気の長い話
「お前の身体などに興味はない。そもそも、いくら見た目は瑞々しく咲き誇る花の如くであっても本質は腐り落ちた後の果実も同然なそれに、一体何の価値がある」
淡々と、ただ事実を口にしたとばかりの冷めきった口調で言われた言葉に。
「なんですって……?」
リリメアは頭を殴られたような衝撃を受けた。直接殴られたわけではない。けれど、その言葉は確かにリリメアにとってそれだけの衝撃を与えたのだ。
これならばまだブスだとか年増だとか程度の低い悪口を言われた方がマシだった。それだけであれば、まだ笑って流す事ができた。許す事は到底できないけれど。
「それに、最愛の従者と言ったな。そんなもの」
どこにいるのだ?
「え――?」
その言葉にリリメアは咄嗟に視線を横に向けていた。先程不用心にも詰め寄りかけたリリメアを制するように止めてくれた最愛の従者・クルイーサ。己の美貌と共にあっても遜色のない、最愛の人。
彼が先程までいたはずのそこには、誰もいなかった。
「えっ」
その事実にリリメアは小さくではあったが、明らかに困惑した声を上げた。もしかして主に向けられた暴言に対して、目の前の失礼な従者に何らかの制裁を加えようとしてくれるのでは? そんな期待を抱いてもう一度視線を正面に向ける。けれどそこには相変わらず顔の見えない失礼な従者がいるだけだ。こいつの主も別に見目は悪くないけれど、こんなのを従者にする時点で見る目はないわね。などと考えて。
「ふっ」
ぞぶっ。そんな音が聞こえたのと同時、己の意思に反して息が吐きだされた。
一体何が起こったというの……? わけがわからず、咄嗟に口元に手をやった。ぬるりとした感触。手を離してそこに視線を落とす。
赤。
紛れもない血。
見慣れたはずのそれは、けれどそれが自分の身体からとなると途端に見知らぬもののように思える。
血……?
血を、吐いた……?
どうして?
遅れて今更のように原因を突き止めようとする。目の前の従者が何かをしたようには見えない。魔術を使うのであるにしても、それならば確実に気付ける。
では一体……と考えて、先程聞こえた音の正体を突き止めようと思い至る。
すぐ近くから聞こえたのは確かだ。まるで自分の身体の中から――
「――っ!?」
どうしてそれにすぐ気付けなかったのだろう。胸元付近、肺は避けてあるようだが、何かが突き刺さっている。どうして気付かなかったのだろう。赤く濡れたそれは、紛れもなく剣であった。
リリメアとて、そこまで鈍いわけではない。本来ならばすぐに気付いた事だろう。
けれど、そこに気付いてしまうとそれ以外の事まで気付かなければならなくなってしまう。リリメアは無意識のうちにその事実に蓋をしてしまい、それ故に気付くのが遅れたにすぎなかった。
「ど、して……?」
必死に首を動かして背後を見やる。
「どうして、とは何がでしょうか?」
何を言っているのか理解できない。そんな表情を浮かべて、美貌の青年は声を震わせるリリメアに対して無感情に問いかけた。
「重要な知らせがある、と呼び出したわけだが」
リリメアを呼び出した男はその場から一歩も動かずにいた。驚いて身体が動かないわけでも、戸惑った様子もない。まるでこうなる事を最初から知っているかのように淡々としている。
「そろそろ部下を返してもらおうと思ってな」
さぁ、戻ってこい。
重たそうなローブであるというのに、そんな重さを感じさせずに目の前の男は腕を伸ばす。そこからすっと出された指先は、リリメアの背後を指し示していた。
「長かった。実に長かったです。ようやく戻れるのですね」
ずっ、という音と共にリリメアに突き刺さっていた剣が抜かれる。びしゃりと血が滴り落ちた。同時にリリメアの口からもかふっという音と一緒に更に血が吐き出されたが、それを実行した青年はその光景に目も向けない。
支えを失ってしまったかのように、リリメアの身体から力が抜けてその場に崩れ落ちる。咄嗟に手をついて、完全に倒れるのだけは避けたけれどリリメアにできたのはそれだけだった。ごほごほと咳込んだ拍子に更に血が溢れ出す。
一体どういう事だ。部下?
そんなはずは。だって彼は、自分の従者だ。他の誰かのものであるはずが――
「まだ、気付いておられないのですか? 我らの主が誰であるかを考えれば、すぐにわかりそうなものですけどねえ」
心底呆れた。そんな言葉がありありと浮かんでしまうくらいわかりやすく表情に出してクルイーサはリリメアを見下ろす。
「ルクス……まさか、あいつ」
「そのまさかですよ。我らが主はこの戦いのためずっと前から準備をしてきたのです」
「馬鹿なの!?」
そんなクルイーサの言葉に反射的にリリメアは叫んでいた。直後、咳込んで再び血を吐き出す。
確かにこの戦いがいずれ行われる事は周知の事実だった。リリメア含む兄弟姉妹たちにとっては、いずれ必ずやってくる戦い。けれど、それがいつ行われるかまでは知らされていなかった。ある程度の年月が経過して、急遽やる事にしたから、と言わんばかりのノリで始まってしまった戦い。戦いの地として決まってしまった王都に関しては、敵地であるという部分もあってそこら辺は事前に連絡を入れたようだけれどそれとて急といえば急なもので。
次なる魔王を目指すための戦いなどまだ先の話だろうと思っていた兄弟姉妹たちは大層慌てたし、だからこそ最初の頃の王都ではリリメアですら地盤を固めるために右往左往したくらいだ。
戦わなければならない事は決まっていた。けれどそれがいつになるかまではわからないままで。
明日か、明後日か。それよりももっと先、一年後か二年後、いや、十年後であるかもしれない。
当時はそんな風に囁かれていたし、もっと言えばまだ百年以上先の話であるかもしれないなどとも言われていたのだ。
いつか戦わなくてはならないけれど、それはもっとずっと遠い未来の話であると大半の兄弟姉妹たちは思っていたし、リリメアもその時が近づいてきたらそれなりに準備はするつもりだったけれど。
けれど、そのいつ始まるかわからない戦いを見据えてその頃から裏であれこれやらかしていた人物は、果たしてどれくらいいただろうか。やったとしても精々が戦うといえども敵対したくない兄弟姉妹たちがそれぞれ同盟組んだりだとか、その時点での有力候補の傘下に入ったりする程度だったはずだ。
そう、できる事なんてたかが知れてて精々がその程度。
リリメアが手を組みたいと思っている相手ですら、それなりの策略を巡らせてはいたようだけれどこんな手段を用いてなどいなかった。
クルイーサをリリメアの従者として選んだのは、数いる自分の下僕の中で最も美しく、最も強く、最も有能であったからだ。彼の事を信用し、信頼を重ねるだけの時間はたっぷりとあったし、だからこそ今回の戦いに迷う事なく従者として彼を選んだ。
けれど、その彼が他の兄弟の部下であった、という事実。驚くなというのが無理だ。
いつ始まるかわからないとはいえ、そのための準備に一体どれだけ昔から……?
気長に、とかそういうレベルですらない。
ここまでくるといっそ頭おかしいとしか言いようがない。
「まって……まさか……」
「ああ、それを思い浮かぶ程度には頭が回ったか。そうだな、お前の所だけではない」
「馬鹿じゃないの!?」
深く呼吸をすると咽て再び血を吐きそうだったから浅く呼吸をしていたというのに、その言葉に再びリリメアは叫んでいた。そうしてまたもや血を吐き出す。
頭ではわかっているのだが、どうしても叫ばずにいられなかった。
だって誰が想像する? いつ始まるかわからない戦いのために己の部下を他の兄弟姉妹たちの所へ潜り込ませておくだなんて。それも年単位で。
これが例えば予めいつになったら始まるのか、というのが周知されていれば話は変わったのかもしれない。
例えば一年後に開始します、という報せがあったなら。
その時点で今から部下を他の所に潜り込ませるにしても、時期的に怪しまれる。そこから少しずらして潜入させるにしても、その頃には主となる者たちは既に連れていく従者を定めているだろう。ならば潜り込ませる意味がない。
けれど、その報せがなかったからこそやらかした奴がいる。ルクスだ。
しかしあれは……そうまでして勝ちを狙いにいくような男だっただろうか……?
ふとリリメアに疑問がよぎる。そこまで彼はそういったものに執着を見せなかったはずだ。
いや、見せないようにしていた……? ならば多少は納得がいく。しかし完全に納得してそういう事か、というには首を傾げてしまう程度には疑問が残る。
とはいえ、この疑問をこの場にいる奴の従者へと向けた所でまともな答えが返ってくるとは到底思えない。
ぐっ、と拳に力を入れる。
刺され、身体に開いた穴は今もなお血を流し続けている。出る一方で塞がる気配のない傷は、このままいけば間違いなく出血死へまっしぐらだ。肺や他の臓器を傷つけるような刺され方をしてはいないけれど、それでも油断はできるはずもない。
はっ、はっ、と呼吸が荒くなるのをそれでもどうにか抑えるようにして、無理矢理にでも落ち着かせる。
こんな所で死んでたまるか。リリメアはその一念だけでどうにか倒れそうになっていた上半身を持ち直し、きっと目の前の二人を睨みつけた。多少なりとも動きがあったというのに、いけすかない従者も、裏切者も特に何をするでもない。まるでこちらがこれ以上何もできないとでも思っているかのように。
それもリリメアにとっては気に入らなかった。
「さっさとトドメを刺さなかった事、後悔するがいいわ……!」
それだけを告げる。幼い妹たちならともかく、リリメアは術を行使するのに詠唱など使う必要がない。だからこそ、こんな風に目の前で余裕をかますべきではなかったのだ。
一瞬、リリメアの身体が光に包まれる。そうして次の瞬間には溶けるように消えた。
「……さて、まずは順調」
「それで、こちらはどうすれば?」
「お前は何もしなくていい。主の元へでも戻って次の仕事貰ってこい」
「そうですね、久方ぶりすぎて忘れられてない事を祈ります」
「じゃあこっちは次の手を打ってくるから、あ、その剣預かろうか?」
「そうですね、流石にこれ持ったまま王都を歩くとちょっと……」
未使用なら護身用で通じるが、流石にたった今人を刺したばかりの状態で、しかもそのまま持ち歩くとなれば問題がありすぎる。
クルイーサはあっさりと剣を手渡した。ついでに鞘も外して渡す。
「これ使っても?」
「構いません。どうせそこらで購入した安物ですから」
「じゃ、壊れても平気だな」
あまりにも軽いノリで言って、剣を受け取った従者――ルムは自らのローブの内側でもって剣についた血を拭い、それから鞘へとしまう。
そうして一瞬の間を置いて。
ルムもまた姿を消した。




