前の世界の記憶を取り戻したその燈
ケンジ達が向かった先は街の外れに近い墓地であった。なんでもそこにモモカがいるというので、ケンジは迷うことなくダイゴの後ろを歩いた。隣にはミライがいて、時折心配そうにケンジの顔色をチラチラと覗いてくる。
そもそもこの街に墓地があったのかとケンジは初めて知った。なぜモモカが墓地にいるのか、とダイゴに尋ねたがその理由を教えてくれることはなかった。ダイゴ曰く、本人と話してほしい。ただその一言だけ伝えられ、それ以降口を開くことはなかった。
再びケンジ達は街を歩いた。雨はまだ降り続いているも、先ほどのような豪雨ではなかった。それでもしっかりと雨は降り注いでいて、ケンジ達は傘を使わずにはいられなかった。コウガはそのまま拠点に残り、ミキジロウもベッドに置いたまま、またダイゴ、ミライ、ケンジの3人で街中を進む。
なるべく人とすれ違いたくはなかった。霧が深いのは好都合だ。一応ケンジはフードを被り、顔を晒さないように気を付ける。幸いにもこの雨の中で、かつ霧も出ているからか、街を歩く人はかなり少ない兵士の影も見ない。
―――エナキ…。
先ほどからケンジの気持ちは複雑であった。エナキが死んだ、という話を他人から口にされるとまた違った痛みがケンジの中で溢れた。コウガの言っていることは正しいのかもしれない。あれから3日経った今でも何も音沙汰がないのなら、エナキが死んでいる可能性の方が高い。それは分かる。しかし、受け入れたいとは思えない。
その反面、ダイゴにエナキは生きていると思うかどうか、と尋ねられた時、不思議なことにケンジは何も言えなかった。生きています、とも。なんとも。
仮に生きていたとして、助けに行きたいのか。いや、行けるなら行きたい。ミライとさっき語った。残された大切なものがあるなら行きたい。
同時に、恐怖もある。洞窟に行くということはあの化け物もいるということだ。そしてケンジ達の命を狙っている奴もいるはずだ。今もこうして、実はあの角を曲がったところでケンジ達を殺そうと待ち構えているかもしれない…と思うと街を歩いているだけでも怖い。
墓地はザボ爺の行く、やや手前の丘の中腹にあった。色んな感情を胸に一杯抱えたまま、ケンジの目の前に多くの墓石が現れ始めた。中に入り込めば、たくさんの墓標が、まるで自然に広がった花畑のように、不揃いに並べられていた。
ダイゴの歩みに迷いはなく、やがて数本の木の辺りにモモカはティアをケンジは見つけた。モモカはある一つの形不揃いな墓石を前にして座り、手を合わせていた。そのモモカを見守るようにティアはモモカのすぐ横で傘を持って立っていた。モモカを雨から守っているように見えた。
モモカがケンジ達に気がつくと、表情が一変した。くしゃ、と泣き出しそうな顔になったのだ。ケンジも気持ち的には同じだった
「ケンジ…!!」
走って、モモカが飛びついてくるのをケンジはしっかりと受け止めた。モモカはどこにも傷はついていなかった。行方不明になっていることもなく、ケンジの目の前で泣いている。
「よかった…!よかったよ…!」
「あぁ…あぁ!」
お互い泣いて喜びあったが、ケンジはモモカのように素直には喜べなかった。いや、きっとモモカも明るく振る舞っているだけであろう。その証拠に、一通り終わった後、ケンジも、多分モモカも何から話始めればいいのか分からなく、静かに離れた。
側にいるティアも元気そうであった。その姿から疲れは一切見えない。ミキジロウの手当てのお礼をすると「早く良くなってくれるといいわね」と照れくさそうにティアは言った。
モモカがいた墓標の前には、白い花が添えられている墓石の前でケンジたちは止まった。見れば同じような花がいくつか周りに添えられている。
「これを…モモカが?」
「ううん…私はここだけ」
色々運んでいたのだろうか、墓石の前には菓子が入った袋や果物が置かれていた。
「ここで問題です、ケンジ君」
唐突すぎる…。
「…お前、そんな気分じゃないだが…」
「こういう時だからだよ。さて…ここのお墓に入っているのは誰でしょう?」
モモカが無理して振る舞っているのはケンジには分かった。仕方ないからケンジは付き合うことにした。ダイゴ達は少し離れた位置でケンジ達のやり取りを見守ってくれている。おそらく、ここに眠る者が誰なのか知っているのだろう。ケンジが眠っている間に。
手がかりがなければ何も始まらなかった。ひとまずケンジはその墓石を観察し始めた。その石の真ん中には何やら文字が書かれているのはすぐさまヒントになると思った。雨風で風化してしまった文字とは違い、個々の墓標の文字はややはっきりとしていた。『MOE』と書かれているのか、とケンジは思った。
「Moeさん…モエさん…って人か?」
「パンパカパーン!正解です。続いてーーー」
「いや、まだ続くのかよ…」
終わった、と思ったのだが。
「私とこの人はどういう関係でしょーか?」
なんだその質問は、と思った。いや、すぐにある意味大事な質問なのではと考え直した。そもそも論として、この命が狙われて時間がない中で、どうして墓地にいるのか。ダイゴまでどうしてケンジをここまで連れてきたのだろうか。危険が潜んでいる街中をわざわざ通り抜けて、モモカがここでケンジを待ち構えるようにして居座っていたというのはどういうことだろうか。
何かある。
その理由はモモカとこの墓石の下で眠るモエという人物の人間関係にあるのは明らかだ。しばらくケンジは考えた。考えたけれど、答えは一つしか見つからなかった。
「友人か? モモカの」
モモカがニヤリと笑った。
「ブブゥー、違います」
…違ったようだ。ミライと同じように訓練時に仲良くなった人かとケンジは思ったのだが。そうでなければもうお手上げだった。少なくともケンジはこの名前も、この名前の人物も聞いたことも見かけたこともない。
降参、と言わんばかりにケンジは両手を上げた。すると、モモカはいつもあまり見せない真剣な表情した。答えを渋るようにして、モモカの口が動いた。
「お姉ちゃんなんだって」
ボソッと言われた。小さな、小さな声で。
「は?」
ケンジは一瞬、何を言ったのか分からなかった。
「誰?」
「私の」
「誰の?」
「だから、私のだって…」
ケンジはモモカを見た。その表情からモモカが嘘をついているとは思えない。
「お姉ちゃんなんだ…ここにいるのは、私の」
念を押すように、モモカは繰り返した。そしてしゃがみ込んだ。そして、ゆっくりと墓石を撫で始めた。それは赤の他人とは思えなく、本当に大切に想っている人に対しての手つきだった。
「気づいた時には亡くなっていたの。ほら、覚えている?初めて手配書を見た時、みんなで酒場行ったじゃんか?懐かしいな、みんなでお金を出し合ってさ」
…
もちろん、ケンジは忘れるわけがない。あの時は生活資金に困っていたにも関わらず、浪費を抑えようともせずに、皆で夕食を食べに街へと出かけた時だ。自分がイライラしていたのをケンジは覚えている。
その資金難解消に、エナキが初めて手配書の時だ。そうだ、その時。誰かが死んだような話をエナキがしていた気がする。それからケンジ達は、休息が体内の魔力を貯める重要なことであることを知り、休暇を取るようになった。なぜならその死んだ者は魔力切れで死んだのだから…。
「まさか…」
なぜ今更になってその話をモモカがするのか。答えは簡単であった。しかし、あまりに衝撃であった。
「その時亡くなったのがそう、私のお姉ちゃんだったみたい…。でも、記憶もないし、そもそも私、お姉ちゃんがどういったものかも…実は覚えてなくて…」
モモカの声には、彼女自身もまだ受け止めきれていないような戸惑いが滲み出ていた。モモカに常識的にも記憶の欠落が激しい節々があるというのは知っていた。ミキジロウと話している時もそうだったし、エナキとケンジが何度も話し合ったこともあった。
ケンジは、複雑な思いを抱きながらも、何から聞くべきだろうかと考えた。ただ、当然のことながら、これまでの経緯を知りたいという気持ちが勝った。
「それ知ったのは…いつだよ?」
「つい最近、ほら。私、師匠に修行をつけてもらった時あったでしょ?その時にエナキ…から」
「エナキが知ってた、ってことか?」
ゆっくりとモモカの首は前後に動いた。その仕草にケンジの心臓が一瞬、重く打った。信じられなかったのだ。
「詳しくいうとね、エナキ…が前から知ってたみたい。それをずっと隠していたみたいなの。動揺させてしまっても困るからって。でも、手配書の魔物も狩れるようになって落ち着いたから、この間、話してくれたんだと思う」
ケンジは混乱した。どうしてそんなことをエナキは知っていたのだろうか。モモカとモエが姉妹であったということをどうして知っていたのか。
いや、とケンジは再び冷静になって考えた。モモカの言う『ずっと隠していた』という言葉がケンジの頭の中でやけに引っかかっていた。それはいつからだろうか。訓練時だろうか。そんなはずはない、どんなことがあろうと召喚時にはほぼ全部の記憶が消されてしまってーーー
そこまで考えて、ケンジ思わずミライを見た。召喚時にある程度記憶がしっかりしていたミライ。そしてケンジ自身も、知り合った経緯や詳しい内容までは覚えていないが、ミライのことを知っている、という記憶が残っていたではないか。ということは記憶があったのではないのか。残っていたのではないか。エナキには、
―――召喚前の記憶があった…
そして、召喚前の記憶が自分自身と全く関係ない記憶を持ち越しているとは考えられなかった。少なくとも前の世界で印象深い記憶がこの世界でも保つことができるとケンジは信じていた。
「今ももうなんとも思わない、でもね、エナキ…ううん、『お兄ちゃん』がね、こう言うのーー」
その可能性に気づいた瞬間、ケンジは自分の心がざわめくのを感じた。ケンジの中で何かが次第に解け始め、これまでの出来事が別の視点から見え始めていた。
そして、どうしてそれをモモカに打ち明けたのだろうか。動揺させることを知っていて、同じパーティのケンジとミキジロウに伝えることなく、どうして打ち明けたのだろうか。それはその記憶がエナキとモモカにとって、2人にとって大事な記憶であるからではないだろうか。
「私たちは3姉妹なんだって」
その言葉は、ケンジの身体をさらに硬直させた。感情はこれまでの全てが一瞬にして崩れ去り、そして再構築されるような感覚に襲われた。
「私もさ、あの事件の後に記憶を取り戻したの!お姉ちゃんはまだ分からない、けどエナキ…は確かに私のお兄ちゃんなんだよ!」
モモカの魂のような叫び声が、ケンジの耳に必要以上に届いた。
「私の、お兄ちゃんなんだよ!!!」




