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正しい悪役令嬢の作り方

作者: ヤスゾー

「レイム。私の夢を聞いてくれる……?」


 顔を真っ赤にして、おずおずと話しかける姉・オム=フェットを見て、私は読んでいた報告書を閉じました。


 姉は内向的で、自分を前に出すような性格ではありません。周囲からは「弱気なオム様」と揶揄されているほどです。


 私は藍色のドレスの裾を上げ、椅子から立ち上がりました。


「お姉さまの夢? どんな夢ですか?」

「レイム。私、私ね……」


 姉の手には一冊の本。

 大事そうにその本を、必要以上に握りしめています。


「ああ、お姉さま。ゆっくりでいいですよ。私は、お姉さまの夢を全力で応援しますわ」

「レイム……私……」


 そう言って、姉は私に告白してくれました。

 精一杯の勇気をもって。


「私、悪役令嬢になりたいの!」

「無理です」

「応援、どこに行ったの!?」


 あら、大変。

 先ほどと違い、姉の顔色はどんどん悪くなっていきましたわ。


 でも、無理なものは無理なのです。変に期待を持たせないように、はっきり言ってさしあげた方が姉の為です。

 私は春の日差しのような温かい笑顔で、彼女の夢を粉々にする事にしました。


「お姉さま。その夢は諦めてください。無理です」


 二度目の否定をすると、姉はらしくもなく大きな声を出したのでした。


「嫌ぁぁぁああぁぁぁあああぁぁぁ!!」



 〇〇〇


 ここはフェット王国。

 「海と太陽の王国」と言われるほど、晴れの日が多く、美しい海による数多の恵みで、人の往来が盛んな国です。

 透き通るようなコバルトブルーに引き寄せられ、海沿いに別荘を建てる金持ちの商人や貴族達が後を絶ちません。

 そして、その海がもたらす最大の恩恵は、ここでしか生息しないアソコヤ貝が産みだす神秘の石。この宝石・アソコヤ石は高額で取引され、フェット王国の財政を潤しております。


 先ほど私が読んでいた報告書も「今期のアソコヤ石の生産量と価格」でした。

 先日、アソコヤ石を扱う商人から気になる手紙をもらったので、ちょっと調べ物をしていたところです。


「話が違うじゃない……。何が「応援しますわ」よ。酷い、酷いわ……」


 今、半泣きしながら、こちらを睨んでいるのが、この国の王女オム=フェット。

 私の姉です。

 美しくも長いブロンドヘアを縦ロールにし、目鼻立ちがはっきりしておられる姉は、さながら絵本の世界から出てきたお姫様のようで、本当に可愛らしいです。


 私は、この国の王女レイム=フェット。姉と同じブロンドですが、残念ながら、それほど容姿は優れておりません。まぁ、私は見栄えを良くするより、知識を詰め込んでいる方が楽しいですから、別にいいのです。


「お姉さま、私たちは王族ですわ。国民に愛されなければならない存在です。「悪役」は、少し考えて頂きたいものです」


 私は、用意されていたお茶をゆっくりとすすりました。


 大きな瞳を濡らしながら、姉はポツリと言葉を漏らします。


「そんなの……分かっているわよ……」

「そもそも、なぜ悪役令嬢になりたいのですか?」


 私の質問に姉は急に涙を止め、立ち上がりました。鮮やかなバラ色のドレスの裾を大きく揺らすと、私の前にズイッと一冊の本を出したのです。


「この本があまりにも素敵で……」

「本……」


 私はその本のタイトルを読んでみました。


『婚約破棄された悪役令嬢はのんびりライフを満喫する。はずだったのに、なんで第二王子に溺愛されているの!? そこに元婚約者の第一王子までやってきた! 私ののんびりライフ返してよ!』


「あら。この本、おかしいですわ」

「え?」

「タイトルを書くべき場所に、あらすじが書いてあります」


 それを聞いて、姉は慌てたように説明してくれました。


「レ、レイム……。それがタイトルよ……」

「えっ!?」


 私は驚いて、再び本に目を落としました。

 こ、これがタイトルですか? 私の知っているタイトルとは違うような気がしますが。


「今は、これでも短い方なのよ……最近売れた本はね……、もっとタイトルが長くて、表紙に入らなかったくらい……」

「表紙に入らない!?」

「……だから、今の本は表紙だけ長いの……折り畳み式よ」

「折り畳み式って……」


 一体、どんな本なのでしょうか?

 最近、私はこの国の経済や政治関連の書物にしか目を通していなかったので、市井の娯楽物がそのような事になっているなんて知りませんでした。


「この本の主人公である悪役令嬢はね。今までの悪事を断罪され、婚約者からも婚約破棄されてしまうの。追放された彼女は己の罪を反省しつつ、新しい人生を歩んでいく……。そこに見栄麗しい王子様達が現れて、たくさんたくさん愛されちゃうの。素敵でしょ? 私もこんな人生を歩みたいわ……」

「はぁ……」


 何やらツッコミどころの多い小説ですわね。

 ですが、姉が憧れているのも事実。


「わかりました」


 私はため息をつきながらも、心を決めました。


 正直、国の威厳の為にも姉が「断罪」されたら困るのですが。

 彼女の熱意を称え、その夢に協力する事にしましょう。


「では、私もこの本を読むことにします。そして、この主人公のような「悪役令嬢」にお姉さまが近づけるように、レッスンをしようではありませんか」

「レイム……ありがとう……」


 こうして、私レイム=フェットによる「悪役令嬢育成レッスン」が始まったのでした。



 〇〇〇


 レッスン①

 声は大きくはっきりと!


「この本のヒロイン、つまり悪役令嬢は張りのある声で、自分の意見をどんどんおっしゃっております」

「そうなの。とても私には出来ませんわ……」

「出来ません?」


 「悪役令嬢になりたい」というから協力しているのに、初めから「出来ません」とは、どういう了見でしょうか。

 私は鋭い声で、姉を叱責しました。


「出来る、出来ないを聞いているのではありません! やるのです!!」

「ひい!」


 姉は小さく悲鳴を上げました。

 なんて事でしょう。

 これくらいで震えていては、「悪役令嬢」どころか「商家のお嬢様」にもなれませんわ。


「お姉さまのその弱弱しい、消え入りそうな話し方を直します。まずは発声練習から。「あー」と声を出してみてください。……はい!」

「え? え?」

「声を出す!」

「あ、あー……」

「小さい!」


 姉の声が小さいのは知っていましたが、ここまでとは……。

 これでは蚊が飛んできたのかと、勘違いされても仕方がありません。


「もっとお腹に力を入れて!」

「あー」

「もっと!!」

「あー!」


 だいぶ良くなってきましたが、今は無理して出しているだけ。

 もっと基本的なところを鍛えなくては……。


「肺活量が足りないようです。今から、運動着に着替えて、王城を走りますわよ」

「えー……」

「えー、ではございません。返事は「はい!」」

「は、はい!」


 立派な悪役令嬢になる為に、私は姉にジョギングを日課とさせました。

 頑張って、お姉さま。




 レッスン②

 悪役ですが令嬢です。博識でなくては!


 私は大好きなのですが、姉は大嫌いなのです。

 勉強が。


「では、これらの書物に全て目を通してください」

「な……何これ……!?」


 今にも卒倒しそうな顔で、姉は私を見つめました。

 いやいや、私を見ても何も頭に入りませんわ。


 姉の机の上には、このフェット王国にまつわる外交情勢・経済動向……等々、我が王国がどの分野に強くて、どの分野に弱いのか分かる書物を一部置いておきました。

 ええ、一部ですよ。山のように積もれていますが、一部です。


「主人公の悪役令嬢は性格の曲がった方ですが、だいぶ頭の回転が早いようですね」

「……そ、そうなの……。悪女なのに……カッコいいですわ……憧れてしまいます……」

「なら、我が国の情勢くらい頭に入れておくべきです!」


 私はわざと大きく音が出るように、書物を叩きました。


「きゃっ!」

「毎日、小テストをします。赤点は追試ですので」

「む、無理よ……無理……。こんな文字と数字だらけでストーリー性のないもの。頭に入ってこないわ……」

「……」


 甘ったれた事を抜かすな!

 それでも悪役令嬢希望か!?

 と申したいところ。


 ですが。

 今まで勉強を遠ざけ、オシャレと読書ロマンスものばかりに勤しんでいた姉に、いきなりこの量は酷かもしれません。


「わかりました。それでは、アソコヤ石を重点的に学んでいきましょう」


 最初に申し上げましたが、アソコヤ石は我が国の財政の要です。

 その国の王族たる人間がアソコヤ貝の生息地、管理者、価格相場の推移を知らないのでは話になりません。


「実は、お姉さま」


 私はそっと姉に耳打ちしました。


「最近、アソコヤ石について、気になる事がありますの」

「え?」




 お姉さまは立派です。

 毎日、毎日、王城の周りをグルグル走っておられます。


「一体、何をされておられるのですか? オム様は」

「これは、ペール侯爵」


 姉の運動を監視する……いえ、応援するべく、裏門に立っていると、一人の男性に声をかけられました。


 セルヴェ=ペール侯爵。

 四十代の顎鬚を生やした恰幅のいい男性です。

 私は正直、この人が好きではありません。アソコヤ石の生息地の領主である事を笠に着て、王族に対しても横柄な態度をとるものですから。


 そこに姉がゼーゼー言いながら、走ってきました。汗で化粧が落ちて、顔がとんでもない事になっておりますわ。


「レ、レイム……。きゅ、休憩……」

「あと一周!」

「うわ~~ん……」


 一つにまとめたブロンドヘアを揺らしながら、姉の姿はまた小さくなっていきました。


「見ての通り、身体を鍛えております」

「ほう、珍しいですな。オム様が」


 目を丸くし、ペール侯爵は顎鬚を撫でました。

 せっかくなので、今後の計画を侯爵に話してみましょう。侯爵にとっても重要な事でしょうから。


「一か月後に、第一王子の妃候補選びの会議がありますでしょ? その会議に出席して、皆さまに変貌した姉の姿を見ていただこうかと」


 そう。私には兄がいるのです。

 そろそろ妃を選ぶべきだと、一か月後に会議が行わるのですわ。


 女王であるお母様も王婿であるお父様も、貴族(彼ら)達に信頼をおいているのか、今回の会議をペール侯爵に一任して、外遊に出てしまいました。

 それでも、この会議にはたくさんの貴族達が「我が娘を!」と立候補に集まるでしょう。変身した姉のお披露目にはちょうどいいと考えております。


「オム様が……妃選びの会議に?」


 ペール侯爵の顔色が、明らかに曇りましたわ。

 ペール侯爵は娘であるピュール侯爵令嬢を妃にさせる事に力を入れているので、予定外の事が起きるのは嫌なのでしょう。


「何か?」

「いや~。どれだけ貴重な意見を頂けるのか、楽しみですな。クククッ」


 まあ、なんという下品でいやらしい笑顔。

 所詮、出席するのは「弱気なオム様」かと、高をくくったのでしょう。

 私は癪に障りました。

 私の特別レッスンを甘くみないでいただきたいものですわ。


「ええ、楽しみにして下さいませ」


 いろんな意味を含めて、私は侯爵に笑顔を返しました。




 レッスン③

 人が恐れるくらいの悪人面に!


「お姉さまの顔は、全面的に「おバカ」が出すぎていますわ」

「な、なんで、そんな澄ました顔で、悪口が言えるの……!?」

「いいですか。「悪役令嬢」ですよ。もっと悪そうに笑ってください」


 指示に従い、姉は笑ってくれました。

 己の頬に人差し指をたてて。


「えへへ♡」

「……お姉さま」

「何?」

「刺してもよろしいですか?」

「怖っ!」


 怖い?

 怖いのはこちらです!

 悪そうに笑え、と言ったのに。

 何でしょう? その天使の笑顔!


「悪そうに笑うというのは、こうです!」


 そして、私は目を見開き、口角を上げて、侮蔑のまなざしを姉に向けました。


「これしきの事も出来ないなんて、本当にバカなんですね。あなたが私と同じ王族なんて、笑ってしまいますわ。オーホッホッホッホッ!!」


 あら、こんな大きな声で笑うなんてはしたない。

 でも、いい見本を見せる事が出来ました。

 私は満足して、お姉さまを見ると……何か悲しいのか、目に涙がたまっていました。


「こ、怖い~! レイム、本当、怖い!」


 ドレスのレースが揺れるほど、身体が震えております。

 でも、私は間違ったことはしておりません。


「悪役令嬢ですから」

「もうレイムが悪役令嬢でいいわよ!」

「んまぁ……」


 呆れて、言葉が出ません。

 私は「悪役令嬢」なんてなりたくありませんのに。


「私の血を分けた姉なら出来るはずです!」

「無理~……、出来ない~……!」

「オーホッホッホッホッホッ! ……はい、どうぞ」

「……オーホホホホホ……」

「もう一度!」

「オーホホホホホ」

「まだまだ!」


 このような特訓が一か月続き……。


 ついに。

 兄の妃選びの会議が開かれました。



 〇〇〇


 フェット王国の王城にある大会議室。

 今、この部屋でお兄様の妃を選ぶ会議が開かれているはずです。


 私達がそこに入室しようとすると、会議室を守る衛兵達に止められてしまいました。


「会議はすでに始まっております」

「お戻りください」


 ああ、やっぱりね。


 私は心の中で辟易しました。

 知らされていた会議の時間には、まだまだ時間があります。

 ペール侯爵が考えそうな事です。元々、彼は私達を除け者にしてお兄様の妃を選ぶつもりだったのでしょう。


 お父様もお母様も人を見る目がない。

 王族を軽視する臣下に、こんな重要な会議を任せて、外遊に出かけられてしまうなんて。


「レイム、どいて」


 地響きのような低い声が、背後から聞こえました。

 私がサッとその場を離れると、声の主は衛兵たちを押しのけ、乱暴に会議室の扉を開けたのでした。


「お待ちを!」

「いけません!」


 衛兵達が止めるのも聞かず、私達は中へと入りました。


 会議室の中には国中の貴族達が大きな円卓を囲み、座っております。みな目を丸くして、私たちを見ておりました。

 あら。議長席にいるのは、セルヴェ=ペール侯爵ですわね。


「え? ど、どなたですか……?」


 貴族達が驚いているのは、私たちが強引に会議室に入ってきた事ではありません。


 私の隣にいる美少年を見て、度肝を抜かれているのですわ。

 美しいブロンドヘア。瞳は大きめなのにどこか冷たく、女性なら誰でも心を奪われてしまう整った顔立ち。腰から剣を下げ、金の刺繍入りのコートを着ている姿は、まるで絵本の世界から出てきた王子様のようで、本当に凛々しいです。


「どなた、ですって?」


 私は小馬鹿にしたように、鼻で笑いました。


「我が国の後継者をご存じないのですか? ペール侯爵」

「え? え?」


 戸惑う侯爵。

 ああ、全然わかってらっしゃらない。

 私はここにいる貴族に向かって、事実を教えてさしあげました。


「ここにいる方は! 我が兄にして、我が国の正当な後継者! オム=フェット第一王子である!!」

「……え? ええ!!!」 


 ペール侯爵を含めて、全ての貴族達がどよめき始めました。

 無理もございませんね。

 日頃のオム=フェットを知っている人間なら、誰でも目を疑うはず。


 そうです。

 オム=フェットは姉でなく、兄。

 この国の第一王子です!


 日頃は好き好んでああいう姿をしておりますが、今回はかつらを外させ、ドレスは全て隠してしまいました。

 男物の服を着る事になり、兄は何やらギャーギャー言っていましたけど、全て無視ですわ。


「おい! ……どけよ」


 兄は凄みのある声を出して、ペール侯爵を睨みつけます。


「ひぃ!」


 その冷たい視線に、ペール侯爵は逃げるように議長の座を譲りました。


(いい感じですわ!)


 私は心の中で拳を強く握りました。

 特訓の成果がしっかり出ていますわね。


「おかしいな? 会議の開始時刻までまだあるのに、なぜ、すでに始まっている?」


 怒りで声を震わせながら、兄は議長の席に座りました。

 そして、氷のような視線をペール侯爵に送ります。


「女王に一任され、私よりも偉くなったと勘違いしたか? ペール侯爵」

「と、と、と、とんでもございません……。な、な、な、な、何かの手違いでしょう……」

「なるほど。手違いか」


 足を組み、偉そうにふんぞり返っている姿は、もはや「悪役令嬢」というより「暴君」ですわね。


「で。私の妃の最有力候補は? 誰になった?」

「わ、我が娘、ピュール=ペールですが……」

「ほう、支持者は?」

「モ、モアメッド=ロバン侯爵……カミーユ=トマ伯爵夫人……キリアン=ルー子爵……で、ございます……」


 やはりそうだ。


 私は全身に鳥肌を感じました。

 ペール侯爵も含め先ほど名前が挙がった貴族達は、アソコヤ貝の生育地の領主達ばかり!

 ペール侯爵だけならまだしも、これだけの有力な貴族達が支持を表明すれば、誰も太刀打ち出来ないでしょう。このままでは兄の妃は、ピュール=ペール侯爵令嬢に決まりますわ。


「奇妙だな……」


 兄は口元に手を当てて、眉をひそめました。


「フェット王国の有力な貴族ばかりではないか。お前達は、そんなに仲が良かったか?」


 同じ国ではありますが、同業者。ライバルでもあります。隙あらば、蹴落とそうとしている間柄なのに、ペール侯爵に協力するなんて、不自然な話ですわ。


「それは……」


 ペール侯爵が黙りました。

 私は名前の挙がったお三方を探しましたが……、三人とも顔を伏せ、私と目を合わせようとしません。そして、申し合わせたように、顔が青ざめております。


 ああ、今がいいタイミングかもしれません。


 私は用意していた書類と一枚の手紙を兄の前に置きました。


「お兄様……」

「ああ、分かっている」


 兄はニヤリと口角を上げると、立ち上がり、資料の一部を掴みました。


「ここには今期を含め、三年前からのアソコヤ石の売買価格の推移が詳しく書いてある。……おかしいんだよ、ペール侯爵。先ほどの名前が挙がった三名が管理するアソコヤ石の価格だけここ最近、妙に下がっている」

「え?」


 ペール侯爵も知らなかったのですね。

 泳いでいる目は、とても演技には見えません。


「まさかっ!」


 何かに気付き、ペール侯爵は支持者の三名を見つめました。

 しかし、私の時と同様、三名とも目を合わせようとしません。


 焦ったペール侯爵は顔を真っ赤にして、怒鳴りつけました。


「ば、馬鹿か!! 貴様ら! 我が娘が妃と決まるまで、価格を変えるなと言ったではないか! なぜ、勝手に動いた!? この役ただず共が!」

「買え控えですよ」


 三人がいつまでも話さないので、私が代わりに言って差し上げますわ。


「なに?」

「例えばですよ。例えば、あと一年も経てば、アソコヤ石が安価で購入できると商人が聞いたら、どうでしょう? 買いませんよね、少なくとも今は。……そうなると、価格を下げなくてはいけません。売れないよりマシなのですから」

「ここに一枚の手紙がある」


 兄は立ち上がり、皆に見えるように、先ほど渡した手紙を掲げました。

 それは姉の特訓が始まる前に、アソコヤ石を扱う商人が私に宛てた手紙ですわ。


「これはある商人達からの手紙だ。一部を読んでみよう。「……ペール侯爵が更に権力をつければ、アソコヤ石の一部が裏で出回るという噂があります。これはアソコヤ石の価格破壊、しいては王国の危機と感じ、手紙をしたためた次第でございます……」これはどういう事だ? ペール侯爵」


 ペール侯爵を睥睨し、兄は彼に一歩近づきます。

 私でさえも寒気を感じるほどですから、ペール侯爵は生きた心地がしないでしょうね。


「そ、そ、それは……」

「娘を妃にする協力を求める代わり、横流しに目をつぶるとでも言ったのか?」


 腰からぶら下げていた剣を抜きます。


「お前は私欲の為に、我が王国を潰す気か?」


 あら、怖い。

 兄はペール侯爵の首元に、剣をピタリと当てましたわ。


「ひいっ!」

「それとも、妃の父親という地位は、その首よりも高いのかな?」

「……ぐっ……」


 命の危険と地位の剥奪の危機。

 もはや考える力も抵抗する力も失い……。


「いえ……そのような事は一切、ございません……」


 ペール侯爵は床に沈みました。

 汗が滝のように流れており、そのまま溶けてしまいそうですわ。


「ならいい」


 兄は踵を返すと、貴族諸侯の皆さまに顔を向け、大きな声で堂々と語られました。


「いいか!? 今後、私を軽視し、舐めた態度をとってみろ! フェット王国に対する侮辱だと捉え、私は容赦なく処罰を下すだろう! 肝に銘じておけ!!」


 兄の言葉に誰も反論するものはおらず、皆、立ち上がり頭を垂れました。


「はっ!」


 その圧巻の光景を目の前に、兄は高らかに笑ったのでした。


「ホーホッホッホッホッホッ!!」



 〇〇〇


「嫌ぁぁぁああぁぁぁあああぁぁぁ!!」


 兄の活躍もあり、ペール侯爵を始めとするロバン侯爵・トマ伯爵夫人・ルー子爵は、当面の間、アソコヤ石の漁業権を停止する事となりました。また、国から派遣された調査官が今までの帳簿を改めるそうですわ。……これで他にもボロが出なければ、爵位剥奪・領地没収といった厳しい刑罰にまではならないでしょう。


 肝心の第一王子の妃選びは、暗礁に乗り上げましたけれど。


「違う違う! こんなの私が求めていた悪役令嬢じゃないわよ!」


 私の部屋では、兄が……いえ、姉が涙でクッションを濡らしております。

 悪事が一掃されたというのに、一体、何をそんなに泣く事があるのでしょう?


「お姉さまは立派でしたわ。あの怒りで声が震えていらっしゃった演技は、なかなかのものでした」

「あれは緊張して声が震えていたの!」


 特訓の成果もあって、今ではこれほど大きな声を出せるようになりました。

 願う事なら、涙でグショグショになったこの姿を、臣下の前にさらして欲しくないものです。


「剣を抜いたのも、緊張からですか? あれには私も心の底から震えましたわ。最高でした」

「でも、でも、これじゃあ、今、私が読んでいる本に出てくる俺様王子と変わらないわ!」

「何ですか? お、俺様……?」

「今、人気一位の本よ」 


 私は姉が差し出した本に、目を落としました。


『俺様王子は没落しても俺様でした。庶民の身なりで偉そうにしていても、誰も振り向いてくれない……はずなのに、周囲の王族が次々に彼を召し抱えたいと声を上げ始めるなんて!!? 俺様王子のへっぽこスキル「相手の尿意を5秒だけ操れるスキル」のせい!? これで世界征服も出来るって本当!? そこに、「相手の便意を10秒だけ操れる」ライバルが現れ……』


「長い!!」


 思わず声に出してしまいました。


 あら、よく見ると、この表紙、下の方はペラペラの状態で本体から飛び出ていますわ。

 はっ! 

 これが、噂の折り畳み式の表紙!

 ……わぁ、破けそう……。


「私の夢は、悪役令嬢! 俺様王子じゃないの! 言ったじゃない!」

「だから、初めに申したではありませんか。無理です。と」


 私はしれっと答えました。

 根本的な問題として、不可能なものは不可能です。


「ひ、酷いわ、騙したのね!」

「あら。では、これからはあなた様の事をこう呼んでもいいんですよ。お兄様」


 私はわざと「お兄様」と強調して呼んでみました。

 お兄様。

 姉の大嫌いな言葉ですわ。


「嫌ぁぁ!! 私は女の子よ! 神様が間違えて付けちゃったの!」

「はいはい」


 これ以上、下品な話題を広げないためにも私は軽くあしらいました。

 そして、話題を変えます。


「ウィッグとドレス。返して欲しいですか?」

「もちろんよ!」


 私はクローゼットの奥にしまってあった、姉のウィッグとドレスを取り出しました。

 本当は渡したくはないのですが。


「しかし、漁業権の一時停止だけで良かったのしょうか? もっと重い罰を与えてもおかしくないのでは?」

「いいのよ」


 早速、姉はドレスとウィッグを付けました。


 ああ、理想の王子様でしたのに……。

 会議室から私の部屋に戻る最中、たくさんの侍女達が姉を見ていたのを、姉自身は気付いていないのでしょうか。

 皆さん、息をひそめて、ウットリしていたのですよ。


「え、どなた?」

「カッコいい……」

「王子様みたい」


 ええ、王子様です。

 たった今、お姫様になってしまいましたけど。


「だって、下手に追い出すより、弱みを握ったまま手元に置いといたほうが、私の役に立つでしょう?」

「……え」


 ゾクリ、と私の背筋が冷えました。

 今のは……本当に姉の口から出てきた言葉なのでしょうか……?


「そうよね、レイム」


 しかし、目の前にいらっしゃるのは、いつもの天使のような笑顔を浮かべるお姉さまです。




 ああ。

 私のレッスンは、とんでもないものを生み出してしまったようですわ。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


執筆中に「GC短い小説大賞」の事を知り、テーマがピッタリだと思い、応募しました。

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