争いを恐れない燈たち
「説明しろって言ってんだよ!!!」
コウガの手元が揺れて、エナキの首にナイフが僅かに刺さった。
ーーー殺される、エナキが!
ケンジの脳が身体中にそう訴えた。未だ状況が掴めていなく硬直していた体が徐々に動き始める。エナキの今日1番の奇行を目の前で目撃し、それは怒られるだろうというコウガの肩を持つような気持ちも確かにあった。けれど、武器は手に取るのは不味い。
「あの……!」
ケンジは、コウガを引き離そうとした。宥めようというか、場を落ち着かせるために動いた体は致命的にトロかった。
だから、どこから飛んできたか分からない衝撃がいきなりケンジを襲った。
「かはっ!」
鳩尾辺りに痛みを感じ、そのまま真っ直ぐに吹き飛ばされた。背後の棚まで飛ばされ、そのまま棚そのものを押しつぶすように豪快に体が減り込んだ。中の食器が割れ、幾つかが手に刺さり、何より腹からすぐ起き上がれないほどの痛みを覚えた。
得体の知れないモノが喉を通して込み上げて、閉じていた口から僅かに漏れ出た。赤かった。舌は少し酸味とあの何ともいえない鉄の味を捉える。
咳き込む中、コウガの足の裏がこちらへと伸びていたのが見えた。
ーーーそういうことか......。
蹴られた。ケンジは自分が何をされたのか、ここで初めて理解した。
「もう一度聞く、どういうことか説明しろ!!!」
もらった一撃があまりにも重すぎてしばらく起き上がれそうにない。
霞む視界には、先ほどと変わらずコウガがエナキを押さえつけている。対するエナキは全く動かない。テーブルの上でコウガに押さえつけられたままだ。意識がまだあるのか、それとも失っているのか。首の傷の深さ具合もケンジからは何も見えない。
「......死にたいのか」
コウガのナイフを持つ手がゆっくりと、またゆっくりと天井に向かって上がっていく。刀身が窓からの光を反射してギラついている。それを見たケンジは、さらにこの置かれた状況を再び理解した。
―――止めないと……。
その時、また、一滴の何かがケンジの心臓に垂れた。それが引き金となり、ケンジの体が一気に覚醒する。血が一気に流れ始めように、カッとケンジの体が熱くなったのだ。
腹の痛みも徐々に薄まり、立ち上がれそうになかった体が嘘のように動かせるようになったのを感じた。崩れた棚から抜け出し、両足で床に降り立った。熱を帯びた体を持ち合わせたケンジは、ほぼ無意識にも腰から短剣を抜き取った。
コウガに向かって飛びつこうと、体の重心を前へと傾ける。部屋は広いが、跳躍を含めて1歩だけ地に足をつければ彼の元に届く、そんな距離だ。体はこれから飛び立とうと力を入れ始めた。
既にコウガがこちらを向いていた。緑の色の片目からは魔力が漏れ出している。電気が空気中に出ているように小さい稲妻を発生させていた。あれもスキルか魔法の一つだろうが、どういった効果があるのかケンジには分からないが、考えている場合ではない。
隙がない。そう思えた。単純に飛びついてコウガを離そうにも上手く対応され無駄になりそうだと頭によぎった。頭、胴体、右手、左手…。どこを狙ってコウガを引き離そうか、必死になって有効打を探す。探す。探す…。探すが、見つからない。でも、もう体は飛び立つ寸前である。燈の頂点に位置する男は、確かにケンジの前にいた。
左肩。
最終的にケンジはそこを狙った。ヤケクソだ。理由はない。体はもうじき飛び始めーーー
「ケンジ!!!」
怒号が部屋に響いた。その声は今まで聞いたことがなかった。ケンジが初めて聞いたエナキの怒りの声だった。その叫びは前傾姿勢のケンジを止めるには十分だった。
「もう忘れたのか!」
忘れた……。
ケンジは思わずハッとし自分を見つめ直した。自分の手元には短剣が逆手持ちされ、その剣先はコウガへと向いている。対してコウガも同じようにナイフをケンジへと向けていた。ここに明らかに優越があった。コウガのナイフの先端は心臓部分にある。なんとなく向けているケンジとは違い、ケンジが飛び込んでくる軌道を読み取り、確実に生命の核なる部分を貫くという確固たる構えを目の当たりにした。
ケンジは思わず生唾を飲んだ。飛び込んでいればあの刃はケンジの心臓を貫いていたに違いない。
「忘れたのかって聞いてるんだよ!」
そうだ、とケンジは慌てて構えを解いた。ここに入る前にエナキと約束した、武器は取らない、と。
ケンジは、短剣をほぼ落としたように手から離した。カンッ、と音を立てて短剣は跳ねた。跳ね上がった同時にあさっての方へと蹴り飛ばした。蹴り飛ばしたナイフは床へと転がり、棚下の隙間へと姿を消していった。
それから、抵抗する気はないという意思表示ため、ケンジは徐々に両手をあげた。コウガが心臓を刺してこないかと恐れながら......。ナイフの先端は変わらずケンジの心臓に向けられている。
「雑魚。いい判断だ」
「……やったことは謝ります。だからエナキを、どうか、殺さないで欲しい……」
「バカが! それはこいつ次第だろ……!」
コウガはケンジを無視して、エナキへと敵意を向け直した。そしてしばらくは黙ったままだった。自分の下にいるエナキをただただ見つめている。エナキから何か話すのを待っている様子だった。
この時間、ケンジは心の底から嫌いだと思った。今もナイフは握られており、それがいつエナキの体に振り下ろされてしまうのか、と。そんな光景は絶対見たくないが、現状自分ができることはこれしかないのだ、とケンジはひたすら自身に言い聞かせた。
そしてこうも思った。これは、エナキの望んだことだ。
もしここで彼が命を落とすようなことがあってもそれは自分の責任ではない。責任ではないんだ、と考えるのはある程度仲間想いであるケンジにとって難しかった。とてもじゃないが割り切れそうになかった。例え自己責任であろうとも、同じパーティである仲間が亡くなってしまうのをこの目で見たくはない。では、自分が何かできるかというと、動こうと思えば動けるが、それはエナキ本人が望んだことではない。
なんとかしたい。でも、動くなと言われている。
結構な時間が流れる中で、ケンジは黙々と葛藤し続けた。
やっとエナキが口を開いたのは、同じような考えがケンジの頭を3巡目ほどした時だった。
「僕らはあの例の討伐、引き受けることにしたよ」
エナキの言葉は長い時間が経ったにも関わらず変わらなかった。先ほどと同じようなセリフだった。
「......それと俺たちの食いもんぶち撒けた理由となんか関係あんのか?」
「単刀直入に言うよ、今日僕はここにお願いと釘を刺しにきたんだ。僕のお願いの1つは、ダイゴと何人か僕らの討伐に加わってほしい」
今日何回目だろうか、またエナキの言っていることが分からなかった。討伐に加わって欲しいということは、俺たちに協力して下さい、ということで合っているだろうか。ますます分からない。そのお願いのために、意味不明な行動、せっかく買った食料を無駄にするようなことをしたというのか。
そもそも、協力を募るような、そんな話は昨夜一度も聞いていない。
『僕のこの休日の間ですること全ては<<キラーモント>>を討伐するためであること』
建物の入り口で言われたエナキの言葉を思い出した。それなら、普通にお願いすればいい話ではないのか。どういう思考回路を持ち合わせればこんな行動を取れるのだろうか……。
「決行日は陽が4回沈んだ後の早朝。集合場所はいつもの畔前で」
話が一方的すぎた。さらに怒りが籠ったコウガの声が部屋一体を支配する。
「人にお願いする態度がそれか、お前。まずは、こっちの質問に答えてくれ、エナキ。もうどうにかなりそうで、思わずナイフをお前の体に突き立てそうだ、マジで。ーーーーーどうして食いもんぶち撒けた? その金だって俺たちが渡している、テメェに負担はないはずだ」
また、しばらく会話がなかった。おそらく考えながらエナキは話している。普段と比べ口調もどちらかと言えばゆっくりという印象があり、慎重に言葉を選びながら話しているように見える。
「もう君たちに渡されたお金だけじゃ、とてもじゃないけど5日分の食料なんて買えないよ。そのことをよく分かってもらう為さ」
「......なんだと?」
コウガが驚きの声をあげた。
「知っているかい? いや、知らないと思うから話すけど、今じゃ1日三食の食事あたり、大体20銅貨があれば買うことができるんだ。所詮60銅貨前後をもらったところで、買えるのはそこに残されたもう片方の紙袋で精一杯なんだよ」
片方の紙袋、確かにその紙袋は机の上にありぶちまけられていなかった。そしてエナキは嘘を言っていない。合っている。贅沢品を購入しなければ20銅貨辺りで1日三食の食事は賄える。
「なんだ、じゃあお前。お駄賃を上げて欲しいからやったってことか?」
はぁ、とエナキが大きなため息をついた。一瞬、コウガのナイフを持つ手がピクリと動いた。
「全く違うよ」
「は?」
「問題は価格が上がったことさ。でも、価格が上がったのは全ての市場じゃないし。僕ら燈だけの価格が上がったんだ」
「え?」
今度はケンジも驚いた。思わず声を上げた。
エナキが動き出した。上から押さえつけているコウガをゆっくりと押し除けた。多分ケンジと同じようにショックを受けているからか、コウガはエナキに何もしなかった。エナキは何事もなかったように立ち上がり、服についた埃を払い除けていく。首の後ろから血を流している事以外は……。
「早朝のマーケットの値段はいずれも変わりはないよ。だから、今まで通りの量が買えるさ。だけど、もし僕の服装からお店側が燈の義勇兵と判断した時、その店主はきっとその場任せで値上げするだろうね、3倍近く」
「……続けろ」
「おかしいと思わない? いくらあの早朝のマーケットが王都の兵士への支援物資で安いとはいえ、そこで売れ残ればそのまま他のお店に回るはずさ。となれば特に食糧なんか鮮度が落ちるから、値段だって落ちるはず。お店側だってお金を払って仕入れたとすればどうしても売りたいだろうからね。少なくとも、僕らがあの値段から数倍も跳ね上がっているモノを買う必要はないってことさ。でも、実際に上がっている」
今度はエナキがコウガの胸倉を掴んだ。表情からは怒りだ。気怠そうな印象のあるあのエナキが確かに怒っている。
「今日は釘を刺しに来たんだ、コウガ。君たちが何をしようと勝手だけど、僕の……いや僕らの燈全体のヘイトを集める事ならすぐにやめて欲しい。これが、今日僕が1番言いたかったことだし、だからこそぶん投げた。いつも人を見下してバカにする君だ、ここまでしないと分からないでしょ?」
コウガは胸倉を掴まれたままエナキを睨みつけている。
「昨日、1人の燈が死んだよ」
「は?それも俺のせいだってのかよ?」
エナキは俯きながら話す。昨日は気づかなかったが、昼間で明るさがある今ならケンジはある程度見てとれた。その死にかなり衝撃を受けていた様子だった。
「間接的にはね。でも、このままいけば『直接的に』と誰もが思い始める。亡くなったパーティは僕らと同じ、一攫千金狙いで討伐対象の魔物を狩りに行ったパーティさ。……言うまでもなく、いずれ辿って君達の素行に辿り着くよ。品物が正規の価格でなかったことに気づき、住民から、兵士から差別を受けたことに気がついて。どうして嫌われているのかって尋ねた時、君たちの名前がいち早く出るだろうね」
全部が全部、君たちの責任とは言わないけどね、とエナキが皮肉めいて付け加えた。それから、「ケンジ、行くよ」とエナキは呼ばれた。先ほどの口調とは随分違い、優しいを感じるような口調だった。まさか呼ばれるとは思っていなかったから、ケンジはやけに慌てた。部屋が出るエナキをーーーーー追う前に棚の下に短剣を取りに行く。棚の下に手を伸ばした。
「一つだけ聞かせろよ」
コウガが口を開き、ケンジは止まった。かろうじて部屋の入り口付近にいるエナキも足を止めている。
「お前は、今日の資金が足りない、と言ったよな。じゃあ、聞くが。今日のこの食糧の金はどこから持ってきたんだ?」
そうだ、とケンジは思った。
最だ。少なくとも、床にぶち撒かれたものも含めて、コウガに提示された量の食べ物はここにあるはずだ。エナキはこう言って、何かをコウガに投げた。
「僕の才能を忘れたのかい?」
コウガの手元には、革で作られた縦長の財布があった。ただ、エナキの財布ではないということはすぐに分かった。少なくともエナキがその財布を持っているところは一度も見たことないし、こんな高そうな財布は今の生活の丈に合っているとは流石に思えない。
おそらくここにいる誰のものでもない。誰かの財布であった。
「手を汚したくないよ。けど、僕だって生きているんだ」
「はっ、これも俺たちの責任っていうわけかよ」
「分かってきたじゃん」
その中身を見たコウガが、一瞬止まった。何を見たのかはケンジの位置からは見えない。ただ特に何もいうことなく、コウガは財布をソファにぶん投げた。それから壊れた棚まで歩き、その残骸の中からエナキとケンジにそれぞれ投げ返した。
「それを持ってけ。ここには二度と顔を出すな」
それは書物だった。スキル書だった。ケンジは思わず目を見開いた。
「僕の約束は守ってよね?」
コウガは何も言ってこなかった。