訓練に励む燈たち
突如してケンジの日常はガラリと変わった。
狩り暮らしからまた訓練暮らしに舞い戻っていた。
スキル屋はちょうど宿舎とは反対側の街の端に位置していた。詳しく言えば、宿舎は東側に位置し、スキル屋はというと西側に位置していた。丘の上で、よく討伐に行く森に近い。その道はそれなりに険しく、ケンジはスキル屋に行くためには一旦丘をおり、さらに反対側の丘を登らなければいけなかった。移動だけでも一汗かく。
ダイゴは、新しい滞在先が見つかるまでスキル屋に滞在することにしたそうだ。毎日顔を出すようになって、ケンジはダイゴとザボ爺の2人はそれなりに仲が良かったことがわかった。サボ爺は一人暮らしだったから、誰かと同じ時間を過ごすことを欲していたのかもしれない。ダイゴだけでなく、ケンジに対しても嫌な顔をすることなかった。
1日中鍛えてもらっては宿舎に帰る。ほとんど同じ時間を過ごしていたエナキ達と、朝と夜にしか会わないのはケンジにとってかなり新鮮だった。
ケンジがザボ爺という、スキル屋ではあるが指導者兼医者(?)を見つけたと同様にモモカも無事指導者を見つけることができたようだ。ここ何日か通い詰める必要があるらしく、モモカもゲンナリしている様子だった。かなりキツいらしい。それはケンジも同じで、どちらが先にくたばるか競争している。
『お前さんの属性は水じゃ』
稽古の初日、ケンジはそう告げられた。通りで火属性のスキルや魔法を使うと激痛が走っていたのか理解することができた。この世界の常識的に火属性は水属性に弱く、水属性は火属性に強い。
『今考えると納得がいく。体が水属性だったからこそ、燃え尽きることなくある程度スキルを使用することができたんだろうな…』
ザボ爺がそう呟いた。同時に、本来ならばスキルを取得する際には必ず自身の属性を確認されるだという。しかし、ケンジはされたことがなかった為、隣にいたダイゴが『差別だろうな』と口にしていた。ケンジも気づかぬところで、燈に対する差別の被害者であったことが判明したのだった。
教えてくれるスキル、<<糸雨>>は水属性の技だという。技とスキルは一緒であり、<<糸雨>>というのは技と呼ぶらしい。これはスキルを開発した者のこだわりであるらしく、専門家でないケンジ達はかなり迷う。
<<糸雨>>は切れに特化した技らしく、取得するにはスキル脈を作る必要があるが、同時にある程度の剣技を磨いた方がさらに威力が上がるとのことだった。療養中であるケンジはスキル脈を作ることはできないし、脈を作っても使用するまでに体が治っていなかった。従って、まずは剣技を磨く方針となった。なったのだが…。
「ひたすら薪割り…」
渡されたのは剣、ではなく斧を握り締めていた。ケンジは力一杯に斧を振り下ろした。カコンッ、と乾いた音が響き渡り、木株の上に置いてあった丸太が半分に割れた。
「ダメだダメだ! はぁーお前さんは基本がなっとらん。いいか握り方はこう、もっと脇に余裕を持たせてよ…違う!こうだって言ってんだ。力も始めから入れすぎだ、もっと楽にして斧が丸太に触れたところで力を入れんだぁ!」
今更になって気づいたことだが、ザボ爺は興奮をすると途端に口が動き出す。ケンジの姿勢を一つ一つ正そうとあらゆる箇所を手で触り修正してくる。お陰様で初日よりもだいぶ構えの歪みが矯正されたと思っているものの、それでもまだまだだとザボ爺はケンジを指導してくる。
指導に熱を入れてくれるのは嬉しいことだが、正直ケンジはこの薪割りが何を意味するのかが全く分からない。そもそもケンジが戦闘で握るのは斧ではなく、剣だ。何故斧を握る必要があるのか、少なくともケンジの中に斧を扱いたい気持ちは毛頭ない。
薪は自分用と売り物用にするらしく、朝方はダイゴが顔を隠しながら街に売りに行っている。ダイゴが来る以前は他の人に頼んで薪を取りに来てもらっていたらしいが、自分で売りに行けるならそちらの方がお金になるとのことだった。
正直この訓練の意味はなく、このお爺さんのお金稼ぎの為にこの薪割りをやらされているんじゃないか…、とケンジは思ってはいる。口にはしないが…。
「一旦休憩せぇい。集中力が抜けとる、それじゃ駄目だ」
ケンジは斧を下ろした。もうどれだけ薪を量産したか分からない。汗は滝のように流れ、肩は悲鳴をあげ、手にはマメがあちらこちらできていた。ただ背中の痛みはなくなってきていることから回復してきている実感はある。
この切った薪はすぐには売り物にならず、それなりの期間乾燥させる必要があるとのことだった。木は水分と種類よっては魔力を貯蓄するらしく、どちらも燃やすのには不向きだから抜き切る必要があるとのことだった。
木株を中心に小さな山を作っている薪を指定の箇所に持っていき、乾燥しやすいように隙間を作りながら重ねていく。これものザボ爺からの訓練であった。
「見てみ」
「?」
ザボ爺が両手に薪を持ってケンジに押し付けてきた。
「これがお前さんの切った薪。これはダイゴがこの前切った薪。何が違うか考えてみなされ」
左の薪が自分で、右手はダイゴが切った薪らしい。どちらも見た同じ種類の木であるし、違いは見当たらなかった。どこが違うのか、そう尋ねる前にサボ爺は家へと戻っていってしまった。仕方なく一旦全ての薪を組んでからケンジは考えることにした。
丘の上からミエーランをほぼ見渡せる場所があり、そこがケンジの休憩場所となっていた。渡された二つの薪を置き、草原へと寝転んだ。だいぶ良くなり仰向けになってもさほど気にならない痛みになっていた。
この場所は、ところどころ崩れているとはいえ、一応石壁に覆われた街の中らしい。少なくとも魔物が出てくる心配はなかった。日当たりもいいし、邪魔にならない程度に風が吹いていてケンジの眠気を誘う。
この後は薪を売り終えたダイゴが帰ってきて、そのままケンジと組み手なり、走り込みを行うなど一緒に訓練をする。ダイゴとの訓練の方が何十倍もタメになると思っているし、身体能力含め全てが卓越したダイゴと鍛錬をすることができてケンジは何より嬉しかった。もっとも、同時にダイゴと自分の力の差は明白ではあるのだが…。
「違いね…」
ケンジは薪を見比べていた。そこまで真剣ではない。薪の向こう側に広がる雲を時々目で追いながら考え続けた。
きっと何かしらの違いがあるはず、けれど一向に見つからない。薪の重さだろうか、それはダイゴの薪は水分と魔力がある程度抜けているから軽い。大きさだろうか。若干だがケンジの方がゴツゴツして大きい…。
「ケンジ」
意識を取り戻した。
結局寝てしまい、ケンジはいつの間にか帰ってきたダイゴに起こされた。ザボ爺が用意してくれた野菜が沢山入ったスープを飲み、いつも通りダイゴと鍛錬を行うことになった。今日は組み手であった。二つの薪はまだ答えが分からず、手元に残ったままで、サボ爺は聞いても『自分で見つけるのもそれまた学び』と言って決して教えてくれなかった。
「こい」
真剣ではなく、木刀を握りしめてダイゴと対峙する。木刀は剣とは違い、少し曲線を描く形でこっちの方がかっこいいとケンジは思った。理由は分からないがこちらの方がよく手に馴染んだのだ。
二人で見合わせながら一定の距離を保ち、そこからひと勝負を行う。ルールとか細かいところは何も決めていない。とにかく四肢で相手を地面に押さえつけるか、木刀で相手の体の致命傷となり得る部分を突いたり、叩いたりした時点で勝ちだ。
「…来ないならこっちからいくぞ」
「おぉ!」
ダイゴの攻撃はいかにシンプルであった。振り上げた木刀を振り下ろす。たったこれだけだ。対してケンジは突きや下から上へと振り上げるなど多彩に攻撃を仕掛けるが、ケンジは大敗を重ね続けている。今もケンジが数回剣を降った後、ダイゴからの重い一撃をケンジは木刀で向かい撃った。バシっ、と木の乾いた音が鳴り響く。
「くぅ…!」
「足を動かせ、そのままじゃ押されるだけだ」
とにかく力が強い、それがダイゴの強さの一つだとケンジは思った。剣より重たい斧を武器としているから当たり前のことかもしれない。防いだ木刀からの衝撃が手まで響いて痺れる。木刀が混ざり合った後もその勢いを殺しきれずに後退を強いられる。
「?!」
そしてダイゴに近づけば、もっと恐ろしいのは手や足から繰り出される締め技であった。木刀でせめぎあっている最中に、ダイゴは一瞬で、力を極端に抜いたり、入れたりする。それが引き金となってケンジの体制が崩れたところを殴るなり蹴るなりをケンジに加えてさらに追い込み、怯んでいるところで技をかけてくる。
今回は単純であった。せめぎ合いで押し負け、木刀を手から弾かれた後に速さ乗った蹴りを真正面から受けた。
「ぐはぁ…!」
ケンジは地面へと倒れ、その隙に押さえつけられた。手首を背中の後ろまで持ってこられて、これ以上動かされれば骨が折れてしまいそうでもう何もできない。ケンジはさらに負けを重ねた。
「もう一度だ。同じ手でやられるなよ」
「はぁ…はぁ…はい!」
そして、もう一つのダイゴの強さの秘訣は体力だ。もうかれこれ何十回と対峙するのに息一つ上がっていない。対するケンジは乱れるに乱れていた。体は必死に酸素を求め、土で汚れている。ダイゴは何一つ汚れていない。呼吸も正常だ。
「まだいけるか?」
「まだ…やります。やらせてください…」
「気持ちは強いな。あとは身体だ、早く俺から一本取ってみろ」
ケンジは諦めるわけにはいかなった。たとえボロボロになったとしても、立ち上がって見せると自分に誓った。自分でもよく分からない謎の闘志で燃え上がっていた。ケンジのその気持ちが伝わったのだろうか、ある日の休憩中にダイゴが聞いてきた
『燈の虐殺のことで、恐れているのか?』
どうもケンジはそれだけじゃなかった。確かに自分が誰かに命を狙われているかもしれないという恐怖はあったし、町で歩く時は一層警戒心を高めている。エナキやミキジロウ、モモカといった仲間が殺害されることも何より避けたいしそのためにも殺人魔から守れるくらい強くなる必要がある。
でも、そうじゃなかった。気づいた時には口を動かしていた。
『ミライに誘われたんです、選抜パーティに来ないかって… 』
『何?』
『でも、断りました。その時』
宿舎でお祭りを開いた日、ミライが選抜パーティに誘ってきたことをケンジは鮮明に覚えていた。
『自分の強さじゃ到底選抜パーティに及ばないって…。絶対足手纏いになるから無理だって。そしたらミライが落ち込んだというか、悲しんだというか。なんとも言えない顔になって』
『…そうか。その後ミライは何か言ったか?』
『すぐにモモカが来たので、深くまでは話せなかったです。でも、その日の別れ際にミライがこう言ってきてー――』
そのミライの表情をケンジはきっと一生忘れないと言えるほど自信があった。宴の炎が消え、静かになった夜。月夜が彼女の顔を照らし、彼女自身もその光に立ち向かうように月へと顔を見上げていた。無数の星と、時々現れる流星の下でミライはこう言った。
『私は、もっとこの世界を知りたいの。もっと知って、そしていつか、必ず元の世界に戻りたい。私がそこでどういう人間だったのか、家族や、友達はどういう人だったのか、帰って確かめたい。…こういう気持ちになったのはね、ケンジ君が私を忘れずに覚えていてくれたからだよ?』
既に気まずくなっていたケンジはもう何も言えなかった。
『だから、私はいずれ王都に行く。そこで全て知る。その時に、私は…ケンジ君にもいて欲しかったんだ…。元の世界からの知っている仲だったからさ…』
最後に交わした言葉だった。それ以降ミライと会っていない。ただ一つ言えることは、ケンジは安易に断ったことを酷く後悔した。その日の夜は眠れないほど、悔やんだ。思い出すのはミライの悲しそうな、そして何よりも『君と私はこの世界では違う道を歩むんだね』と分かったような顔だった。
ここまでダイゴに話したケンジはどこか恥ずかしさを感じていた。まるでミライの追っかけみたいではないかと。好意を持っているのではないかと。しかし、ダイゴはそういうことには一切触れずに代わりにこう言ってきた。短く、簡潔に。
『お前はどうしたい? ケンジ』
そのダイゴの言葉がさらにケンジを考えさせることになった。ケンジは、自分はどうしたいんだろうとさらに考えた。結論から言えば見つかっていない。ある程度の生活ができるようになり、明日を見据えられるようになった。それが叶った後、ケンジの目標はなくなっていたのだ。
ミライのようにこの世界を知って元の世界に戻りたい、という想いもなくない。ただそこまで強く願っていない。
結局ケンジが考え抜いて辿り着いた事はとにかく目の前のことに没頭するだけだった。この鍛錬で、強くなる。もう考えたくなかった。夢中になれば、一時的に全部忘れられた。それがケンジにとって何よりの救いだった。
ケンジは木刀を力の限り振り下ろした。片手でダイゴに掴み取られた。
「単調すぎる! もっと工夫しろ!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
一旦離れて、そしてまた距離を詰める。そこから連撃と言っても過言でないほど、ケンジは猛攻撃を仕掛ける。動きを読んでいるかのように交わしていくダイゴの先を必死に読み取りながら。
「足を見ろ!俺がどっちに移動しているのか、どっちの足を軸にして移動しているのか!」
足、確かに人間の足は2本でどちらか片方に体を支えるために力が込められている。今、ダイゴは右足に体重が乗っている。となれば、左足。少なくとも左側に体が逸れる。ケンジは再び木刀を振り上げた。そして、ダイゴが今いる位置より左側を狙って木刀を振り下ろした。
「はぁぁ!」
当たらなかった。派手に空ぶった。きっと誘い込まれたんだと、目の前に飛んでくるダイゴの一太刀を見て悟った。肩あたりを切りつけられたケンジは再び地面に倒れた。終わりにするか、と言わんばかりに見下ろすダイゴに、ケンジは今日何度目となるだろうか、再び立ち上がった。これで考えなくて済む、そう思いながら。
最終的にケンジが立ち上がることができないところまで組み手を行い、今日の訓練も終了した。大体陽が山に差し掛かる手前で終わる。空はオレンジ色になる手前くらいだ。
「動きは良くなっているが、相変わらず駆け引きがない。もう少し頭を使ってこい」
地面に倒れながらケンジは頷いた。地面にはよく分からない小さな虫がいるのとか、土の匂いはこんな匂いだったとか、今日は宿舎まで帰れるだろうかとか組み手とは関係ないことを考えながら。
「この薪二つはなんだ?」
「それは…サボ爺に…ハァ…俺とダイゴさんの違いを見つけろ、って…」
ダイゴの手には薪が握られていた。それなりの太さがあるのに片手で二つとも持ち上げている。
「切断された断面を見ろ」
そう言ってケンジの目の前に断面が置かれた。もっと近くで、と這いずくばって近寄った。一つの面は綺麗に切断されていた。ささくれ一つもなく、見た感じ触り心地も良さそうであった。もう一方は触ったらザラザラしてそうな見た目であった。
―――そういうことか
「今日は帰れ。また明日な」
ケンジはこの日1番の悩みを解消することができた。ダイゴが一瞬で見抜いたことを悔しいと思いながら…。
「ありがとう…ございます」
―――強すぎる…




