地獄の始まりを迎える燈たち
エクリュ・ミエーランの地に召喚されて144日目から145日目。
ケンジ達は洞窟内で一夜明かした。本来なら寝床近くの壁にケンジは毎晩飽きることなく印をつけていたが、この日はお預けとなった。
作戦開始場所の大きな空間から出口へと繋がる道は他の魔物に妨害されないよう全て封鎖された。残りは洞窟の奥地へと繋がるその道1本だけしか残されていない。そして、その道から<<アッシュ・ベヒモス>>が現れる想定だ。
毛布が支給されたが、やや薄汚く、かつ洞窟の中は少し蒸していた。人によっては包まっている人もいるが多くの者は剥いで傍に置いていた。この洞窟の奥深くには、どうやらまだ溶岩が流れているとかなんとか。だとすると毛布よりも何か涼しいものを配布した方が良かったのでは、と不安を漏らす兵士が後を絶たなかった。
もっとも実際に溶岩が流れているかどうかケンジには分からない。多分この蒸し具合から本当に存在すると思う。
加え、洞窟の奥地は多くの魔石が眠っている影響から空気中の魔力がかなり濃く一部の魔法やスキルに影響が出るそうだ。噂だからこれも本当かどうか分からない。少なくともケンジ達が足を踏み込むことは今回の作戦の中に含まれていなかった。
日の光が全くないことから時間の感覚を失われた。とにかく体をできる限り休めたほうがいいとケンジは目を閉じた。近くで大の字で爆睡しているミキジロウのいびきがやけに耳に残った。普段からミキジロウの寝相はかなり悪いのだ。
故にケンジの睡眠は浅かった。エナキに肩を叩かれ起こされてからケンジはすぐに覚醒した。
「おい、起きろ。この妨害野郎」
「起きろー、この騒音人間め!」
モモカが杖で叩き、エナキが蹴っ飛ばしてミキジロウを起こそうとしていた。ケンジも喜んで加勢した。
起きてすぐ簡易なパンと水が入った皮の水筒が配られ、ケンジ達は食した。満たされなかったが、何もないよりかはマシだった。
朝食後はケンジの心の準備を待つことなく、事は迅速に進んでいく。必要箇所から燈は次々に配置されていく。ケンジ達のパーティで遠距離できるのはモモカだけだ。故にモモカは後方に配置され、遠距離攻撃できないケンジ達は前の方へと配置されバラバラになった。
心配になったケンジだが、幸運なことにもティアと同じ箇所に配属されたらしくエナキ達と3人で胸を撫で下ろした。ケンジが知っている残りのダイゴとミライはどこに配属されたかは分からない。それだけ多くの人数が集結し、そしてこの空間がかなり広い。
目の前の大砲の使い方を今一度確認する。特別な魔石を砲口から詰め込み、誰かしらの魔力を流すと射撃することができる。直線に近い平射弾道なので、狙撃技術・スキルを何も持ち合わせていないケンジ達にとっては扱いやすい。威力もかなりもので、ケンジ達よりも大きな岩を砕くほどだ。
この魔石が危険物らしく、取り扱いには注意が必要らしい。魔力が注がれた数秒後には爆発するように細工されている。兵士から「とにかく大事に扱うように」と耳にたこができるほど聞かされた。
役割を決め、ケンジが弾を装填、エナキが大砲で射撃する際の狙いを定め、ミキジロウは射撃するために大砲に魔力を注ぐことになった。
ケンジ達はしばらく待機した。特に会話はなかった。ミキジロウでさえも神妙な表情を浮かべていた。ケンジもその場で座っては、装填の工程を何度も確認した。やがて、
「時はきた!!!」
前兆なく、いきなりドーバンが叫んだ。これだけの人数だ、全体を管理するのは大変であろうが皆がドーバンの方を向いた。ケンジ達からは下の方でドーバンは勇ましく立っていた。よく見れば国旗だろうか、何か旗を掲げている。装備はいつもより重装備で、かつ頼もしく見える。
これは訓練ではなく、本番である。ドーバンが指揮を取るのは懐かしくケンジは訓練の情景を思い出していた。
「我らは今日、この地に立ち、自由と正義のために戦う!敵は強大な魔物であり、魔族である。しかし、我らの心には燃え盛る炎がある!この炎は決して消えることはない!希望を抱け。我らの勝利は、未来の平和を約束するものだ!剣を握れ、盾を掲げろ。我らの意志は不滅だ!進め、勝利を我らの手に掴もう!」
言葉の節目節目に雄叫びが湧き上がった。ケンジ達も同じようにして声を上げた。
締めにドーバンはこう言い放った。
「これより作戦を開始する!!!」
*********
一つ疑問に思っていることがケンジにはあった。それは、この準備した場所にどうやってあの巨大な魔物を誘き寄せるようだろう、と。その方法を実際に耳にした時には酷いことを考えるなと思っていたが、ここまで大規模に準備をしておいて現れなかった時のことを思うと、例えどんなやり方であっても構わないと少しだけ思うことができた。
魔物は、生物と同様に習慣・習性を持つ。いわゆる生き物と大して変わらない。つまり同様にして、全ての魔物とは限らないが生殖・繁殖機能を持つこともある。<<アッシュ・ベヒモス>>はその機能を持ち合わせているらしく、そしてこの大きな討伐を行う引き金となったのは、王族の兵士がその魔物の子供を捕まえることに成功したからだ。
産んだ子を大事することも、生物、人間と変わらない。つまり、王族側の兵士はいつでも、好きな場所に<<アッシュ・ベヒモス>>を呼び出せると思いついたのだ。
その子供がいる檻がドーバンの横に現れた。子供といっても既にドーバンの背の何倍もある。弱っているのか、遠目からでも元気がないのが分かった。
そんな檻の中にいる魔物の子供に向け、ドーバンが指示を出し、兵士の1人が剣を檻の中に突っ込んだ。檻の中にいた子供が悲鳴を上げた。ケンジは思わず目を逸らした。
「あんまり、いい気分じゃねぇな…」
ミキジロウが呟くのにケンジは同感した。
「同情しないでよ。逃したら僕らを襲いかかってくる。使役できるような魔法でも使わない限り…。いや、そんなものでも頼らない限り、人間と魔物はお互いを分かち合えないようになっているんだよ」
「そうかもしれないけどよ…」
「殺さなければ、殺される。じゃなければ王族側だって僕達義勇兵なんか必要としていないでしょ?」
「…」
エナキは変わらず冷静そうだった。剣は何度も檻の中へと撃ち込まれた。その度に鳴き声が上がった。まるで、
『お母さん、お母さん、痛いよ!助けてよ!』
人間の言葉にするとこんな感じだろうか。ケンジの頭に幻聴が聞こえた。そもそも今回の<<アッシュ・ベヒモス>>が母親なのか、そもそも雌雄が存在するのかも知らないのだが。
人間側は冷酷で、ただ親が現れるのをひたすら待ち続けた。そして、総攻撃を仕掛けることを。誰も話すこともなく、鳴き声だけが空間を支配する。ケンジも、現れるはずであろう、この空間の奥へと続く道をひたすら見ていた。
緊張感が損なわれてきた頃、<<ディテクト>>を発動していたエナキが言った。
「くるよ」
ケンジ達に緊張が走った。そして、それが正しいと言わんばかりに、
ドスン...。
と一つなった。確かに一つ、唐突に。地面が揺れて、誰かが「来るぞー!!!」と大声を上げた。辺りは厳戒態勢となり立ち上がって大砲の側へと近づく。
ドスン...。ドスン...。
足音は段々大きくなり、連なって木道も若干揺れ始める。「おぉ…」という人間の情けない声が数々上がる。
ドスン...。ドスン...。ドスン...。
またケンジの鼓動が早くなるのを感じた。息が苦しい。そして、エナキの言葉を思い出していた。もし接近戦で戦うような戦況になった場合は自分を置いてミキジロウとモモカを引き連れて逃げて欲しい、と。もちろん、置いていくつもり一切ない。その言葉が、情けなくもケンジの緊張から僅かに救ってくれる。
ドスン...。ドスン...。ドスン...。ドスン...。
「来る!!!」
洞窟の穴を突き破るようにして奴は現れた。その現れた方は勢いがあり、周りの障害物など気にせず多くの瓦礫を削り、吹き飛ばしている。我を失っていると言ってもいいかもしれない。
「俺たちが見た奴と同じだな」
ミキジロウが言った。
あの時見た光景と変わらなかった。この広い空間でも背丈は高く、最下層に現れたのにも関わらず遠目からでも姿形がはっきりしている。手には、剣だろうか、何やら石柱のようなものが同じように握られていた。赤い目は、良くも我が子を、と言わんばかりに怒りが込められたようにギラついている。
「グォぉぉぉおぉぉぉぉォぉぉぉおぉぉぉぉ!!!!!」
瞬間、耳を抑えた。そうでなければ鼓膜が破けてしまいそうだ。しかし、確かにドーバンの怒号が負けないくらいケンジ達に届いた。
「撃ち方始めぇぇぇいぃぃ!!!」
騒然の中、ケンジは大砲に慌てるようにして魔石を詰め込んだ。詰め終わりエナキに合図すると、今度はエナキが大砲を構えて狙いを定めていく。
「ミキ!」
「合点承知!」
狙いが定め終わり、ミキジロウが手で大砲に触れ魔力を注いでいく。やがて、大砲は赤色に染まりはじめ、火が吹きそうなほど赤くなった頃には発射した。まずは一発目だ。弾となった魔石は見事な直線を描き、吸い込まれるようにして<<アッシュ・ベヒモス>>の右肩辺りに当たった。
うしっとミキジロウが拳を空へと伸ばす。エナキ達だけでなく、次々と弾は<<アッシュ・ベヒモス>>に命中していく。その攻撃の凄まじさはまさに圧巻であった。薄暗いこの空間が砲撃の光で眩いほどに包まれた。そのせいで<<アッシュ・ベヒモス>>の体も見えなくなっていた。
「ケンジ、今のうちに魔石を持ってきて。補充しておこう」
「は?まだ一発目だぞ?」
「いいから。多分長期戦になる」
エナキに指示されて仕方なく、ケンジは魔石を補充してくることにした。魔石の置き場所は決まっており、もし魔石、弾切れとなったらそこから補充することになっていた。最初のような勢いを維持するためにも魔石はなるべく手元に置いておきたいというのがエナキの考えだろうとケンジは思った。
「おい!あれを見ろ!!!」
たまたま一つも大砲を通った時に、配置されていた奴が叫んだ。どうやら<<アッシュ・ベヒモス>>の方を見て何やら叫んでいる。それは一人だけではない、皆だ。しかもどよめきに近かった。
ケンジも見た。そして言葉を失った。
煙が晴れてくる中、確かに奴は存在していた。先ほど明らかに違うのは奴の体を囲むように青い膜のようなものが貼られていたのだ。それは内側も見えるほどで、薄いものであった。しかし、たまたま弾の一つがその膜に接触したかと思うと魔物の体に触れることなく爆発した。
「バリアか…?」
何一つ<<アッシュ・ベヒモス>>に届いていなかったのだ。ケンジだけでなく、子にいる誰もが同じように判断したことだろう。つまり、最初の攻撃は何も入っていなかった…ということなのか。そうと言わんばかりに魔物が咆哮する。
「グォォォォォォォォォォオオオオオォォォォオ!!!!!」
「打てー!!!バリアを崩すんだ!!!」
ケンジのすぐ近くにいた燈と思われる奴が叫んだ。
その声を背に、ケンジは魔石の補充へと道を急いだ。




