第1話 異世界へ、そして邂逅
暖かい、水の中にいるような安心感を覚えながら俺の意識はぼんやりと覚醒する。
(俺は……どうなっているんだ?)
朦朧とする頭を何とか回転させると、曖昧ながらも記憶が蘇ってくる。俺の名前は黒田忠宗。今時珍しくもない、いじめられて不登校になった男子高校生だ。そして確か。
(確か……俺は、死んだはずだ。死因は……)
動物園でトラと戦い、奮戦虚しく喉笛を切り裂かれたことによる失血死。
いやそんな冗談みたいな死に方するわけないだろって思うかもしれないけど、事実なんだから仕方ない。
動物園のスタッフを責めるのはやめてくれよ? 半分くらいは自分から首を突っ込みに行った自業自得なんだ……。
まあ俺のかっこいい大立ち回りについてはまた別の機会に語るとして。
(そうか。俺、死んだのか)
自分の置かれた状況を理解したけれど、今の俺に絶望感はなかった。なぜなら――
(これって、異世界転生ってやつじゃね⁉︎)
なにしろ俺は無類の異世界転生好きなのだ。異世界転生するために不登校のくせして毎日外出するくらいには。
異世界転生するために毎日外出する理由? そんなの、家に引きこもってたら死なないからに決まってるじゃないか。
トラックに轢かれるにしろ、通り魔に刺されるにしろ、布団をかぶってるだけじゃそんな機会訪れないからな。
(まさかトラに殺されることになるとは思ってなかったけど)
でも考えようによっては良かったかもしれない。だって今時トラックに轢かれて異世界転生する主人公なんて天界に長蛇の列を作るほどいるだろう。
それなら突飛な死に方をした方が神様に目をつけてもらえる可能性が上がりそうだし。
(とは言え……)
今の自分の状況がよくわからない。異世界転生の定番で言えば天界で神様と会ったり、目覚めた時には赤ん坊になっていたり、そういうのが主流だろうけれど、同じようには見えない。
体もぴくりとも動かせないし、少し不安になってきた。
もしこのままの状態が続いたら……とゾッとした時、どこからか声が響いた。
――お願い、します。
そう聞こえたのは穏やかな女性の声だ。
(これが……神様の声ってやつか? 何かチート能力でもくれるのだろうか)
俺は少々ホッとしたものの、同時に緊張感が動かない体を強張らせる。
それはきっと、神様(仮)の声がどこか焦燥感を含んでいたから。
――どうか、頼みます。
(何を頼むって言うんだ。結論から教えてくれないとわからないって)
――……を、止めてください……。
(何を止めろって?)
俺は聞き漏らした単語を聞くために耳を澄ます。
しかし、そこで時間切れのようだった。
(あ、これ……ダメだ)
いろいろ考えたせいで疲れたのか、それとも神の差配か、意識が一気に遠のくのを感じる。
一度浮上した俺の意識は、トプンと水面に波紋を作るように再び闇の中へと引き摺り込まれていった。
――――――――――――
「……はっ⁉︎」
次に目が覚めた時、そこは薄暗い洞穴のような場所だった。
さっきまでと違い、体の自由が効く。横たわったまま両手を開いたり閉じたりして五体満足であることを確認する。
とりあえず赤ん坊になったりスライムになったりしていないことは確認できたので、自分の置かれた環境を把握するために体を起こそうとした時だった。
「起きましたか」
ぎょっとして声の方向に目をやると、そこにいたのは随分と美麗なドレスに身を包んだ黒髪の少女だった。
少女は外の様子を伺っていて、俺からは横顔しか見えなかったが……十五年と少しの人生で見た中で飛び抜けた美しさを誇っていた。
でもだからこそ彼女がいる……そして俺が目覚めたこの場所とのアンバランスさが際立っている。
「ここは……一体……?」
俺と黒髪の少女がいるのは、三方を何か壁のようなもので囲まれた薄暗い場所だった。
唯一外界に開けている入り口からは差し込むような陽光と鮮やかな緑が垣間見える。
「森の中……?」
「もっと言えば木のうろの中です。……いきなりで申し訳ないんですけど、静かにしていてくださいね」
張り詰めた少女の表情に俺はこくこくと頷くしかなかない。しばらく二人で息を潜めていると外を見る少女の体が強張るのを感じた。
「……来ました」
少女がそう言うや否や外から複数人の怒号が聞こえてきた。
「クソッ! あいつどこ行きやがった!」
「……!」
「どうしますお頭。あの姫の身柄がないと報酬が……」
「このままじゃおまんま食いっぱぐれだ! 死ぬ気で見つけ出せ!」
そのガラの悪い叫び声の後、バタバタという足音と共に静寂が帰ってきた。
耳を澄ましていた少女は辺りから人の気配がなくなったことを確認すると、安心したように胸を撫で下ろす。
「……行ったようですね」
「えっと……」
状況がわからない。あいつらは俺を探していたのか? そもそもここはどこなんだ? 俺は本当に異世界に転生したのか?
「混乱させて申し訳ありません。あなたに聞きたいことはありますが、まずは私から説明しましょう」
先ほどまで横顔しか見えなかった少女がこちらへと向き直る。改めて正面からまたその顔は、精巧な人形のような可憐さを秘めていた。
心臓が早鐘を打つのを感じながら黒髪の少女と視線を合わせると、彼女は口を開いた。
「私はエテルネル皇国の皇女でミーヤと申します。現在隣国タウゼントからの帰路で野盗に襲われ、追われている身です」
「……ちょ、ちょっと待ってくれ」
一息で言われた内容にしては知らない固有名詞や唐突すぎる状況に情報を処理し切れず面食らってしまう。
一度黒髪の少女――ミーヤを制し、大きく深呼吸する。
えーっと……。
落ち着いて考えると頭の中が整理されてきた。とりあえずわかったことをまとめよう。
まず一点目。エテルネル皇国、そしてタウゼントという国は聞いたことがない。俺の知識不足でない限りはきっと地球の国ではないだろうから、ここは異世界なんだろう。
それを踏まえた上で二点目、ミーヤの言葉が俺にはわかる。というか日本語にしか聞こえない。
神様がオート翻訳機能でも付与してくれたんだろう。異世界転生のあるあるだ。
ミーヤの見た目はぱっと見日本人に近いので違和感もない。彼女の美しさの裏にはどこか海外の血も入っているように見えるが、まあそもそも異世界なんだしそういう人種と考えればいいか。
そして三点目。どうやらさっきの野盗は彼女を追っていて、俺は転生して早々それに巻き込まれているらしい。
……異世界転生後に厄介ごとに巻き込まれるのはあるあるだけど、目覚めてすぐは早くない? 俺、前世でなんか悪いことした? ……いやまあ不登校ではあったか。
「……とりあえず、続きをどうぞ」
嘆いていても仕方ない。俺は被りを振ってミーヤに続きを促す。
「はい。当初はお付きの者もいたのですが一人二人と野盗の凶刃に倒れ、最後には私一人に。身を隠せそうな木のうろに潜り込んだらあなたが眠っていたというわけです」
「いうわけですって……いやそもそもよくそんな得体の知れない奴がいる場所に隠れられたな」
ここで言う得体の知れない奴とは俺のことなのだがそれは考えないことにする。
「場所を選んでる余裕はありませんでした。確かに身を隠すという意味では不都合ではありましたが。得体が知れないわけではありません。……あなた、授かり者――異世界人でしょう?」
異世界人、という言葉が出てきた。つまりこの世界でそういう存在は一般的なんだろう。
「異世界人っていうのはおそらくあってるけど……授かり者ってなんだ?」
「異なる世界からの来訪者、それをここでは授かり者と呼んでいます。意味はいろいろとありますが……それはまあいいでしょう」
めっちゃ気になるけどとりあえず今聞くのはやめとこう。
「私の国の言葉にこういうものがあります。『森の中では獣と授かり者に気をつけよ』」
森の中で獣に気をつけるのはわかるが、異世界人も? 普通こんなところで人間と遭遇することは少ないと思うが……。
「授かり者はこの世界に来る際、洞窟の中や木のうろの中のような人気のない場所に忽然と現れると言います。状況から推察するにあなたはその類の人間でしょう」
なるほど。この世界の異世界転生は赤ん坊に生まれ変わるわけじゃなくて召喚形式なのか。まあ一回死んでるから転生でも間違ってはない。そして転生者は人気のない場所に召喚されると。神隠しならぬ神現しと言ったところか。
とりあえずこの世界における異世界人――授かり者の概要は把握できたが、ひとつ腑に落ちない点がある。
「……それなら俺にも気をつけるべきなのでは?」
だって俺が授かり者だっていうのはわかっていたわけだろ? わざわざ先人が残した言い伝えまであるのになんで虎穴に入るような真似をしているんだ?
そう問いかけるとミーヤは視線が不自然にあっちこっちへ行き始めた。
「……問題ありません。気をつけるべきは状況を把握できず錯乱状態に陥っている授かり者であり、こちらに来たばかりのあなたには説明すればコントロールできます」
何か考えがあっての行動だったのかと思ったが、考えなしかよ。めちゃくちゃ早口だし。
「とって付けたような言い訳にしか聞こえないんだが」
思わずツッコミを入れたらミーヤはムッとしたような顔をした。
「うるさいです。不敬です。極刑にしますよ」
「あんたお姫様の割に口悪りぃな……」
というか仮にも姫様が口に出す「極刑」は冗談にしても笑えねーよ。本当に首が飛びかねん。
……そう言えばお姫様相手にタメ口使ってたけどいいんだろうか。服装はともかく容姿は日本人の同級生みたいだったからそういうノリで話してしまった。
「……もしかしてちゃんと敬語使わないと不敬罪だったりする……します?」
寝起き……というか転生したてで混乱してたから容赦してほしい。
「……緊急事態ですし、公の場でなければ別に気にしません」
「そりゃどうも」
そっぽを向きながらもそう答えるミーヤ。思ったより寛容な姫らしい。悪いのは口だけか。
「それであんた……ミーヤはどうするつもりなんだ?」
野盗を撒いたと言ってもそれは一時的なことだ。ずっとこの木のうろに隠れているわけにもいかないだろうし、仮にそうしても見つかるのは時間の問題な気がする。
「それについては一つ考えがあります。その前に――あなたの名前は?」
「……忠宗。黒田忠宗」
「そうですか。――授かり者、忠宗。あなたにひとつ、依頼事項があります」
「え? ……おいまさか」
ミーヤの言葉に俺は嫌な予感を覚えたが、続く言葉を止める術は俺にはなかった。
「エテルネル皇国へと帰還するまで私の手助けをなさい。――拒否権は、ありません」
無茶ぶりもいいところな内容だったけれど、ミーヤの纏う雰囲気は高貴な者が人に命じる時特有の覇気があり、それに気圧された俺は頷くこと以外できなかった。
「は……はい……」
どうしてこんなことに……。俺はただ異世界転生したいだけだったのに。
そこまで考えて俺は気づく。転生したい、転生したいとは思っていたけれど、スローライフとか成り上がりとか、転生した後に何をしたいかまでは何も考えていなかったことに。
そのせいかどうかはわからないけれど、今の俺は完全に巻き込まれ系の立ち位置に置かれているらしい。
(巻き込まれ系にも段階ってもんがあるだろ……!)
そう叫びたくなる気持ちを抑えて、超然と佇むミーヤを見上げることしか俺にはできなかった。