力の差を見せつける燈たち
やはり、エナキには話しておくべきだと思っている。燈が殺害にあったことについて。
ケンジはずっとエナキに打ち明けられずにいた。何度か話さなければ、伝えなくてはいけない、と話をかけようとしたことがあった。しかし、いざ話す時になると何故か怖気付いてしまう。
理由はよく分からない。なんとなくぼやけては見える。いや、嘘だ。はっきりとエナキに対して思っていることがあった。
心の中でまだ燈が殺されてしまったという現実を受けいれられていないのかもしれない。正確に言えば受け入れたくない、のかもしれない。これは建前だ。もっと、明確に見えているものがある、ケンジの心の奥底で。
仲間内でもどこから仕入れているのか分からないエナキの情報量の多さ。その不気味さが、討伐前とタイミングが悪いことこの上なく、ここにきてケンジの心に侵食してきている…ジワジワと。
―――エナキが殺人鬼だ
ケンジはハッとした。誰かに声をかけられたような気がしたのだ。しかし、横を見ても誰もいない。その岩陰に潜んでいる誰かが潜んでいるかもしれない、としばらく見つめたが誰も出て来なかった。
そして、ケンジは思わず首を振った。そんな馬鹿なことを考えるべきではない、と。確かに不透明なところが多いエナキだが、自分達を裏切るようなことはしないはずだ、絶対に。そう何度も自分に言いかけているにも関わらず、結局は、同じようにその場所へと行き着いてしまう。
もし。
もし、エナキが燈を殺していたら…。そしてケンジがその事実を伝えた時、果たして今の関係を続けることができるのだろうか。続けられるはずがない。エナキ、モモカ、ミキジロウ。そして自分を入れて4人のパーティで、これまでと同じような生活をする。宿舎に滞在して、朝昼晩の食を共にして、討伐に行くかそれぞれ好きなように出かける。そんな日常が終わってしまう、それが何よりもケンジが恐れていることだった。
最悪の場合は、その終わりの告げ方がエナキによって殺されることだ。自分勝手だが、仮に殺されるとしたら1番最初がいいとケンジは思っていた。モモカとミキジロウがエナキによって殺されてしまう場面を目撃してしまった暁には、その事実を受け止めきれる自信がない。
エナキは短剣を刃こぼれしてないのかと見つめている。しかし、表情からして真剣ではないのはすぐに分かった。そんな確認はここにくる前に既に終わっているはずだ。ケンジ達はまだ一度も戦闘を行っていない。故に何かを考え事をしている。あるいは、
―――俺が何かを話すのを待っている…?
いや、そうではなかった。エナキの方が口を開くのが早かった。
ケンジ達は他の燈と兵士達から離れたところにいた。この位置からならば誰も話は聞いているわけではないだろう。エナキみたく<<ディテクト>>みたく探索スキルを使ってなければの話だが。
「ケンジ」
「あ、あぁ…なんだよ」
「もし万が一に、こっちが出向かうような戦況になったらさーーー」
エナキはそのまま続けた。
「君らは逃げなよ」
「….は?」
一瞬、何を言われたか分からなかった。徐々に理解して、そして思わず声を出してしまった。またコイツはどうしてこんな頓珍漢なことが言えるのだと。人の気も知らないで…。
エナキは依然短剣を眺めている。そうだ。ダイゴが出会った今亡き燈の死因である、短剣を。じっくりと。それがまたケンジの体を硬直させてくる。
「ミキとモモカを連れて逃げるんだ。多分、選抜パーティのダイゴ達で足止めくらいのところかな。どちらにせよ、僕たちがどうこうできる相手じゃない。兵士に見つかったとしても、大丈夫だよ。誰も咎めることもないだろうし、何せあの魔物を抑えるのに必死だろうから誰も見ちゃいない」
エナキと話すだけでケンジの体は震え上がり始める。
「お前は…どうするんだよ…?」
「やることがあるんだ」
エナキははっきり言った。ケンジはエナキを見た。エナキはこちらを見ない。
「やることって…魔物を倒すってことか?」
「今の話を聞いてた? 戦っても無駄だって…僕は犬死するなんて勘弁して欲しいんだけど。大丈夫、問題がなければ最初の砲撃で事は全て片付くだろうし、仮の話だし、僕1人になったからと言って死ぬ気はないよ」
エナキは気づいていないようだが、ケンジの震えは止まらなかった。そして尋ねるつもりは毛頭なかったのだが、気持ちとは裏腹に、気づいたらケンジの口は動いていた。
「……そのやることって….言うのは、聞いたら教えてくれるのか?」
時間を戻せるなら戻したかった。しかしその必要はなく、それとも案の定と言うべきか。ケンジのある程度想定した返答がきた。
それは音のある返し方ではなかった。ただ、まるで無視したかのように、エナキは一切の動作を変えなかった。その返し方はケンジの心を救ってくれる事はない。エナキは未だ物珍しそうに、もしくは血が残っていないか、短剣をただ眺めているだけだった。教えたくない、そう言っているようにケンジは思えた。
それでいいのだろうか、とケンジは思った。自分がこのモヤモヤを抱えたまま、討伐挑むのはいいのだろうか。自身や『ミキジロウ達』の危険な芽は予め摘んでおくべきじゃないか。そういえば、エナキはダイゴ達、選抜パーティがこの討伐に参加するのを知っていたのだろうか。いや、知っていると思う。ケンジが知っていてエナキが知らないことはあり得ない。
微かに震える唇を、ケンジは前歯で噛み締めるようにして抑え込んだ。いつの間にか乾き切ってしまった口内を嫌いつつ、動かそうとする。
―――聞くんだ、エナキに。
エナキは味方だ。でも、万が一そう出なかったら…ここで取り押さえた方がいい。殺されるなら自分が先になる。そうだ。都合がいい。ケンジは気づかれぬよう剣に手を添えた。
「エナキ、お前は―――」
しかし、タイミングが悪いことこの上なかった。まるでケンジの想いを断るかのようにエナキがサッと手を上げたのだ。初めは、気持ちを読まれたのかと思い、ケンジの体はより一層強張った。その振り上げた手はケンジを強襲してくるものだと錯覚したのだ。でも、違った。
久々にそのサインを見て、ケンジは失念していた。思い出すきっかけとなったのは、エナキが短剣をいつでも振り下ろせるように握り直したのを見てからだ。そうだ、ここは魔物がいる。手を挙げたのは戦闘準備のサインだと。
「ミキ達が魔物と接触したみたい。こっちに戻ってくる」
ケンジが色々考えたのを露知らず、エナキは状況を伝えてきた。絶好の機会を逃したとケンジは酷く後悔しつつもひとまず頷いた。答えるようにケンジは腰にかけてあった剣に、今度はエナキに見えるように手をかけた。周りは気づいてないのか、喋っている者もいれば、真面目に構えているもどこか気持ちが入っていない。きっとエナキの<<ディテクト>>のおかげでケンジ達がいち早く気がついた。
二人が消えていった通路には、風があるのか、吊るされたランプがゆらゆらと揺れ動いている。ある一定の距離からして、ランプの数が減っているのだろう、薄暗くなる。よって通路の奥までは視界が届かない。
程なくしてその暗闇から足音らしき音がケンジの耳にも届いてくるようになった。暗闇から飛び出してくるように、向こう側からドタバタと逃げてくる2人の姿が現れた。
「「お化けだぁぁぁぁああ!!!」」
*********
二人の悲鳴が洞窟内でこだました。辺りが一気に緊張感に包まれた。すぐこちらへと駆け寄ってきて、ケンジ達の数歩手前でしゃがみこんだ。全力で逃げてきたらしく肩で息をしている。ひとまず2人は無事でケンジは安心した。
「ま、魔法で攻撃しても倒れないんだよ」
「だから俺が殴れば!」
「やめときなって、ミキジー。絶対アレは毒を持ってる」
2人でゴチャゴチャと話すので状況が一切分からない。しかし、彼らに聞くよりもケンジの視界の方が早かった。
それは人型だった。しかし、人間とは到底思えない。肌色はどこにも見当たらない。肉がないのだ、それは人骨だ。人骨が二足歩行をして、ランプと同じようにユラユラと、千鳥足でこちらへと向かってくる。
「気色悪い…!」
誰かが声を上げた。生理的に受け付けられそうにないのは誰もがそうだった。周りに黒い霧を纏いながらピトぉ、ピトッと黒い何かを垂らしながらゆっくりと近づいてくる。片手には錆びついたスピアが握られている。
「ミキ、モモカ。いける?」
エナキがそう言い、まだ息が荒れているも2人が頷く。この時のエナキはやけに好戦的であった。
「やるのか?」
「僕らは最近一緒に戦ってないからね。連携を確認するにはもってこいでしょ。怪我したら誰かに助けて貰える」
エナキはボソボソと耳打ちするように呟いた。なるほど、考えてみれば本番前には良い機会だとケンジも思った。ケンジも魔物を相手にするのはまだ<<火斬>>を使用していた以来になる。あれ以降4人で戦っていない。皆の成長具合を知っておくと後で連携を取りやすくなるかもしれない。
乱戦を避けるため「ここは任せてくれ」とケンジは1人兵士に伝えた。兵士は「分かった」と頷くと皆に少し下がれと言いつつも、戦闘をよく見ておくようにと指示している。どうやらこういった魔物がこの洞窟には出てくるらしい。
「へへっ、久々に4人で戦えるなんてよぉ」
「腕の見せ合いだね…」
皆に見られながら戦うのは嫌だなと思いつつも、ケンジも目の前の出来事に引き戻される。緊張のあまりか、いつぞやと同じように鼓動が早くなり、吐き気を覚え始める。横にいるエナキは気怠そうにも体は構えに入っていて余裕が見られる。モモカは不安そうに杖を手にし、ミキジロウは楽しそうに拳と拳を前で合わせて堂々としている。
「アンデット系、魔族の仕業だね。かなり強力らしいから手は抜かないようにね」
「魔族の仕業っていうと…なんだっけ?」
「ドーバンから教わったでしょ? 人の亡骸を放っておくと、魔族が世界を覆うように作った魔法が作動して魔物へと変わるって…それがアンデット系の魔物だよ」
「じゃあ、あれって元々…私達と同じ人間?」
「モモカ、正解だよ」
小さな悲鳴をモモカは上げた。
ケンジにとっては最近の話題となっている。エストワードから人間の死体を何も処理せず放置するのは御法度であるという事を聞いていた。あれがアンデット系の魔物で、と言うことはあの人骨は紛れもなく元々人間だったわけで、適切な処理をされなかったために魔物へと化してしまったのか…。ケンジは思わず息を呑んだ。
と同時に、あの得体の知れないものをミキジロウは直接殴ろうとしたと思うと、勇ましすぎると感じた。得体の知れない黒っぽい液体は止まる事なく、一定の間隔で滴っている。あれに触れようとする勇気はケンジにはない。
「おい、アンデット系だ! これ使え!」
後ろから兵士が何かを投げてきたのをケンジはキャッチした。青色の瓶の中に何やら透明の液体が入っている。これが何を意味するのか心当たりがなかった。
「聖水だ! それをかければ浄化できる!」
その声と同時だった。ゆっくり歩いていたアンデット系の魔物が、急に速度をあげ、一直線にこちらに向かってきたのだ。聖水、浄化。不明な単語がケンジに残ったままだった。
「おいおいおいおいおい!!!かなり早いぜぇ!」
「きたぁぁぁぁぁぁ!」
ケンジはひとまずその聖水をエナキに押し付けた。
「エナキ、まず俺が足止めする。お前は聖水を…!!!」
後ろへと下がってくるミキジロウとモモカと入れ替わるようにケンジは飛び出した。腰に携えていたのは剣だけではなかった。もう一本、ケンジの腰にはぶら下がっていた。それはザボ爺から授かった刀、という剣に似たような武器だった。
剣は両方に刃がついているものの、刀は片刃だった。ケンジは剣の方を手に取る。新しく取得したスキルは刀の方が威力を発揮するらしいが、まだケンジの手に馴染んでいなかった。今は慣れている剣で試したい。
「天からの授かり…天からの恵…一瞬の輝き…」
ボソボソとケンジは呟いた。魔法を発動するのはイメージするのが必要だが、スキルもある程度イメージした方が良いというのがザボ爺の教えだった。
この技を開発した時は、雨を参考にしたという。灰色の空の下で、雨宿りをしている。通りには誰もいず、ただ糸のように細い雨が降り注いでいる。そこに一人の人間が目の前を通る。雨から逃げようと小走りであるものの、天から降り注ぐ糸のような雨は鋭利を備え、小さく切り裂くようにして人間の服を濡らしていく…と。
魔物のスピードとケンジのスピードはかなりのものであった。お互いすぐに射程範囲へと入る。魔物がスピアを突き出してきた、と同時にケンジは抜刀した。青い魔力を纏ったその剣を振った。
「<<糸雨>>!!!」
ケンジの剣の軌道を描くように、青い一筋の輝きが空中で残った。輝きは線のように細く、見逃してしまう程だった。そして、その光の筋は明らかにスピアの先端を捉えていた。その線の仕業であるように、目の前のスピアが金属音を撒き散らして切断された。
悪くない、とケンジは思った。<<糸雨>>は対象を切り裂く、切断するのに特化している。範囲も狭いが、まさか目の前のスピアを破壊できるほどの切れ味を持ち合わせているとは思わなかった。加えて、あの背中の痛みはもうどこにもない。
「ケンジ!伏せて!」
後ろからエナキの声が聞こえてケンジはその場で伏せた。魔物はスピアを折られてしまったことに驚愕している様子だった。故にケンジには動ける時間が余裕にあった。
「<<ブラインド>>!」
黒い塊がケンジの頭の上を通過し、魔物に炸裂した。魔物はヨロケてその場で無我夢中に暴れ始めた。どうやらこれが先ほど話していた視界を奪う魔法らしい。
「モモカ、<<ウインド・ショット>>!デカい奴は駄目!周りが崩れる」
<<ウインド・ショット>>ということは周りに爆風が生まれるとケンジは思った。ここにいると巻き込まれると考え、ケンジは後ろへと下がった。エナキが指示を出してくれるおかげで、次にどう行動すべきなのか分かり易い。
ケンジが下がった先にはちょうどミキジロウがいて、エナキに渡したはずの先ほどの聖水が握られていた。蓋をあけ、それを自身の拳にかけている。「こうすれば触っても問題ねぇらしいぜ」と得意気になっている。
その間にもモモカの<<ウインド・ショット>>が放たれ、魔物に当たる。白い煙に包まれるも、すぐに煙から飛び出して吹っ飛んでいく。耐久力があったのか地面を滑るも壁の直前で魔物は耐えた。キラーモントでさえ吹き飛ばしたのにも関わらず、耐えてくる辺りやはり強敵なのだろう。遺体を放置するのは御法度な理由がよく分かった。
アンデット系の魔物はそのままフラフラと歩き始める。先ほどとは違い、人型であるからか、明らかに痛手を負っているのが見て取れる。そしてきっとエナキの<<ブラインド>>が効果を発揮し続けているのだろう、魔物は壁にぶち当たったり、地面の石に躓いたりしている。
「ケンジ、これを持っててくれよ!」
「お、おう。気をつけてな」
「たりメェよ。見せてやるよ、俺様の鍛錬の成果をよ!」
ミキジロウの初動は驚くように早かった。ケンジは驚愕したが、よく見れば、ミキジロウの足元には風の渦が存在していた。これは、モモカ本人から聞いていたのだが、新しい魔法の<<ウインド・ステップ>>で対象の者の移動を軽やかにしてくれるらしい。現にミキジロウは地面を蹴っていないにも関わらず、わずかに浮かびながら移動している。
上手い、とケンジは思った。整備されているとはいえ、小石があり転ばないことはない。しかし、浮いてしまえばその心配はなくなる。
「火の拳…と聖水の拳だぜ!<<フレイム・スマッシュ>>!」
<<火斬>>までの火力とはいかずとも、確かにそれなりの炎が、ミキジロウの拳と共に、魔物へと炸裂した。魔物の腹骨に見事ミキジロウの拳が入り込んだのだ。今度は壁までめり込んだ。そして、ケンジは気づいた。拳が撃ち込まれたところからアンデットは煙を吐いている。多分、これが浄化と呼ばれるものでおそらく効いているのだ、と判断した。瓶の中にはまだそれなりの量の聖水が残っている。
それを見たケンジは一気に近づき、聖水の瓶を魔物に向かって投げた。パリン、と割れた音が聞こえると液体の全てが魔物へとかかった。その瞬間、
「〜〜〜〜ィィィィィ!!!」
なんとも言えない奇声をあげて、明らかに苦しみ始めた。ケンジと隣にいるミキジロウは不意打ちを警戒しつつ事の行方を見守る。
溶けていっているのだ。魔物の体が白い煙となって。シュー、という音を撒き散らして太そうに見えた骨がだんだんと細くなっていく。しばらくして骸骨は全て煙となって溶けていった。
「ミキ、あれ…!」
「あぁ、これはよぉ…」
消え掛けの中でケンジ達は確かに見えた。この魔物が誕生する前の姿だ。確かに人間の姿だ。うっすらと、霧のようにうっすらだが確かに視認できている。その人間は女性のように思えた。実際、体の全体が写されているわけでないから正確ではない。そして、こちらに何か伝えようとしている。ただ音がなく、よく分からない。
消えかける時、ようやく分かった。口の動き方「ありがとう」と言っているようにケンジには見えた。
「しっかりと生きてた人間だったわけだなぁ、ありゃ」
ミキジロウがそう言い、ケンジは頷いた。
戦闘の終了後、周りから歓喜の声が上がった。強敵であるとされるアンデット系の魔物をすんなり討伐したこともあって兵士からも褒め称えられた。「どーもどーも」とモモカとミキジロウは満更でもなく喜んでいる。ふと、ケンジはエナキを見た。
また伝えるタイミングを逃した、と思いつつも先ほどのエナキに対する恐怖心は薄まっていた。この戦いが終わった後でも大丈夫だろうか、とケンジは先送りにすることにした。
そして、エクリュ・ミエーランの地に召喚され、145日目を迎える。




