第六十四話 富士山頂の手合わせ
「紬。わたしたちは何故戦わなければならないの」
と茜は、雪に埋もれた山頂に佇みながら紬に問いかけた。
「茜。この戦いには理由なんてものはないのよ」
「理由がない?」
「ええ。ただ、情念がわたしに人を殺させるの。わたしの心中で揺らめている死人たちの魂がずっと語りかけてくるんだ。風魔忍者は一人残らず、殺してくれと……。それは嘆きの声なのよ」
茜は、太刀の柄を握りしめて、斬りかかる隙を狙っていたが、紬の言葉の迫力に圧倒されて、体が動かなかった。
「家斉様がそう仰しゃる前からわたしはずっと分かっていた。わたしたちは凍りつく川の底、北条氏邦の猛攻の中で死んでいった。そこには風魔忍者の策謀があった。しかしだからと言って、わたしはあなたを恨むことの道理など求めてやしない。ただ行き場のない悲しみが、彷徨い続ける霊魂が、嘆きの声が、あなたの一際強い生の気配を嗅ぎつけたなら、きっと死に誘いたいと思うことでしょうね」
茜は、白幽の忍者七人衆の一人、梅華が、自分のことを「生の気配がきつい」と語ったことを思い出した。
「そう。だから、わたしは呪文のように繰り返しているだけ。風魔一族の末裔はただ一人として生かしておけないと……」
「そんなの、わたしには関係のないことだわ。だって甲州征伐なんて二百五十年も昔の話。それにわたしは風魔小太郎ではない……」
「二百五十年も昔の話。その通りね。でも二百五十年の間、わたしたちはずっと苦しみ続けている。風魔の血脈が途絶えればこの傷も癒えるかもしれない……」
紬は、血の気の通わぬ人形のような目つきのまま、太刀を振りかざすと次の瞬間、茜の懐近くまで入り込んできていた。茜はあまりの速さに慌てて二歩飛びすさったが、太刀の初動よりも早く、その首元に切先が静止していた。逆袈裟の軌道であった。
「ええいっ!」
茜は、思い切りよく紬の足元に滑り込み、彼女の腰を払ったと思うと、空転する紬の刀身を避けて、勢いよく宙に飛び上がり、神風に飛び乗って、できる限り遠くまで逃げることにした。
(並の身のこなしではない……。もしも、武術で対峙したならば必死)
すると、茜の目の前に突然、赤黒い焔が噴き上がった。それは次々と巻き起こり、彼女を一気に取り囲んでしまった。
「まずいっ!」
茜は咄嗟に、焔の底をすり抜け、野鳥のように一気に下降した。すると焔も生き物の如き一塊になって背後から追尾してくる。それは次第に、美しい鳳凰の姿となって、巨大なその腹に、小さな茜を包み込んでしまった。
茜の視界の全てが、瀑布のような炎に包まれてしまった。それは空中を彷徨う茜を呑み込み、その中で、紬の笑い声が響き渡った。
「風魔忍者の小娘が、どんなに歯向かってもこのわたしには勝てないのよ。さあ、わかったら、家斉様に服従しなさい……」
その言葉に、茜はひどく絶望感の湧き起こるのを感じた。何も言い返すことができず、ただ一人焔の中で打ちひしがれるばかりで、仲間に助けを求めることもできなかった。
(駄目だ。神通力が違いすぎる……)
茜は死を覚悟した。すべてが夢の中に消えていった。
その時に茜の脳裏に浮かんできたのは、今生きているのかもわからぬ辻井栄之助の顔だった……。




