硬貨に踊らされる燈たち
休息の日だというのに、ケンジは真っ暗の中で目が覚めた。理由は特にないが、昨日の興奮もあってか、あまり寝付けなかったのだ。しばらく目を瞑ったが、思うように眠れない。同室のミキジロウとエナキは熟睡している様子だったので、こっそりとベッドを抜け出た。外にもほとんど明かりがなかった。
「さ、寒すぎる...」
一段と寒い。これでも昼頃になれば温かくなり、時には薄着になりたいと思えるほど気温が上がってくれるのだが。これから徐々に暑い日が続くそうで、暑い方が好ましいケンジにとって嬉しい話だった。
暖を取りたい、と慌てるようにして中庭へと行くと、既に1つのパーティがこんな夜更けから食事をしていた。料理用に焚いた火を囲むようにして彼らは無言で例の山菜お粥を食べている。
その中に、久しぶりに見たタクマサの姿があった。ケンジがこの世界に召喚されて初めて喋った人だ。あの洞穴以降そこまで頻繁にケンジとタクマサは会話していなかった。顔を合わせれば話すが、お互い無理に会おうとも話そうともしない。故に気づいていないふりをしてしれっと火起こしを始めた。
火起こしには、2つの通りを教授された。1つは可燃性の高い木の板と乾燥した木の棒を用意して、そのまま擦り合わせて火を起こす方法。もう1つは、武器の素材として使われる鋼鉄片の石と硬い石をかちあわせて火種を得る方法で、ケンジは強いて言えば、後者の方が好ましかった。綿に火種が飛ぶように石と石をぶつかり合わせればいいだけだからだ。前者は火種ができた際、後者と同じように綿に火種を移す必要があるのだが、タイミングがイマイチ掴めない。
魔法で火をつければ楽なのでは、と当時は考えた。今思えば、少しでも魔力を温存する術を身につけさせるためだったのか、遭難した時とかに…。昨日、燈の1人が魔力切れで亡くなったことを聞いて、なんとなくそんなことを考えていた。
火種を綿に移し、そして燃えやすいよう組んだ木に移した。息を吹きかけるなり、組み木を並び替えたりしてしばらく面倒を見ると、ようやく種はみるみると成長していった。
本来ならこの後、中庭にある井戸から水を汲み、米を洗い、とご飯の用意を始めるがやる気がない。当番も自分ではなく、今日はモモカだ。もっとも、彼女がいつ作り始めるか知らない。女子部屋は男子部屋のちょうど反対側に位置し、男子は立ち入り禁止とされているので起こしにもいけない。
仕方なくポケットからパンを取り出た。昨日の酒場で出されたその残り。こんなこともあろうかと忍ばせておいたのだ。火を眺めながらケンジは無心に齧った。パサパサで、美味しくはない。が、腹には貯まれば十分だった。
「食べる...?」
不意に声をかけられた。ケンジの前に形が歪な木鉢が差し出され、中身はあのお粥だった。顔を上げると、タクマサだった。その顔は前会った時は少しふっくらしていたが、今は頬骨がうっすら浮き出ていた。
「あ、あぁ久しぶり。た、食べるよ」
「遠慮しなくていいよ。僕ら、もう出るんだ。他のメンバーがちょっと作りすぎてさ、余っちゃうと勿体無いし...」
タクマサが差した指を視線で追いかけると、先ほどのパーティは各自持ち物の準備を始めていた。その一方でタクマサは準備が終わったのか、腰に短剣1本と腕に木の盾だけを装備している。
「随分早いんだな。こんな時間から、まだ薄暗いし」
「うん...今日は早く行って、早く狩りに行こうって」
「そっか。狩りの方は順調?」
「昨日は良かったけど、一昨日は全然ダメだった」
「どんくらい?」
反射的に聞いてしまったが、しまったとケンジは思った。タクマサの顔が少し歪んだからだ。
「えっと...全部で18銅貨かな...昨日は。でも6人で割るから1人は、3銅貨くらいしかないけど」
18銅貨、という単語にケンジは驚愕した。さらに、1人の分配が3銅貨ときた。眠気が一気に覚めた。
「そりゃ凄いよ! 1人3銅貨だって、それくらいあればかなり楽じゃんか!」
少し興奮気味に答えたケンジに、タクマサは少し落ち着いてとジェスチャーした。
「ちょ、声が大きいよ...」
「あぁ、わ、悪い。ちょっと羨ましくて…」
昨日の稼ぎは2銅貨もいかなかった、なんて口が裂けても言えなかった。
「羨ましい...のかな?」
「羨ましいよ。うちは6人とか7人とか大きなパーティじゃないし、その分取り分は多いかもしれないけど、連携とか役割分担とか正直人手が足りないって感じで...」
「ケンジ...君は剣技を覚えているんだったっけ?」
「ケンジでいいよ。そう、一応剣持っているけど、本来みたく前線で戦うことはやってなくて、今は魔物の剥ぎ取り作業がほとんどだよ」
「そうなんだ...」
そういうタクマサはどうなんだろう、とケンジは思った。腰に短剣を携えているということはもしかすると自分と同じ剣技を持ち合わせているのではないかと推測する。いや、それはおかしいとケンジは自分を否定した。前会った時には生き物と喋れる的な話をしていたという記憶がある。剣技ではなかったはずだ。
尋ねる前に、向こうの方でタクマサを呼ぶ声が聞こえた。どうやらパーティの準備が整ったらしく「木鉢は僕らの鍋のところに置いといてくれれば大丈夫だから」とだけケンジに伝えてタクマサは戻っていた。
彼らが去り、中庭はケンジが独占する形となった。
18銅貨。
その言葉だけが頭の中で駆け回っていた。パキパキと燃え上がる炎の中でも、薄らと硬貨が見えるくらいだった。
人数差があるにしても、ケンジたちにとっては18銅貨も稼げば大騒ぎだ。1人4銅貨あたり。もう少し切れ味のいい武器や形が整った防具だって手が届きそうだ。明日に希望が持てるし、何より貯蓄だってまだ夢じゃない。しかし、現実は残酷だ。
1銅貨と7ぺカー。
少なくとも自分達はそういった希望を持てるスタートラインにすら立っていない、とケンジは思った。そう考えると、自分に置かれた状況にだんだん腹が立ってきた。4人パーティとなり、パーティの仲はまずまずとはいえ、昨日はモモカと一悶着あった。もっと稼がなくてはいけない時に怪我するミキジロウだって、集中力が欠けすぎではないだろうか…と思えてきてしまう。
自分のパーティはある程度良い方だと思っていたが、そうでもないのかもしれない...。だが、その考えはすぐに消えた。ケンジ達には希望があった。なぜなら5日後に稼ぐのは、
ーーー銅貨じゃない。銀貨だ!
タクマサから貰った例のお粥を、飲み干すようにして平らげた。
大して味に変わりはなかった、と思いたかった。ケンジ達よりも数段出来が良かった。いい具合に塩味が効き、山菜も下拵えをしっかり行っているのか苦味となるような部分がなかった。
ただこの時は、酷く劣っている、とケンジは思えた。
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それからしばらく経った後だ、エナキが起きてきたのは。
陽が山頂から顔を出し始め、起こした火もそろそろ薪を追加しないと消えてしまうと思った矢先だった。既に寝巻きから外出用の服に着替えていたエナキを見て、慌ててケンジは着替えに部屋へと戻った。
実は、共に出かけることになっていたのだ。昨晩、エナキから誘われていた。
「いやー、今日はまた一段と寒いね」
着替え終わり、護身用に剥ぎ取り用の短剣だけを携えて戻ってきてみると、エナキの手にはお粥があった。自分たちの鍋は干されたままだ。多分、タクマサのパーティから無断でもらってきたのだろう。少しケンジの気分を害したが、何も言わなかった。
「食べ終わった、行こう」
木鉢を洗わず、ケンジが先ほどおいた木鉢の上にエナキはそのまま重ねた。
「悪いね、朝早くから着いてきてもらって」
「...いや、元々起きてたから問題ないよ。急に休みって言われても、正直どこに行くアテもないしさ」
「それは良かったよ。ミキは昨日怪我してるし、モモカは決戦に向けてできる限り魔力を温存して欲しいって昨日伝えといたから。となると、あと頼める人がケンジしかいなかったんだよね」
宿舎は町から少し外れ、林を抜けた丘の中腹辺りに位置する。ドアは設置されていない石門を潜り抜けると、いきなり細い道で現れそのまま数歩直進すれば急斜面を転げ落ちることになる。山頂に行く道は右手なので、ケンジたちは町に行く左手の道を選んだ。すぐに木々のトンネルに入り、人の足によって固められた黒い地面を歩いた。ところどころで木の根が剥き出している。
いつもは武器や防具を装備して、さらにモモカやミキジロウがいるのに、今日は服装も違う。短剣のみで、且つエナキだけしかいないとなるとなんだか寂しく感じた。
林を抜けても、視界は一気に開けそうであまり開けない。ここから海岸まではさほど遠くないのだが、そこまでに続く街並みが海の景色を隠している。その反対は、大きな崖が聳え立つ。そんな景色に挟まれたまま、ほどなくして足元が脈絡なく土から石畳へと変わり、ケンジたちは町へと辿り着いた。霧がかかっている街並みはもう見慣れていた。
「で、ついて来て欲しいってところは?」
「まぁまぁ。まず行く前に、寄りたいところがあるんだ」
建物に挟まれた、人1人分しかない脇道へとエナキは入っていった。ケンジも続いた。この町、ミエーランは大通りの他に、こういった細い脇道がかなり多く、もし全部把握できれば色んなところを簡単に行き来することができそうだった。足元は形や段差が不揃いの階段で、元々あった岩肌を削って作り出したという手作り感が残されている。
「雑すぎるだろ、仕事が…」
「そこ、誰かのうんち」
「うわっ!...汚ねぇな」
階段を上がったり、下がったりを繰り返し、やがて見知らぬ大通りへと辿り着いた。普段ならこっちの方まで来ない。宿舎から町着いた際、そのまま大通りをまっすぐに行くと、門へと辿り着きそのまま森へと抜けられるからだ。
エナキを追いかけると、やがて大通りの脇を沿うようにテントが並び、その下にそれなりの人が集まっていた。住人の他に、兵士まで色んな人が集まって何やら眺めている。
市場だった。
「この前聞いたんだけどさ、早朝にマーケットやってるんだ。かなり安いよ」
まさか買い物するとは思っていなかった。
「先言ってくれよ、何も持ってきてないぞ」
「1銅貨も?」
「...5銅貨はいつも持ち歩いてるけどさ」
「まぁ、足りない分は僕が持つからいいよ。今度返してもらえればそれでいい」
何も買わずに眺めればいいだろうとケンジは思った。ただ、その思考は瞬時になくなった。
パンだ。大きなパンが1つ8ペカーだったのだ。安い、普通なら5銅貨辺りだ。しかも、長さも太さもあり一食では食べきれなさそうだ。一気にケンジの心は踊り始めた。見れば、魚や野菜などの食材も2回りほど値段が下げられている。それでも懐をかなり痛める額であったが、その夢のような値段が存在するのかとケンジは感動する。
「見た?あんな大きなパンが8ぺカーさ。いつもの大通りだとそうじゃない、大体6銅貨くらいするよ。しかも、見てあの魚。あれ昨日酒場で食べたやつだけど、11銅貨前後。あれも普通に買ったら、23銅貨前後じゃんか。いやーもう買う気なくなるよね、ぼったくりじゃん。...ほら、あそこは短剣売ってるよ。1番安くて60銅貨だけど」
エナキはまるで自慢しているようだった。
「楽園だろ、ここ...。でも、どうして?」
「…これも聞いた話だから本当かどうかは分からないけど、ちょうど王都からの行商人がミエーランに着くのがどうやら早朝らしく、その中にはどうやらここの兵士達の支援物資も含まれているらしいんだよね。ほら、兵士たちは昼間働いて買い物できないから、早朝のこの時間に安く売ってるんだってさ」
「支援の奴を、わざわざ売るのか? なんか兵士は気の毒だな、働いているのに買わなくちゃいけないなんて」
エナキは肩をすくめた。
「流石にも僕もそこまでは知らないよ。まぁ、王都側からすれば兵士に給料として払ったお金がこうして戻ってくるからいいんじゃない?」
品揃えは見ていて飽きることはなかった。中には魔道書やスキル書といった書籍を置いているテントもあった。ピンキリで500銀貨というありえない額もあれば10銅貨ほどのケンジ達でも手が届きそうなものもあり、これがさらにケンジ達の足を止める。
「エナキ、魔法書とスキル書の違いってなんだっけ?」
「魔法を覚えられるか、スキルを覚えられるかでしょ。ケンジ、君は魔法の才能はないんだから買うならスキル書だよ」
「おい…いつ才能がないっていつ分かったんだよ」
「見るからに魔法使えなさそうでしょ。才能からしても魔法が得意そうな才能じゃないでしょ」
見るからに、というのは気になったが、確かにケンジの才能である剣技は魔法とは無縁そうであった。ドーバンの訓練で、その才能ごとに組が分けられることがあった。そこでごくごく基本的な技(なぜか才能によっては『スキル』のことを『技』と呼ぶ)を覚えさせられたが、魔法は一つも教わっていない。
「僕はまだ少しここにいるよ」
エナキは興味あったのか、ケンジが離れた後もそのお店に居座るようだ。周りの人が話しているのを立ち聞きしたり、購入者が何を買っていくのかを見ているようだった。後に合流した後、エナキがこれまた自分のように話をしていた。
ケンジが満足し、一通り見終わったことにはほとんどのお店がテントを終い始めた。「いや、まいったな...」と慌てて買いに行くエナキは離れていった。ケンジはというと、ポケットの5銅貨を手のひらに並べて物凄く葛藤していた。
ーーーここでお金を使うのは...。でも、せっかくだしな...。
物凄く悩んだ挙句、またお店の人が迷っているケンジに声をかけ、最終的には2銅貨と3ぺカーを使ってパンと、何やら安かった赤い果物を購入した。そのまま食べることができるそうで、齧ると甘味が強め、酸味が少々、と悪くない味だった。これで残りは21銅貨ほどになったはずだ、と頭の中で計算した。冗談抜きで底が見えてきた。
「ケンジ、お待たせ」
「あぁ…エナ...キ?」
ケンジは思わず言葉を失った。振り返ると、大量のパンやら果物やらが入った紙袋を両脇に抱えたエナキがいた。
「エナキ...どうしたんだよ、それ?」
「えっ?そこで買ってきたよ。いやー、良かったよ。ある程度形になりそうなものが買えてさ。ん...どうしたケンジ?」
え、だけど。とケンジは思った。けれど、同じパーティとはいえ所持金のことを遠慮せず尋ねるのはどうにも気が引けた。故に、聞きたい気持ちを押し殺した。
「...いや、なんでもないんだ。良かったよ、全部買えたみたいでさ。半分、手伝おうか?」
「悪いね、助かるよ。くれぐれも落としたりしないでね」
受け取った紙袋は想像以上に重かった。紙袋の中を見ると、理解した。パンや食材だけでなく、娯楽用とされている瓶のボトルや何かの干し肉やらケンジが今まで口にしたことないような食べ物までぎっしり詰め込まれていたのだ。
ーーーどういうことだ...
さっきまでの楽しい時間が嘘のように消え去り、ケンジは歩みを止めた。先ほど尋ねられた時、状況が飲み込めず言及しなかったがどう考えてもおかしい。エナキがあれだけのお金を持っているとは思えない。
エナキは訓練で一緒になってからケンジと同じパーティにいる。同室でもあるし、ほぼ四六時中一緒にいると言っても過言ではない。なら、金銭事情だってケンジと同等くらいであるはずなのだ。紙袋のある一つのボトルにケンジは見覚えがあった。これのボトルは確か、1銀貨以上するはずだ...。
エナキは自分が何をしたのか気にしていない様子だった。突っ立ったままでいるケンジに気づかないエナキは、そのまま角へと消えていった。
ケンジは自分の齧っていた赤い果物を見た。なんだか惨めになり、喜んでいた自分が恥ずかしく思えた。
********************
仕方なくケンジはエナキを追った。続いて向かった先は、ある建物だった。
海岸に近い建物で潮風が鼻を掠めた。
「ケンジ」
エナキが入口に来て口を開いた。
「これから中で起こることは、全部僕に任せてくれ」
「…どういうことだよ?」
「別に死ぬわけじゃないから、何があっても武器を取らないこと。僕の言うことに対して口出しをしないこと。するとしても、ここが終わってから話すんだ」