魔の手が迫りつつある燈たち
やがて、大きな扉が目の前に現れた。身覚えはここにいる誰もがあるだろう、とケンジは思った。作戦開始時に、魔物の侵入を防ぐために設置された扉だ。まだ真新しく、それはケンジにあの出来事はつい最近のことであったと告げてくる。
救助はもう打ち切られていることから扉は閉まっていたので、ケンジ達はゆっくりと扉を開けた。瞬間、閉じこもっていた空気がケンジ達の顔を襲った。
「うっ…」
なんとも言えないその臭いはやけに鼻についた。焦げたような臭い、というかなんというか。とにかくその臭いが充満していて、気持ちいいものではない。そして中は見通しが効かないほど真っ暗であった。おそらく、あの時の戦闘で天井に吊るされていた照明が壊されてしまったのだろう。
「ここは私の出番かな…」
ミライが前に出た。帽子を被り、杖を持つ姿はまさに魔法使いであるとケンジは思った。しかし、なんだかんだケンジはミライが魔法を使っているところを見るのは久しぶりだった。
「星空の魔法…<<スターライト>>」
一つの球体の輝きがミライの手のひらに現れた。その球体は徐々にミライの手から離れ、ケンジ達の真上に位置した。星空の魔法とミライは言った。その通りで暗闇の中に一つの恒星ように、ケンジ達のいる位置からかなり遠い方まで照らしてくれた。その範囲の広さにケンジは驚いた。
「素敵…」
とモモカが言う。ケンジもまさに同じ気持ちであった。幻想的というか、なんと表現したらいいのか思いつかないが。
「ありがとう、モモカ」
「二人とも、おしゃべりはおしまい。先を急ぐわよ」
「…さっき3人で喋ってたくせに」
本人は小声で言ったつもりだろう。
モモカ、聞こえている。ティアに。
「あのね、モモカ。1番怒らせちゃいけないのはね。ダイゴさんでもコウガさんでもないの」
「えっ、そうなの?」
「うん。誰だと思う?」
「…え、ティアさん?」
「大正解」
ミライ、聞こえている。ティアに。
ケンジのすぐ隣にいたティアが、本当に聞こえない小声をケンジの目の前で披露して「後で説教ね」と先頭を進むダイゴをついて行く。ケンジは、凍った。
「どうしたの?」
「お休みは早いですよー、ケンジ君」
首を傾げるミライと煽るモモカ。ケンジは忘れることにした。忘れる前にモモカに関してはティアに一度いつぞやの平手打ち受けて欲しいと願いながら。
逃げるように先頭を歩くダイゴに並んだ。無意識なのか意識的なのかは分からない、ダイゴが自分の手で頬を摩っていた。
「…」
ケンジは忘れることにした。
ほとんど処理や清掃がされたのだろう、亡骸が転がっていることはなかった。ただ、未だ魔石の入った木箱や毛布なんかが当時のまま置かれていた。中には灰の下や岩に埋もれているのを見ると、当時の惨状を思い出した。荷物まで回収する余裕はなかったんだなとケンジは思った。
そしてある地点を通った時に、ケンジは既視感を感じた。
―――俺が木箱を置いた...
一つの木箱だけ不自然な位置に置かれていた。見覚えがあり、間違いなくこれはタクマサ達を追いかける前にケンジが直前まで持っていた木箱だった。
どの選択が正解だったんだろうとケンジは思った。あの時点で追うのではなく逃げるよう呼びかけていればまだ違ったのかもしれない...。そこまで考えてケンジは思考を停止した。後悔したところでどうにもならない。今は先を見ないと。エナキを助けることに専念する、と。
木道の足場も残ってはいたが、ところどころ朽ちていた。仕方なく、足場の悪い道を行こうとしたところモモカがケンジ達に提案してきた。
「<<ウィンド・ステップ>>!」
おかげで滑落することはなく、魔物に遭遇することもなく、ケンジ達は数センチほど宙に浮きながら崖を一気に下り、最下層まで降りることができた。「やるな」と皆に褒められてモモカは幸せそうに笑っていた。「どーも、どーも!」と調子に乗りつつも。
この空間の最下層は、さらに当時の凄惨な状況を物語っていた。
「酷いわね…」
ティアは何が酷いのかを口にしなかったが、その目が全てを語っていた。壁や岩には夥しい血痕がこびりついていた。それがケンジの脳裏に、かつて人が真っ二つに引き裂かれた恐ろしい光景を蘇った。ケンジは思わず口元を手で押さえた。
「見て!」
モモカが指差した先には、大きな骨が転がっていた。それは檻の中に収められていた。つい数日前だ。忘れるはずもない。
「あの魔物の子供だ!」
<<アッシュ・ベヒモス>>の子供であった。
「燃え尽きてしまったのね…」
ケンジは、あの親が火を吹いていたのを思い出した。きっとその時に燃えてしまったのだろう、と。モモカがそっとその骨に近づき、檻からはみ出している骨を優しく撫でた。
「ごめんね…安らかに眠ってね」
それを聞いてケンジはなんとも言えない気持ちになった。何がごめんね、なのだろうか。多くの人間は死んだというのに…。同時に、向こうも向こうで子供を失っている…。
檻を後にし、そのままケンジは洞窟の奥へと足を踏み入れた。
ドスン…。
微かな音が下の方から聞こえた。何かが動いている足音だ。ケンジはゴクリと唾を飲み込んだ。そう、わかりきっていたことだ。誰も何も言わない。
「慎重に行こう」
ダイゴが静かに告げ、ケンジたちは緊張感を漂わせながら洞窟の奥深くへと進んでいった。
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ケンジ達が洞窟の深層に向かい始めたその頃。
まだ深夜でありつつも、選抜パーティの第二の隠れ家は、静かに攻められていた。10人ほどの小隊を組んだ兵士が、裏口から建物の中に入り、木の板の1枚を剥がして隠し階段を見つけていた。
命令を受けたのは先ほどで、どうやら例の燈が潜伏しているとの情報を得た。小隊なのは、他の任務に行っている兵士が多く、ほとんどの者が今日の夜(一度陽が登って落ちた次の夜)に開かれる貴族のパーティ準備で忙しい。配置や何かあった時の対応など覚えることが山積みなのだ。
「おい、ここだ」
「本当にやるのか?」
「やるしかない。やらなければ死ぬぞ」
言うまでもなく、彼らもタクマサと同じように魔法がかけられていた。よって命令に逆らえば、待つのは死だ。
地下へとおり、ゆっくりと部屋に近づいていく。やがて部屋について、一人の男が倒れているようにベッドに横たわっていた。
「ミキジロウ…間違いない!コイツだ!」
顔写真を持ったその兵士は叫んだ。この写真にいる男を殺してこい、それがここにいる兵士たちに下された命令だった。ミキジロウはその1人であった。命令に背けば死ぬ。誰かにこのことを伝えれば死ぬ。そんな理不尽な契約を一方的に、ここにいる兵士達は結んでいた。
ミキジロウがかつての英雄であった燈であるということは、ここにいる兵士達は少なくとも知っていた。だからこんなことがしたくない。彼らは燈に対して嫌悪していない。むしろ、燈の訓練にも積極的に参加した兵士達なのだ。
数人の兵士はミキジロウを覚えていた。さらに付け加えれば、ミキジロウに直接指導していた。そんな弟子のような存在を殺したいと思わない。けれども、殺さなければ、殺されてしまう。ある兵士に家族がいる。ある兵士には恋人がいる。ある兵士には友人がいる。皆、それぞれ大切している人がいる。
故に皆に迷いはなかった。涙を堪えながら、兵士皆が常備している剣を抜いた。背後のスペースを確認して剣を振り上げた。そして、ミキジロウに向けて下された。
その刃がミキジロウに到達するーーー
ことはなかった。
「消えろ…カスが!」
その瞬間、兵士達は一瞬で吹き飛んだ。誰1人残ることなく、全員だ。甲冑を砕け、雷を宿したいくつもの斬撃のようなものが兵士の体を麻痺させつつ、そして肉を切り裂いた。
コウガだった。誰も起き上がってこない。部屋の半分は人間だったモノで汚れた。コウガは静かに大剣を納めた。ミキジロウが何事もなかったように、先ほどと変わらず寝ている。不愉快になるほどのいびきをかきながら。
「これでいいんだろ、くそ女が…」
コウガはそう吐き捨てた。同時に借りも返した、と思った。エナキに。
コウガは今日の夜には飛び出そうと思っていた。しかし、まだ生きているかもしれない仲間のために、この場所にギリギリまで止まっておきたかった。死んでしまったユキムラはもうどうしようもないが、ギラッチョはまだ生き残っている。ダイゴがティアとミライと仲が良いように、コウガはその2人と仲が良かった。
ギリギリまで待って、それでも来なかった。コウガが諦め、ここから出ようとした矢先に攻め込まれていることに気がついた。
どちらにせよ、今すぐに場所を移動しないといけなそうだった。となると、ベッドにいるこの男をどうするべきかとコウガは一瞬悩んで、辞めた。
代わりに、再びコウガは剣に手をかけたのだ。
誰かいる。気配は消されているが、コウガには分かる。きっとコウガの気配に気がついている者がいる。なかなかこちらに入ってこない。
手慣れだな、とコウガは息を殺し続けた。
しばらくして、ギィーと不気味な音が部屋に鳴り響いた。




