何の変哲もない日常
かくして無事にステラは帰る事ができた。
その前にこっちに来てないか? と問われた面々には軽く事情を説明して――とはいえ誘拐されていたなんて言えやしないので連絡しないで別の知り合いの所にいたという話に落ち着いたが――結果としてオオゴトになったりはしなかった。
クロノの店でティアを回収して、話は後日、と約束して。
ちなみに戻った時にはレェテも帰って来ていたらしく、店内は大層殺伐としていた。空気は氷に覆われた大陸並みに冷え込んでたくせにお互い一応営業スマイルを浮かべていたのだから余計に空恐ろしいものである。
こんな中で訪れた客がいたらご愁傷様だなと思いつつティアを連れて戻り、メアもまたごった煮に引きずり込まれた。
本人はどうにかして別れようとしていたようだが、もうこの状況で離れたとしてまた別の何かに巻き込まれるのがオチである。一人で放置しておいても大丈夫だと言えればいいが、現状残された後継者候補たちの実力を考えるとメアを一人放置する方が気が休まらない。メアもベルナドット相手ならどうにか言い逃れられるかと思っていたようだが、そんなものをまるっと無視してステラが強引に連れ帰った。
いくら見た目が大人になったからといえ、中身もそうなった感じでもない幼女を放置できるかというのが言い分である。
そしてごった煮へと帰ってくれば、メアが普通にゴンザレスの事をステラと呼んでいたからなし崩しに待機していた者たちにも本来の名が知れ渡る事となる。
とはいえ、知ったからどう、という事もなかったが。
どうして捕まったのか、とかメアが今までどうしていたのか、なんてステラとメアが閉じ込められていた時に話し合った事と然程変わらぬ事を説明してその日は終わった。
何せベルナドットとティアがステラを探しに出かけた時点ではまだ昼にもなっていない時間だったが、その後地下水道へ赴いてそこから帰る頃には西の空が赤く染まっていたもので。そこからごった煮に帰ってあれこれ話をしていればあっという間に日は沈み夜になっていた。
空き部屋がないのでメアをどうするかという話になった時、クノップが寝るだけなら同じ部屋でも問題ないのでは? と言い出したので遠慮なくそうする事にした。実際部屋を借りていてもクノップはごった煮の店の手伝いをしている時以外は大体素材を集めに行っていたり、部屋に戻る時はほとんど寝る時くらいである。だからこそ部屋の家具を少し移動させて、もう一つベッドを出す。これでメアの部屋問題は雑ではあるが解決した。
「……しかし、ルクスの目的がわからないな」
「そうか? まぁ、たしかにあににたいするいやがらせにしてはびみょうなきがする」
翌朝。昨日の事もあってか本日急遽店を休業させて、とりあえずちゃんと休もうという事に。
何だかんだ無事に戻って来るだろうと思ってはいても、やはり店を任されていた側としては心配ではあったのだ。
朝食に出されたスクランブルエッグに少量ケチャップをかけてパンの上に乗せて食べるクノップは、昨日の話を思い出したのか怪訝そうな顔をしていた。
「ふん、けどこういうのは大体、あいつに魔王になってほしくない。相応しいのは自分だ、みたいな流れになるわけだろう? けどルクスはそうではない」
メアもクノップの食べ方を真似るように、目玉焼きをパンの上に乗せて齧りついた。
「んぐ、あれはおとうとにあとをついでほしいといっていた」
「末弟……いや、なんでだ? 末弟といえばロクに引きこもって表舞台に出てこないせいでほとんど情報がないんだが」
「そういえばきのういたな」
「……いた?」
「ベルといっしょにいた」
ごふっ、と飲み込んだはずの食べ物が逆流でもして来たのか盛大に噎せたクノップは、ガタリと音がたつのも構わずに椅子を蹴って立ち上がった。
「ちょっとベルナドットさーん! どういう事なんだ一体!?」
「どうって、何が? あいつが戻ってこないから、行きそうな場所、って事で回った時に一緒に行動する流れになっただけだぞ」
焼いたパンに丁寧にジャムを塗っていたベルナドットが一段落したのか手を止めて振り返りクノップを見た。
クノップとメアは既に食べ始めているためテーブルについていたが、ベルナドットはジャムを塗るのに台所の方にいたので若干距離があるものの、二人の会話は聞こえていたらしい。
いや、うん、とクノップは何に対してなのかわからない相槌を打つように何度か言葉を零してから、立った拍子にひっくり返ってしまった椅子を元に戻して座り直した。
魔王の末子。クロノ。クロノールフォルディアが正式な名ではあるが、クノップも彼を見た事がないわけではない。いや、魔界にいた時は全く一目たりとも見た記憶が……多分何かの式典の時に一回だけ見た、か、なぁ……? という程度ではあったが、上の三人の兄と比べると圧倒的に見る機会がなかった。
そんな彼が以前ごった煮にやって来たので、クノップとしてはわからなくもないのだ。
錬金術というか、ステラが行うアイテム合成に使う魔力粉を買っている店の店主が彼であるという事は一応耳にした。
その時点では正直彼がそうであるとは気付いていなかったが、レェテがステラを殺そうとやって来た時に、止めるべくやって来た彼を見たのでクノップだって気付かないわけではない。
あの時はレェテとティアの攻防の方に目が向いていたし、何なら何か物騒な液体を手にしていたステラを止めるのに必死だったので魔王の末子が目の前にいるという事実に割けるリソースがなかったけれど、思い返してみれば交流関係にあったのだ。
しかもそういや告白されてたな。断られてたけど、とクロノ本人が聞けばそこは忘れて下さいと言いそうな事まで思い出す。
「まさかまっしとかかわりがあったとはおもわなかった」
「あぁ、うん、そうか。ワタシは前に見かけたけど、そういや今の今までそれがとんでもない事だという事実に気付いてすらなかったな……」
「そうか。メアはしらなかったから、きのうベルといっしょにいたのをみてじつはとてもおどろいている」
「むしろその状況でよくベルさんとレェテと間違わなかったものだな」
「まぁ、けはいで」
「あぁ、気配」
メアの方がステラたちと前から知り合いであるはずなのに、どうやらクロノと知り合っていたという事は知らなかったらしい。まぁ、でも、道具屋にお使いに出されでもすればともかく、そうでなければクノップだってレェテが押しかけてこなければ気付く事はなかっただろう。
「えぇえぇ本当に、スーリャが店を閉めていたからこそ知り合ったのだと思うと今でもはらわたが煮えくり返りそうになりますわね」
ドン、と音を立ててティアがクノップの向かいに自分の朝食を置いた。
「どういう事だ?」
「元は魔力粉を買いに出かけた時に、扱ってる店が品質とか値段とか微妙なのばかりで、しかもわたしたちの息がかかった店でもあるスーリャの所は休業日。で、唯一マトモな商品おいてたのが……あいつの店だった、ってオチですわ。
しかもわたしも一度見ましたけど、品質は良いから文句のつけようもないし、値段も多分あの店が一番安いんですよね。あれじゃ後からスーリャの店に行っても最終的にあいつの店で買うでしょうよ」
正直あまり機嫌がよろしくないです、とばかりの表情でクノップの向かいに座ったティアはそのままフォークを手に取った。そうして少しばかり強い力でサラダを突き刺す。
ザクリと良い音を立ててレタスに穴が開いた。
「でも、スーリャの店が開いてても多分そのうちクロノの店に呼び込まれてたと思うよー」
言いつつティアの隣に座ったのはギアだった。彼の手には山盛りに焼かれたパンケーキの乗った皿がある。
テーブルに置いた拍子に上のパンケーキがぐらりと揺れたが崩壊の危機は免れた。
「だってその後も割とすぐ知り合ってたもん。魔王の所の小倅とおか……ステラだったか」
お子様めいた口調から唐突に老人めいた口調になられてそちらに意識がとられたが、発言もそれはそれで聞き逃せない。
「どういう事ですの……?」
口に運ぼうとしていたレタスを直前で止めてティアはギアを見やった。正直そちらに視線を向けるとパンケーキがいつ崩壊するか気が気じゃないので見るべきではなかったなと後悔したが。
「森で、出会ったんだったかな。あの時はボク姿を見せるわけにはいかなかったけど、でも見てたよ。
ステラの膝がね、あの小倅の側頭部にめり込んだ瞬間は中々に面白かったなぁ」
「……どういう状況ですの?」
「というか、その状況でなんでそんな……え? ワタシがおかしいのか?」
「あんしんしろ、メアにもわからない」
何がどうしてそうなったのかよくわからないが、少なくともその出会いから恋愛感情を抱くような展開になりそうにない気しかしない。打ちどころ悪くて何か脳に支障をきたしたのでは? 一同の脳裏にそんな考えがよぎる。
もし仮にスーリャの店に行っていたとしても、ステラは恐らく他の店も一応チェックはしていただろう。そうなればどう足掻いても一度はクロノと顔を合わせる事になっていただろうし、そうなればそこでクロノが惚れてしまうのでスーリャの店が開いていただけではきっと何も変わりはしなかったはずだ。とはいえ、彼女らがそれを知る由などあるはずもない。
「まぁ、恋というものはするものではなく落ちるものと古来より言いますし」
納得はできずともとりあえずその言葉で無理矢理自分を納得させる。貴方の恋愛観どうなってるんです? という疑問はどうしたって消えないけれど。
「恋愛云々はおいといて、ルクスはクロノを魔王にしたい、という事だよな? けれど本人はやる気がない」
それは間違いないはずだ。何せクノップはクロノの言葉をちゃんと聞いている。レェテがステラを殺そうとやって来た時に、貴方こそが後継者として相応しいと切願するように述べていたレェテに対してバッサリと切り捨てていた。
「……それを彼女が説得したくらいでじゃあやります、ってなるか?」
クノップの疑問はもっともだった。
昨日今日やりたくないと言ったならまだ気が変わる事もあるだろう。けれどもこの戦いが始まるよりもずっと前から言い続けていた相手がちょっと惚れてる女に言われてそう簡単に……
「いや、もしかしたら、とは思うけれど」
けれどそれも無条件でとはいかないはずだ。
「そうよね、私だってやる気がない相手に気軽になれるならなればいいじゃなーい、なんて言えないわ。しかもそれが相手の人生を左右するレベルの内容ならなおの事」
程よく焼けたらしいソーセージを盛り付けた皿をテーブルの中央に乗せて、ステラが言う。
食べていいの? と目で問うメアに頷いて、ステラもまた椅子に座る。それから少し遅れてベルナドットがいくつかの皿を手にやって来た。どうやらステラの分も持って来たらしい。
「だよなぁ、これがちょっと気になってる商品を買おうかどうしよっかなー、みたいなノリなら気軽に買ってみたら? とか言えるけど進路だろ、要は。家を継ごうかどうしようか悩んでる、とか本人が悩んでるなら背中を押すっていう意味もあるけど、本人は継ぎたくない。それなのに特に関係のない他人がやいやい口出したってじゃあやろうとはならないし、なったとして後々後悔したとしても責任も取れないしな」
「そうよね。自分でやるって決めてその上での後悔ならまだいいけど、人に言われてやったけどやっぱヤだ、ってなったらあの時あんな事言われなければ……! って後悔というかこっちに恨みつらみぶつけられる可能性もあるし。……クロノさんそういう事するかどうかはわかんないけど」
というかクロノならまずそうなる前に嫌なのでやりませんと最初から断っているだろうし、現にそうなっている。
「とはいえ、あいつも諦めたわけじゃないんだろ? じゃあまた何か仕掛けてこないとも限らないし、しばらくは注意した方がいいんだぞ」
今の今まで静かだったザッシュが深刻な声音で言う。静かだったのは単に今までご飯を食べていたからであって、食べ終わったから告げたに過ぎなかった。
食べ終わってすっかり空になった食器を手に立ち上がり台所の方へ行ったザッシュを見送って、それもそうねとステラも納得する。
そもそも説得させようとしたけどその目論見は失敗している。けれどもだからここですっぱり諦めます、という感じでもなかった気がする。
何より思い返してみればルクスの態度は単に兄に対する嫌がらせで、というのが行動理由の全てというわけでもなさそうだ。そもそもそんな事のためだけに何年、いや、何十、何百年かもしれないくらいの年月、自分の部下をあちこちの家に忍ばせるというのも労力が無駄すぎる。
とはいえ、傍から見てどれだけくだらない内容であっても本人にとっては重要である事もあるので、本当に単なる嫌がらせの可能性もゼロではないのだが。
台所で食器を下げて、そこからこちらに戻って来たザッシュがそのまま通り過ぎて廊下の方へと歩いていくのを見ながらそんな事を考える。
ザッシュの言う通り、しばらくは警戒する必要があるだろう。
「え、私しばらく外歩かないで店番とかに徹してた方がいい?」
「できればそれが望ましいですわね……また連れ去るにしても、流石に店に堂々と乗り込んでの犯行、とまではいかないでしょうし……」
しかしそう言うティアの声に力はない。どうだろう、彼ならやらかすとしても不思議じゃない、そんな負の信頼がある。一応戦いのルール上人間を無闇やたらと巻き込まないというものがあるので、大っぴらな犯行はしないと思いたい。思いたいけどしかし相手はルクス……そんな堂々巡りに迷い込んでるのがありありとわかる状態だった。
「なぁ、おい。客が来てるぞ」
廊下の方へ姿を消したザッシュが戻ってきて声をかける。
「今日は店休みなんだけど」
「店の客じゃなくて、あー、その、あいつだあいつ。レェテ。どうする? 帰ってもらうなら適当に理由でっちあげるけど」
「雑種がどんな理由でっちあげて追い返すのか興味あるけど下手したら私かベルくんが社会的に死ぬ可能性あるからやめとくわ。……仕方ないわね、あげてちょうだい」
「おう、わかった」
以前の事があるけれど、流石に今回は襲いに来たわけでもないだろう。それに、寝返ったというラータを引き取っていったのはクロノだ。もしかしたらラータの口から何かこちらに関係のありそうな情報でも出てきたのかもしれない。クロノが直接来ないのは……事情があると考えれば別におかしなことでもない。
ティアたちに一先ず声をかけて、一度テーブルの位置をずらす。そうして空いたスペースに小さなテーブルと、新しく椅子を出した。流石にご飯食べてる面々の中に混ぜるわけにもいかない。レェテはともかくこちら側の何名かは確実に気まずい思いをするはずだ。
「……食事中だったか。早くにすまない」
ザッシュに案内されて入って来たレェテが室内の光景を見て最初に言った言葉がこれだったのだが。
思った以上にマトモな反応にティアが信じられないものを見る目を向け、クノップやメアは決して目を合わせないぞという信念のもとそっと目を逸らしていた。
以前の来訪と比べれば、概ね平和的である。




