少女の反省
やっちゃったなぁ、と思う。
でも、後悔はしていない。反省はしているけど。
だって、許せなかったんだもの。
そりゃ、悪いのは僕だ。間違っていたのは僕だ。母は何も間違ったことは言っていなかった。
ただ所々、説教の内容は相変わらず、的を外していたけれど。
でも、僕の留守中に、僕のかみさまを捨てたのは、絶対に許せない。
価値をわかってなかったんだと思う。僕が彼の人を、かみさまとして崇めていたことも、信愛を捧げていたことも知らなかったんだと思う。
だからって、許されるわけはないのだけど。
…なんか、噛み合わないなぁと思っていた。昔から。
昔、叱られた時に説明しろと言われて、賢明に言葉を探して紡いだら言い訳だと断じられた。
言い訳がましく聞こえたんだろうし、僕の言葉の選び方も下手だったかもしれない。でも僕にしてみれば、頑張って説明した結果だった。
それが言い訳だと切って捨てられて、更に叱られて、どうしていいのかわからなくなって。
導き出した結論は、結果だけを伝えることだった。
過程を説明しろと言われて、説明したら言い訳だろうと叱られるなら、過程を全部省略して、結論だけを伝えればいい。それがいいことでも悪いことでも。
どんなに過程で努力しても、どんなに足掻いても、それを努力と、奮闘と受け取ってもらえないなら、そんなものを説明したところで意味はない。
だから結論だけを伝えるようになって、そうしたらそれはそれで叱られた。言葉が足りないらしい。どうすればいいのやら。
だって、僕の説明は言い訳にしか聞こえないんでしょう。なら、問われたことにだけ答えればいい。そうやって摩擦を減らそうとしているのに、どうも上手くいかない。
親友の唯に何度か相談したら、こうすればいいんじゃないか、とアドバイスをその度にもらうのだけど、それを幼い頃に不要と断じられたから付け足さなくなったのに、と首を傾げたら溜息をつかれた。
「もうさぁ、根本的に合わないんじゃない?」
多分そうなんだと思う。僕の考え方と母の考え方はどう足掻いても重ならなくて、だからどうしようもない。
「お前は極端だからなぁ」
苦笑いと共に言われた言葉に、やっぱり唯は僕を理解しているなぁ、と感心したのを覚えている。
母の説教は、特に交友関係や人間関係に言及すると大抵的を外していて、僕はその度に「何言ってんだこいつ」みたいな目をしないように気を付けていた。
普通、家の外…学校とか、そういう場所では猫を被って、家の中では素の自分を見せるんだと思う。
でも僕は普通じゃなかったらしくて、家の外では素の自分で振る舞って、家の中では猫を被っていた。
友人や、特に唯の前ではいい子を演じる必要もなかったから、聞き分けの良いいい子な僕は家の中…というか、家族の前限定だった。
世渡り下手だとか、家の中でそんなじゃ外ではどうするんだとか、そんなだと友人も離れていく、ご愁傷様、だとか色々並べ立てられたこともあったけれど、その度に僕の猫被りに気づいていないのだとわかって、ずっと冷めていた。
僕を普通と思っているのが信じられなくて、母は何を見ているんだろう、と考えたことも一度や二度ではない。
「僕って普通かなぁ」
「「それはない」」
「だよねぇ」
唯ともう一人、中学時代に仲の良かった友人に即答されて、笑ってしまった。
「お前が普通はないわーマジないわー」
「お前が普通だったら世の中の人は大抵普通」
「うわひっど」
その友人とは高校が離れてしまったけれど、唯は一緒で、僕と正反対なのに相性は良かった。
そんな唯から教わったアニメを見て────
…気づいたら、彼の人に溺れていた。
恋、じゃないと思う。それは多分、違う。
その鮮やかな姿に魅せられた。己を貫く姿勢に憧れた。
憧れが尊敬になって、敬愛が信仰に近い愛に変わったのは、いつだろう。
気づいたらもう戻れないほど深く依存していて、動揺した時、泣きたい時、寂しい時、死にたい時、彼の人の名を呪文のように繰り返し呟けば、平静を取り戻せた。
声を聞けば恍惚とした溜息が漏れて、雨の日の偏頭痛も治っていって。
ただ、愛しい、と。それだけが頭の中を駆け巡る。
彼の人は、僕のかみさま。それを、無価値なゴミのように放り捨てられたことが許せなかった。
彼の人は、僕に光をくれた人なのに。僕に夢を見せてくれた人なのに。
だから動機を訊かれて、笑顔で、こう返した。
「かみさまを、壊されたから」
ねぇ、僕のかみさまを、僕の心を守ってくれた人を奪うなら。
僕だって、その対価を得たって、いいでしょう?
杜鵑草と申します。一日クオリティの適当小説なので、おかしなところはスルーでお願いします。