第七十八話 茜と雫
「これで、どうかな……」
雫はそう言って、鞠乃と幻八の前でようやく仕上がったものを見せた。
それは小さな石の祠だった。その内側に眠っているのは紬である。
「そうだね。これできっとあの子も祖霊になれると思うよ……」
と鞠乃は涙ながらに言った。
「紬には幸せになってほしいね……」
と茜は言うと、和尚さんにお礼を言って、三人は浅草寺を後にした。浅草寺は相変わらず奥山に出店などが建ち並び、観音菩薩をお参りする人々が後を絶たなかった。この場所であれば、紬の霊魂が人々に忘れ去られることはないだろう。愛を求めていた寂しがりの紬にはちょうどいい場所だと茜は思っていた。
鞠乃幻八夫婦と別れると、小袖姿の茜と雫は、その美しさから人々の視線を集めつつ、徒歩で日本橋へと向かった。そして三井越後屋の前を通り抜けて、商人たちの往来の賑やかな橋の上で、川の流れを見下ろしながら、
「風魔忍者はこれからの生き方を考えなきゃいけないね」
と茜は呟いた。
「でも忍者には生き方を選ぶことができない…….」
と雫は茜の顔を見ると言った。
「そうかな。でも、わたしはやっぱり人を殺して生きるのは嫌だ。紬も、杏奈も、忍びはみんな同じ業を背負っていた……。どんな夢を見てもいつかは業に呑み込まれてしまう、死に取り憑かれた存在、それが忍者なのかなって思っていた……」
雫は、茜のその言葉に小さく頷くと、
「わたしたちには彷徨える魂をひとつひとつ供養してゆくしかないのだと思う。今日みたいに……」
あの石の祠は、雫の自信作だった。浅草寺の和尚も、手作りと聞いてさぞ驚いている様子だった。
「茜は、また旅に出るの?」
「うん。わたしはどこか一箇所で生きるのが苦手だから、雪が溶けたら奥州へゆくよ。芭蕉の「奥の細道」を片手にね……」
どうやら霊場巡りをして、数多の霊魂を供養しようとしているんだな、と雫は思った。
「雫は?」
「わたしはまた稲荷屋で看板娘をしているよ。常連さんに簪をもらってばかりで、最近、お店に顔出していないからそろそろ出勤しないと…….」
そう言って雫は嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃ、わたしたち、ここでお別れしよう。この日本橋が奥州道中の始まりだし、あまり長居しても別れがつらくなるだけだから……」
茜はそう言うと、妹の雫の顔をじっと見た。小さい頃から寸分も変わらないその顔をじっと見ていると、なんだか懐かしくて、無性に涙が込み上げてくるようだった。
「また、会おうね……」
雫は、たった一人の姉にそう声を震わせた。
「うん。それじゃ、雫、わたし、きっとまた会いに来るからね……」
茜の声は優しかった。ふたりはそこで別れた。日本橋を往来する人々は皆、生活に追われていた。その中には無数の出会いと別れがあって、生と死が彷徨っているのだった。茜は奥州に旅に出て、紬は稲荷山の看板娘になり、またかつてと同じような日々が江戸を彩ってゆくのだった。そして浅草寺の境内に祠を建てられた紬の霊魂は、今もなお、生命力をもって、この大地を、天を、人の心の中を自在に駆け巡っているのである。




