この世界で生きていく燈たち
一旦宿舎に戻ることになった。
少なかったとはいえケンジも自分のもの(パンだけ、齧りかけの果物は何処かに落としてしまった)を買っていたし、何よりお互いにミキジロウの怪我の具合が知りたかった。軽い捻挫だからそこまで深刻なことではない。ただ、休日後はお尋ねとなった強力な魔物を討伐しに行く。用心になっておいて越したことはないだろうとエナキと意見が合致した。初めて意見が合ったかもしれない、とケンジは思った。
建物を出て、町の中を歩く。すれ違う町の人や兵士の談笑がなぜかケンジの居心地を悪くした。
途中で2人組の兵士が、おそらくケンジたちが燈であると知って聞いてきたのだろう、「今日の討伐はどうした?」と声をかけてきた。彼らからしたら挨拶程度に声をかけたのかもしれない。でも、燈は差別されているかもしれない、と聞いたケンジにとって、まるで討伐に行ってないことを責められたような気持ちになった。
「仲間が負傷して……」とだけ答えて逃げるようにその場を後にした。
足取りはやけに重かった。自分が歩いているのかも分からない。
先ほど起こったことが夢のようだった。選抜パーティメンバーがあの建物にいて、そして一悶着あったことが。
決して夢ではない。前を歩くエナキの後ろ首にはそれなりの切り傷があり、それが現実であったということをケンジに告げていた。一本の赤い線が痛々しくも首筋に引かれている。
町の風景は終わり、足元は石畳から土へと変わり、林のトンネルに入った。そんなところで、黙々と前を歩いていたエナキが口を開いた。
「ベルバート家、王族に怒っているんだ、コウガは」
「王族の?」
「そう」
「…...そうなのか」
一旦会話はそこで途切れた。
何故コウガが王族に対して怒っているのか。掘り返せば、どうしてエナキがコウガに対してあんなに激情したのかだって正直不透明な部分がケンジの中で確かにあった。しかし、聞く気にはなれなかった。半日しか経っていないのに色々ありすぎて、エナキの話にはついていく気力がケンジには残っていなかった。
ただ、唯一ケンジの中で駆け巡っていたのは、自分と、エナキとの差だった。
年も対して変わらなかったはずだ。同じパーティとして、同じ時を過ごしてきたはずなのに、ケンジの知らないことをエナキは沢山知っていた。今日の行動の一つ一つがまるで違う。例えば、討伐をするから誰かに、ましては選抜パーティに協力を依頼することなんて考えてもみなかった。
何が違ったんだろうか、ここまで違うのはどうしてだろうか、ケンジの心で本槍と渦巻いていた。
再びエナキが口を開いた。エナキは、前だ。前にいる。表情は分からない。エナキの話すことがまるで子守唄のように頭に響く。まどろみにやや包まれつつ、ケンジの思考回路は働き続けている。
「いきなり召喚させられて。世界を救ってくれって言われて。受けたくもない訓練を受けた後は、『はい、義勇兵になってくれ』って言われて。それで、後は勝手に生きてくれってさ、流石に自分勝手じゃないっているのが、コウガたち。あそこにいる選抜パーティの考えなんだ」
選抜パーティ。ということは、ミライもだと思った。ケンジが知っている、ミライ。ここ何日も会話どころか顔すら見ていない。
「西の果てに魔族がいて、そいつらを倒して欲しいと言ってきてさ。でも、正直そんなのって本当かどうか分からないじゃないか。所詮僕らは、聞いただけだし一方的に頼られただけ。そんな不平不満が溜まっているみたいだよ」
そう言われてみるとそうだった。聞かされただけだ。人類と魔族は争っていて、このエクリュ・ミエーランが人類とって最西端であると口にされても本当かどうか分からない。
ケンジが実際に見てきたわけではない。というか、他のことは一切知らないし聞かされてもいない。例えば王都があるのは知っているが、それは魔族とは逆の東側だろうか。ましてや王都の道のりなんかも全く分からないし、王都以外の町があるのかも知らない。
そう考えると、コウガ達の意見に賛同できないこともなかった。本当なら燈たちは、ケンジ達は文句を言うべきではないのだろうか、憤怒すべきではないのか。
「でもさ、これはモモカが言っていたんだけど、それでもその道に頼るしかないん
じゃないかなって」
「その道に頼るって……?」
「私は何も知らないからだってさ。どこに行けばいいのかも分からない。何をすればいいのかも分からない。記憶もなくて、頼る人も誰もいない。だから、大変な道かもしれないけど、それがこの世界の生きる人たちの示したものなら絶対に従った方が利口じゃんってさ」
「……利口かもしれないけど、俺ら、文句言ってもーー―」
「文句を言える状況じゃないって考えているんじゃない? 誰もが選抜パーティみたいに精神的にも、肉体的にも強くて自分で道を開けるわけじゃない。ほとんどの人は、提示された道を無我夢中で歩んでいくので精一杯だと思う」
不意に、ケンジは思った。エナキはどうなのだろうかと。
「エナキは……どう思ってる?」
「僕もコウガよりかな、色々考えたけど。正直、魔物と戦うのもあまり好きじゃないし。でも本当に思うのは、どうしてこの世界に来たんだろって。ほら、僕はめんどくさがり屋だからさ。こんなことになるって知っていたら来なかったはずだろ」
また会話は途切れた。ここでケンジの頭の中は勝手に召喚された不平不満から、再びエナキに変わっていた。じゃあ、どうしてエナキは選抜パーティに行かなかったのだろうか、と。
コウガ達と同じ考えで、かつパーティの実力もある向こう側にいった方が数段も良い生活が送れたはずだ。選抜パーティは名前の通り、誰もが入れたわけじゃなかった。ある程度の実力を最高責任者だったドーバンか、もしくはコウガからの推薦があって加入することができた。ケンジなんかでは、到底入ることができない。その理由を今日目の当たりにしている。
「ファンタジー」
「えっ?」
不意にナイフでも突きつけられたように、ケンジの体が少し跳ねた。
「ファンタジーってなんだろうね。でも、ここに来てからずっとこの言葉が頭の中で染み付いて離れないんだ。こういう世界はきっとファンタジーって表現できるはずなんだ」
ファンタジー。
ケンジの頭にもその単語がやけに残った。掴めそうで掴めないような、もどかしくも。掴んだら掴んだで何かやってはいけない事のような、罪悪感が生まれそうな予感がした。でも、考えてみた。
ーーーファンタジーの世界ではないのか、いや、そもそもファンタジーとはなんだろうか
ジワっと嫌な味が口の中に広がった気がした。
「こう考えるとさ、ここに来る前に知っていたこと。色々忘れちゃった気がしてさ。忘れちゃったことも忘れているような......大切なことも」
「大切なこと?」
「そう、その大切なことさ。いや、本当に大切だったどうかも、その記憶が正しいのかどうかも、失った今じゃ何も分からないけどね。百歩譲ってあったとしても、正しいと証明するものがない。だから、いつかどうでも良くなって、忘れて、その忘れたことすらも忘れてしまう。それが凄く怖いんだ」
ーーー俺は、ミライを知っている。
ケンジは考えていた。けれど、そこまで深く考えなかった。この記憶がもしかしたら、もしかしたら将来忘れてしまうかもしれないなんて。そして忘却したことさえ忘却するなんて。
自分がミライを知っている、というのはミライ自身に話した。最初は嫌っぽい顔をされたが、何とか受け入れてもらえた。この記憶が大切かどうかと言われれば、どうかは分からない。役に立ったとするならば、せいぜいミライと顔見知りになったくらいだ。でも、ミライを知っているという、言い換えれば召喚前の世界から引き継いだ唯一の記憶であるわけで、この記憶がなくなってしまうのはとても嫌だなとケンジは思った。
気がつけば、鳥肌が立っていた。
そして、ここまででなんとなく分かった気がする。自分とエナキの差がどうしてここまで広がってしまったのか。同じ時を過ごしていたとしても、考えていることが根本的に違ったのだ。自分はただ目先の問題だけを追っていた。お金が足りないとか、自分の記憶が他人とは少し違って、それをミライ本人に伝えた他に進展はない。
エナキは違う。エナキはそもそも、どうして召喚されたのだろうか、この世界はどうなっているのかを幅広く自分なりに考察し、召喚前に存在していたはずの記憶が奪われて、それすらも奪われているという恐怖に向き合っていた。
「今日はケンジでよかったよ。やっぱり、僕がリーダーっぽいことをやるべきじゃないね。鍛冶屋は鍛冶、騎士は騎士、剣士は剣士。その道にふさわしいことをやるべきだよ」
「そんなこと......」
「今日ケンジは、何回僕のことを『おかしな奴だな』と思った?それが何よりも証拠だよ。本当はさ、こういうことは前もって相談すればよかったんだよ。実は手配書を皆に見せる前から協力求めることは何となく計画してたし、なんならコウガ達には結構前から食料を届けてた。どちらにせよ、最低でも手配書見せた時に言えばよかったんだよ。でも……僕はめんどくさいと思って、怠った。ケンジは何かあったとしてもその場で一旦落ち着いて考えられるけどさ、モモカやミキだったらこうはいかなかったよ」
「いや……そうだとしてもだな……」
思い浮かぶ数々のエナキの奇行とも言える今日の振る舞い。何度、ケンジが頭を悩ませたか数えきれそうにない。それだとしても、エナキが『ケンジ達を思って行動してくれた』という事実は疑いようのないことなのではないだろうか。やり方に問題があって、でも方向は少なからずケンジ達の想いとなんら変わらないものであったのではないだろうか。
ケンジにそれを一から説明しようとは思わなかった。寝付けなかったことが今となって響き、とても眠い。エナキの言葉借りるならば、めんどくさい、だ。しかし、エナキの背中を見て、何からしらは声をかけないといけない、という得体の知れない衝動に駆られた。
「エナキ」
振り返って彼の表情は、どこか悲しげだった。その表情を見て、ケンジは声をかけてよかったと安堵した。
「生きよう、俺たち」
拳を握った。まるで自分に言い聞かせているようだった。
「生きて、全部思い出そう。大切だったこと」
ケンジは自分でもかなり青臭いことを言ったと思った。エナキも少ししてあの嘲笑に似たような表情を作って見せた。でも、不思議と悪い気分はしなかった。
「当たり前さ」
エナキはまた歩み出した。ケンジとは並ばず、また少し先を。
ケンジはその後を追った。
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ーーーミエーランの地に召喚され、145日目。エナキは例の事件で生息不明。
生存確率は0。調査打ち切り。
一旦区切りです
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