脱出を試みる燈たち
「なんだ。元気そうじゃん」
リーダーが目の前に立っていた。皮肉まじりと言わんばかりのセリフはいつもの調子と変わらない。
爆発や各地で発生している戦闘に巻き込まれていたと思っていたケンジは、そのエナキの姿を見て驚きと安堵が入り混じった感情を抱いた。戦場の混乱の中、仲間の安否が不明だったため、一瞬で胸の奥に温かいものが広がった。
「エナキぃぃ…!」
ケンジの声は震えていた。思わず涙がこみ上げてきたが、ここでは泣くわけにはいかないからグッと堪えた。仲間を見つけた安堵と、いくら<<アッシュ・ベヒモス>>に攻撃を打ち込んでも全く敵わないという自分の無力さへの悔しさが混じり合っていた。
「自業自得でしょ。アレと戦ったところで勝てないって言ったじゃんか」
エナキの冷静な言葉に、ケンジは自分の愚かさを再認識した。周りの人間を置いて逃げることができるか、とか、お前らを探していたんだ、とか言いたいことはあったが、確かに<<アッシュ・ベヒモス>>に立ち向かうなと言われた。エナキに言い返せる言葉は見つからなかった。
ケンジは伸ばされたエナキの手を取って立ち上がった。
「モモカとミキは?!」
「いや、自分の心配をしなよ…無事だよ」
瞬間、再びケンジの中で何か救われたような感情が広がった。
「よかった…」
「君といい、ミキといいさ…。もう少し自分を大事にしなよ? そんな傷つけてたら一生もんになるよ」
それからエナキはマナブを見ると、頭を軽く下げた。エナキのその表情はどこか意外そうな顔をしているようにケンジには見えた。
「うちのケンジが迷惑を…いや、会ったことあるね。その節はお世話に」
「そうか、ケンジ君は君のところだったか…。これも何かの縁だな」
いつどこでマナブとケンジが知り合ったかは知らないが、会話の内容からお互いを知っていることが明らかだった。
「お前ら、撤退だ!!あっちに向かって走れ!!」
気にしている場合ではなかった。
突如として現れたドーバンの声が、戦場の喧騒の中でもはっきりと響いた。ケンジはその声に反応し、ドーバンが指し示す方向を見た。先ほど魔物が湧き出ていた箇所に兵士や人間の姿が見えた。その入り口付近で兵士たちが魔物と戦ってなんとかその経路を維持しようと奮闘している。その中にダイゴとミライの姿があった。
ダイゴは斧で、ほぼ一振りで魔物を切り裂いていく。取り残した魔物はすぐそばで控えている兵士に任せて、前進することを止めない。
ミライはまるで光線のようなえげつない魔法を放って魔物を蹴散らし続けている。ミライと目が合うと、彼女は親指を立ててケンジにエールを送ってくれた。その小さなジェスチャーが、僅かに残されたケンジの力を引き立てる。
救援だ。救援が来たのだ。ケンジを含め、周りの喜びの声を上げてミライ達の方に走っていく。
「ケンジ。色々聞きたいことあるけど、今はあとにしよう。行ける?」
「あぁ…あたりまえだ!」
ケンジ達も走り出した。マナブがかなりフラフラしていたため、ケンジは彼を見守りつつ走り始める。変わらずして足元は悪い。足を取られながらも、無我夢中だった。
その人間側の動きは魔物も気づいたようで、行く手を阻んできた。逃げようと背を向けた人間に次々と飛びかかって仕留めようとしてくるのがケンジの視界に飛び込んでくる。
そして、ケンジ達も例外ではなかった。逃げ道を防ぐように、目の前に魔物が立ち塞がった。あの茶色の毛皮とした四足歩行の魔物だが、まるでケンジ達を通さないと意気込むように、後ろ足で立ち上がり吠え上がる。
「ケンジ!」
エナキが指で指示を出してくるのを確認して、ケンジは頷いた。マナブがしっかりついて来ているのを確認してから、エナキが先に行き、ケンジが後に続いた。
「<<トリプルエッジクロウ>>!!」
エナキが放ったのは三連撃の風属性スキルだった。風の斬撃を纏った刃が魔物の肉体を軽々しく切り裂いた。そのスキルの威力にケンジは目を疑った。ほぼ仕留めた、と言っても過言ではない。僅かに耐えたのか魔物は後ろに下がったものの、立ち上がり続けた、すかさず追い打ち、と言わんばかりにケンジは攻撃を仕掛けた。攻撃を終えてエナキと入れ替わるようにケンジが前に出て、エナキが後ろへと下がっていく。
体内の魔力残量を考え、残り数発。ケンジは渾身で剣を振り下ろした。
「<<細雨>>!!」
切断、まではいかなくともケンジによって切られた魔物はその場で倒れた。マナブの回復のおかげもありなんとか倒し切れることができてケンジは安心した。
そのまま駆け抜けるようにケンジとエナキは皆が待つ出口へと走り続けた。もうそこまで距離はない。もう既に多くの者が辿り着いており、ケンジ達を待っている兵士が「早くしろ!」と怒号を挙げている。
目を凝らすと、出口の天井からやけに砂が舞い落ちているのだ。戦闘の中でかなり衝撃があったのだろう。天井から崩れて取り残されてしまう、という最悪の状況がケンジの頭の中でよぎった。急がなくては、と思うも魔物がそれを許してくれない。1匹鋭い一撃を与えたとしても、また別の1匹が道を塞いでくる。
「駄目だ…間に合わない…!」
「倒そうと思わない!多少は捨ててもう走るしかない!」
スキルは発動するたびに攻撃の威力は落ちていく。剣が重くなる、息が上がる。振り続けても、また降り続けてなくてはいけない。
「伏せて!!」
エナキの声にケンジは、隣にいるマナブを掴んで地面へと伏せた。間一髪であった。ケンジ達のすぐ上を大量の火が通り過ぎていったのだ。そのまま火は目の前でも放たれていき、目の前に大きな炎の壁が出現した。
「ベヒモス…!!」
<<アッシュ・ベヒモス>>もケンジ達の動きを察知したのだろう。巨大な体で行く手を阻むその姿に、ケンジは立ちすくんだ。絶対に逃すものか、というオーラを放っている。
「ラッキー、魔物を焼いてくれた! 飛び込むよ!」
「嘘だろっ?!」
ケンジの訴えなど聞く耳も持たずに、エナキは火の壁へと突っ込んでいき。迷いもない歩みから本当に飛び込むつもりだ。
仕方なく、先を走るエナキをケンジは追いかけた。そして、業火とも言えるその中をケンジは思いっきり飛び込んだ。瞬間、凄まじい熱にケンジを襲われた。耳、指といった体のあらゆる先端からの悲鳴が、痛みに変わってケンジの脳に響き渡った。
一瞬と言えば一瞬であった。火から抜けた後、地面へとケンジは転がった。着地のことまで特に考えていなかった。
幸いにもどこにも燃え移っていない。隣のエナキも同じようで既に立ち上がっている。問題はマナブだった。火は燃え移ってないもののぐったりと岩の上で倒れてしまっていた。
「マナブさん…!!」
揺すっても返事がない。魔力切れだろうか、どちらにせよもうマナブ自ら歩けそうにはなさそうなのはケンジにも分かった。
「おい!もう本当にもたねぇ!早くしろ!!!」
入り口の兵士が入り口の限界を訴えている。皆、入り口に出ている者は誰もいなく、穴の向こう側で待ち続けている。唯一飛び出ているダイゴとミライがまだかとケンジ達を待ち続けように魔物と戦っている。
「早くしろケンジ!!!」
ダイゴの叫びが耳に飛び込む。
「駄目です!マナブさんを置いては…!!!」
ケンジはダイゴを無視して担いだ。ケンジよりも大きいマナブの体はやけに重く、俊敏に動けそうにない。それでもケンジは諦めたくはなかった。寄せ集めで編成されたパーティであったが、マナブがいなければケンジだってここまで辿り着けなかっただろう。回復してくれたマナブをケンジは見捨てることができなかった。
「ケンジ君!!早く!!!」
ミライが目の前に迫っていた。もう後大股で5歩くらいの距離だ。もう少しで辿り着く、その時だった。
「ケンジ!!!」
「?!!」
途端、ケンジのいる場所が影で覆われたのだ。業火で照らされている中で、確かにケンジのいる箇所を含めて、まるで太陽の光が雲で覆われたように薄暗くなっていた。ケンジは上を見上げた。そして、思った。
―――死んだ…
大きな、実に大きな大剣だった。その剣が、切り裂くというよりかは潰すような形でケンジに近づいてくる。もう避ける余力もなかった。気づくのも致命的に遅れてしまった。徐々に大きくなって迫る剣に、ケンジは立ち尽くすことしかできなかった。
「<<風神・ユナイトテンペスト>>!!」
その瞬間。
後ろから声がしたかと思うと、物凄い風が吹いてきてケンジの体は吹き飛ばされた。そのまま出口へと一直線に飛んでいき、その奥の壁へと思いっきり叩きつけられた。
―――何が…
薄らと視界が見える。その中で、小さくエナキの姿が映った。短剣を構え、そこには竜巻のような大きな風を纏っている。その姿は一瞬だった。一瞬で消えた。エナキの姿を隠すように、巨大な剣が振り落とされたのだ。さらにこちらへの通路に繋がる出入り口で、塞ぐようにして岩が降り注いだ。
業火から逃れて体が冷める中、ケンジの思考は止まった。瓦礫は取り除けそうにないから、誰もエナキを助けに行こうともしない。もう、向こう側には行けない。エナキの姿はどこにも見当たらない…。
「おい、エナキ…!」
ケンジはすぐに戻ろうとした。ケンジは立ち上がって瓦礫まで近づこうとした。王族の兵士に止められた。
「ダメだ、すぐに魔物が来る。ここから離れるぞ」
ケンジは簡単に担がれた。振り解こうとするも、ダメージが大きく振り解けそうにない。
「エナキぃぃぃぃぃぃ!!!」
ケンジの叫び声は虚しくも、消えていった。




