第七十二話 三平と狐火と龍
北条氏康と北条氏政親子の神霊は、小田原城の天守の最上階に神仏の如く鎮座していて、妖魔改造江戸城の襲撃を防いだことに多大な喜びを感じていた。
「いや良かったなぁ。これほどまでに小田原城の総曲輪、無限の数ほどに備えた大筒と多重結界が効くとは……。しかし彼奴ら必ず追撃してくるぞ」
氏康はそう言うと、早くも祝杯が呑みたいのか、盃に日本酒を注ぎ出している。酔いすぎてはいけないので、昼間に三杯までと決まっている。
「父上、あれをご覧ください!」
と氏政が窓の外を眺めながら、鋭い声で叫んだ。氏康が何っと叫んで、窓枠に飛びつくと、江戸城天守閣が隠れているはずの山の裏側から、天高くまで土煙がどっと立ち昇り、太鼓の如き雷鳴が轟き、一匹の巨大な龍が飛び出したかと思うと、異様な速さで、天へと向かってゆくのだった。
「あれは龍でございます。奴らは神獣である龍を、飼い慣らした鷹のように自在に扱えるのでございます」
と氏政が怯えた声で述べたので、氏康はかえって奮起し、ええいっと腰の太刀を抜き、
「それならば、わしが打って出るわ!」
と言い出したのを従者たちに止められる。
龍は今や、稲妻を発しながら小田原上空を鷹の如く滑空している。たちまち、豪雨が起こり、城下町は灰色の空に押しつぶされそうになる。この世のものとは思えぬ響きのいななきが天を駆け巡り、地に伝わって振動させ、人の心を脅かした。
「大筒だ。目標はあの龍一匹だ。攻撃を一点に集中させるのだ!」
氏康がそう叫ぶと、小田原城下町全体の大筒が、飛行している龍へと向けられる。一瞬、全世界が真っ白になったかと思うと、まるで天地がひっくり返ったような轟音が響き渡り、龍は光弾の集まる中で回避するともなく、燃え上がりながら、多重の結界を突き破って、小田原城本丸に迫ってきた。
「こちらへ来るぞ!」
氏康のいる天守閣に火の玉となった龍が突撃してくる。決死の体当たり攻撃である。氏康はすぐさま、神仏の神通力を発し、天守閣を青い焔で覆い尽くした。飛び込んでくる龍がそれに触れた瞬間、天守閣を中心とした一帯は、巨大な焔の渦と化し、すべてを呑み込んでゆくのだった。
龍は、爆風に耐えられず、そのまま天に上昇すると再び、鳶のようにくるくると太陽の近くを旋回している。
「これほどのものなのか!」
氏康の神霊は、がくりと肩を落とすと、そのまま床に倒れてしまった。全ての神通力を使い切ったのである。氏政がすかさず、全軍の指揮を執ることになり、今なお飛行している龍の脅威を如何とすべきか、後北条氏らしく合議的に話し合って決めることになった。
江戸城天守閣の中では、栄之助がこの事態に困惑をしていた。
「このままでは氏康公、氏政公がやられてしまう。どうする。茜……」
茜は、栄之助に会えた嬉しさで、じいっと彼の目を見つめていたが、そんなことはしていられないと気がついて、
「三平! 三平にまかせるんだよ!」
と思いついたように叫んだ。
「三平。正気か、茜……」
「いいから。神獣には神獣で打ち勝たないといけないの。ほらっ、その太刀に中に秘められた三平と御狐様にお任せするんだよ!」
栄之助は、茜が何を言っているのかちっともわからなかったが、とにかくこの事態をどうにかせんとと、ええいっと気合いを入れて、小田原城の方角に向けて、太刀を勢いよく振り下ろした。
その刹那、太刀から狐火が一気に燃え広がり、三平と妖狐の霊魂が飛び出したかと思うと、巨大な鳳凰のようになって窓を突き破り、空へと舞い上がった。
「行ってきまーす!」
という三平の剽軽な声まで一緒だった。
「三平、がんばってね!」
と茜は叫んだのを、栄之助は茫然と見つめていた。
狐火と一体となり燃え上がりながら三平の魂は、大地を揺るがし神風を巻き起こすような鳳凰と化して、天空を飛翔する龍へと一直線に向かっていった。
二つの塊が天で衝突すると、激しい旋風を巻き起こし、焔は苛烈な渦を巻きながら、ゆっくりと落下した。
と思うと城下町擦れ擦れの低空を飛行し、雷鳴が轟かし、土を噴き上げ、巨大な気魂となって、再び小田原城へと向かって行った。
「三平が頑張ってるんだわ」
と茜は感心したように語る。
三平。
三平。
三平……。
小田原城に衝突すると思いきや、塊は中途で爆発し、焔が空中で大の字を描き、空気を焼き続け、しばらく燃え盛っていた。
そして三平と妖狐の魂は、再び空を駆け巡って、栄之助の一振りの太刀へと戻ってきたのである。




