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第七話 狐火に包まれた女

 茜が旅籠屋に逗留しはじめてから一月あまりがたった。けれども、茜はいまだに妖気の大元が掴めずにいた。


 茜が小猿の三平とふたりでいると、宿場の人々はそれを猿回しの芸人だと思い込んで、芸をねだったので、茜は三平にふたつみっつ、芸を仕込んだ。それは一つが猿が書道をするというもので、もう一つが寿司を握るというものだった。あまりにも珍妙だったので大変、評判になった。このおかげで茜は宿場の人々とすっかり打ち解けることができたのだった。


 ある日のことである。茜のいる旅籠屋にひとりの若い女が訪れた。伊勢参りをはじめとして旅人の多くなってきた昨今ではあるが、女人の一人旅というのはいまだ珍しかった。

 旅籠屋の主人は、この若い女は何か訳ありなのだろうと思って、訳も聞かずに、旅籠屋の一室に案内したのだった。

 主人が部屋の説明をしていると、女は聞こえていないのだろうか、思い詰めたようにうつむいたままである。主人が気になって顔を覗き込むと、女は大変な器量であったが、

「今にも身を投げそうな顔色の悪さだった……」

 と主人は後に語った。

 このことはすぐに茜の耳に入った。


「ねえ、三平。新しい客、どう思う?」

「どうって。そりゃ、女の一人旅なんて珍しいから、きっと訳ありなんだろうけどね。おいらの想像によると、きっと家出して、恋仲の男と心中しようとしたのだろうね。ところがこの世の中ってのは、非情なもので、生きたいやつが死んで、死にたいやつが生き残ってしまうものさ。要は連れの男が死んで、自分だけ生き残った。よくあることさ」

「そんなものかね」

「そんなものだよ。そんだけ訳ありじゃなきゃ、そんな美しい女人がこんなご時世に、こんな汚らしい旅籠になんか泊まりゃしないよ。旅籠の晩飯ってのは、シャリに香の物、味噌汁は当然だけど、それに煮染めや魚の焼き物、あるいは煮物などの菜がつくものだよ。それが、この旅籠ときたら、ずっと沢庵漬け、味噌汁だけじゃないか。鰯の目刺し一匹つかないからね」

「まあ、そんなものかもしれないけど、一度、確認した方がいいね」


 茜はこの女の様子を覗うことにした。茜は夜中、天井裏に隠れて、女が部屋で何をしているのか、こっそりと調べることにした。

 茜はくノ一なので、本来このような仕事は得意なのであった。

 天井裏からそっと室内を見下ろすと、女は行灯(あんどん)のわずかな明かりの中で、正座をしたまま、なにかうんうん唸っているのだった。

 女は手鏡を取り出すと、自分の顔を写した。美しい瓜実顔が映っている。

 異様な美しさである。

 しかし、なにか病的にも思える。

 薄幸の美女というのは、まさにこのような人のことであろう。

 しばらくして女は狂ったように笑い出し、そして泣き出した。いかにもただ事ではない。


(これはなにかに取り憑かれているな。でも、なにに取り憑かれているのだろう)

 茜はすぐに思い当たった。


 狐の悪霊である。

 この女はおそらくこの近くの農家か商家の娘だろうが、狐の悪霊に取り憑かれて、気鬱になり、このように放浪して、この旅籠に宿泊しようとしたのだ。狐の悪霊が悪さをして情緒不安定になっているのだろう。

(このままでは死んでしまう。どうすればいいか……)


 しばらくして女は、窓を開くと、一匹の妖狐と化して飛び出した。橙色の妖気が風に漂い、部屋にもわずかに残っている。茜は部屋に飛び降りると、女の残した妖気を追って窓から飛び出した。妖狐は夜の宿場を駆けてゆくところだった。


 しばらくして、一面の田畑の中、妖狐は銀杏の木の下に立ち止まった。

 気がつくと、先ほどの美しい女になっていた。

 茜は、女を取り囲むようにして、銀杏の木の近くに狐火がいくつも集まっているのを見た。

 あまりにも美しい。それは、狂気にも似た美しさ。

(一体、この妖狐はなにをしているのだ)

 茜は覚悟を決めると、狐火の中に飛び込んだ。

 この女子の体を、狐の悪霊から自由にしないといけない。そう思って、茜は飛び込んだのだが、女の身にまとわりついている狐の霊魂に一陣の風を起こして、逆袈裟に斬りかかった。

 狐は悲痛な鳴き声を轟かせながら、己も巨大な狐火と化して、周囲の数多の狐火と共に一気に燃え上がった。

 茜を囲むようにして、狐火が回り続け、まるで護摩の炎のように神妙に、勢いよく燃え広がる。

 しかし、それはふつっと夜の闇に消えていった。

 たちまち静寂の夜。

(これで、この女の人は助かった、はずだ……)


 ところが、翌朝になっても、女の様子は変わらず、暗い面持ちのままだった。主人はひどく気にして、しばらく旅籠に留まることを勧めたが、彼女は悲しげに御礼を言うと出て行ってしまった。


 旅籠屋を後にした彼女は、峠を越えることなく、崖に身を投げて死んでしまったという。亡骸の足下に落とされていた、一枚の和紙に筆でしたためられていたことによると……。

 三平の言っていたことは大部分当たっていた。

 女は身分の異なる男とずっと恋仲にあって、結ばれないことを悩み、一度は心中を考えたこともあるらしかった。ところが、男は家筋の良い商家の娘と結婚し、自分はひとり残されてしまった。

 彼女は、死に場所を探していたのである。


「狐の悪霊は確かに退治したんだろう? なのに、なんで女は自殺してしまったんだろうね」

 と後日、三平は解せぬ様子で言った。

「これは、わたしの誤算だったんだよ。てっきり、狐に取り憑かれているから彼女は死のうとしているのだと思ったんだけど、彼女は元から死にたがっていたんだよ。だから狐の悪霊は、その死の匂いに惹かれて、取り憑いていたんだ。だから、狐を取り除いた後も、彼女の悩みはそのまま残っていて、解決には至っていなかったんだよ。だから、わたしはもっと面倒見てやらなきゃいけなかったんだよ」

 そう言うと、茜はうつむいてもう何も語らなかった。いくら後悔しても、死んでしまったものは帰ってこない。

 茜は、田畑に狐火を見かけると、あの夜のことを思い出すのだった。



         「狐火に包まれた女」完

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