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第六十一話 長光の太刀


「いくら感謝をしてもしきれんが、たといこの長光の名刀があっても、妖には太刀打ちできんだろうな。所詮、人間の分際では魑魅魍魎に敵うまい」

 項垂れる栄之助が、机の上の長光の名刀をなかなか受け取ろうとしないので、坂口泉十郎は代わりに太刀の柄を握る。

「これは確かに所詮どこぞの人間の拵えた太刀さ。長光というのは刀工の中でも名の知れた男だが、俺はそんなこた知らんね。兎にも角にも、こいつは多くの人間の血を吸った妖刀だ。あるいは神仏の神通力が宿っている宝刀とでも言おうか。なあ、栄之助。年若い刀は人の肉を斬ることができる。しかし絶対に斬れないものがある。それは心だ。四百年という月日を吸い取った刀は、人間の心をも斬れるようになるのだ」

 そう言って、泉十郎は柄を握りしめると、ふらふらと立ち上がった。そして他の客の方に向かって刀を構えたので、怯えた人々が波動の広がるように離れていった。


「見ていろ」

 その刹那、泉十郎は地響きのような掛け声を上げて大きく振りかぶり、胴ごと踏み込むと宙を両断する袈裟斬り。

 そしてさらに踏み込んで横一文字。まさに天と地を二分する気魂の一振りであった。


「腕は鈍っていないようだな」

「そんなことはどうでも良い。この刀が人の血を吸って妖刀と化していることをよく知ることだ。さあ、こいつを持ってゆけ」

 と泉十郎は、強引に栄之助の胸に太刀を押し付ける。

「かたじけない。必ず生きて帰ってきてこの太刀を泉十郎に返そう」

「その意気だ」

 丁度、泉十郎の注文した山鯨の牡丹鍋が運ばれてきた。栄之助は、太刀を握って泉十郎に礼を言うと、土間で草鞋を履いて、そのまま店を後にした。


 栄之助の頭上に広がる空は群青色をしていた。栄之助の右手には長光の太刀が握りしめられていた。生きている実感が心の底からみなぎってきてどこまでも自由な気がした。それと共に、栄之助は旧友の恩を噛み締め、吹きすさぶ風も暖かに感じられていた。

 三人と一匹の宿泊する旅籠屋に戻ると提灯の灯がすでに揺らめていた。栄之助は、引き戸を開いて、草鞋を脱ぎ、たらいで足を洗うと、段が外れそうな階段を駆け上り、二階の部屋へと急いだ。


 栄之助が部屋に入ると、円海和尚の姿は無く、ユズナが物想いにふけったように窓の外を眺めていた。栄之助は何も気が付かず、どかどかと畳を踏み鳴らしながらユズナの元へと歩み寄る。

「ユズナ。これを見ろ。長光の太刀だ……」

 微笑みながら喜びを伝えようとした栄之助。しかしユズナの浮かない表情を見て、太刀を畳に置いた。

「どうした?」

「空から江戸城を見てきたよ」

「うん」

「堀をよじ登るのも容易いし、わたしがついてりゃ城に入るのはきっと簡単さ」

「それなら良かったじゃないか」

「そうじゃないんだ。わたしは風の中を飛びながら蜘蛛八のことを思い出したんだ」

「誰だ、蜘蛛八って……」

「蜘蛛八はあなたの知らない人だよ」

 そう言ってユズナは群青色の空をじっと見つめている、まるでそこに何かが漂っているのが見えるみたいに。


「その人に会いたいのか。生きて帰ってまた会えばいいじゃないか」

 と栄之助は、何をユズナが苦しんでいるのかわからずに軽く口調でそう言った。

 するとユズナは振り向きざま、栄之助をキッと睨みつけると、

「会えるものかよっ!」

 と叫ぶように言った。そしてもう一度、声を震わせて、

「もう会えるものかよ……」

 と啜り泣くような声で言って、一雫の涙を頬に伝わらせると、弾かれたように部屋から跳び出して行った。


「待てっ! ユズナ……」

 栄之助はしばし茫然として立ち尽くしていたが、そう叫ぶと、ユズナの背中を必死に追った。栄之助が旅籠屋を飛び出して辻を見渡すと、夕焼けに紅に染まった世界のどこにもその姿はなかった……。

(誰なんだ。蜘蛛八って……)

 すると、小猿の三平が屋根瓦の上から栄之助を見下ろしていた。


「ほっといておやりよ。風の中を鷹のように飛んでいるとさ。清々しいものだけどね。不意に幻が見えて無性に悲しくなる時があるものさ」

 栄之助はその言葉に俯いた。

「それよりも、ついに長光の太刀を手に入れたね。栄之助……」

 そして三平は、栄之助の元に飛び降りてきて、鞠のように弾むと座り直して、じっと栄之助の顔を見上げている。そして重々しい口調で、

「おいらも栄之助に伝えなきゃならないことがある……」

 と言った。

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