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後半

「今日も綺麗だな…」

 戦地でアラクは一つだけ楽しみがあった。

 一人の青年剣士が戦う姿を見つけることだ。

 彼の剣舞は美しい…。

 彼は敵兵を統率する将であるようだ。敵国の将軍に見惚れるなどあってはならないことだろうが、自国の兵士たちも彼には一目を置いているよつだった。

 アラクは自国、敵国とも人の区別がつかなかった。紺の軍服は生かすべき味方、赤の軍服は殺傷が許される敵側の人間と認識していただけだ。

 だが、オリーブを模した金の肩章が編み込まれた赤軍服の青年だけは殺す気が起こらなかった。

 青みがかった灰色の髪を頭の高い位置で一つに結び、目元が涼しい澄んだ同色の瞳で、鋭く敵兵を睨みつける。その目力の強さと逆に戦士とは思えないほど、彼の体躯は繊細な線を描いており、頑丈な作りをしている軍服を纏っていても折れそうなほど細い体だった。

 風に揺れる炎のように彼は剣を振るう。斬撃に散る光の痕跡が華麗な舞を踊っているようにも見えるのだ。この血生臭い悪臭漂う荒野で、彼だけが輝いてみえた。

 伸ばしても掴めない一筋の光…。

 アラクは彼が己の糸に足を取られないよう、いつも注意深く気をつけていた。

 アラクは知らなかったが…。

 アラクが青年だと思っていた敵将は女性だった。隣国アッチカの第一皇女アテナである。

 大理石や銀などが豊富にあるアッチカの資源を狙って、大国イオニアが戦争を仕掛けたのだが、自ら戦地へ赴いた皇女アテナの優れた戦術にイオニアは苦戦を強いられていた。


「あの男は凄いな…」

 アテナは珍しく感嘆の言葉を漏らした。

 階級もない一兵卒であるようだが、躊躇いもせず、何人もの戦士を次々に倒していく。交戦中、他に気を取られるのは生命に関わるのだが、アテナは目を奪われた。

 彼は華麗な足取りの軌跡は朝露に輝く蜘蛛糸のように煌めいている。

 長い後ろ髪は束ねているのに、男は前髪を無造作に伸ばしているのだが、不意に吹いた風のおかげで彼の瞳を垣間見た。太陽の光に晒されて、色彩が変わる瞳…。

 人ではないのかもしれぬ…。

 だが…。綺麗だ…。

 アッチカのために血を流すことも厭わない部下を無惨に刺し殺していく男に対して、不謹慎な感想だとアテナは頭で理解していたが思わずにいられなかった。


 ある日…。

 アテナはアラクの姿を追いかけ、足元を掬われる。アッチカはすでに多くの兵士を失っている。これ以上、更なる犠牲者を出したくない。

 直接、アラクと対決するため、アテナは自ら先陣を切った。アテナはアラクさえ排除すれば、イオニアの進軍の勢いを止められると踏んだのだ。

 それほど、アラクの活躍は凄まじかった。

 もちろん、アラクはそれを知ることはない。手柄は全て部隊長の戦略だと片付けられていた。

「なんだ!これは!」

 アテナの足へ見えない糸が絡む。

 その日に限って、アラクは上官から護衛の指示を受け、部隊の近くで戦闘していた。

「何で⁉︎あなたがここにいるんだ‼︎」

 意図せず、アテナが糸に引っかかったことにアラクが気づいたときには遅かった。

 アテナの背後で別の兵士が剣を振り下ろす。いつもなら跳躍して身を躱すアテナだったが、足がもつれて思うように動けない。

 最初の攻撃は辛うじて剣で防ぎ、兵士の腹を薙ぐ。けれど、その次の攻撃は防御できず、頭へ重い衝撃が走った。アテナは剣の柄で殴られたのだ。

 目を瞑ってはいけない…。

 意識を持っていかれれば…。地獄が待っている…。

「はっははっ…。でかしたぞ!そこのお前!とうとう、敵将を生け捕りにできた!敵陣へ一人乗りこむとは阿呆にもほどがある!」

 赤ら顔で喜んだアラクの上官は王族であった。アラクの快進撃で右肩上がりだった隊へ配属されたばかりの王太子の再従兄弟だ。

「嬲り殺すか?ははっ…。噂どおりの美女だな…。イオニア王へ生かしたまま献上するか…。慰み者にして、遺体をアッチカ王へ送り返すか?士気が下がるだろうから、あっという間に制圧できるな…」

 ニヤリと嫌らしい顔した上官はこれからの計画を思案しながら、アテナの頬へ舌を這わした。

 その下品な態度に周りの数人の兵士は目を逸らし、その猥雑な言葉にアテナの淫らな姿を想像した幾人かの兵士は目をぎらつかせた。

「美女…。女…」

 アラクは掠れるような声音で呟いた。

 土埃のせいだろうか…。喉が渇く…。

「はっ?お前は知らなかったのか?アッチカ王の娘…。アテナだよ。そうだな…。お前の手柄だともいえるな。この女はお前を殺すためにここまで来たのであろうよ。私が散々楽しんだら、お前に回してやろう!光栄に思え!」

 アテナを取り戻そうと躍起になって、アッチカ兵がこちらを目指し悪鬼のような形相で駆けてくる。

 上官はぐったりとしたアテナの首元へ刃先を突きつけた。

「近づくと…。殺すぞ!」

 その刃先をそのまま胸へと滑らせ、軍服のボタンを千切りとり、巻かれたサラシを切り刻む。

 アテナの膨れた柔肌がアラクの目へ映った。

「「「「「わぁーーーーーー‼︎」」」」」

 歓声か、怒りか、渦巻くような風の感触、地面が轟く喧騒の中…。アレクは心の鍵が外れる音を聞いた。

 嘶く馬。土を蹴る蹄。重なる斬撃。飛び交う罵声…。

 刹那、アラクの意識は消え、再び、意識が戻ったときには上官の首筋へ牙を立てていた。生気を失い、虚な目で虚空を見上げた上官は見る間に干からびて地に崩れ落ちる。

 アテナはアラクの胸へ庇われるように抱かれていたが、側からみれば、紛れもなく次の獲物である。

 アラクの口からは大きな牙がはみだし、割れた額からは新たに四つの目が、服が裂けて剥き出しになった背中からは二つの目が出現していた。

「なっ!」

「化物だ‼︎」

「逃げろっ…!」

「足が!足が動かん!」

 恐怖で体が震えているもの、青褪めて手で顔を覆っているもの、失禁しているものまでいる。

 味方も敵もアラクへ向けて剣を構えた。

 オレは今どんな姿をしている?

 人か?化物か?その違いはなんだ…。

 アラクの牙から滴る上官の血液がアテナの額へと落ち、頭が朦朧としていた彼女が目を薄らと開けた。

 最初は状況が分からなかったアテナだったが、アラクが覗きこんだ六つの目を認識すると悲鳴をあげる。

「っ…。いっ…いやぁぁぁぁぁぁ!助けて!誰か!誰か!助けてぇぇぇ‼︎」

 戦場で毅然としていたアテナさえも、アラクの姿は余程恐ろしかったらしい…。

「ちっちがっ…」

 鈍い痛みがアラクの腹を襲う。アテナが拾った剣で突いたのだ。

「はっははっ…」

 アラクは薄ら笑いながら、産まれて初めて泣いた。彼は化物しての本能ではなく、人としてアテナを救いたいだけだった。この美しい存在を穢されたくなかっただけだった。

 アラクはアテナの剣を握りしめる。指が幾つか落ちたが、それでも彼女が持っていた剣を奪った。

 アラクを明らかに嫌悪しているアテナへ糸を吐き出し、自身の身体へ固定する。瞬く間に人外の跳躍で戦場を飛び跳ねた。

 アラクはアッチカ軍の陣営へアテナを放すと、夕焼けで赤く滲んでいた空を目指して西へ消えていった。

 アラクの消えた方向をアテナは茫然と眺めていた。気持ちが凪いでいくうち、アテナはどうしようもない悲しみが心を占めていくのに気づいたのだった。


「オレは…。何なんだろう…」

 ここは西の大陸に広がる森だ。

 アラクが魔女と幼少期、青年期と暮らした森とは異なる。

 アラクはしばらく空を仰いだ。

 アラクの預かり知らぬところではあるが、和平交渉が進み戦争は終結した。両国は手を結び、魔物対策へと乗り出した。アラクはどちらの国が勝利しようが興味はなかった。

 ただ、アテナが無事に生きてさえすればいい…。

「戦争なんて行かなければ良かった…。人らしくと思って、国のために戦ってみたが…。考えれば、婆さんだってオレに行って欲しくなかっただろうしぃ…」

 だけど、後悔はしていない。戦地へ赴くことがなければ、アテナを救えなかったかもしれない。

 この感情が何なのか、アラクは理解できなかった。

 ただ、逃亡してから、彼は何も食してはいない。アテナの恐怖を映す眼差しが忘れられなかった。

「お腹が空いたなぁ…」

 どこからか天鵞絨のような艶やかな羽を持った蝶が飛んできて、アラクの鼻先へ休む。

 アラクは目線を落とすと美しい羽を確かめ、徐に瞼を伏せた。瞼に注ぐ木漏れ日が温かいと感じながら、そっと眠りについたのだった。

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