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前半

 今日も彼は戦場で糸を吐く。

 獲物を捉えて捕食するように…。

 そして、捕まえた獲物に情けをかけず、喉を引き裂く。

 すぐに逝けれるように…。

 それは長く苦しまないように、彼の慈悲であるのだが…。誰も気づくことはなく…。

 誰もが彼のことをこう呼ぶのだ。

「戦場の怪物アラク」

と…。


 アラクは蜘蛛の化物アラクネと人との間に生まれた男だ。

 アラクネは上半身が女性の姿をした下半身が蜘蛛の化物で、繁殖期に人間の男を襲い子をなすのだが、本来、雌しか産まない。雄の個体は滅多になく、蜘蛛の体を持たずに産まれるのだ。そして、短命で産まれてもすぐ死んでしまう。

 故にアラクは稀少といえよう…。これも全て育ての親である魔女が大事に育てたからではあるが…。

 行方不明の教え子の魔導師の探索に出た魔女は、途中、アラクネの巣を見つける。アラクネは死闘のうえ倒したのだが、巣の奥で赤児を見つけた。

 アラクの父親は魔女の教え子であろうことは間違いない。父親の美しい面立ちを受け継いでいたのだから…。

 当初、魔女は貴重な実験体として赤児を連れ帰った。情を抱いてはならない…。相手は怪物の子供だ…。だが、それは無理であった。

 とても素直で愛らしい子供の相手をしているうちに魔女は母性が湧いたのだ。

 アラクは見目でいえば人そのものだった。そして、化物の子供と思えないほど優しい心根の持ち主だった。

「私にはお前を連れ帰った責任がある。もし、お前が人を喰らうこと覚えたら…。私はお前を殺すだろう…。そして、私も後を追おう…」

 幼い頃からアラクが意味も分からず、何度も呪文のように魔女から説き伏せられた言葉だ。

 ただ、自分が本能の赴くままに生きれば、二度と魔女に会えなくなることを、幼いながらもアラクは悟った。

 偽りながらも人として生きることを学び、成人するまで魔女の住む森を拠点に生活をした。

 魔女の食事に合わせて料理を覚え、談笑しながら食卓につく。

 魔女の家には壁一面の本が埋め尽くされていたので、アラクは本を読み、魔女の話を聞き、彼女の仕事を手伝いながら暮らしていた。薬草を採りにいき、生活する上で必要な知恵を身につけて、静かに穏やかに…。

 人の首元へ牙をたてて、生気を吸いたいという本能を押し殺し、魔女と共に生きた。

 彼女が魔女としての生涯を終えるまで、彼は魔性を表にだすことはなかった。

 魔女は最期まで彼を慮った。

「アラクネよ…。私はお前を置いていくのが怖い…。お前が人に害をなす存在になるか…。心配でならないのもあるが…。それよりもお前が人に脅かされないか…。そちらの方が怖いのだ…」

 彼女は頬に一筋の涙を残すとそのまま逝ってしまった。


「ここに魔女の住居と聞き及び、やって来たのだが?魔女はいるか?」

 ある朝、男が森の奥にある魔女の小屋へ訪れた。彼は煩わしいほど、大きな音を立てて、ドアを叩いた。

 蔦の刺繍がされた詰襟の印象的な紺色軍服を着た兵士だった。

「昨年の夏に死去しました」

 アラクは緊張しながら、兵士へ答えた。

 何度か魔女と連れ立って村へ降りたことはあるが、なるべくなら森の外へ出てはいけないとの魔女の忠言を彼女の死後ずっと守っていたので、人との会話は久々だった。

「お前は誰だ?」

 魔女はアラクを『アラクネ』といつも呼んでいた。情が移ると思い、名前をつけていなかった。だが、『アラクネ』と呼ぶ魔女の声音にいつしか愛情が含まれていた。

「人に名前を聞かれたときは『アラク』と名乗りなさい」

 アラクは魔女の遺言どおりに兵士へ自己紹介をした。

「オレはアラク…ね。アラクです…。赤子のときに森で婆さんに拾われて、そのまま育ててもらいました」

 殆ど嘘はついていない。拾われたのはアラクネの巣であったが…。

 兵士はアラクを不躾な視線で観察した。

 アラクは黒の前髪を長く伸ばして、目を覆っていた。彼の目は宝玉のような紅い眼をしている。それだけならば隠す必要がないのだが、光の反射によってはオレンジ色や翠色へと変色するので、人ならざるものとばれてしまう可能性があった。

 顔立ちは顎が細く、女性のように肌理が整った白肌で貧弱そうな印象を受けるが、しっかりとした逞しい体格をしていると、アルクをくまなく見て兵士は判断した。

「…という事は、身寄りがないのだな」

 兵士は独り言のように小さく呟く。

「ぁあ…。まぁ、そうですね…」

「私は国王からの勅命で魔女に戦争への徴集を告げに来たのだが、死んだとあらば仕方ない…。代わりにお前に徴集を受けてもらおう…」

 以前、魔女は王宮のお抱えであったこと、国の大事があれは駆けつけるとの約束で引退した身であったことを兵士はアルクへ語った。

 アルクはボリボリと頭を掻く。

「オレは魔法とか使えませんよ…。戦力にもならないでしょうね」

 せいぜい、アルクが出来るのは粘着のある糸を吐くぐらいだ。それも人前では使ってはいけないと禁じられている。

「そのがたいがあれば、多少なりとも戦力にはなろう…。とりあえず、私もこのままでは帰れない」

 何を勝手なことを言うのだろうとアルクは内心憤ったが

「魔女が国へ誓った誓約を義理とはいえ息子なのだから、お前が果たすのが役目であろう。魔女の面子を潰すつもりながら、違えても構わんが…」

と続けられて、無碍に断れなかった。

 恩義のある魔女が侮辱されるのは耐え難い…。

 元々、人と言い争うなど無縁だったアルクである。どのみち、兵士に言いくるめられるのは目に見えていた。


 そんなわけで、あれやこれやという間に、アレクは戦場の最前線へ放り込まれた。

 訓練もせず、数合わせに連れて来られたアレクを誰もがすぐ死ぬだろうと予測した。

 だが、アレクは敵へ剣を突き立てられても、簡単に死ぬことはない。何しろ、再生能力が人と異なる。生き残るのは造作でもない。

 寧ろ、怪物としての食欲という本能を閉じこめること、すぐ傷が消えてしまうことの方が問題だ。

 飢餓は抑えこむしか方法がない。回復力は察知されないよう、死者の血を身体に塗りたくり、周囲の目を誤魔化した。

 所属する部隊はあったが、天幕へ一緒に寝泊まりすることもなく、近くの木へ登り一人で眠る。近くにいても、一緒に行動することは控え戦闘は真っ先に駆けこみ、味方から離れた場所で戦う。

 味方に悟られぬよう口から吐く糸で、敵を動けなくすると喉元を掻き切った。

 味方はアラクの脅威の戦闘力を恐れて、距離を置くようになった。彼は常に戦場で孤独だ。

「婆さん…。人らしく生きるって何だ…。国に言われるまま、戦場に出たが…。これが人らしいと言うのか…」

 アラクは何故、人は必要もないのに人を殺すのか、理解できなかった。命令を下されるままに従っているが、充満する血の匂いに辟易する。

 我慢するにも限界がある…。

 魔物や動物は生きるために他の生き物を襲う。飢え死にしてしまうからだ。

 戦争とは何だ…。どうして、領地を広げるのに人を殺す必要があるんだ…。無駄な命の奪いあいではないのか…。人は言葉があるのに、何故、話し合いで解決しないんだ。

 とはいえ、自分も無意味に人を殺している。いっそ殺すなら生気を吸って、化物としての飢えを凌ぎたい。それがアラクの本心だ。

 森では狩りをすることはなかった。

 爽やかな新緑…。小鳥の囀り…。澄み渡った青空…。耳障りの良い雨音…。平穏な世界…。

 魔女の手料理で充分に満たされた。

 だが、この土地は人の死臭が本能をくすぐる。

 蜘蛛は獲物を毒で痺れされて少しずつ獲物を溶かして食事をする。アラクネは毒で身動きとれなくなった餌を糸で絡めて生気を吸う。

 じわじわと痛ぶり殺すように思えるかもしれない。実際はあまり餌をとらなくてもよいように時間をかけて食すのだが、人にとってはそのような死は恐怖でしかないだろう。

 自身の魔性が飢餓を満たそうとする気持ちを抱く前に、アラクは仕留めた敵を即死させていた。

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