僕たちに言葉はいらない
僕には親友がいた。それも何年も前の話で、今ではあいつの家族すら彼を覚えていない。
別に忘れられたいと彼が述べたりとか、彼は幽霊だったとか宇宙人だったとかそういうオチではない。本当に、彼を知る存在は僕しかいないってことだ。
この寂れた現代都市に消えていった、あいつの話を、どうか聞いてくれ。
僕たちに言葉はいらない。
それは僕たちが高校生の頃の話だ。1番印象に残っていることを挙げるとするなら夕の暮れの時だろうか。帰路についた僕たちを部活動のやつらの騒がしい声が学校という空間から疎外した。まずしばらく歩いて、会話も交わさずにただぼーっと地面を見つめていた。明日の学校が憂鬱だなどと、思っていたのかもしれない。
単純な言葉で言い表すのなら、僕たちには夢がなかった。将来の夢ってのがなかったのだ。それだけで集まった二人ではあるけれど、同時に言葉を発せずとも行動が似通っているから分かり合える二人でもあったということだ。
夢がないと日々は憂鬱になる。そういうことを二人ともきっとわかっていたし、夢が欲しいともきっと願っていた。
ここで僕が当時手記に綴っていた言葉を見よう。
「このままでは現実から目を背けているだけ。未来を蔑ろにしているだけだ。」
当時の僕は何か焦っていたようだった。今思えばそれはとても儚いことだ。同時に、勿体無いとも形容できよう。
何故なら、当時の僕は確かに現実から目を背けていたかもしれないが、青春を謳歌している…たとえばさっき、帰路に着いた僕たちを疎外したと表現した部活動の面子だって、その瞬間を生きている。未来を蔑ろにしていると言うつもりはないが、しかし僕の言っていることは事実であろう。
さて、当時の話に戻そう。
帰路について歩いていく中で、普段はどこかへ寄り道したりだとか、何か食べたりだとかすることもあったりなかったりで、でもいつもの道を通っていた。だが、その日だけは少し違う道を通っていた。まあ、少し違うといっても、正方形ABCDがあった時にAB→BCと進むのではなくAD→DCと進むようなことであったので当時はあまり気には留めていなかった。
しばらく歩くと、彼は少し立ち止まって僕のほうを向いた。
僕の目が間違っていなければ、当時彼はこう思っていたはずだ。
「寂しい」
ただその一言であったにしても、ただ一人の親友からそのような心がこもった目を向けられたのだ、当時の僕は困惑した。しかし、行動せねばなるまいと思い、まず僕は口を開くことにした。
「どうした」
そう僕は尋ねた。寂しいなんていう感情をどう拭えばいいかなんてわからない。感じたことのない感情に対する対処なんて知らない。ただ暖かく声をかけるのが最善手だと当時は思ったのだろう。それはそうだ。きっと今でもそうする。
そして彼は、
「この前のテストの話なんだけどさ、僕、結構いい点取れてたんだ」
なんて言う、はぐらかしの話をしてきた。テストの話なんて同じクラスなんだし授業が終わった瞬間に話に行ってる。だから彼のテストが高いことなんて当たり前のように知ってる。
そうだな、この件よりももっと前に似たことが一つあった。確かテストが低かった時だったか?
あれは普通じゃ見られない落ち込み方をしていた。その時もあまりに不自然な話題の誘導をしていて、触れちゃいけないってことが逆に染み渡ってきた。
単刀直入に言ってしまえば彼は感情を隠すのが下手なんだ。中学からの付き合いであるからそれは知ってる。
彼に言ったこともある。微妙な笑いで返されてしまったが…
そんなことだから今回も触れないでいようとは思ったのだが、冷静に考えてわざわざ立ち止まるほどなのだから、逆に触れた方がいいのか?なんていう考えも自分の中には生まれた。
そうこう悩む数秒のうちに、道を進むスピードは0ではなくなった。その瞬間、悩むことの意味はないと気づき、彼に対して僕は、
「何かあったか?」
とだけ聞いた。彼はまたはぐらかそうと苦笑いをしようとしたが、ただ彼も頭はいい。きっと無駄だとすぐ判断したし、助けを求めたのが自分であることもしっかり自覚した上での言動をとった。
「家族が、昨日夜逃げしたんだ。」
その言葉を聞いた瞬間、僕には数々の感情が込み上げた。似つかわしくない感情も確かに存在したが、言動についてまず話すなら、
「どうしてお前だけ残したんだ?」
まずそう聞こうとした。だが、こういう場面では大抵理由を知らないことが多いと思った。というか夜逃げなんて、誰かを残さないと借金が付きまとうだけ、なすりつけ先がないと成立しないとか、まあちょっと考えたらその真偽がどうあれそれらしき理由は思いつく。聞く必要がない。
次には、
「それで、お前自身はどうなるんだ?」
これが思いついた。これに関しては見当がつかない。ただ彼も同じだとは思いながらだったけれど。
それを聞いてみれば、こう言った返事が返ってきた。
「死ぬよ。」
単純な言葉だ。だけど重みがある表情をしていた。決心した顔じゃない。呆れ果てた顔だ。
「今日だって、弁当持ってきてなかっただろ。あれ、忘れたっつったけど、もう作ってくれる人がいないだけ。」
そういって彼は笑った。その言葉は事実だった。寸分の狂いない、事実だった。
でも僕はそれでも信じられなかったのだろう。彼の家にお邪魔することにした。目に映ったのは、あまりにも荒れ果てた部屋だけだった。見渡したが、金目のものは何一つない。
「今更だけどさ、夜逃げって…お前の家族何したんだよ」
彼の家のおそらくバネが壊れて座り心地の悪いソファに座り、質問した。彼の話によれば、親が単純に金を使いすぎていて、いわゆる自転車操業に陥っていた可能性が高いとのこと。特に証拠物があるわけでもなかったが、茶の間に降りてきた時に机にあったメモ書きには、確かに夜逃げという文言は存在した。
「こんなの残されたって腹の足しにもならねえよって、笑うしかなかったよ。何言っても無駄だろうけど。」
彼の親には会ったことがある。毒親でも何でもない善良な人間に見えた。しかし、それも自分の都合が悪くなると変わってしまうことなんだと、少し滑稽にすら思えた。
そうこう話しているうちに彼は台所で探し物をしていたのだが、無事見つけて戻ってきた。まあ、包丁だ。
「ほら」
そう言って彼は手渡してきた。そうしてもう価値のない廃屋の床に大文字で寝転がった。彼の目は諦めを浮かべている。さっきの表情と同じだ。
僕は当時は16か17、考え方や精神は幼かった。死生観も。まあ今になって変わったという気もないが。それを言い訳にするつもりはないが、当時僕はこう言ったはずだ。
「僕は正直、お前が妬ましいよ。」
そう僕がいうと彼は笑った。
「知ってるよ。お前はそういう奴だ。」
この時が、あることを本当に確信した時だった。
そして彼は、
「僕もお前もさ、将来の夢がないってだけの軽い集まりだったけどさ。お互いのニーズを果たせるいいコンビじゃないか?」
そう言って笑った。これから死ぬというのに、あまりにも感情の乗った笑いだ。渇いていない。
「結局さ、未来も過去も捨てて、今を生きる奴が1番強いんだよ。」
彼はそう言ってまた笑った。今を生きたやつに取り残されたやつの悲しい戯言だったかもしれないけれど、でも紛れもない真実だっただろう。これが、彼の遺言となった。
そういうわけで、その瞬間に僕も未来を捨てた。まあ、こんな話だ。彼の家族は警察に捜索してもらい、対面することができた。まあ、取り乱して取り乱して酷かったけどな。自分自身の罪悪感に震えて、自分の子を殺した相手にも関わらず何も言えていなかった。
ただ、もうこんな家族はどうだっていいと彼なら言うとわかっているから、何も感じなかった。
そろそろ、さっきの「あること」について言おうか。
ちょうどいいから、遺言としてもここに残すことにする。
「いくら未来を軽んじても、今この瞬間を生きる僕たちに、言葉はいらない。」