それぞれの道を歩み出す燈たち
ガリガリガリ。また線を一本引いた。
エクリュ・ミエーラン来て118日目経過したのだ。
寝床近くの壁は一本の縦線で一杯になったため、元の線を上から塗り潰してさらに濃く引くことによってカウントしていた。スペースの問題はなくなったが、今度は線を引く石を新しく拾ってこないといけなそうだった。拳程度あったのが、親指程度しか残っていない。早いところ手を打たないとこの習慣もなくなる、と思いながら、2段ベッドの下で横になっているミキジロウに声をかけた。
「ミキ、今日俺遅くなる」
「あいよぉ。俺は1日寝るわ。昨日は疲れたぜぇ…」
ミキジロウはこれ以上になくだらしなかった。上半身は半裸で、鍛え上げられた筋肉は丸見え。ズボンがずれ落ちてお尻は丸出し。
もしここにモモカがやって来たらどうするつもりなのだろうか。結構モモカはケンジ達の身だしなみにもうるさかったりする。
ケンジとしては何も言うことはない。昨日の立役者は間違いなくミキジロウだ。二度目のおたずねとなった魔物の討伐を成功したおかげでケンジ達の懐をさらに温まっていた。
キラーモント討伐以降、ケンジ達の生活水準は一変した。山菜入りのお粥から、しっかりとした米や野菜などが毎日手に入るようになった。加えて、既に誰かに使われたとはいえお古の書物を街で購入して料理のレパートリーが一気に増えた。このところ、ケンジにとって食事の時間が楽しみになっている。多分、皆も同じであろう。
栄養を取れれば体調も良くなる。体力や魔力の回復が格段に上がり、討伐の手際も見違えるほどになった。やはり、体の動きやスキルの威力が微々たるものだが向上している気がする。
『幸せがうまく回っておりますなぁー』
とモモカがふざけながら呟いていたが、その通りだと思った。
ただ今日から討伐ではなく、しばらくケンジ達のパーティは自由行動することになっていた。その理由は二つある。
一つはモモカが新しい魔法を取得するため、パーティを一時的に抜ける必要ができたこと。
もう一つはここのところケンジの体調が優れなかった。<<火斬>>を放つ度に痛んでいた背中が、スキルを発動していなくても常に痛むようになっていた。軽く背中を叩かれただけでも信じられないほどの激痛が走り、仰向け横になった日には寝られない。
体調は悪かったとはいえ、ケンジは休息を取ろうというエナキの案には反対だった。できる限り体を戦場に置いておきたかった。自分はもっと強くなりたいという向上心にケンジは包み込まれていたのだ。多分、いやミライのおかげだろう。きっと。
だが、口論になればエナキに敵うものはほとんどいない。結局押し切られ、モモカの件もあるし休息を取ろうということになったのだ。
今日はその初日であり、いつ討伐の日々に戻るか明確な日にちは決まっていない。
モモカの風魔法取得次第だ。早く取得できればそれだけ早く討伐の日々に戻れるだろう。あとは不必要な出費をできる限り抑え、底が見えそうになったらお金稼ぎの為に討伐しに行くという方針だった。ただ、銀貨数枚入ったケンジ達だ。豪遊しない限り尽きることはない。
「いてぇな…」
「例の背中か?」
「そうだ、結構痛むんだよ…」
まるで焼けたように痛みだった。皮膚は特に変化がない。原因は分からないが多分スキルの多用かなとケンジは推測している。<<火斬>>のスキルがかなり強力な一撃だった。それはもう一つのケンジのスキルである<<スラッシュ>>を使わなくさせるほどだった。昨日の戦闘でも<<スラッシュ>>は一度も使わず、<<火斬>>を数えきれないほど打ち込んだ。
とにかく安静するしかないな、と思いながら痛む背中を庇いつつ新調した服にケンジは着替えた。ペラペラの布のような服から、皮を使ったお洒落な服装に変わったのはここ数日である。特に上着のレザーとブーツは銀貨を出さなければいけないほどの値段だった。
「そんなのいつ買ったんだよぉ」
ゆっくり、と首だけをこちらに伸ばしてミキジロウが聞いてくる。なんというか、その姿は違う意味で魔物みたいである。やる気を失って堕落した、ゆらゆらと動くアンデット系の魔物。名はミキジー。
「モモカとエナキで買いに行ったんだ、2人とも新しい服が欲しいって言うから」
「おいおい、俺ってば嫌われているんですかい?」
「ミキはすぐ宿舎に帰ったからだろ」
仲間はずれだ、と騒ぐミキジロウを置いてケンジは逃げるように部屋から出た。奴の声は部屋の外に出ても響き渡っている。通りでうるさいわけだった。
宿舎は不気味さを感じるほどシーンとしていた。エナキは早朝に出掛けに行ったが、モモカもエナキと一緒に早朝に出かけると言っていた。この時間、宿舎にいるのは多分ケンジとミキジロウくらいだろう。他の者も討伐に行っているか出掛けているはずだ。
天候は晴れではあるが、風が強く雲が忙しそうに動いていた。もしかしたら夕方は雨が降るかもしれないな、と思いながらケンジは階段を降りようとした。
「おい! ちなみにどこにいくんだよ!まさかまたーーー」
ちょっとそこら辺、とケンジは適当に答えてそのまま宿舎の門を抜けた。腰に剣を添えて。
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どうしてモモカが風魔法を取得することになったのか、それは昨日の酒場まで話を戻す必要がある。
ケンジ達は2体目となる手配書リストに載った魔物と対峙した。背中に大きな甲羅を背負い、森の道を荒らすと恐れられた魔物だった。今度は選抜パーティの補助もなく、純粋にいつもの4人で挑んだ。
結果は圧勝、とはいかずとも誰も大きな負傷することはなかった。斬撃が効かなかったからミキジロウがひたすら硬い甲羅を殴り続けて砕き、破損した箇所を残りの3人で畳み掛けた。これもエナキの作戦勝ちだった。
報酬は、合計で13銀貨。功労者のミキジロウに4銀貨。残りの者に3銀貨を。
『『銀貨13枚!!!銀貨13枚!!!うぇぇぇい!!!』』
ミキジロウとモモカが即興で考えた『銀貨13枚ダンス』とその掛け声が酒場の中で行っていた。周りは面白がって見学し、中にはお金を投げるような気前のいい奴らもいて、それをケンジは店の端の方で眺めていた。これがもし金貨でも稼げたりする日には『金貨13枚コンサート』でも開くのかな、と馬鹿なことを考えながら。因みにケンジはそのお金の行方を知らない。
一時耳にした燈に対する差別行為もどうやら全員がそのように思っているわけではなく、ごく一部の人がそういう考えを持ち合わせているようだった。少なくとも酒場でそんな奴は見かけない。ケンジは一応警戒していた。
『『『『『銀貨13枚!!!銀貨13枚!!!銀貨13枚!!!』』』』』
ミキジロウ達はよく知らぬ赤の他人と踊り始めていた。ケンジは笑った。ダンスをする気はないが、気持ちは分かる。気に波に乗り始めたのだ。ケンジは実感した。
―――1人だけ違った…
有頂天になるケンジ達だが、エナキだけはいつも通り冷静に物事を見ていた。ケンジと同じようにテーブルに座り、モモカ達が楽しむのを眺めていた。
『これからはさらに強くなる必要があるね』
まるで水を刺すように、エナキが言ったのだ。酒場のテーブルの上で今日得た銀貨を物珍しそうに眺め、転がしながら彼は言った。
『他の燈が手配書の存在に気づき始めている。その魔物を狩れば、よりいい報酬が手に入るからってね。これからはきっと競争になるに違いないよ。手配書の取り合いになる』
ケンジは反射的に聞いた、ではどうすればいいのか、と。自分で考えることもなく、エナキに全てを委ねるように。この頃にはもうすっかりエナキがリーダー格となっていた。このパーティのリーダーは、エナキだ。
エナキのケンジ達に相談もせず物事を進めたりする癖は直ったわけではない。2体目の魔物もケンジ達に相談することなく、勝手に手配書を持ってきては討伐することでさえギルドに話を通していた。もっと言ってしまえば、討伐ギルド、組合みたいな存在をどうしてエナキは知っていたのだろうか。謎が多い。
けれども、ケンジはもう口に出さなかった。例えエナキが話を相談しなくとも、自分達を裏切るようなことはしないのだから。言葉を良くしていえば、そうだ、信じることにしたのだ。エナキを。それはケンジだけでなく、同じく何も言わないミキジロウやモモカも同じであると思う。
リーダーは肉を引き切りながらこう答えた。
『より報酬の良い魔物を狩れるようにするんだ。僕らはもう既に2体も手配書の魔物を討伐しているし、その経験は十分に役立つさ。対して彼らはないだろ? 誰だって最初は慎重になる。となると、争いになるとすれば手配書は難易度の低い手配書さ。もちろん、報酬に連なって難易度も上がる。魔物も今とは比べ物にならないくらい、強力に』
そして、エナキは繰り返した。
『強くなろう、ケンジ』
異論はなかった。元々腕を磨く予定だったケンジにとっては無論賛成であった。ダンス場から戻ってきたミキジロウも同意見だったが、モモカはそうでもなかった。お洒落や義勇兵ではない日常に趣をおきたいモモカにとっては、きっと戦闘のことなどあまり考えたくないのだろう。表情からして乗り気ではなさそうだった。
ただ、モモカはケンジ達のパーティにとって唯一の魔法使いであり、その攻撃力の高さや遠距離攻撃できる点からしてチームの要の一つだ。もっとも元々4人という人数の少ないパーティだから、誰か1人でも欠けてしまってはかなり困るのだが…。
『新しい風魔法を取得すること』
このことで話は落ち着いた。エナキからの指示でもあってモモカは渋々頷いていた。ただ、本人も魔法を覚えることに関しては興味があるらしく『どんな魔法を覚えられるかなー』と最終的にはワクワクした顔を見せていた。
きっと今日からモモカは風魔法に長けている者を探し、一時的にだが弟子入りするらしい。スキルと同様に書物から学ぶこともできるが、実際に指導者がいた方が取得するまでの時間が短いというのがティアからの助言だった。
従って、今頃エナキとモモカは指導者を探して街を歩いていることだろう。時間的には見つかっていてもおかしくはない。ケンジもその町に辿り着き、もしかしたらばったり会ったりするかなと考えていた。
「おろ、兄ちゃん。今日は討伐行ってなかったのかい?」
町の人との交流も増えてきた。普段門番を務めている王族の兵士がたまたますれ違い話しかけてきた。ケンジがしばらくは休暇であるということを伝えると、「俺も休暇を取りたいぜ」と泣きながら去っていった。
ケンジの生活は充実している、ように見えた。
ただ、その心はその生活を純粋に楽しむような状態ではない。ある噂を知ったからである。今日はその噂を調査するためにケンジは出かけることになっていた。
ケンジの手には数日前に受け取った手紙が握られていた。
「こっちか」
指定された目的地まで向かう。ここからさほど離れていないが、町の端の方であるのは変わらない。海岸の近くだ。
エクリュ・ミエーランには郵便があった。紙に伝えたいことを記述して送り、または特別な石に映像を保存して送れるような郵便専用の魔法が存在するとのことだった。郵便はミエーランと王都と限られた地域しか行われていないようで、ケンジ宛の手紙を持ってきた配達員の人がハキハキとした口調で教えてくれた。
受け取った日は3日前の早朝で、その日、ケンジは食事当番で朝食の準備を1人でしていた。もちろん、こんなサービスがあることをケンジは知らなかったし、誰が送ってきたのかも心当たりはなかった。
長方形の白い封筒に黒いインクで『丘の上の宿舎 燈と名乗る者まで』と書かれて、その下に小さく『ケンジ』と名前がある。配達員がメモ書きしたのか、薄く『剣に覚えがある』『時間、日が上る前』など小さく記述されていた。
封筒を開くと、エクリュ・ミエーランと思われるような地図が一つと何やら書かれた白い紙一切れが同封されていた。地図の一部には赤いインクで丸印があり、それが落ち合う場所というのが後に分かった。問題は手紙の方であった。そこにはこう書かれていた。
『3日後、陽が真上の頃。地図赤印まで』
と上に書かれ、下にはこう続いている。
『燈の虐殺。気をつけろ ダイゴ』




