
「……今回に限り不問に付しましょう」
「ああ、うん、はい」
めっちゃ嫌そうな顔してるけど今さっき会ったばかりの男に抱きつくのが嫌なだけで俺個人がどうこうってわけじゃないと思おう。……いやまあ俺は役得なんだけど。
「それで他には? いくつか質問があると言っていたでしょう」
「あー、うん。ええと。ミーヤ、あんた…………いや、なんでもない」
「いいのですか?」
「ああ、うん。大したことじゃない」
「それならば、いいのですが」
本当に、大したことじゃない。なんだか作戦を立てている時のミーヤがワクワクしてるように見えた、だなんて聞いても意味のないことだ。
ミーヤは俺の返答に腑に落ちていないようだったが、すぐに切り替えて立ち上がった。
「では作戦はそのように。もちろん立ち回りは状況によって修正しますが大枠は変わらないはずです」
「ああ」
「それでは、行きましょう」
ミーヤは外の様子を伺い、誰もいないことを確認すると木のうろから這い出た。
俺もそれに続くと、光量の急激な変化に一瞬目の前が真っ白になった。
「……おぉ」
異世界っぽい植物なんかはなかったが、草木が好き勝手に成長しているその森は人の手がほとんど加わっていないようだった。
日本の森のほとんどは人間によって管理されているものだから、初めて見るその幻想的な風景に異世界に来たことを実感して少し感動してしまう。
「なんか、ワクワクして来た」
「……生きるか死ぬかの瀬戸際なの、わかってます?」
はしゃいでいる俺をミーヤはジトっとした目で見てくる。そ、そうだったな……。
俺は襟を正して胸を張って口を開く。
「わ、わかってるよ。ミーヤのことは俺が守ってやるから安心しろ」
「……あなたは、作戦通りに動いてくれればいいです」
ちょっと奮起してカッコつけたけど、ミーヤにはすげなく切り捨てられてしまった。
まあ彼女とはまた後で仲良くなれればいいか。そんな風に俺はすでにこの場を切り抜けた後のことに思いを馳せていた。
生と死の瀬戸際とはなんなのかということを、すぐに実感することになるのも知らずに。