入り口で揉める燈たち
「別に死ぬわけじゃないから何があっても、武器、その腰に携えている短剣を取らないこと。僕の言うことに対して口出しをしないこと。するとしても、ここを立ち去ってから話すんだ」
―――今度は何を言い出すんだ…こいつは…
ケンジはさらに動揺した。抱えている紙袋のことでさえ、何一つ知らない。口にしたことない食材、手に取ったことない数々のボトル。これをどうするつもりなんだ、どうしてそこまでお金があるのか。様々な憶測がただでさえ頭の中で飛び交っているというのに。
自分たちは餓死になりそうな状況で、だからこそ銀貨を得られるという話に飛びついた。もちろん、その分リスクはあるのは夕食時に聞いた。周りが討伐に手を焼いているからこそ、こうして手書きで描かれた手配書をばら撒いて有志を募っている、と。人間のお尋ね者になった魔物は、討伐する者の間で共通の認識とするために簡略な呼称がつけられることになっているらしく、エナキが持ってきたのは<<キラーモント>>というらしい。
そこらの魔物と比べ強いというのは言うまでもない。なら、避けるべきではないだろうか、という考えはなかった、とは言えない。心の隅に、どこかにはあった。現にケンジ達のパーティはようやくそこらの魔物を退治することができるようになったばかりだ。いきなり強敵と戦闘を仕掛けるのは時期尚早すぎるのでは。ひもじい生活を送り、追い詰められているとはいえ命を落としてしまってはどうしようもない。
そんな選択を強いられている原因となっているのは、お金だ。
エナキがこんなに買えるなら。こんなに余裕があるなら。そんな危険な話に飛びつく必要はない。
「ど、どういうことだよ?」
ケンジはエナキに裏切られたような気持ちになっていた。始めてパーティを組まされた時に、ケンジはエナキを知った。癖毛の、少し垂れ目で、ほんの少しケンジより背が小さいが、歳は少し上だったということは最初に覚えたことだ。戦闘の腕はそこそこなものの、頭のキレがよくすぐにケンジ達のリーダーとなった。というか、ずる賢かった。
本人は嫌がったから、最終的にはケンジも含めてダブルリーダーというような形になっているが、間違いなくケンジ達のパーティの指揮者はエナキだ。検事も尊敬はしている。
だからこそ、複雑な心情だった。頼りになっていたエナキがこうして、ケンジを含め、他のメンバーの知らないことをしている。いや、ケンジが知らないだけでモモカやミキジロウは知っているのかもしれないが…。
抱えている紙袋は嫌にも重く、できるなら持ち直したかった。だが、もうそれどころではなくなった。
「言った通りの意味さ。まず、武器は取らないで。短剣、持っているでしょ?」
「持ってるけど! なぁ、ちょっと待ってくれよ、中に何があるんだよ? 」
建物をよく見れば、住宅用の建造物ではある。だが、他のものと比べてやけに古い。建物自体に崩壊の前兆が見られる。周りの壁が長年潮風に吹かれたせいか風化している。上の階の窓は割れており、その中は暗く、明かりも一つもなさそうだ。人が住んでいるのかどうかいうまでもない、ただ怪しい雰囲気だけが漂っている。
建物だけじゃなかった。この通りも幅はある程度あるが大通りとは言い難く人通りが少ない。
不意に、浮浪者だろうか、道端に座り込む人と目が合った。その人は口に何かを加えて、無心に煙を吐いていた。顔中に油がギットリとこびりついていて、頭の毛は中央から禿げていた。何よりもそいつの目だ。異様に見開いていた。ギラギラしている。その目を持ち、こちらを物珍しそうに眺めている。
いや、ケンジを見ているのではない。どちらかというとケンジの持っている紙袋を見ている。もし何か一つでもモノを落とせば、恐ろしいスピードで這い寄ってくるのではないか、と頭によぎった。
「....」
「それは行けば分かるよ、それとも怖い?」
「おちょくるのはやめてくれ…!色々聞きたいことがある。なぁ、この紙袋の大量の食料や飲みモノをどうするつもりなんだよ。...変な話だと思うけど、俺たちに分けてくれるわけじゃないよな?」
「それも中で分かるよ」
「ぶ、武器を抜くって...。中に何があるんだよ、人がいるってことか?そいつらが野蛮な奴らって...」
「中で分かる」
「あのマーケットだってどこで知ってたーーー」
「中でーーー」
「それじゃあ何も分からないだろ!」
ケンジがいくら聞いてもエナキは真面目に答えてくれる様子はない。どうしても納得ができず、ケンジはエナキを睨みつけた。そして、その口から何かを話してくれることをひたすら待ち続けた。その甲斐あってかしばらくして、突然エナキが何故かピースサインをした。その指をへし折ってやろうかとケンジは思った。
「2つ、話すよ」
降参、のポーズなのか指2本立てた反対の手は上がっている。紙袋は、よく見ればエナキの紙袋は小さく軽いのか、降参の手の片手で持ち上げられている。
「1つ、僕のこの休日の間ですること全ては<<キラーモント>>を討伐するためであること」
それがこの紙袋とどういう風に結びつくのだろうか、と聞こうとしたらエナキが指で制してきた。黙って聞け、ということらしい。
「2つ目、それで納得できないならその紙袋をここに置いて、後は思う存分休日を堪能して」
「なぁ...?!」
そんな言い方があっていいのだろうか、人を早朝から付き合わせておいて。
ケンジの怒りはもう寸前のところまで差し掛かっている。変な汗、特に手汗が滲み出て紙袋を濡らしている。怒鳴り声を上げたいような気持ちが添削もされていない駄文へと変換されて口から飛び出しそうになる。それでも、もう喉の元のところ寸前で、なんとか引っかかってくれている。
「僕はね、めんどくさいことが嫌いなんだよ。だから、この建物に入れば分かるってことをわざわざ答えの目の前で一から全部説明するのは御免だね。だって中に入れば分かるんだからさ」
エナキは詫びることはしなかった。説明もしなかった。小馬鹿にしたようなもの言い方に加え、ケンジがまるで駄々を捏ねてめんどくさい、とでも言いたげな態度だった。
それが、引き金となった。
一瞬、不思議な感覚にケンジは包まれた。少しだけ、周りの気温が下がったのを感じたのだ。耳が遠くなり、目の前の焦点が合わないような感覚に陥った。けれど、そこからケンジの心臓辺りに火をつけて全身が一気に目覚めた。体が熱くなり、込み上げてくるその熱に耐えるように奥歯を食いしばった。目の前のエナキの顔が、非常に不快なモノに変わった。
短剣の先端をエナキの喉元に押し付け、軽く血を流させてやりたい。そう脅してでもエナキの口から、吐き出させたくなったのだ。隠し持っていること全てを。 そんな衝動に駆られた。
そして腰の短剣を抜きーーーそうになりかけた。
そこでケンジの熱が収まった。現実へと引き戻されたのだ。自分は今、何をしようとしたのだと。
「はぁ...はぁ...」
気づけば呼吸するたびに肩が上がっていた。たった数秒の出来事だったのにやけに疲労した。
冷めていく熱にケンジは、どうしてここまで寛容になれるんだろうと思ったーーーーいや、答えを探していくうちにすぐ分かった。
ーーーもう縋るしかない…銀貨に。あの手配書に。
と思うとさらに怒りが恐ろしいように縮小していった。争っている場合ではないのだ。今は自分と自分のパーティ(エナキは分からないが)の明日生きる為にできることをやらなくてはいけない。その手配書、いや報酬がなくなりでもすればひたすら魔物を狩る今の日々が戻り、お金もすり減り疲労して...きっと死んでいくだけだ。
もし銀貨が手に入れば、明日も見据えられる暮らしができる。
エナキがここで何をするかは依然にして皆目見当も付かない。でも、本人曰くこれは魔物を討伐するために必要なことであるそうだ。それは結果的にケンジ達の為になることだ。だったら信じて見るのが1番利口なのでは。何ができるか分からないがここまで連れてきてくれたということは自分に何かして欲しいからでは。少なくとも代わりの打開策を思いついているわけでないのだから、エナキの思う通りにさせればいいのでは。
ケンジは、喉元の言葉を飲み込むように、代わりに全ての唾を飲み込んだ。そして、こう言い放った。
「分かった。武器は取らない。後の質問はここを立ち去ってからする。これで文句あるかよ」
まだ小馬鹿にしていたような、いやそれでも真剣に何かを考えていたのかもしれない。ただ、エナキの表情が一瞬歪んだ。そして、また嘲笑する前のような表情を作り出した。
「な、なんだよ」
たまらず、ケンジは尋ねた。
「いやーーー」
エナキはこう付け加えた。
「正直、殺されるかと思ったよ」