地獄で始まりの続きを迎える燈たち
エクリュ・ミエーランの地に召喚され、145日目。
ーーー灯してください
初めてその言葉を耳にした時、虚無だった。微睡なんて言えない。そもそも眠っていない。ただただ、真っ暗の、真っ暗の中で黒色に塗りつぶされた世界。そこに誰1人の意識も存在しなかった。その中で目覚めさせるように、ある日ポツンと各々の頭の中で響いたのだ。
後に、仲間の1人がこう表現していたことをケンジはふと思い出した。波風もない微動にしない水面に、小石を投下して波紋が広がるように、と。最初はバカだな、なんだそれは、と思って聞いていた。文芸とはほど遠かったケンジにとって、その言葉の意味がどういったものだろうと深く入り込もうとすることはなかった。けれど日が経つにつれ、そして今もここで、なんとなく思い出し、なんとなく的を得てると実感する。
起こること全てが夢心地のようで、でも、それでも生きていかなければならなかった。真・剣・を握りしめ、無数の傷の入った頼りない防具を身に纏い、自身より背丈の高い怪物と対峙する。
そんな経験は、生涯一度もない。そんなゼロの状態から、まるで己の存在をこの世界に記すために、醜く踠きながら小さな波紋を広げるのは、何もない水面に身を投じる一つの小石と同じなのでは、と。
言うまでもなく、小石は笑ってしまうほど無力で意味なく大量の水に飲み込まれていく。飲み込まれて、ズブズブと沈んでいく。まるで水面に食べられたように沈んでいく。やがて、深い深い水底に着陸する。そこでの自分は何もできず、太陽の光だけを楽しみにしながら朽ちるまで一生そこで過ごしていく。
「死にたくねぇ...!」
気づいたら、口から漏れ出していた。反射的に吸った空気は、焼けるほど熱かった。
もう、陣形が整った状態ではない。皆が思うままに好き勝手に動き出し、混乱していた。血を流しながら倒れていく者もいれば、手当たり次第治療に当たり治癒魔法を負傷者に施そうとしている者もいる。洞窟の奥へ、または来た道を引き返し逃げる者もいる。行った先に待ち受けているのは新たな魔物でしかならないというのに。
「死にたくねぇよ...!」
煙で肺が痛い。
ケンジの目の前に、16メートルほどの大きな獣がいた。二足歩行で、口から巨大な八重歯を剥き出し、片手にも大きな剣が握られている。各々赤く塗りつぶされ、繰り出して暴れていく連れ、さらに赤色に染まる。染まる。染まる。たった今も魔物は剣を薙ぎ払い、防ぎ損ねた1人の体が切断されて壁に叩きつけられた。アレはもう治癒魔法ではどうにもならない。また、1人水面に飲み込まれた。
倒して外からの救援を待つしかない。それがケンジと何人か残ったものの考えだった。逃げたところでも、外には魔物がいる。統率を取れたからこそなんとかここまで来れたものの、今の状況で洞窟の出口まで辿り着けるわけがない。
「足だ!足を狙え! 動けなくして一気に叩くんだ!」
リーダー格の1人、マナブが叫んでいた。決まった返事することはなく、ただ各々頷く。ケンジも頷いた。
真剣を握りしめた。これから、あの化け物の足元までいき、刀を振るう。果たしてそれがムダ撃ちとなり、ケンジも水面に飲まれる虚しい小石となりうるのか、それとも沈むことなく生還するのか。灼熱の中にいるのにも関わらず、体が冷たく震える。あらゆる感覚がなくなっていき、自分が立っているのか倒れているのかも分からない。
「死にたくねぇんだよ...!!!」
自分を必死に鼓舞し続けた。
魔物が剣を大きく振り払ったタイミングで、ケンジは飛び出した。挫きそうな悪い足場を、お構いもなく駆け抜けていく。少し足を取られても、ふらついても、突き進んだ。
魔物の大きな足がだんだんと近づいていく。獣を臭い、生臭い血の臭い、何か焦げたような臭いが同時に鼻を襲い、これらが死を連想させケンジの体をより一層強張らせる。
刀を振り上げた。体の魔力を剣にありったけ流し込んでいく。鋼色の剣が徐々に、そして明らかに水色の輝きを帯びていく。習得したこの技を、これまで1番の声量で叫んだ。叫びながら刀を振り下ろした。
「<<糸雨>>!!!!!」
わずかに肉が切れ、吹き出た血がケンジの顔に飛んだ。
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ケンジが<<アッシュ・ベヒモス>>と戦っている頃、ミライはしばらくの間意識を失っていた。大きな衝撃が下の方から響いたと思うと急に足元が崩れた。そのまま落ちたところまでは覚えている。その後、同じように落ちた魔石が誘爆してしまい、軽々しくもミライの意識は吹き飛ばしてしまったのだ。
意識を失っていたミライだが、ずっと誰かに呼びかけられていた。
ーーー灯してください
またなのか、とミライは思った。この声が誰なのかわからない。ただ、一つだけ知っていることがある。
それは、自身の死期が近い時に聞こえ始めるということ。
実は、ミライは一度重傷を負ったことがある。手配書の魔物の一撃が、ダイゴやコウガの前衛にいる2人を抜けて、調子に乗ってやや前の方に飛び出していたミライに直撃したのだ。
体当たりをされ、運悪くも崖の上から落とされた。地面と激突する寸前で自身の魔法で衝撃を和らげたものの、勢いを殺しきれず、着陸時に背中を思いっきり打った。そのまま斜面を転がり続け、止まった頃には体はボロボロだった。血だらけになった。さらに、不幸にも谷底は魔物の棲家だった。ここら辺で生息している<<グランドウルフ>>が絶好の獲物が落ちてきたと言わんばかりに、ゆっくりと、確実にミライを囲んだ。
その時に初めて聞こえた。
―――灯してください
と。
厳密に言えば召喚時、ケンジ同じように、意識が覚醒し始めた時にもミライは聞いていたはずだ。だが、ミライは忘れてしまっている。
ミライは目を覚ました。そして、ゆっくりと起き上がった。体へのダメージが大きく、節々がかなり痛む。起きた時には、その声は消失していた。
「ここは…?」
「だ、大丈夫?!ミライ」
誰かが覆い被さるようにして顔を覗き込んでくる。モモカだった。その頬は血が付着していたが、少なくともモモカ自身のものではなさそうだった。
「モモカ…私…」
ミライは体を動かす。痛みはあるものの骨には異常はないようだった。
「ミライ、大丈夫か」
「ダイゴさん…」
頭から血を流しながら斧を構えるダイゴがいた。何かと対峙しているのか、顔はこちらを向いていない。
ダイゴがパーティを離脱した時、ミライはショックだった。選抜パーティは6人いるものの、ほとんど共に行動していたのはダイゴとティアだった。と言うのも、選抜パーティの中で少し争いがあり、主にコウガに付き添う者とダイゴに付き添う者に別れていた。
ミライはコウガのことを悪いと思ってはいない。けれど、ダイゴの方が人として尊敬できた。そんなダイゴが、突然急に何も知らせることもなくいなくなり、ミライは泣いた。ティア、ダイゴ、ミライ。この3人でいる時間がとても好きだったのだ。もうその時間が戻ってこないと思うと涙が止まらなかった。
しばらく会えない日々が続いたが、こうして会えることができた。戻ってきてくれたのだ。離脱の理由を聞けば、何かの一件が絡んでいるらしくその一件が終われば元々選抜パーティに戻ってくる予定だったという。ティア曰く、力づくで連れ戻したというのだが、あの衝撃とも言える一幕をミライはまだ知らない。
そんなダイゴが切羽詰まったようにミライに声をかけてくる。
「起きて早速で悪いが、できるなら手を貸してくれ!お前の魔法がいる!」
ミライは周りを見た。そして状況を理解した。
ダイゴが背にしている、ミライを含め、さらにその奥には負傷者と思われる者が大量に転がっていた。奥はどこにも道が見当たらず、逃げることだってできそうにjない。
反対に、ダイゴその先にいるのは大量のアンデット系の魔物だった。人骨で、禍々しい黒いオーラを見に纏い、赤い目、紫色の目、各々違う色を光らせミライ達を襲おうとしている。それを堰き止めていたのはダイゴ含めた、まだ戦えるもの達であった。
見れば現場を指揮していたドーバンの姿もある。皆が必死に応戦している。
「ミライちゃん、頼む…」
「…ミキジロウ君!」
すぐ横に同じようにして、モモカと同じパーティであるミキジロウが倒れていた。ミライにとっては懐かしい<<応急処置>>のスキルを発動しており、意識はかなり朦朧している。さらにそこにはティアがいて必死に回復魔法をミキジロウに施している。特に、ミキジロウの右腕は形が分からないほど潰れてしまっている箇所に…。
「ミキジー、自分の心配を…!」
モモカがミキジロウに声をかける。きっとモモカは自分とミキジロウの2人を見守ってくれていたんだろうとミライは思った。
「ケンジ…ケンジがいない」
「?!」
ミキジロウが搾り出すようにして声をあげた。
「魔石を取りに行ってから…帰ってこないんだ、アイツ…。多分、向こう側だ」
指した方向を向くとあの<<アッシュ・ベヒモス>>の頭部が見え隠れしている。動きは何かと対峙しているように見える。魔物は下に位置している。そのことからミライは自分たちのこの空間の中で上の方に位置いるということが分かった。
「エナキが…迎えに行った…」
「…エナキ君が?」
「あぁ…アイツ、ケンジが込めた魔力はまだ、残ってるんだ…。魔力が消えてねぇてことは、まだ生きている。俺じゃもう動けねぇ。代わりにお願いできねぇかなぁ…」
ミライはミキジロウの手を握った。そのミキジロウの左手は、もう力は残っていなさそうだった。握り返してくるその力は微弱だった。
「モモカも、俺のことはいいから…。エナキとケンジのことを頼むぜ」
「ごめんね、私が回復魔法使えないから…」
「気にすんな。ハハっ、ミキジロウ様だぜぇ?こんなことじゃ死なねぇよ…」
宿舎で宴を開いたあの日からミライはケンジと会っていない。
ただ、あの日本当に嬉しかったのをミライは今でも忘れていない。ケンジから急に『もしかしたら元の世界で知り合いだったかもしれない』と言われた時は戸惑った。ミライにそういった記憶は一切なかった。
当時はケンジが嘘をついている可能性も視野に入れていた。しかし、もし本当であるならば、内容は忘れているとはいえミライが前の世界で生きていた、という証をケンジは確かに記憶しているということになる。いずれ元の世界に戻りたいと考えているミライにとって、またケンジの人柄も嘘をついているようにも思えず、次第に信じるようになっていった。
「任せて、ミキジロウ君。私がケンジ君を助けてみせる」
ミキジロウは苦しそうに笑った。
ミライは、脇に置いてあった帽子を被り直し、立ち上がった。少し立ちくらみを覚えたがそんなことを気にしている場合ではない。手当てしているティアが無言で頷き、ミライも頷き返した。ティアは治療へと戻り、ミライは戦場へと進む。そして、ダイゴの横に立った。
「行けるか?」
「はい、お待たせしました」
ミライは雷属性の魔法の才を確かに覚えていた。しかし、魔道書店にティアと寄った時、ある1つの魔法に目を奪われた。魔法・スキルはその開発者によってシリーズ化されており、この魔法を覚えていたらこの魔法を覚えて方が良い、というある程度ロードマップ的が用意されてある。
逆にそうでない魔法やスキルをざっくばらんに覚えていっても体に不調を抱えたりすることが多くなる。スキルはスキル脈、魔法は魔法陣の作り方に差異が大きいとそれだけ体に負担がかかるのだ。
故にミライはある1つの道を極めることに決めていた。この魔法の極める、と。
―――あの日の夜空。忘れたことはないよ、ケンジ君…
「星空の魔法…」
ミライは目を閉じて集中する。そして、イメージする。魔法を扱うのに必要なのはイメージが大切だ。ミライはこの魔法を使うときは、いつもケンジと見上げたあの夜空を意識する。暗闇と無数の光の中に、一本の青白い線が入ったあの強い輝きを。
名前を叫ぶ必要はない。けど、この時ミライは力の限りその魔法の名を口にした。
「<<シューティングスター>>!!!」
一本の光、ミライの属性は雷であるため黄色のエフェクトが、目の前にいる無数のアンデット系の魔物へと向かった。光を浴びた魔物は溶けるように一瞬にして消えていった。衝撃でズレた帽子を指で軽く調整した。
今助けに行くよ、そう胸に誓った。




