新たな可能性に危惧する燈たち
「どこだ…ここ」
なんの前触れもなく、突然ケンジの目が覚めた。
どれくらい倒れていたのか、見当もつかなかった。気づけばあの砂浜の暑さは体から失われ、むしろ肌寒いくらいであった。心臓の音も静かだ。そして思わず、飛び起きるようにしてすぐに構えた。森の中で倒れていると思い、魔物に襲われそうになっていないか心配したのだが…どうやら大丈夫そうであった。
「イテテテッ…」
どこからの部屋の中らしい。見覚えはない。ただいつぞやの時とは違い、記憶はしっかりある。エナキ、ミキジロウ、モモカ、ミライ、ダイゴ、スキル、剣…しっかり頭の中に残っている。
灰色のような天井、壁の端に机。持ち運ぶだけでも大変そうな分厚い本が机上にあり、椅子の位置から見えるようにと壁には手書きされた人体の紙がいくつも貼られていた。窓からは夕日が覗かせている。窓際にはお香のようなものが焚かれており、通りで甘い花の匂いが部屋全体に充満しているわけだとケンジは思った。
部屋の中心に置かれた台の上に、自分は寝かされていたようだとケンジは思った。体には白い布のようなものが心臓付近から、特に背中にあちこちに貼られていた。
後ろの扉がキィーと音を立てながら開いた。ダイゴだった。片腕には木箱を抱えていて、背中に斧は背負っていない。
「起きてたか」
「ダイゴさん…ここは?」
「大丈夫だ、今は寝てろ」
寝てろ、と言われてケンジはとりあえず横になった。でも、何もすることがないし、何より状況が知りたかった。ケンジはすぐに起き上がった。ダイゴは木箱の中に入っていた物を棚に黙々と詰めている。
「あの…」
「お前は突然倒れた。ここには独断で連れてきた」
そうだ、と徐々に思い出してきた。ダイゴと海岸で落ち合い、砂浜横の岩場を2人して歩きながら、何者かに殺されてしまった燈の話をした。それからダイゴが選抜パーティを離脱したという話を聞いて…それから何も覚えていない。
「すいません。ご迷惑をかけて」
「気にするな」
倒れる前、強烈な痛みがあった。今は、誰かが治療してくれたのだろうか、痛みが薄れていた。あの強烈な痛みはなくだいぶ和らいでいる。
振り返れば、スキルを取得した時から前兆はあった気がした。スキル取得時にも、そして発動する度にも何かおかしいとは思っていた。ただ、手配書に掲載された魔物を相手にするとなれば必然的にそれ相応の力の強さがないといけなかった。自分が未熟だと言い聞かせ、無茶をしすぎた。
「あの…選抜パーティを抜けたって…」
ダイゴの動きが止まった。手には包帯のようなものが握られて、それが空中で留まっている。
「起きてすぐにその話か…。自分の身を心配した方がいい」
「いや、気になってしまって。体は…まだ痛いですけどだいぶ楽になったので…」
ケンジ自身もどうしてこの話から聞いてしまったのだろうかと不思議に思った。
本来なら、自分のことを聞くべきではないのか、と思った。意識を失うほどの痛みを感じるということは今までになかった。前の世界でもなかった、はずだ。
しかし、ケンジの興味は意識を失う直前にある。ダイゴが選抜パーティを離脱してしまったこと。そして燈の1人が殺されてしまったこと。
前者はケンジにとって本当に予想外であった。エナキのおかげかもしれないが、少なからずケンジと選抜パーティのメンバーはこれまでに何かしらの縁がある。ミライをはじめ、ここにダイゴやキラーモント討伐で協力(?)してくれたティアとはキラーモントの討伐後にも交流があった。
少なくとも、ダイゴが離脱してしまうような状況をケンジは聞いていない。そんな素振りもなかったと思える。もしかしたらもしかすると、同じパーティになるかもしれないとケンジは思っていたのだが…。
「そうか」
ダイゴは短く答えただけだった。しばらく誰も口を開かなかった。窓の外から微かに聞こえる子供達の声がやけに部屋の中に響いた。ケンジはケンジで、ダイゴをひたすら待ち続けた。何から話すべきか迷っているのかなと思っていた。
長い時間といえば長い時間であったし、短いと言われれば短い。次に口が開かれたのは3個ほど包帯が仕舞われた後だった。
「方向性の違いだ」
「方向性の?」
また、小難しそうな話がくると思い心の中で身構える。
「そうだ。元々あのパーティはドーバンによって編成されたパーティだというのは知っているか?」
頷いた。そんな話を前にエナキから聞いていたような気がする。
「後にコウガ自身が編成するようになったが、始まりはドーバンだ。編成理由は…ケンジ。お前にとっては嫌な話かもしれないが、訓練を終えた全ての燈が生きながらえるわけではないからだ。優秀な奴をパーティとして固めて、確実な救世主をこの世に出したかった。それがドーバンの願いだ」
酷い話、とは思わなかった。最初はドーバンに裏切られたような気持ちにもなった。皆に対して平等に扱っていた彼だと思っていたが、裏では贔屓していた。でも、理解できない話でもない。実際に選抜パーティで死んだ人は誰もいないが、他のパーティは死者を出しているのは事実だ。
それよりも、ダイゴがケンジの気持ちを考えながら話してくれたことの方が意外であった。
「いえ…気遣ってもらってありがとうございます…」
「すまんな。気が利くような言い方ができなくてな…」
ケンジは首を振った。強い奴は強い奴で固まった方が、生き延びられる可能性は上がる。認めたくはなかったが、認めるしかなかった。
「それからドーバンはこうも言った。色々思い出して欲しい。この世界も知り、世界を照らして欲しい、と」
「照らして欲しい?」
「多分だが、救って欲しいという意味だ」
「なるほど…」
「俺たちの記憶は召喚時に消えているからな。そして、この世界のことも知らない。いずれこのミエーランを飛び出し、王都に行き、世界を知り、そして世界を救う。それが奴の願い…いや、ベルバート家の、王族の願いというべきだろうな。ドーバンは所詮、指示を受けた人間に過ぎん」
忘れがちになってしまうのは、ケンジ達はこの世界を救うために召喚されたということだ。ついつい目の前のことに必死でつい忘れてしまいそうになる。
―――世界を照らす
なんとなくだが、妙にこの言葉がケンジの頭の中に残った。
「だが、コウガは違った」
ゴトッと木箱が音を立てた。ダイゴの手が木箱を軽く殴ったのだ。いや、もしかしたら偶然当たってしまったのかもしれない。ただ少なくともケンジにはダイゴが取り乱したようにみえた。感情を露わにしたダイゴが意外すぎて、一瞬、ケンジの体が震え上がった。
「奴は、王族に対して腹を立てた。何故俺たちを危険な目に合わせてまで召喚なんてしたんだ、とな」
「その話はエナキから聞きました。選抜パーティは勝手に召喚した王族に対して怒っているって。でも、てっきりダイゴさんも、なんならミライもティアさんも、選抜パーティの全員がそうなのかと…」
「皆が皆、そう思っているわけではない。少なくとも俺は思っていない。既に起こってしまったことに対して文句言っても仕方がないからな」
そう言い切れるダイゴを強いと思ったし、かっこよく見えた。
「怒るだけなら問題はない。問題は、コウガが直接王族達に喧嘩を売ったことだ」
「喧嘩を売った?」
「そうだ。直接手を出した、といっても過言ではない。ここミエーランは王族や貴族達にとって避暑地であるそうだ。一時的な滞在でも別荘を用意するくらいに、な。そういった所からコウガは盗みを働いた」
「じゃあ、コウガさんのあの部屋にあった家具とかは…そこから盗んできたものだったということですか?」
「そうだ。盗品だ、あの部屋全てあるものはな。当然ながら許されることではない。これは推測だが、ある1人の兵士がその時の状況を目撃したんだろう、すぐにコウガとその時にコウガが一時的に雇った者の仕業というのが王族の兵士の間で瞬く間に広がった」
部屋にあった家具のソファは、確か「これしか見つからなかった」ということをコウガが口にしていたはず。あれは、『お店』でこれしか見つからなかった、ということではなく、『盗み先』でこれしかなかったという意味だったのか。
「…」
「もっともその一時的に雇った者を、王族側は選抜パーティ全員の仕業だと勘違いしているが、な。だから、選抜パーティが表立って街に出歩くことはできなくなり、少なからず縁のあったエナキに食料を調達して貰っていた」
ケンジの中で全て繋がった。どうして選抜パーティは街中を歩くことを嫌うのか。以前から不思議に思っていたが、そういうことなのかと。今思えば、納得がいく。
選抜パーティが街に行くのを拒むのはキラーモント討伐の後にケンジは目撃している。門の前を通ることを避けたいたのは確かだ。だから、せっかく魔物の素材を換金できたにも関わらず、ケンジ達に全て譲ってくれたのか。
思えば、わざわざあの廃墟のような建物に滞在する必要もない。周りに浮浪者も多く、あまり通行人がいない危険な匂いがする建物にわざわざ住む必要だってないのだ。あれは兵士から身を隠しているためだったのかと思った。入り口の不良者は偵察や襲撃された時の為に雇っていたに違いないと推測できる。
ただ、ケンジの中でもう一つ繋がったことがあった。それはエナキがコウガに言っていたことであるが、それが今日の話に結びついている気がしたのだ。本当ならケンジは信じたくはなかった。けれど、今聞いた話に合わせ、何よりダイゴが選抜パーティを離れた時期が絶妙なタイミングであり、それがケンジを真相に導いていく。
「燈のヘイトを買うって…エナキがコウガさんに言っていました。それは分かりました…分かりたくはないけど…。でも、じゃあ、ダイゴさんが選抜パーティを抜けたのってさっきの燈が殺されてしまった話と繋がっていますか?」
ダイゴが何も言わなかった、すぐに。全て片付け終わったのか立ち上がり、部屋の窓から町の景色を眺めているようだった。もしかしたら今この時もあの路地裏で燈の1人が襲われているかもしれない、と不安に思っているような表情だった。
「そうでないと願っている」
ケンジは息を呑んだ。殴られたような衝撃だった。その可能性があるということを、ダイゴは否定しなかった。どういう意味をするのか、ケンジでも分かった。
つまり、今回の燈が殺された原因を作ったのはコウガであるかもしれないということだった。どれだけ多くのものを盗んだかはケンジには分からない。けれども、少なからずそれが王族側にとって逆鱗に触れたのかもしれない。
「でも、盗みだけで…その、変な言い方ですけど、それだけで胸に何十回も酷い殺し方をするでしょうか…?」
「もしかしたら盗品の中にかなり貴重な物、盗まれてはいけない物が含まれていたのかもしれない。ああいう王族や貴族、ああいった『生き物』は物で自身の力を示したりするからな」
「それは…そうかもしれないですけど…」
「それに、コウガのやっていることを全て俺たちが把握しているわけじゃない。もしかしたら、直接手を出すようなことをしているかもしれん」
「直接手を、って…」
あえてケンジは尋ねた。
「殺しだ」
躊躇いなくダイゴから返答が飛んできた。
「じゃあ、その燈は腹いせで殺されたとしてーーー」
「早まるな、まだそうと決まったわけじゃない。俺も調査を始めて間もない。正直アテもそこまであるわけじゃないし、何せ1人でできることには限界がある。でも、万が一そうなった場合。ケンジ、俺たちは認識を共有しておく必要がある」
「それは…」
くどい様であるが、ケンジにはもうダイゴが言うことが分かっている。ただ、自分の口で言うのにはあまりにも恐ろしく、受け入れられそうにない。
「俺たちが対峙しなくてはならないのは、王族。ということになる」
「そ、そんなのは…?!」
「そうだ。俺たちの敵は魔物ではない。魔族でもないーーー」
「人間になる」
ケンジは言葉を失った。人間。それはケンジ達とは違い、元々この世界の住人だった人達ということだ。ということは人と争わなければいけないのか。ということは、人と戦わなければいけないのか。ということは、人に向けて剣を振るわなければならないのか。ということは人を、
―――殺さなければいけないのか。
「繰り返すが、決まったわけではない」
絶望するケンジに、ダイゴは慰めたつもりなのか、そう声をかけてきた。
しかし、ケンジの感情は砂浜の時のようにぐちゃぐちゃになっていた。
想像していた。今日街中で挨拶をした兵士が瞳の奥に突然現れ、あの時の笑顔はなく、形相した顔で槍を構えていた。鋭い先端はこちらに向けられている。勇ましい姿、といえば勇ましい。ただ、切り落とさなければならない。腕か、足か、どこか。しかし、ケンジにその勇気はなくどこを攻撃していいのか分からない。そんなことを考えているうちに、槍は顔に迫ってくる…。
「とにかく、今できることをする他ない。俺は今日から調査を始める。ケンジ、お前はまずは体を治せ」
冷たく言われた。次の言葉にはダイゴの優しさが少し包まれているのは、ケンジにとってほんの僅かな心の救いとなった。
「強くなれ、ケンジ。それがお前…いや、俺たちにできる現状の最善策だ」
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『どう強くなれば …?』
とケンジはダイゴに尋ねた。
『これからどういう行動をするにせよ、まずは体を治さないと始まらん』とダイゴに言われた。なので、気にはなるが、ひとまず体を治すことに専念することをケンジは決めた。
そもそもこの部屋はなんだろうか、とケンジは尋ねるとダイゴが普段お世話になっているスキル屋らしい。スキル屋にはケンジの必殺技とも言ってもいい、<<火斬>>を取得するために以前足を運んだことがある。が、ケンジの知る人とは違った。いかにも白い髭を生やし、強い視力補正がかかっていそうな眼鏡をかけ、腰を曲げていたお爺さんだった。
どうやら背中に色々貼ってくれたのはこの人らしく、ケンジの体の異変も診てくれるのだという。スキルを使うたびに痛みが走るなら原因は使用スキルに問題があるとのことだった。
「うーむ...」
と何やらケンジの背中を触りながら唸っている。
「どうだい、ザボ爺」
ダイゴがこのお爺さんと知り合ったのは初期の頃らしい。訓練時に街で大きな荷物を背負って動けずにいたところ、ダイゴが手助けしたのだという。訓練時からこれまでの付き合いであればかなり長い付き合いだなとケンジは思った。
「あーこりゃ」とザボ爺がいかにも老人らしい掠れ声をあげた。
「こりゃ、酷いね!」
「ひ、酷い…」
「おまえさん、このままだと死んじゃうね!」




