道ってなに
同じ事柄でも、この場合は正解、この場合は間違いという例です
ある日、孔子先生の弟子の中でも慎重派の小隊長、子羊さんが
思いつめた真っ青な顔で相談しました
「先生、どうしても必要なことは、やはり実行しなければなりませんか?」
孔子先生、大喝一声
「必要だと解っているならイチイチ問うな!迷うな!立ち止まるな!
一気に成し遂げろっ!」
その勢いに弾かれたように飛び出した子羊さん、命がけの作戦に挑みます
別の日に先生とは古い付き合い、大豪傑にして将軍職の子路さんが
何やらドヤ顔風に言います
「先生っ!男一匹、ここ一番、ヤルときはやらにゃなりませんな」
先生、わざと大きく溜息1つ
「男一匹?人間は一人と数えるが、お前さんは動物並ということかい?
ここ一番って?どこのことだい。ヤルとき?いつなんだよ。
大体、君は将軍という立場を考えてモノを言わなきゃ・中略・
ご家族や参謀たちと相談して、物事は段階立てて・・・」
お説教が小一時間、子路さんスッカリ白けてしまいました。
相談内容は同じ、大きな決断についてでしょう。ただし相談者の性格と
立場が異なるため、回答もかなり異なっています。
哲学とか宗教に「道」を求めてしまいますが、“その時、その状況”では
正しい解が、少し条件が異なると“過ち”になったりします。求めるべきは
千変万化の世界では存在しえない「固定された道=思考停止、目隠し耳栓、
手放し運転でも大丈夫な常時不変の万能絶対真理」などではなく、様々な
事象に影響されて、ともすれば苦しみの中に陥る自身の心を、キチンと
理解して正しく制御する方法でしょう。安心して下さい。実利主義の人類
史上、故意に避けられた分野なので知らなくて当然。これからの学問です。
*孔子先生曰く、生きるに不自由なく、家族隣人が平和、生活も安泰で
なお時間が余るなら学問をしなさい。世界規模の大戦や災害を文明で
乗り越え、一応の平和を得た現代こそ人間の本来性を学ぶ時期では?