子供の頃に出会った優しい吸血鬼を待ち続けた少女のお話
※とても暗い話になっています
救いがないのと残酷な描写ありなので
苦手な方は注意です。
夕焼けで橙色に染まる屋上に私は立っている。
そろそろ冬が近いせいで吹く風は冷たいし、制服にカーディガンだけとなれば寒いと感じるのは当然のことだろう。フェンスを掴む指の震えはきっとそのせいだ。袖から覗く手首にまかれた包帯のなんと痛々しいことか。
けれど手首だけではなく足にも、頭にも…、服を脱いだ瞬間から見える場所にそれはいくつも存在する。
長いこと切っていない腰よりも長い黒髪が風に揺れて頬を撫でる感触が鬱陶しい。
…何てことはない、よくある話だ。
物語の中で使い古されている設定と私は一緒だっただけ。
“両親から虐待を受けている可哀想な子供”。
悲しいことにこの世の中には私以外にもそんな境遇の子供は沢山いる。それが軽度であれ重度であれ、それぞれが不幸なことに変わりないだろう。だから私は自分がこの世で一番不幸で可哀想な人間だなんて嘆かない。世界に絶望はしていても、憂いなど感じない。もうそんなラインを越えてしまった後なだけかもしれないが…。
これでも少し前までは希望を持って生きていた。
今ほど心も死んでいなかったと思う。
本当に本当に小さな光だったけれど、私にとっては何よりも大切で唯一で、それだけで充分だった。他には何も望まないから、私から“あの人”を奪わないでと信じてもいない神にすがって祈りを込めて手を合わせるくらいに大切だった。
けれど、信仰心のない人間がした祈りなどきいてくれるはずもなかったのだ。仮初めではあったけれど私は本気で願っていた。でも、やはり神は平等なんかじゃない。この世に救いなんてありはしないのだと実感した。
だって、私の願いは傲慢なものじゃなかった。
本当に些細で、無垢な願いであった。
『ぜったいにむかえにくるから』
『ぼくのこと…ぜったいにわすれないでね…』
私に初めて温かい約束を与えてくれた君の名前を私は忘れてしまったのだ。
あの子と出会ったのは小学校へ入学したばかりの一年生の時。まだ両親からの虐待も軽いもので、今のように見える部分にまで傷をつけられるほど暴力を振るわれていなかった頃。同じクラスの隣の席になった相手が彼だった。
第一印象はなんて綺麗な子なのだろうと、お人形が生きているのだと錯覚してしまいそうなほどに美しい容貌の少年だった。きっと人気者になるのだろうと思っていたのに、何故かみんな彼に近寄らなかった。
どうやら真っ赤な血のようだと表現もできるその子の瞳の色が怖かったらしい。確かに宝石のルビーというには透明感はなく、少し濁っているようにも見えて血みたいだという感想には共感してしまった。
けれど、どんな容姿に関係なく人間の中身は醜悪なのだと思っていた私にはどうでもいい事だった。外では普通を装っていても家では実の子供を殴るような両親に育てられているのだ。瞳の色が変なくらいで怖がる要素になんかならない。でも仲良くしたいとは思わないし、それは彼だけにじゃなくクラスメイトにもそうだった。
友達なんて必要ない…、人間という生き物を信じることの方が私には恐ろしかった。
「おまえ、血のにおいがいつもする。
どこかケガでもしているのか?」
「え…。」
賑やかな教室の雰囲気が嫌で休み時間はいつも人気のない所を探して過ごしていた。その日は何となく覗いてみた理科室に誰もいなかったので、授業が始まるまでここにいようと決めて椅子を引いて座った瞬間だ。突然後ろから声を掛けられてとても驚いた。
急いで振り向くとそこいたのはいつも隣にいる彼で、私のことをジッと見詰めていた。
「い、いつから、そこにいたの?」
「今だが?それよりもいつも血のにおいをさせているのはなぜかきになっていた。なぜいつもケガをしている?となりからずっとそのにおいをだされては授業に集中できないだろ。」
「血の、におい…?わたしからいつもしてるの?」
途端に気になって己の腕など嗅いでみるが特に鼻につくような匂いはしない。そもそも血の匂いとはいったいどんなものかもよく分からないので判断もしづらいのだけど…。
けれど自分では分からないだけでずっとそんな匂いをさせていたのなら何か嫌だ。この子の態度や表情を見る限りでもあまり良いものではないのだろう。真っ白な肌に浮かぶ眉間の皺がなんとも不釣り合いだ。自分のせいではないにせよ、不快な思いをさせているのであれば謝らなければいけないだろうか。
理不尽なことですぐ怒る両親は早く謝らないといつも私の顔を叩くのだ。
「ご、ごめん、なさい…。」
彼はそんなことをしないのかもしれないが、私は怒りの感情を向けられることが何よりも恐ろしかった。
「なぜあやまる?僕はきみがケガしているのにそれをほうちしていることを心配しているだけだ。」
「しん、ぱい…?きみはわたしのことを心配してくれるの…?」
「そんなの当然だろ、って?!な、なななぜ泣くんだ?!僕もしかしてなにかいやなことでもいったか?!?!」
「えっ、、、あ……。」
向けられたことのない言葉だった。
図書室で読んだ物語でしか見たことのない心を彼は私に抱いてくれたのだ。痛くて苦しくて悲しいという感情以外で泣くのはこの時が初めてだった。
涙の味を気にする余裕もなかった日々。
あぁ涙ってしょっぱかったんだ…。
胸に広がるこのぽかぽかとしたものはなんだろう。
“喜び”という感情が芽生えた瞬間だった。
この日から一人きりだった休み時間に彼も加わった。お互いに改めて自己紹介をすると下の名前で呼び合う。とても綺麗な少年は不思議な話をたくさんしてくれた。なんでも彼は吸血鬼で人間ではないのだという。祖母が人間と吸血鬼のハーフのため純血?というものではないらしいが、とても強い力を持った種族で自分はそこの次男なのだと言った。
そして人間界の他に自分達のような魔族の住む世界があって、許可は必要だがこちらへ来ることも可能なのだとか。今はとある事情で家族と共に人間界で暮らしているらしく、せっかくだから学校に通ってみれば?という親の提案で小学校に通っているらしい。因みに太陽はまだ子供だから平気だとか、魔力は十歳をすぎてから覚醒するだとか今考えるとまるでファンタジー小説のような話だ。
にわかには信じ難い内容だったが人間離れした美しさと瞳の色に彼が吸血鬼である事実に納得してしまう自分がいた。
まだ幼かったし純粋な年頃だったのだから、信じてしまっても仕方ないだろう。
毎日学校のある日は夢のような話をしてくれる彼との時間が私は大好きだった。本当は家に呼びたいけど、他種族の場合は生涯の伴侶しか連れてきてはいけない掟?のようなものがあるとかで私を招待できなくて残念だと愚痴を溢していたっけ。彼のお嫁さんになれる人はなんて幸福なのだろうと子供ながらに思った。
それが自分であったならどれほど嬉しいだろうと…。初めて抱く欲望は酷く醜く思えて、胸が締め付けられるように痛くて苦しかった。
例えそんな立場にはなれなくても友達でいてくれるだけで充分だと自分に言い聞かせ、少しでもこの日常が続けば良いのにと願う。
けれど、お別れはすぐにきてしまった。
小学生として迎える初めての冬。
「公園にすこしよらないか?」
「うん、いいよ!」
放課後、夕方ギリギリまでよく遊ぶ公園へ下校途中に誘われる。ここまではいつも通りの会話で私が彼にしか向けない明るい声で返事をすると、同じくらい明るい笑顔を返してくれる。
はずなのに…、この日の彼は今まで見たことのない暗くて悲しい表情を浮かべていた。
「今日でおわかれなんだ。」
言いづらそうに、苦しげにそう告げる彼の言葉をすぐには受け止められなかった。
元々人間界に長居する予定ではなかったみたいで、家の事情も落ち着いたらしくあちらの世界へ帰る事になったらしい。すぐに別れが訪れることを彼は分かっていた。だから本来友達を作るつもりはなかったのだという。けれど私の血の匂いにつられて、そして私という人間と接するうちに自分の中で大切な存在になったのだと話してくれた。寒さを感じないと言っていた彼の手はとっても冷たいのだ。
だからぎゅっと力を込めて握られている拳が寒さで震えているわけじゃないことを知っている。
赤い瞳から溢れ落ちる涙ですら美しいなんて、吸血鬼とはなんて狡い存在なのだろう。
ハンカチなど持たせてもらえない私は、彼が好きだと言ってくれた熱の温もりが伝わる手でただひたすらに、雨よりも雪よりも冷たい涙を拭った。そして、彼もその氷のように冷たい手で私の涙を拭ってくれた。
「ねぇ、きみは僕がすき?。」
私に初めての喜びを教えてくれた
「うん、もちろんだいすきだよ。」
私の名前を初めて呼んでくれた
「ぼくもだよ…。ねぇ、──ちゃん。」
人間よりも優しい、美しい吸血鬼。
彼は私の手首を掴むとそのまま自分のほうに引き寄せる。突然のことに驚いて目をつぶった瞬間、唇に柔らかな感触がした。
「ぜったいにむかえにくるから…だからぼくのこと、ぜったいにわすれないでね…。」
初めてのキスはお伽噺のようで、素敵なものだった。私はきっとあの日の事を一生忘れないだろう。けれど彼がいなくなってから十年以上が経つ。約束を信じて待ち続けた私は十七歳の高校二年生になっていた。そして月日とはなんて残酷なものなのだろう。
年を重ねる度、あの時の記憶が少しずつ朧気になってきているのだ。
今はもう彼の容姿がお人形のように綺麗だったという印象は覚えているのに、どんな顔だったか思い出せない。そしてついに彼の名前が分からなくなってしまった。もしも忘れてしまった時にと残していたメモは親に捨てられていて思い出す方法もない。
大切な私にとっては宝物のような君との思い出。
それなのに少しずつ私の中から消えていく。
まるで雪が溶けていくように、いつか全て忘れてしまうことが恐ろしくて堪らない。
もしも、彼との記憶が全てなくなってしまった時を想像して私は絶望した。
「ごめんなさい…、ごめんなさい。」
カーディガンの袖を捲ると、そのまま腕にまかれた包帯を解いていく。そこには幾度もカッターナイフで切りつけた夥しい痕が刻まれていた。彼は血の匂いに誘われて私を見付けてくれた。だからこうやって血を流せば彼が現れてくれるのではないかと、迎えに来てくれるんじゃないかと、そんな夢を今だにみているのだ。
歪な思考に己が囚われていることは理解している。
けれど、駄目だと分かっていても自傷行為をやめられなかった。
最後に一度だけ、この自傷を許してください。
もはや誰に赦しを乞うているのか自分でも分からない。
信じていない神様になのか、諦めきれない彼との約束へなのか…。
痛みに鈍くなってしまった私は、最後にもう一度だけ手首から血を流した。
眺めていた夕日は沈み、もうすっかり夜になっていた。
あぁ、今日は満月なのか…。
君の思い出と一緒に心中するには、これ以上ない日だったみたい。
全て忘れてしまう前に、記憶の中に君の欠片がまだあるうちに私は死のう。
腕を伝い指先から滴り落ちる血が屋上の床に斑模様を描いていく。ボロボロの上履きを脱ぐと靴下なんてものを最低な両親から貰ったことがないのですぐ裸足になる。そして最後の力を振り絞りフェンスをよじ登るとゆっくりとその先の足場に着地した。
そうだ、正面から飛び込んでしまったらこの綺麗な月が見えなくなってしまう。ただ地面を睨むよりも、美しいものを瞳に焼き付けて逝くとしよう。
「さよなら、私の大好きな吸血鬼さん…。」
腕を広げて後ろ向きに体を倒す。
君は最後にまた私に新しい感情を教えてくれたね。
短い人生の中で今が一番心が穏やかなの。
約束……、守れなくてごめんね。
どうか、大嫌いな神様。
この願いだけは、叶えてください。
どうか優しいあの子が、私を覚えていませんように。
────────。
久々の人間界に僕は降りた。
こちらの世界と人間界を繋ぐ扉は満月の日にしか開かない。
魔力をちゃんと操れるように訓練し、両親を説得してついに先日ようやく許可をもらえた。
やっとあの子を迎えにいける。
やっと彼女を幸せに出来る。
何故か風に乗って強く香る懐かしい匂いを頼りに急いでその場所へ向かった。
君は僕を覚えてくれているだろうか。
僕は君を忘れた日なんて一度もないよ。
魔族にとっては短くても、人間にとっては長い月日が経っただろうか。遅くなってしまったけど、あの日の約束を果たせる喜びに鼓動のしない心臓が震えてるような錯覚を覚える。
もう二度と、離れたりしない。
君を誰よりも愛して、幸せにすると誓う。
だからどうか……、神という存在よ
今だけは人間のように貴方に願おう。
あの子がどうか僕のことを覚えていますように
そして間に合わなかった彼は死んだ彼女の姿をみて狂ってしまうところまで想像して、本当に救いがない!!!って書いてる自分が絶望しました。
本当はハピエン大好きなんです。
間に合ったルートも書こうか迷い中。
読んでいただきありがとうございました。