巻き込まれる事を特技と呼ぶべきか
ここ最近の日課はクラニアと会って店の様子を聞く事だろうか。
それ以外は普段通りなので変わった事で毎日のように行われている事と言われればこれしかない。
最初の頃は昼間かそれより少し遅めの時間だったのだが、最近は忙しすぎて夕方、店を閉める手前にならないとクラニアも店を抜け出す事ができなくなりつつあった。
最初の頃から割と好調だったのだが、ここ最近ラスクの売り上げが伸びつつある。それは有難い事だが、問題がないわけではない。
バルグの店は言ってしまえば個人経営の小さな店だ。職人を多く雇って営業しているような店ではないし、ましてや工場生産なんてものでもない。あくまでも細々とやっていたはずのその店が、ここ最近破竹の勢いとばかりに売り上げを伸ばしている。
ラディクスの嫌がらせがそろそろ目立たなくとも何らかの形でやられるのではないだろうかと警戒しつつも、特にそういった事もなく、毎日ラスクが飛ぶように売れていった。
このペースなら期間内に目標金額に到達可能だろう、と思ってはいるのだけれどそれはあくまでも数字の上の話。
数字で見えない部分を述べるのであれば。
そろそろ需要と供給が追い付かなくなってきた。
要は売れ過ぎたのだ。
売れなきゃ困るけど売れすぎても困るとか贅沢な悩みである事に変わりはないが、最近は早朝にバルグが店に並べるパンを一通り作った後はとにかくひたすらバゲットを作り続けている始末。
二台あるオーブンの一つでラスクを作ってはいるものの、作った端から売れていく。結果クラニアも中々店を抜け出してゴンザレスと情報を共有する事ができなくなりつつあった。
今までは昼の休憩時間に落ち合う形だったが、数日前からは店が閉店する手前、夕方から夜になりかけている時間帯に変更した。
ラディクスが特に何も仕掛けてきていない現状、別にわざわざ会う必要もないのではないかと思いはするが、そうして顔を合わせなくなったあたりを狙われる可能性もある。お互いがお互いにちょっとした異変であっても報告しておくようにしておかないと、気付いた時には手遅れだったなんてところまで追いつめられてしまうかもしれない。
そういった懸念もあったのでお互いに顔を合わせる時間帯が遅くなろうともそれだけはやめなかった。
家庭用のオーブンと違い店のオーブンは大きいため一度に大量に作る事ができるとはいえ、それを作っているのは人力で、尚且つ作っている人数はそれぞれ一人だ。ここ最近バルグに至っては店が閉店する時刻になってもひたすらバゲットを焼いている状況であった。
富豪向け商品であれば単価が高いので何か一つか二つ物が売れればある程度目標金額に到達したかもしれないが、バルグの店で売り始めたラスクは庶民向け、かつ冒険者たちにターゲットを定めている。どこぞのダンジョンに潜ってそれなりのお宝を発見した冒険者たちであれば懐も潤っているが、大半はそこまで余裕があるわけでもない。高い商品を作って売るという方法が使えない以上、とにかく売れる物をひたすらさばいていくしかないのだ。
「……幸い、明日はお店が休みの日だから。明日のうちにバゲットをある程度仕込んでラスク作りに取り掛かれるように準備はしておくつもりだけど」
「作ってる人がバゲットにしろラスクにしろ一人だけっていうのが厳しくなってきたわね。とはいえ、今から誰かを雇うにしても……その雇った人物がラディクスの息がかかった相手だったら一気に詰むし」
休みのうちにバゲットを大量に作っておけば、後は二台のオーブンでラスクを作る事も可能ではある。けれど、そうなるとバルグが全く休めなくなってしまう。それでなくとも現状忙しすぎて休憩時間でもバルグはパンを焼き続けているような状態らしい。過労死するんじゃなかろうか、このままだと。ゴンザレスはふとそんな事を思う。
「背に腹は代えられないけど、閉店まで常にラスクを用意し続けるのも時と場合によっては諦めて本日は売り切れましたってしちゃった方がいいかもしれないわね。このままいけば確かに目標金額達成するでしょうけど、その前に貴方たちが倒れたら元も子もないのよ」
「それは……わかっているわ。ワタシは割と頑丈だからまだまだ大丈夫だけど、バルグとお義母様は……」
「クラニア。貴方一人が頑張ればいいとか考えないでね。最初のうちはそれでいいかもしれないけど、いつか貴方ももうダメだってなった時、二人が復帰できてればいいけどそうじゃなかったら完全に共倒れよ」
正直それもどうかとゴンザレスは思っているが。二人が倒れて、その間にクラニアが支え続けたとする。二人が元気になるまで支え続けられればいいが、そうでなければクラニアまで倒れてしまったならば誰も支えてくれる者がいなくなってしまう。
少し、失敗だったかしら。ゴンザレスは内心でそう思っていた。
ラスクなら作るにしてもそう難しいものではない。だからこそ、クラニアはゴンザレスの想像を超えて頑張ってしまったのだろう。
これが少しでも手順が面倒なものであったなら、今日はもう切り上げて明日にしようと回す事だってあったかもしれない。
とはいえ、そういった代物を作る流れになっていたならば、果たしてここまでのペースで売り上げを伸ばせていたかは定かではないのだが。
「とにかく、明日はお休みだし、お義母様にはしっかり休んでもらうしバルグにもあまり無理はしないで早めに休むようにしてもらうわ」
「そうね。そうしなさい。何事も健康あってこそよ」
言いつつ二人は今日も今日とて借りていた教会の一室から出る。
まさかこうも連日場所を借りる事になるとは思っていなかったため、流石にシスターアンジュにも申し訳がない。
「あれ? シスターアンジュは?」
いつもなら部屋を出たあたりで掃除をしているか、それ以外の仕事をしているかしているはずのシスターアンジュの姿が見当たらない。
とはいえ勝手知ったる何とやら。もうすっかり慣れてしまった道を進み、入り口がある場所まで戻って来る。
「おや、今日はもういいのかい?」
「あ、神父様。はい、ありがとうございました」
「そうかい。今日はもう暗くなってきているから、気を付けて帰るんだよ」
「はい。……ところでシスターアンジュは?」
今までは教会に足を運んでもシスターアンジュと会う事の方が多かったが、ここ最近では神父様も見る回数が増えてきていた。痩身のちょっと強い風が吹いたら飛んでいってしまいそうなひょろりとした体型ではあるものの、それはあくまでも外見だけで中身までもがそういった感じというわけでもない。見た目に騙されがちだが、以前この神父様は教会にやってきたならず者を拳一つで沈めている。
相手が刃物を持って脅してきたので正当防衛であるが、見た目からは想像もできないくらいのどっしりとした貫禄があった。
「あぁ、彼女にはお使いを頼んだんだ。いくつかの調味料を切らしてしまってね。このままでは孤児院の子供たちの食事がとても味のない物になってしまう」
「あー、それは……」
調味料がなくても死にはしないだろうけれど、流石に育ち盛りの子供たちにそれは酷だろう。それでなくとも経営難とまではいかないが決して裕福というわけでもない。近くの町や村で親が死んで追い出された子供や、賊に襲われ親を失った子供。少し前には近くの川が氾濫してその結果親を亡くした子、なんていうのもいた。どうにか助けを求めてやって来た者や、同じ故郷出身の大人に連れられてやって来た者。境遇に多少の違いはあれど、孤児院にいる子供たちは現在大半が育ち盛りと言える子ばかりだ。
孤児院が裕福な場所でない事はわかっているだろうけれど、だからって味のない食事を文句なく食べるかといえばそれは違うだろう。
「えぇと、先日したばっかなんで今回あまりないんですが、これもちょっと足しにしてください」
言いつつゴンザレスは懐から財布を取り出し中から銀貨10枚ほどを神父に渡す。一人くらいならこれだけあれば数日は凌げるだろうけれど、孤児院であれば果たして三日から五日どうにかなればいい方だろうか。
「いえ、ありがとうございます。貴方に神のご加護があらんことを」
寄付用の記帳にさらさらと手続きをしながらも、神父は穏やかに笑う。
そうして教会から出て、途中まではクラニアと方角も同じなので共に移動する。
神父様の言う通り、確かにすっかり暗くなってしまっている。少し前まではこの時間ならまだ明るかったはずなのに。冬が確実に近づいてきているな、と思いながらもゴンザレスはクラニアへと視線を向ける。
「ねぇクラニア」
「……止まって」
真っ直ぐに前を向いていたクラニアが唐突に足を止める。そうして横に並んだゴンザレスを先に進ませないように、ゴンザレスの前に腕を伸ばした。そのままぶつかってまで進むつもりもなかったゴンザレスも、言われると同時に立ち止まる。
「……どうしたの?」
声を潜めて問いかける。何もなければこんな事を言うはずがないのはわかっているが、それでもゴンザレスには何が起きているのかわからなかった。何となく周囲に視線を巡らせてみても、特に異常があるようには思えなかったのだ。
しかしクラニアはどこか難しい表情を浮かべながらゴンザレスを見る。
「……ねぇ、ちょっと違う道から帰らない?」
「……どうして?」
どうしてそんな事を言い出したのか。明らかな異変があるわけでもないのにそんな事を言い出されて、別に素直に従ってもいいのだけれどそれでも気になったので聞き返す。これがもう少し明るい時間帯であれば何も聞かずに頷いたかもしれない。けれどもうすっかり暗くなっているし、正直な話さっさと帰りたい。ここから違う道を通るとなると確実に遠回りである。
だからこそ、納得できるかどうかはさておき理由を知りたかった。
何となく、なんて理由なら別にこのまま突っ切って帰るつもりだが、もしそうでないのなら。納得できるかはさておき遠回りして帰ってもいいかな、と思える理由であれば遠回りする事も構わない。
ゴンザレスがそう問い返す事をクラニアも薄々理解はしていたのだろう。
何をどう告げるべきか……そんな悩みを顔に出して数秒沈黙する。時折口から「あー」とか「うぅ」とか声が漏れていたが、恐らく本人は気付いていないだろう。
本人からすればそれなりに長い時間、しかしそれを見ていたゴンザレスからはほんの数秒程度悩んだ結果、
「信じてもらえるかわかんないけど、ラディクスの気配がする気がするのよね」
眉をへにゃりと下げて告げる。
これが武術の達人であるならば気配を感じるとか言われればまぁ納得はしただろう。
クラニアは到底そういった達人に見えるはずもないし、そりゃあラディクスが雇ったごろつきをぶん殴ったとかいう話があったとしても見た目はとてもか弱く見える。動物に例えるならばちょっと気性の荒い小型犬か、気の強い猫あたりだろうか。
そんな彼女に気配と言われても、確かに信用できるか微妙なところだ。
「……信じる信じない以前の話なんだけど。もしそうなら私ラディクス見た事ないし、この機会にこっそり視界におさめて確認しておきたいところね」
ゴンザレスのその返答に、クラニアの表情がさっと青ざめた。
何か問題だったのだろうか? 気配を感じるとかそういうのはさておき、クラニアはラディクスを嫌っている。それはもう、極力顔を合わせたくない程度には。前世でも気配を感じとる能力なんてなかった同僚が、それでも上司の気配だけは察知していた事もあったくらいだし、クラニアの言葉が嘘だとは思えない。
けれどもクラニアの青ざめた表情は明らかに言葉選びを間違った、と言わんばかりであった。
「私はこのまま帰るから、クラニアは別ルートで帰ったらどう?」
「あっ、いや、あの、ちょっ、まっ……」
青ざめた表情のまま、クラニアは何とか言葉を紡ごうとしていたがゴンザレスを引き留めるのに最適な言葉は出てこなかった。焦りながらもどうにかゴンザレスをその場に留めようとしたが、それよりも先にゴンザレスはそのままするりとクラニアの手をよけて進む。
「あっ、あっ、いやあのホント待って……!」
何とか引き留めようと背後から抱きしめるようにくっついてきたクラニアだったが、ゴンザレスが足を止めたのはそれから数歩進んでからだ。
ヴン、という低い音が聞こえたような気がして足を止める。
「え? 何?」
音が聞こえた、と思った直後には視界が更に暗く変化していた。
「あっ、手遅れぇ……いやまだ間に合う。引き返しましょうそうしましょう」
小声ながらも焦ったように告げるクラニアは、一度ゴンザレスから離れると腕に纏わりつくように抱き着き直す。あんたにはバルグっていう最愛の人がいるだろうに、なんでこんな所で恋人が腕組んで歩いてるみたいな事になってるんだ、と突っ込むべきか悩んだがそんな事よりも周辺の変化が気になってそちらへ意識を向ける。
つい先程までいた場所とは明らかに違うとわかる。周囲は明らかに暗くなっているが、それでも完全な闇というわけでもない。上を見れば煌々と輝く月明かりがあった。
月。大きな満月である。
「あれ、今日って三日月じゃなかった?」
「細かい事は気にしちゃダメだと思うの、いいから、ほら、早く戻りましょう!?」
クラニアが纏わりついている側のゴンザレスの腕をとにかく引く。まるで散歩に出たはいいが言う事を聞いてくれない犬に対するかのような動きだった。そうなるとゴンザレスはその場から梃子でも動くつもりのない大型犬というところだろうか。
などと若干現実逃避のように考えていると、ゴーン、ゴーンという鐘の音がどこからともなく響いてくる。
「半音ずれてない? 不協和音にも程がありすぎると思うんだけど」
「いいから、そんなのいいから戻りましょうよぉ」
とにかくひたすら声を潜めながらも何とかゴンザレスを引っ張って引き返そうとするクラニアだったが、力を入れすぎて無駄に力が入った結果、隙が出来てしまったのだろう。何度目かの引っ張りでゴンザレスは腕をするりと抜いた。勢い余ってクラニアが数歩後ろに下がってたたらを踏む。
「周囲の景色がさっきまでと違う事といい、ここってもしかして」
結界の中?
その言葉を口に出すよりも早く。
少し離れた場所から女の悲鳴が響き渡った。




