第六十八話 大奥にて
栄之助とユズナ、そして円海和尚の三人が、江戸城本丸、大奥に侵入したのは、まさに坂口泉十郎ら博徒が大手門を焼き討ちしている真っ最中のことであった。
栄之助が美しい庭から鶯張りの廊下に上がって、周囲に視線を彷徨わせると、大奥の絢爛たる広間や廊下には人影もない。
「泉十郎のおかげで、何事もなく侵入することができたな……」
と栄之助はユズナに小声で語りかけた。栄之助はユズナを見ても、どうも萩姫ではない気がして、このような気軽な口調になってしまう。
「みんな、大手門の暴徒に夢中になってんだろうね」
ユズナが大きな声を上げたので、栄之助は慌ててその口を掌で押さえた。
「しかし大奥女中たちはいるはずだろう。あまり声を上げるな。そなたの外見はただでさえ目立つのに、振る舞いまで目立ちすぎないように……」
その時、円海和尚がにやりと笑って指を差した。栄之助がその方向を見やると、そこには大奥女中と見える女たちが怯えた様子で立ち尽くしているのだった。
「曲者……」
これでは瞬く間に大奥中に、自分たちのことが知れ渡ってしまう。ユズナは、すぐに風を吹かせて、三人の大奥女中を小さなつむじ風の中に閉じ込めてしまった。
三人は、騒ぎになる前にと廊下を疾走した。女中の叫び声が三人の遠い背後で響いていた。たちまち三人は迷路のような大奥の廊下を走り抜けて、御鈴廊下を通過し、将軍の住まいである中奥へと入っていった。
「あっ!」
一人の侍が刀を抜いた状態で、栄之助の前に凛然と立ち塞がった。その途端、栄之助は刀身を疾風のように振るって、一滴の血も浴びることなく、廊下を駿馬の如く走り抜けた。
そして栄之助の太刀さばきの後には、狐火のような灯がほのかに揺らめいていたのであった。
「素晴らしい。妖刀だね」
とユズナが褒め称えるので、栄之助は息を切らしながら「妖狐と三平だよ」と答えた。そして栄之助は、目の前に現れた侍を次々と斬り捌いてゆき、三人の走り抜けた後には、死体の山が築かれていた。
「将軍がどこかにいるはずだ……」
三人が中奥を荒らしまわっていると、小姓と見える男が、息を切らして、命乞いをしている。栄之助はその小姓の胸ぐらを掴んで、叩き斬ろうとするとその男は叫び声を上げ、震えた声で、
「将軍様は今、天守閣におります……」
と述べた。
「なに、将軍家斉は天守閣にいるのだな。それは、あの空を飛ぶことのできる大天守だな……」
「へえ、ですので、どうかこの命ばかりは……」
栄之助は、えいっと小姓を畳に押し倒すと、そのままユズナと円海和尚の方に振り返った。
「家斉は天守閣だ。おそらく茜と妹の雫も天守閣にいるのだろう……」
「それならばすぐにそこへ向かおう……」
と円海は言うと、袈裟を翻して、庭に飛び出したかと思うと、屋根の上に一人跳び上がった。ユズナも栄之助をひょいっと背負うと、円海に続いて、庭から天高く跳び上がった。
栄之助は、小さなユズナの首に両腕でしがみつき、猛烈なつむじ風の中から外を眺めると、あの禍々しい妖魔改造江戸城が遠くにそびえ建っているのが見えたのであった……。




