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第七十九話 日吉大社の神猿

 茜は奥州に旅立つと言いながら、ふと思いついたことがあって急遽、辻を折れ曲がり、赤坂見附にある日吉大社へと向かっていた。

(そうだ。お別れを言わないといけないお猿が一匹いる……)

 茜はそう思うと辻を踏み締める足が力強くなっていった。日吉大社は、山王権現と呼ばれ、丘の上に朱色のお堂が建っていて、参拝するには心臓破りの石段を登らなければならなかった。

(いるかな……)

 茜は、大急ぎで石段を駆け上がると、登り切った左手に小猿が手毬をついていた。

「三平!」

 茜は呼びかけると、三平もはっとした様子で、斜めになり、こちらを見つめている。

「茜!」


 あっという間に三平は、茜の肩に飛び乗って、くるくると手毬のように転がり始めた。茜は、三平を抱きしめると、

「あなた、神猿(まさる)になったんだってね。よかったね」

 と言うとまたしても茜は涙が込み上げてくるのだった。


「おいら最初から神猿だよ。ただ、零落して妖怪になってただけで。でも、おいら、ここでみんなに参拝されるの嬉しいよ。もう百姓に退治されそうになったりもしないもんな」

 と得意げな調子で三平は語っている。


「おめでとう。三平。わたし、これから奥州に旅立つんだ」

「えっ、やめてくれよ。江戸にいればいつでも会えるじゃんか。雫と一緒に稲荷屋の看板娘にしてもらいなよ」

「ううん。わたしは彷徨える魂たちの供養をしたいんだ。だから出羽三山に奥参りしようと思っているんだ……」

 そう語る茜の表情が澄んでいて明るいので、三平は何も言えない様子で、じっとうつむいている。寂しくなってしまったらしい。

「おいらもいく」

「あんたは駄目」

「なんで……」

 茜はその言葉に、ふふっと笑った。

「だってあなたはせっかくこうしてみんなに可愛いがられて、大切に信仰される神猿となったんじゃない。だからわたしは一人でゆくんだ……」

 三平は大忙しで、首を横に振った。

「違うよ。おいらは茜がいたからこんなに幸せになれたんだ。おいらはずっと茜の旅の御供だよ。だから、おいらも一緒にいかせてよ」


 三平の目が涙に輝いているので、茜は置いてゆくのも可哀想になって、ぎゅっと抱きしめた。

「わかった。じゃあ、一緒に行こう。また芸人として猿回ししようね」

「それだけは嫌だよ」


 そして茜と三平は声を合わせて愉快に笑った。三平は、奥州で餅を食べたいなどと呑気なことを言いながら、ひょいっと境内に飛び降りると、周囲に無数の神猿が集まってきて、みんなで大きな声で祝福の歌を歌い始めた。神仏の祝福が始まった。天女が舞い降りてきて、美しい琵琶を奏でた。観音菩薩も瑞雲の上で美しく微笑んでいた。阿弥陀如来が地平の彼方からこちらを眺めているのがふたりに見えた。天が金色に染まってゆくのがまるで夢のようであった。

 不動明王像が涙を流したあの日から、茜と三平は仏の加護を受けていたのである。


「南無大日大聖不動明王……。南無観世音菩薩……。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」

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