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――ゴツン
鈍い音が聞こえ、同時に痛みで目を見開いた。
「いったぁ〜!!」
目の前に広がるのは、ピンク色の床。
え?ピンク?
私、部長に窓から突き落とされたよね?
広がってるとしたらピンクじゃなくて、真っ赤な血の海では?
パチパチとまばたきをすると、今までに感じたことがないフサフサという感触。
「え?!何?!顔に虫でもついた?!」
慌てて立ち上がると、打った頭がぐわんぐわんと揺れる。
目をぎゅっと瞑って、もう一度開けると、そこには見たことのないピンク色のベッドがあった。
「ちょ、ちょっと……何この趣味の悪いベッド……」
まさか、落とされた衝撃で気絶してる間に、どこかのホテルに連れ込まれた?!
慌てて周りをキョロキョロと見回すと、ホテルのスイートルームかと思うくらいの広さの部屋。……いや、スイートルームなんて泊まった事ないから想像なんだけど。
目がチカチカするくらいの派手なピンク色の絨毯に、薄いピンク色のバカでかいベッド。
私が一番最初に目にしたのは、どうやらこの趣味の悪い絨毯だったようだ。
「同じピンクだけど、色を統一していないところが余計に下品ね……」
しかも、タンスやら鏡やらテーブルやら、家具は金色で統一しているみたい。模様替えする時にうっかり壁にぶつけたもんなら、すぐに目立つ傷ができそう。
こんな部屋でよく寝られたもんよね……もう目が痛くなってきた。
「そうだ!虫!」
目に違和感があることを思い出し、趣味の悪い大きな鏡を覗き込んだ。
「ウソ……え、わ、私……?」
鏡って、姿見よね?!映ってるの、私だよね?
「さっき感じたの、虫じゃなくてまつ毛だった!!」
そういえば、10代の頃付けまつ毛をつけてた感触と似ているかもしれない。目を擦っても取れないってことは、エクステでも付けまつ毛でもなく、自前のまつ毛ってことね。
「まつ毛長すぎて、まぶたがいつもより重いんだけど……っていうか、これってライラじゃない?!」
大きくて意志の強そうな藍色の瞳、それを縁取る長くて上向きのまつ毛。
透き通った白い肌に、薔薇色の頬には、今まであんなに悩まされてたシミも吹き出物もない。
めんどくさくていつも短く切り揃えていたショートボブの黒髪が、ツヤツヤ光るチョコレート色に変わっている。胸まで伸びた髪は毛先が綺麗にカールしていて、なんだかケーキのようで美味しそうだ。
「ライラ、めちゃくちゃ嫌な奴だったから気にしてなかったけど、なかなかの美人ね……」
鏡の前で一回転してみると、鏡の中のライラも一回転。
夢じゃなければ、どうやら私は乙女ゲームの世界に来てしまったみたいだ。
「部長に突き落とされた時に、ゲームやりたかったなんて考えてるからこんなことになるのかしら」
部長の手の感触を思い出し、ぎゅっと自分の両腕を抱く。
――いや、ほっそ!!ライラの腕、ほっそ!!
30歳を過ぎて、途端に二の腕の脂肪が重力に逆らえなくなってきていたのに、今の私は片手で握れるくらいの細さだ。
「ヒロインにばっかり注目してたけど、ライラが主人公でもおかしくないくらいね!さすがあの絵師さん……スチルも綺麗だったもん」
鏡の中のライラを見て、思わずほおっとため息が出てしまう。ストーリーはもちろんだけど、キャラクターが魅力的なのも『マジスク』の推しポイントの一つだった。
私は圧倒的にヒロイン推しだったけれど、ライラも性格抜きで見たらかなりの美少女だ。
「でもこの部屋はちょっと趣味が悪すぎるけどね……」
ライラ、こんな悪趣味な部屋で暮らしているから性格が歪んじゃったのでは?
よく見ると、着ているネグリジェも無駄にレースがたくさんついていて、寝返りを打ったらゴワゴワしそうだ。
「カーテンもピンクって、とことんピンク色が好きなのね。美人系の顔立ちなんだから、もっと落ち着いた色の方が似合ってる気がするけど」
なかなか濃いピンク色のカーテンなんて売っているところ見たことないなあ、なんて考えながらカーテンを開けると、青い空と綺麗な庭園が広がっていた。
ゲーム内で出てこなかったけれど、ライラの家・バクストン家はこの国でかなり力を持った公爵家の一つだ。『マジスク』の攻略キャラ達は第一皇子を始めとして、みんな上流階級ばかりだけれど、ライラが積極的に関わりを持てたのは自分の家柄が良かったからだ。
どのルートでもライラはヒロインに嫌がらせをしてくるけれど、特にひどいのはこの国の第一皇子・キースのルートだ。ライラの身分なら皇太子妃に選ばれることに何の障害もない。魔法学校の在学中にお近づきになりたいと思うのも無理はないのかもしれない。それにしたってヒロインへの嫌がらせはやりすぎだけどね!!
「もしこれが夢じゃなくて、私がライラに転生したのだとしたら、今までの記憶があってもおかしくないのだけど……ぜんっぜん覚えてない!!」
両親の名前はおろか、今ライラが何歳なのかもわからない。見た目はゲームと変わらないから、おそらく16歳前後だろうとは思うのだけど……。
「まあでもここは魔法が存在する国だし、私みたいに異世界からやってきた人間も普通にいるかもしれないし!とりあえずこの家の誰かと接触して、事情を話しましょう!」
そうと決まれば、まずはこの悪趣味なネグリジェから着替えることだ。
私は金色のクローゼットからなんとか一番地味なワンピースを引っ張り出して、目がチカチカするような部屋の扉を開けたのだった。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。