case07 ある夜会での一幕
シュールコメディ注意報
「アンダー侯爵家令嬢コリー! サンブック王国王太子スティング=フェイト=サンブックの名において、貴女との婚約を破棄する事をここに宣言する!」
王家主催の貴族令息、令嬢を集めた夜会。
優雅な音楽と、紳士淑女の談笑に包まれていた華やかな夜会の場は、その声で静まり返った。
会場の中央で声を発したのは、先日立太子の儀を終え、名実共にこの国の王太子となったサンブック王国第一王子、スティング=フェイト=サンブックその人であった。
「ス、スティング様……いえ、王太子殿下。そ、それは一体どういう事でしょうか」
声を向けられたのは、サンブック王国三大侯爵家の一つ、アンダー侯爵家令嬢のコリー。
ハーフアップに結ったプラチナブロンドの長い髪と、エメラルドの光彩の瞳を持ち、その美貌はアンダー侯爵家の至宝とも呼ばれていた。
「どういう事も何もない。今言った通り、私は貴女との婚約を破棄させて頂く」
驚愕の瞳に晒されて尚、スティングの表情に揺らぐことは無く、向けられた言葉に傲然と言葉を繰り返す。
「何故ですか! 畏れながら、私は殿下との婚約を取り交わしてより、この身命を捧げて殿下と共にあろうと努力して参りました。自惚れとの誹りを受けるやもしれませんが、誰よりも殿下の婚約者として相応しくあるつもりです!」
会場に響くコリーの悲痛な声を聞きながら、周囲の人々は固唾を呑んで それを見守る。
アンダー家の至宝がこれまでに示した王太子への献身と、王妃教育における彼女の有能さはいずれの貴族も知ることろである。
また、私財を投じて領内のに孤児院や病院を設立し、働くお母さんの為に公的な託児所を設けるなど、アンダー侯爵領内の福祉は、『彼女の慈愛を以て二世代先へ進んだ』と他国からも賞賛される程である。
片やスティング王子と言えば、帝王学において優秀な成績を収め、剣を取れば齢18にして実力で王国騎士団副団長をの座を勝ち取るほどの勇猛さを持ち、正に文武両道を絵にかいた様な人物である。
また、その誠実な人柄から人望も厚く、外交においても諸外国の王家や重要人物たちと広く友誼を結んでいた。
二人の治める次代の王国はどれだけ明るいのだろうと、貴族から平民に至るまで、王国全ての人々が期待と希望に胸を膨らませていたのだ。
それなのに……。
「その通りだコリー。未来の王妃としても、私の婚約者としても、貴方の聡明さと誠実さに疑う所など一つもない」
コリーの発言を、当のスティング自身が肯定する。
「ならば何故ですか!? 私に何が足りなかったというのです? 私の何が不満だったのです? 殿下は今の今まで私にそのような事は何一つ仰らなかったではありませんか……」
いつもの柔らかく温かな印象は鳴りを潜め、悲愴な面持ちで、それでも崩れ落ちそうな膝を必死に支えるコリーの姿に、周囲は痛ましさすら覚える。
「言ったろう? 貴女に足りないものなど無い。この件は全て私の我儘だ」
悲痛な表情で視線を落としつつも、彼女に非の無い事を明言するのは、彼の誠実さの表れ故か。
それでも、然したる理由も無く婚約を破棄。それを、これだけ大勢の貴族の前で宣言するなど拭いきれぬ汚点に成り兼ねまい。
「殿下は御理解されているのでしょうか? 殿下と私の婚約は王命によるもの。殿下が新たな王となる時、その時に確かな後ろ盾として我がアンダー侯爵家を求められての事であると」
繰り返すが、差し当たる正当な理由も無く婚約を破棄するという事は、当人達にとって重大な汚点と成り兼ねない。それも王命である物であるなら猶更である。
場合によっては、王太子としての、延いては将来の王としての資質を問われかねない程度には。
「わかっている。場合によっては、王太子の座を降りる事も致し方なしと心得ている」
その言葉に、静まり返っていた会場がざわつき出す。
彼がそこまで理解していながら婚約破棄という結論に至ったという事。そして、その決意の重さに気が付いてしまったから。
「そこまで私との婚約が、結婚を拒まれれるのですか……何故です……」
ついに耐え切れなくなったコリーが、膝から崩れ落ちる。
助けを求める様に周囲を見渡すが、誰も彼もがそっと目を逸らすばかり。
絶望の中、コリーの脳裏にある事柄が過ぎる。
それは数か月前に本の一時期流れたある噂。
「もしや、殿下はあの噂を信じてらっしゃるのでしょうか」
「あの噂?」
スティングの怪訝な表情に、コリーは暗い顔で頷く。
「はい……。その、私が殿下という婚約者が有りながら、フォース殿下と通じているという、あの根も葉もない噂の事です……」
噂で語られたコリーの不義の相手とは、その名をフォース=ディア=サンブックと言い、スティングの弟であり、この国の第二王子でもある。
数か月前から姿を見かけなくなっていた彼は、聡明なる事音に聞こえしスティングに対し、陰険で嫉妬深く、王家の威光を笠に着ては横暴な態度を取り、都合が悪くなると真っ先に逃げ出すその姿は、賢兄と称えられるスティングに対して、『出涸らしの愚弟』と影ながら半ば公然と囁かれていた。
その彼がコリーに横恋慕し、事ある毎に彼女に粉をかけ、素気無く躱されている姿は、王宮の内外を問わず時折見かけられていたのだが、ある時一つの噂が流れた。
―― 曰く、表では素気無く扱っているコリーではあるが、その実彼とコリーは裏で好き合っており、既に男女の深い仲である。 ――
そんな、コリーにしてみれば身に覚えも無ければ不愉快極まりない噂が、数か月前に一時だけ流れた事が有ったのだ。
尤も、彼女の誠実さは多くの人の知る所であり、不名誉な噂にも毅然とした態度で対応していた彼女や彼女の家族の姿を見て、その噂は七十五日を待たずに消え去っていた。
「馬鹿な事を……。貴女の誠実さは、多くの貴族が、そして誰よりも私が知っている。あのような噂に惑わされる事などある筈も無い」
「そ、それは……有難う御座います?」
場の雰囲気的に、お礼を言うのもおかしいかと、語尾が若干上がってしまう。
「あの噂だが、出どころはあの愚弟であったよ……」
「なんですって!?」
淑女然としては居ても、やはりコリーも人の子である。
流された不名誉な噂に、表面上取り繕ってはいたが、腹に据えかねていたのだ。
「噂の流布に手を貸した貴族子弟については、当人達も深く反省していてな。先日の魔物討伐の遠征の際に最前線を希望したのでその心意気を買って望み通りの配置にしてやった。残念ながら帰らぬ人となってしまったが、彼らの勇姿は、騎士団にて長く語られる事だろう」
沈痛な表情 ―― ややわざとらしくはあったが ―― な表情でスティングが語ると、無責任な噂を口にしていた幾人かの貴族が顔を青くする。
「主犯たる愚弟についてだが、本人が『健全な精神は健全な肉体に宿ると言います』と言ってな、騎士団の訓練に参加を希望したのだ。邪な考えを追い出す為に、多少厳しくても構わないと言う当人の希望通り実践訓練に参加してもらったのだが……」
一旦言葉を斬り、改めて沈痛な表情を作って見せる。
「誰がとは言わないが張り切ってしまったらしくてな。三日目にして訓練脱落、今は王家御用達の病院の集中治療室で面会謝絶だそうだ。悲しい事だな」
「は、はぁ……」
ここ数か月あの不愉快な顔を見なくて快適な日常を送る事が出来ていると思ったら、裏ではそんな事が有ったのか。
そんな事を考えたコリーの耳に、続けて発せられたスティングの言葉が届く。
「尚、今回の様な噂の流布も含めて、今後貴女に不愉快な思いをさせるような事を繰り返した場合、裸で簀巻きにした上で、アッパーフィールド駅十三番線男子トイレに転がしてやると言い渡してある」
「まぁっ! それは薄い本に薔薇トーンが捗りそうですわ ―― んんっ、コホン」
思いもかけない言葉に、貴婦人然とした仮面の下に隠した貴腐人の顔がつい覗いてしまい、慌てて取り繕う。
その周りでは、一部の淑女たちが赤い顔をして顔を見合わせ、一部の紳士が蒼い顔をしてお尻を抑える様な仕草をしていた。
「あの噂が原因で無いとすれば……もしや、あの伯爵令嬢に心を奪われでもされましたか?」
再び沈痛な表情に戻った、コリーが問いかける。
「あの伯爵令嬢?」
要領を得ないと言った風にスティングが首を捻る。
「はい……さる伯爵令嬢が、あの噂の後から殿下に執拗に言い寄っているというお話を伺いました……」
最近姿を見かけなくなった、とある令嬢の顔を思い出しながら、コリーは頷く。
「あぁ、その話か……」
得心がいったとスティングが頷く。
先の噂が沈静化した後、とある伯爵令嬢がスティングに纏わり着くようになった。
噂を真に受けたかのように、スティングに『癒して差し上げますわ』と言いつつすり寄って来たその令嬢は、相手に婚約者や恋人が居ようとお構いなしに言い寄っては、その話術と、時には体を用いては篭絡していると、良識ある貴族の中では悪い噂の絶えない人物であった。
相談女、尻軽女と蔭で言われてはいたが、なにしろ篭絡された側が彼女を庇い立てする為、悪意の証明をする事が出来ずに、ただ泣き寝入りするしかない被害者の令嬢達は日々涙で枕を濡らしていた。
その令嬢がスティングに言い寄って来た際、コリーは幾度となく注意して来たのだ。
貴族としての在り方を、淑女としての振る舞いを、そして、婚約者の居る王族にすり寄るその行為がいかに不敬であるかを。
残念ながら彼女にその言葉は伝わらず、当てつけの様に増々彼女はスティングに纏わり着くようになり、それと前後して彼女が虐められているという噂が流れる事になった。
―― 曰く。
彼女のドレスが何者かに切り裂かれた。
彼女が階段を降りようとしたところ、誰かに後ろから突き飛ばされた。
彼女が歩いていると、上の窓から植木鉢が落ちて来た。
等々……。
そして、それを指示したのは、嫉妬に駆られたコリーその人であると。 ――
尤も、コリーの忠告は至極真っ当なものであったし、淑女の鑑とも言われていた彼女がそのような事をする筈も無いと、一笑に伏された程度の噂ではある。
「もしや、殿下があの噂を真に受けて心変わりされたのかと……」
「何を馬鹿な事を……」
コリーの言葉に、スティングが首絵を振る。
「あの女の言っていた事は全て虚言であったと調べはついている。全て自作自演だったという事もな。なにより……」
スティングは正面からコリーの目を見ながら言葉を続ける。
「貴女という素晴らしい婚約者が居るにも関わらず、私が他の女性に心を奪われる様な事は決してない!!」
周りで見守る者の中に、幾人か『キリッ』という擬音が聞こえたとか聞こえないとか。
「そ、それは……勿体ないお言葉で……す?」
再び語尾の上がってしまうコリーだった。
「あの女については、王族を誑かし、侯爵家の人間を貶めた罪により、ストレング=キャピタルのロンリー修道院送りとした」
「まぁ……」
スティングの言葉にコリーが目を丸くする。
なんでもその修道院を開いたインサイドセット=ロンリスニンなる修道女は、不倫した挙句にその責任を取る事も無く子供を捨てて教会に逃げ込んで修道女となり、修道院を開いた後は説法と称して晩年まで世迷言を垂れ流し続けた強欲BBAであり、今では所謂そういった連中の隔離施設として知られており、例え出て来たとしてもまっとうな相手からは白眼視されるような修道院であった。
「それはそれは……これ以上殿下に粉かけるようなら、そろそろエロ同人誌のような酷い事してやろうかと思っ……ん、コホン」
コリーが思わず漏らした言葉に、『殿下が婚約破棄されるなら私にもワンチャン!』と意気込んでいた一部の令嬢が『ヒェッ』と声を漏らす。
「で、では……。最近殿下は、私と食事を共にされる事が少なくなった覚えがあります。もしや、私の作る料理に何か御不満でも……?」
このコリーという侯爵令嬢、貴族令嬢でありながら料理を嗜み、その腕前たるや玄人跣。
侯爵家の展開するレストランチェーン店の料理も、全て彼女の監修によるものであり、その売り上げは侯爵家全収入の三割に達する程である。
「最後に殿下と食事をした時のメニューは確か海南鶏飯だったと記憶しております。もしや、あれの出来に御不満でもありましたでしょうか?」
せめて何か糸口をと、藁にも縋る思いでスティングに問いかけるコリー。はらはらと涙を流すその姿は儚くも美しく。つい先ほど『薔薇トーン』やら『エロ同人誌』などと口走った人間とは思えない。
実際、周囲の人の殆どは、先程の言葉は何かの聞き違いだろうと思い始めていた。
「いや、あのカオマンガイはとても美味であったよ。しっかりと成長した牝鶏のもも肉は、しっかりとした歯ごたえと旨味があり、その出汁で炊かれた米は一粒一粒に味が染み込み、まさに『絶品』と呼ぶにふさわしい味であったよ。ただ……」
「それはそれは、過分なお褒めの言葉を頂き恐悦至極に存じますわ。おマチ(♀3歳)も浮かばれます」
スティングの言葉に、コリーは表情を和らげる。
婚約破棄してんのか惚気てんのか、周りで見ている者の中には、そろそろ自分達は何を見させられているのかと疑問に思う者も出始めていた。
ちなみに、アンダー侯爵家の直営養鶏場から出荷される鶏肉や卵は、ブランド鶏として有名である。
特にアンダー家の屋敷内に作られた養鶏場で、コリーが手ずから育てている鶏については超高級ブランドとして王国中の食通垂涎の品であり、同じ重さの金よりも高価と言われる程である。
先程出て来た『おマチ』とはまさにその鶏であり、そのトレーサビリティには『アンダー侯爵家直営養鶏場にて誕生。令嬢コリーが飼育担当。ミミズや虫よりも草を啄む事を好み、のんびりした性格で、日向ぼっこをするのが趣味』とある。
閑話休題。
一度表情を和らげたコリーであったが、ふと有る事に気付く。
「殿下、先掘殿下は私の料理をお褒め下さりましたが、『ただ』と付け加えられましたね」
コリーの言葉に、スティングはしまったとばかりに口を覆うがアフターフェスティバルである。
「殿下、やはり私の料理に御不満があったのですね?」
「あ、貴女の料理に不満があったわけではない……」
スティングは目を逸らし後悔するが、漏れてしまった言葉は取り返せない。
「いいえ殿下、殿下が私の料理に不満があった事はその態度からも明らかです。仮にも王国の『食』の一翼を担う我がアンダー侯爵家。その家の者が自らの手で作った料理に不満を持たれ、それを捨て置くなど末代までの恥」
先程までの悲愴な面持ちは消え、背筋を伸ばし、凛とした面差しでスティングを見詰めるその姿は、高貴なる意志をその身に携えた、まさに貴婦人と言うに相応しい様相であった。
「殿下、私は知りたいのです。それで殿下との婚約が無かったものとなったとしても、その理由を、私の料理の何が不満だったのかを、せめてそれだけはお教え頂けませんか」
そう言って深々と頭を下げるコリーの姿に、これ以上誤魔化す事は出来ないとスティングも諦める。
「……チーだ」
呟くようにスティングの口から漏れた言葉にコリーが首を傾げる。
「いまなんて?」
コリーの耳には聞こえていたが、聞こえる事と理解出来る事は別問題である。
いま一つ理解が及ばず、思わずコリーの口からは淑女らしからぬ言葉が漏れる。
「……パクチーだ……」
隠しきれないと諦めたスティングが再び口を開く。
「……パクチーとは、『あの』パクチーですか?」
聞き違いであれば良いが、そうでなければ中々に由々しき事態であるが故に、コリーはそれを確かめる。
「『あの』がどれを指しているかは寡聞にして知らないが、私は『あれ』以外にその名で呼ばれるものを知らないな」
スティングの口からもたらされるのは、それが聞き間違いでも別物でも無く、間違いなく『それ』を示しているという事実。
その事に、コリーは些かの眩暈すらすら覚えた。
「そ、そんな……殿下はたかが食べ物の好き嫌いで、王命による婚約をも破棄されると仰るのですか!?」
コリーの表情が驚愕に塗りつぶされる。
無理もあるまい。この婚約は、スティングが将来王位に就いた際の後ろ盾までも考慮して王命によって定められたものである。
それを、たかだか食べ物の好き嫌いの為に破棄するなど、王位継承権を失うだけならまだまし、場合によっては廃嫡からの追放まで見える、W役満どころではない所業である。
「たかが、ではない」
絞り出すように、だがはっきりと、スティングはコリーを見据えて言葉を紡ぐ。
「好きな者には気にならないのだろが、嫌いな者からすれば、あれは耐え難い臭いなのだ。貴女は知っているだろうか? パクチーとは、別名を『カメムシソウ』と言うのだよ」
「カ、カメムシ!?」
スティングの言葉に、本日幾度目になるかもわからない驚愕の声を上げるコリー。
「で、ですが、アレルギーならまだしも、単純な好き嫌いなら食べていれば慣れるものでは? 実際、殿下も幼い頃は好き嫌いが多かったと伺っています。それが、食育のお陰で今では好き嫌い無くなんでも食べられるようになったと」
余談だが、アンダー侯爵領においてアレルギー持ちにアレルゲンを食べさせる行為は重罪であり、食べる事を強要した時点で殺人未遂と同等に扱われる。
コリーの発案により制定された領内法ではあるが、これにより無知な姑によって子供を危険に晒す事が減ったと、領内の解奥様衆からは概ね好評である。
一歳未満の乳児に蜂蜜を与える行為もこれに準ずる扱いとなっているか、ここでは詳細は割愛する。
「ああ、今の私はクサヤでも鮒寿司でもエポワスでも北極ラーメンでもどんとこいだ。だが、パクチーだけは駄目なのだ……」
「なん……だと……?」
―― パクチー食えない事よりそっちが食べられる方がびっくりだよ! ――
とは、後年になってこの時の事を振り返ったコリーが漏らした言葉である。
「私とて努力はした。一説には、パクチーの好き嫌いは先天的なものであるとも言われているが、貴女の大事な物を嫌いなままで居て良い筈が無い。だが、どうしても駄目だったのだ……」
コリーがパクチーに拘るには些かの理由が有る。
コリーが産まれたその頃、アンダー家は侯爵という地位にありながら財政難に陥っていた。
主たる理由はコリーの祖父である先代のアンダー侯爵家当主の放蕩ぶりであったが、その経営手腕にも問題がった。
目新しいものに飛びついては多大な投資を行い火付け役が逃げ切った後もそれに執着する。一時的な収入にはなるが、投資額を回収するには至らず。
ティラミスにナタデココ、生キャラメル、タピオカミルクティーに恵方巻と、メディアに踊らされて手を出した品は枚挙に暇がない。
勿論流行が過ぎたからと言って全く売れなくなったわけでは無いが、投資を回収し、財政を潤すには程遠いと言わざるを得ない。
そんな雑多な経営手腕に、先述の放蕩ぶりも加わり、コリーが産まれた時、アンダー家の家計は正に火の車と言った具合であった。
コリーの父は、産まれて来たコリーの為にもこのままではマズいと、先代当主を放逐する決意をする。
主たる要因が取り除かれた事により、右肩下がりの状態を止める事は出来たが、それでもしばらくの間、財政の低空飛行は続いた。
契機が訪れたのはコリーが十二歳になったある日の事。
領内視察の為にとある村を訪れた父に同行していたコリーは、そこである香草と出会う。
強烈な風味を持つその香草は、当時はその村の周辺でだけ食されていたものであったが、当時既に一角の料理人としての才覚を現し始めていた彼女は、この香草に可能性を見出す。
その香草こそがパクチーであった。
パクチーを屋敷へと持ち帰った彼女は、その村で教わった料理を元に様々な料理を作り出し、その全てに件の香草を用いた。
そうして出来上がった料理は、その強烈な風味により多くの人々を病みつきにし、その料理を供する店には領地の内外から人々が訪れた。
専門店として展開している、その名も『行け行けパクチー』は、現在でもアンダー家が展開している外食店の中で一二を争う売り上げを誇っている。
だが、コリーの構想はこれに止まらない。
まずはパクチーの存在を広め、やがては一般家庭においてもパクチーの消費を促す。
そうする事で、パクチー料理ではなく、パクチーそのものの消費と売り上げを伸ばす。
その時、パクチーの多くは生産量王国一位を誇るアンダー侯爵領内のサイレント=ヒルから出荷され、近所のスーパーに並ぶ事になるだろう。
コリーは無自覚ながら、『流行の火付け役に踊らされるのではなく、自らが流行の火付け役になる』『パソコンを売るのではなくOSを売る』という商法を体現してみせたのだ。
これにより、アンダー家は長く続いた財政難から逃れ、領内のインフラ整備が進められ、領民の暮らしの向上へと還元された。
コリーにとってパクチーとは、家を救ってくれた恩人(恩草?)であると同時に、半生を共にした、言わば戦友と言うべき存在である。
それが受け入れられないと言うのであれば、確かに婚約破棄もまた、致し方なしと言わざるを得ないのかも知れない。
だが、理解は出来ても納得できるかは別問題である。
「わかってくれコリー。パクチーを食べる貴女は美しいが、それが元で王と王妃が不仲となるなど、パクチー原理主義者達に王国が鼎の軽重を問われる事にもなりかねん。また、そうなればパクチーを否定する一部の過激派も黙ってはいまい。国を割る訳にはいかないのだ……」
二人きりの時だけ、お互いを呼び捨てにしていた二人。
今までは甘く響いていたそれが、今は悲しい。
床に崩れ落ち、ただはらはらと涙を流すコリーと、駆け寄り抱き起す事も出来ないスティング。
そして、
―― え? こいつら頭沸いてんの? 話し大きくし過ぎだしぶっ飛んでるし、どうやってこの場を納めんの? っていうかもう帰っても良いかな? ――
という心の声が、破れかけのオブラートから流れ出しそうな貴族の面々。
そんな混沌とした場に、一つの声が上がる。
「殿下にお尋ねしてもよろしいでしょうか」
取り巻く貴族の輪から一歩進み出たその人物は、三大侯爵家の一つ、ツァイ侯爵家当主その人であった。
「ツァイ侯爵か、聞こう」
そう答え、発言の続きを許したスティングに軽く頭を下げると、ツァイ侯爵は言葉を続ける。
「まず確認させて頂きたいのですが、殿下はコリー嬢と結婚したくない訳ではいのですね?」
「当り前だ」
「そして、殿下御自身がパクチー食べるのは我慢できないが、同じ食卓に居る他人が食べるのは別に構わないと?」
「ああ」
スティングの回答に、ツァイ侯爵は『ふむ』と一つ頷く。
「で、あれば、『別盛り』にするのは如何でしょうな?」
なんて事の無いようにツァイ侯爵は提案をする、が……。
「別盛り……だと?」
その時スティングに電流走る。
「はい。パクチーはあくまで添え物、薬味です。であれば、調理の過程で加えずとも問題は有りません。料理とは別にテーブルに出す事で、好きな人は好きなだけ乗せられて、苦手な方は料理だけを楽しめる。我が侯爵家が経営する店舗でもこの『別盛り』を採用してから、パクチーが苦手な方も一緒に来店できると好評を頂いておりますよ」
実はこのツァイ侯爵家、パクチー生産量王国第二位のフォルトゥナ=ヒルを領内に擁し、『西の行け行けパクチー、東のパクチー屋敷』と並び称されるパクチー専門店、『パクチー屋敷』の経営者でもあるのだ。
「別盛り……それならばっ!」
身を翻し、未だ立ち上がれぬコリーへと跪くスティング。
コリーの手を取ると、その甲に優しく口付ける。
「すまないコリー。私はパクチーを食べなければならないという強迫観念に捕らわれて視野が狭くなっていたようだ。貴女の愛するパクチーを食べる事は出来ないが、それでも貴女と食卓を共にする事は出来る。不甲斐ない私だが、貴女は許してくれるだろうか」
スティングの言葉に、コリーの瞳からは美しい涙が零れる。
だがしかし、その涙は先程迄の涙とは違い、歓喜によるものであった。
ひしと抱き合うコリーとスティング。
あぁ、なんとこの世の美しき光景であろうか。この一枚の絵画にも似た光景を以て、この夜の騒動は幕を下ろす事になるのである。
居合わせた貴族達の多くは、内心『え、コイツらに王国の将来任せてマジ大丈夫なの?』と思いつつ、そこは貴族の嗜みとしてただ拍手を送っていたというが、少なくとも後世の歴史書にスティングが暴君、暗君と記される事は無かったのだから、まあなんやかや上手くやったらしい。
後年、王国の心胆を寒からしめた『唐揚げレモン殺人事件』において、犯人の口から洩れた『パクチーだって別盛りじゃねーか』の一言により、情状酌量が認められる事になるのだが、それはまた別のお話。
最近、Sl〇ckのCMがY〇utubeで流れて、あの『スコココッ』という音を聞く度に
すわっ仕事の連絡か!? と業務携帯を二度見してしまうあたり、我ながら訓練された社畜だなと思う今日この頃。
どうでも良い話ですが、予約投稿だとシリーズ化出来ないんですよねぇ。
なので、予約投稿した際は、本公開されたのを確認して改めてシリーズに追加と言う手順を踏んでます。
少しばかり面倒なので、どうにかならないもんかなぁと思う次第。
あ、誤字報告いつも助かっておりますm(_ _)m