第七十五話 真実の愛
辻井栄之助は、長光の太刀を握って、赤々と燃え盛る江戸城天守閣の階段を一段一段登り詰めていった。
栄之助は乱れた息を整え、妖狐と小猿の三平が取り憑いている太刀の神通力を何よりも信じていた。
彼が最上階に上がると、そこは展望台のようになっている板の間で、斜めになっている床には徳川家斉が座っていた。
「お前が侵入者か……。すると紬はお前たちに斬り殺されたのだな……」
「さあ、それは知らぬな。しかし、もう終わりにしなければいけない時だ。この妖刀を振るえば、そなたの霊魂は、将軍徳川家斉の肉体から永久に離れることだろう」
すると家斉は、壊れかけの絡繰り人形のようにけたたましく大声で笑った。
「そして、わしが永久に黄泉の国に封印されれば、江戸に平和が訪れると言うのだろう。間違いのない話だ。しかし予言しておこう。いずれにしても、この日本国はあと数十年もすれば、異国船の渡来があって、再び戦乱の時代を迎えることだろう。いいかね。平和というものは決して長続きしないものだ。必ずどこかにほころびが生まれる。そして死がこの世を覆うものなのだ」
徳川家斉はふらふらと立ち上がり、栄之助に向かって歩いてきた。
(降伏する気か。いや、違う……)
その刹那、家斉は腰に手を当て、鞘から刀を抜いたかと思うと、すでに磨き上げた刀身を宙で震わせていた。
「わしを斬ってどうする。妖はそこかしこに湧いておるわ……」
ところが栄之助は、その一刹那先に、太刀を抜いており、白い壁には鮮血が散り滴っていた……。
「夢のまた夢、か……」
家斉は、膝から一気に崩れ落ちて、たちまち霊魂が抜け出したと思うと、それは天井を鯉のようになめらかで素早く駆け巡った。
そしてそれは栄之助の正面にとどまると、変形を繰り返す焔となり、一瞬、松林辰影の顔となり、さまざまな化け物となったが、最後には巨大な白い球体となった。
「これが藩主松林辰影と将軍徳川家斉を操っていた妖か……」
栄之助は、息を整え、太刀を振り上げると、一気に床まで振り下ろした。
その瞬間、白い球体は木っ端微塵に砕けて散って、それは純白の焔となってしばらくの間、燃え広がっていった。
すると辰影の笑い声がどこからともかく響いてきた。
「死が、死が、死が、もしも死がそなたの一生を脅かすなら、遠い旅路の中に生を見つけよう。しかしくノ一の茜は、きっとその旅の中に不安と孤独を見つけたのだろう。生きるということは簡単で難しいことだ。死人らしく生きては苦しみ、生者らしく生きては苦しむ。だからわしにそなたに問いかけているのだ。一体どのように生きるべきだ。生きるとはなんぞや、と。この問いに答えられなくてはただ日々が死に翳りゆくのを如何ともできんのだ」
それは白い液体となり、燃え上がり、黒い残り滓は、その板の間の隙間から落ちてゆくばかりである。
「すべてが終わった。三平、倒したぞ……」
そう言った瞬間、栄之助は脱力し、床にぐったりと座り込んだのだった。
卍
雫の手裏剣で、本丸の地面に叩きつけられた紬が蛙のように跳び起きると、茜が鷹の如く太刀で斬りかかってきたところだった。
「しつこいやつだ!」
すぐさま紬は飛びすさり、槍の刃で茜に応戦する。
茜は、すかさず紬の槍を踏み締めると、そのまま紬を一刀の下に両断した。
「そうか。わたしは真実の愛を手に入れられなかったのか……」
紬は血を噴き出しながら、そう呟くと、地面に力なく崩れ落ちた。




